2011年04月 アーカイブ

クライミングの動きの基本。

 目に見える部分で壁を登る、岩を登るというアクションはどうしても手で身体を引き上げてガシガシ登るイメージが強い。私自身、いろいろなクライミングの映像や専門書を見ていると、力強い腕力と握力を持ってグイグイ身体を上に運ぶイメージがあった。そして、その印象がどうにもこうにもカッコイイと感じて、クライミングに興味を持った。しかし、書籍やWEBサイトでその道のエキパの方のコメントを読むと、必ず一様に「腕で登るのではない、足とリズムで登るのである。」と書かれている。今年の初めに滋賀県内のボルダリングジム(草津)に伺ってそのオーナーさんにお話を聞いた際も同様。「腕力はあったほうがいいが、ボルダリングやクライミングは足の運びとバランス感覚と身体のひねり(ムーブ)が重要。」とのことだった。それでも、まだ、自分自身なんのことだかピンとこないまま、相変わらず懸垂や握力のトレーニングを続けていた。

 しかし、福井県立クライミングセンターでインストラクターの方からロープクライミングの基礎からボルダリングの初級編の講習を受けて、実際もう壁に登れないぐらいの握力になるまでアタックして初めて「ああ、これが足で登るということなのか、手はバランスを支えるだけ、主体は足の運びとムーブと呼ばれるリズミカルな身体の動きなのか・・・」と120%理解できた感覚が今ある。それはそのはず、その講習中に拝めた中学生の彼(クライミングの師匠)は腕の太さや筋力など極々普通に見えた。ああ見えて、握力は凄まじいだろうが、いわゆるムキムキタイプではない。筋肉マッチョなタイプというよりもどちからと言えばスリムで無駄な筋肉が一切付いていないイメージ。なのに、あれれれという感じで壁を簡単に登頂してしまう。そして、ありえないような角度の壁にひっつき、次から次へとポイントをクリアしていく。そして、何よりも、いつまでたっても壁から降りてこない。どんな握力と体力なんだろう?と思えるぐらいの筋肉の持久力である。でも、それも、実は全く無駄な力が必要のない美しいフォームとリズムとバランスでポイントをクリアしているからこそ、そのクライミングスタイルが成立するのだとやっと気がついた。

 で、今、古武術や剣術の達人の書籍を好奇心で読んでいる。別にクライミングとは関係ない好奇心で買った書籍なのですが、これがビックリ、上記のクライミングのムービングやバランス感覚と古武術の身体の使い方や筋肉の動きが完全にシンクロしているのです。一方、壁のポイントを両手両足で登るという身体の動きであり、一方は剣術や古武術や合気道の世界の攻撃や防御のお話ではあるのですが、すべてにおける基本の身体の使い方が同じなのである。双方も大切なのは「重心」「リズム」「脱力」「効果的な筋肉の瞬発力」なのである。そうかそうかと少し、開眼というところまでは到底到達していないが、モノゴトのポイントが少し見えた感覚である。

 また、別のベクトルですが、バス・フィッシングもそう言えばという心当たりがある。こちらは、ロッドでルアーをポイントに運び、バスを釣り上げるまでのゲームフィッシングのテイですが、ビギナーの人とエキスパートの人の違いは、この「リズム」なのである。イメージでバス・フィッシングを捉えている人は、ルアーを水中にキャストしてバスの口を使わせるために、いろいろな小手先の動きをさせて誘うが、これでは絶対にバスは反応しない。バス・フィッシングの雑誌などに、例えばクランクベイトやバイブレーションを投げて、ストラクチャーにわざとひっかけて、それをフックアウトする瞬間にバスが口を使う・・・などと書いてあるが、たぶん、ビギナーはこのことを理解できない。ルアーが設計上、ラインで引かれる際の動きは「設計上の自然」な動きであり、自然の中では不自然なのである。しかし、ストラクチャーに浅くひっかけ、それをロッドワークで外した瞬間、ルアーは水中で不自然な動きをする。これが、バスにとって興味のあるアクションになるという仕組み。そもそもバスが口を使う理由は、「食性」と「攻撃性」と「反射」の3パターンあるが、いずれにしても、口を使わせるためには、人間の考える自然ではなく、不自然を演出する技術やコツがバスにとっての自然なターゲットになるのだろう。

 ひさびさに封印していたバス・フィッシングのことを書いたので、テンションが上がってしまったが、いわゆる、頭で考えた「こうであるべき」が自然の中では、「ぎこちなさ」になり、生物を反応させるためのアクションから遠くなるということ。つまり、クライミングも古武術もバス・フィッシングも同じで、理解することよりも身体で感じろ!ってことなのである。もうひとつ、「絵画」も同じだろうし、「デジタルツール」も多分、同じことが言えるだろう。

 しかし、そう考えると、世の中には知識と蘊蓄だけを溜めこんで感覚的なセンスの悪い人が多いと思う。私など言わば知識も蘊蓄も地位も名声も認定も資本もないが、好奇心だけは自負がある。闇雲に進んで来たから失敗も傷もケガも多いが、それらを必ず再生させ、翼や爪や血や肉にしている感覚がある。これが上達という仕組みだろう。

 たかがクライミング、されどクライミングなのである。

みそ乃さんのうな丼!!!

unagi1500.jpg
 う~ん、美味そう美味そう。焼鯖そうめんもいいけど、近江牛もいいけど、私はこれ。たぶん、間違いないでしょう。星が三つ間違いなし。

詳しくはこちら。

14,575名のご冥福を祈ります。

 3.11から今日で49日となる。現在確認できている亡くなられた人の総数が14,575名。そして、まだ行方不明者の方も11,324名おられるそうです。ご冥福を心から祈ります。

なんかいい壁。

wall110429.jpg
 なんかいい感じの壁を発見。この「なんか」が非常に大切。だから撮影しました。PCの壁紙に使いたいぐらいですね。うん、いい感じ。

奥琵琶湖から竹生島。

biwako110429.jpg
 ゴールデンウィーク初日、仕事で奥琵琶湖へ。やはり、奥琵琶湖の水はキレイでした。竹生島も近くに見えて迫力迫力。風も心地よく何回来てもここ奥琵琶湖は素敵なロケーションです。琵琶湖湖畔で一番好きなエリア。

 湖面にはバスボートも多く見かけられましたし、本日はたぶん低気圧が来て(雨の前)いるので、水の中の活性率は高いはず。スポーニングを終えたメスが巣を離れ餌を食い始めるからちょと深いところにステイしている可能性もあり、若いバスも活性は高いはずだから、爆釣の可能性もあるでしょうね。このまま暖かい雨が降ればさらに活性は上がりますから、いい釣りができるはず。う~ん、そんな湖面のバサーを見ていたら気持ちが湖上に転移してしまいました。

なんでクワガタ!?

kuwagata001.jpg
 奥琵琶湖のパークウエイ路線の展望エリアにひっそりとたたずむクワガタ君。カブトムシやパンダやタヌキなら子どもが上に座れるってもんですが、このクワガタ・・・どんな仕事をするのだろう???

ワンピース62巻!5月2日か・・・。

onepiece62.jpg
 そうかそうか、出るぞ出るぞ状態なんですね。楽しみ楽しみ。そうかそうか・・・。あれはどうなるのだろう?それはどうなるのだろう?新キャラは登場するのだろうか?その他のキャラはどう関係してくるんだろう?例の奴は?海軍もしばらく落ち着くのか?もう、この時期が一番ウキウキしてしまいます。47歳のおっさんがこのテイでいいのだろうか?いやいや、これでいいに決まってる!!!

「脳梁の傍らへ」。#001

 ふとこんなタイトルが頭の中に降りてきた。普通ならブログには書き出さず、書き溜めて物語にしているのですが、なんとなくいろいろ頭にあることがこのタイトルでひとつの物語になり、それを、なんとなく理由は定かではないのですが、このブログで少しずつ物語にしていけたらと思い、頭に浮かぶままにここに書き出していきます。シリキレになるかもしれないですが、ブログ連載小説的に書き下ろして見たいと思います。これもある意味LAB的な取り組みの一つとして。

「脳梁の傍らへ」

#001

 無機質な表情で先生が私に伝えた。「肺癌ですね。申し上げにくいことですが、かなり末期です。余命はおそくら6ヶ月・・・。」この言葉をどう受け止めればいいのだ。死に際で人は人生の場面を走馬灯のように瞬時に回帰すると言われている、まさに、その心地だった。このことを家族に伝えるべきか否か、頭の中にあったまず最初の選択肢だった。一瞬で無機質な病院の色彩がさらにモノトーンとなり、常なら病院の中のざわざわした雑音が遠い向こう側の世界のノイズのように遠ざかっていく感覚。自分の死がどういう意味なのかと考える頭とそれが恐怖なのか失望なのか区分けできないままただふわふわと思考を彷徨う心の間で目に見えるモノ、耳に入ってくる声、歩いている足の感覚が、現実という世界から離脱しすべての意味を問う自分が自分の中に存在することを自覚した。病院の出口。低いモーターの音と共にガラスのドアが開き初夏の湿気を皮膚が捉えた。すれ違う初老の老人がゆっくりと病院に入っていく姿を心で追いながらこの出口から病院の外に出るということでさえ、生きている実感として敏感に捉えている自分がいた。何故だ?と考える前にどうする?と考える前にただ家族のいろいろな顔が頭に浮かび悲しいという感覚でもなく諦めという感覚でもなく歩いていた。病院に来た時に降っていた雨はやみ、初夏の日差しが薄い雲から漏れていた。生まれて何万回も受けている太陽の光でさえ初めて土の中から芽を出し光合成を始める木の芽のような気持ちで受けているような気持ちだった。これから自分はどこへ行くのだろう。

 っていう感じで、思いつくままに書き下ろしていこうと思っております。

映画「岳(gaku)」から始まるモノ。

gamen_gaku.jpg
 なんでしょう、この物語の魅力って?数年前、初めてこの漫画を紹介してくださったのは東京のクリエイター仲間の方から。「登山の物語があるんですが、スギノさんだったらたぶんハマるかもしれませんよ。」とご提案を頂いた。まったく週刊で漫画を購入しないので連載モノの最新情報は皆無だったので、そのまま書店へ。登山のお話だということで、どちらかというとハードな「バーティカル~」や「クリフハンガー」ノリのお話かなと思いきや、いやいや、なかなかのヒューマンタッチのガチな山のお話。その主人公がまたまた大きな山のような男。いわゆる山男的なぶっきらぼうな荒々しい無神経男のテイストを残しつつも、どこか愛らしいほのぼのとした「島崎三歩さん」。第1巻から自分の中の「岳(ガク)」が始まりました。そこから、「富士山に登ろう」とか「トレッキングを始めようかな」とか「クライミングを始めよう」とかいろいろ影響を受けまくり。結果、富士山登頂を達成できて、雪山も登ったし、伊吹山にも登った。その上、クライミングジムの講習に行き、ロープクライミングの技術も知った。すべてが「岳(ガク)」はじまり。

 で、腰と首のヘルニアも落ち着き、快適げな健康状態を復活させることができた。この恩恵も全て「岳(ガク)」はじまり。まぁ、子どもの頃から全てが「漫画始まり」であることを振り返れば、この流れは必然であり当然。で、で、映画。期待し過ぎると失速するので、暖かい座布団に座るような気持ちで楽しみたいと思っております。この二人で「岳(ガク)10」ぐらいまで引っ張っていってほしいと願うばかり。

 また、ここまで来て~の、映画「岳(ガク)」から始まる何かがあるはずだろう。これもひとつの大きなマイルストーンかなと・・・。

詳しくはこちら。http://www.gaku-movie.jp/index.html

映画「岳(gaku)」まもなく!

gaku_eiga.jpg
 この二人でよかったなぁ~といまさらながらそう思います。漫画の「岳(ガク)」を愛している人にしてみれば、三歩さんのキャラを映画になった時誰なの?という期待値があるが、それを受けられるのはそう多くない。あの漫画の物語の中のキャラを消化しつつポテンシャルも期待できそうな俳優さんとなると小栗君かなと。そして、久美ちゃんのあのキャラも、意外と誰でもよさげですが、山の絵とのマッチングを想定すると、うん、やはりまさみさんしかいないと思います。映画ではどのようなお話の展開になるかはまた別の期待値として漫画の中の三歩さんと久美ちゃんの関係がしっかり映像になって物語になっていればどんな物語でも映画「岳(ガク)」は完結するだろうと思っています。

 ってことで、いよいよ、公開です。楽しみ楽しみ。

アクト電話帳広告完成!

act_koukoku110429.jpg
 総合出版さんにお願いした電話帳広告が完成しました。イマドキ電話帳広告ってどうなんだい!?となる感じもあるのですが、そこはベタでガチな部分としてこういうテイもありかなと久々に広告原稿を掲載お願いしました。ネット社会ってもすべてがWEBサイトで完結するはずがない。まことしやかにメディアはネット社会への啓蒙にいそしいがそこは広告の鉄板、電話帳ってことでアリかな・・・と。

なんでそうなるの?

 本日到着したあるメルマガより抜粋。「米国GoogleのAndroid搭載スマートフォンと米国AppleのiPhoneの競争が加熱している。Googleは間もなく、今までAppleが幅を利かせていた音楽配信サービス「iTunes Music Store」に対抗すべく、独自の音楽配信サービスを開始する予定だ。今後もこうした真っ向勝負は頻発するだろう。本稿ではAndroid搭載スマートフォンとiPhoneで提供されるそれぞれの機能を比較する。また、現在多くのベンダーから販売されているAndroid搭載デバイスを企業が導入する際に、注意すべき5つのポイントも紹介する。これから購入を考えている人も、今利用しているデバイスからの乗り換えを考えている人も、さらに企業の導入担当になった人も、ぜひ参考にしてほしい。」う~ん、なんでそうなのる?激化って勝手に激化しているだけでしょう。で、ユーザーはどう捉えればいいのでしょうか?激化するのはいいですが、どちらがどのていどのびしろがあって便利で価格的に優良か?という判断基準なのですね。でも、激化すればするほどどうなっていくのでしょう?

 まぁ、私自身の都合では「auユーザー」なので、必然的に「Android」かなと思っている程度で、しかし、「iPhone」も興味がないわけではないし・・・。こればかりはいろいろなポイントがあるようですが、じっくりと比較して選んだほうがいいのだろうか?でも、企業のツールとしてコストとの効果がどの程度?となるのでしょうねって感じ。

マイルドセブンONE発見。

tabaco110428.jpg
 約1ヶ月ぶりにコンビニでマイルドセブンONEのボックス・ショートを発見。買い占める気持ちは無かったのですが、「2箱ください。」と言うと「おひとり様1個となっております。」とのこと。そうか・・・と1個を頂きました。当たり前に買っていたこの銘柄が商品棚に発見した時、なんとなく、今日本の価値が精査されているんだなぁ~と感じた。たばこの健康に対するリスクは理解しているつもりでも、辞められない理由はいろいろあれど、今、自分の身体の中に癌が発見されていない以上、タバコは好きだから吸いたい。これが純粋な止められない理由。危険性があるから癌の発症率が高いからとこれを止める気持ちにはなれない心情です。逆にあと肺がんで余命が1年だと告げられたら、それはそれで辞めないかもしれないし・・・。なんでしょうこの「タバコ」っていう存在。

 BTW, アップルとアドビのFLASH戦争が終結しそうです。そして、この戦争で勝利したのはアップルでもアドビでもない。実は、スマホユーザーだった。みたいな記事を読んだ。これはどういうことなのか?iPadやiPhoneから離脱したFLASHテクノロジーが言わば孤立していく構図なのか?その理由は「微弱性」。プログラムとしての微弱性を回避するためにアップルはFLASHの技術を切り離したと聞くが、さてさて、真意はどうなのか?アップルぐらいの技術力ならなんとでもなるだろうに。でも、そこはスルーなんだ。プログラムとしてWEBツールとして環境が整えば整うほど適応できない技術・・・なのか。ならば、逆にFLASHを極めてやろうと思っている。リスクだけを捉えて表現力を別の技術に代用してもそのルートで進化してきたツールをリスクだけで簡単に見切っていいのか?ここがクリエイタースピリッツの天秤に委ねられるパワーバランスのような気がする。

 では、そもそもリスクと見なす価値判断の軸はどこにある?正誤?損得?好き嫌い?この3大ジャッジの基準は多様であるが、もし、確率や論理でジャッジしているなら、いつか、確率や論理だけでモノゴトが成立しないことを知るだろう。つまり、ニーズは数多の個の中に存在している。これらを確率や割合や論理で括ると必ずこぼれるミルクがある。こぼれたミルクはトレイには絶対に戻らない。リスクだけに注視して美味しいミルクがこぼれるのスルーする人達。そんな人達の中に優れたクリエイターは少ないような気がする。

 危険な放射線の覆水は盆に返らない。リスクの想定についてまたまた会議・協議が始まった。今一度、「SHIP」を考えてみたい。リーダーシップ、フレンドシップ、リレーションシップ。不完全で微弱なのは実はそこかもしれないぞ。タレントの皆さんたち、簡単に「つながろう!」などと言葉にしないほうがいいだろう。「つながるリスク」が日本人の大敵だったはず。そんな歴史を経て現在に至っているわけですから、そりゃ、本質的に政治家も企業家もSHIPが足りない足りない。

 だから、マイルドセブンONEと同じ。何事もひとり一個にすればいい。

 それをリスクと捉えるか、のびしろ(期待値)と捉えるかで振幅が180度変異する。

沈殿する土。

 私がもっとも通っている長浜市内でもっともリスペクトしている情報源「サンミュージックさん」。たぶん、その回数は1年365回以上。勿論仕事や趣味の情報収集の場として、音楽CDやDVDを買ったりレンタルすることが目的ですが、何も無くとも図書館のような感覚でぶらぶらすることが多い。何故か、心が落ち着くからである。情報に触れたいのならネットでいいじゃんという意見もあるが、モニターに表示される情報は薄い。情報としてのディテールがミクロ過ぎるナノ過ぎる。画面の変換で情報の表示を確認したところでなんか頭にも心にも入ってこない。よほど仕事の案件目的で集中しているモードなら表示に注視するが情報を集めたいと考えるなら、書店が一番。だったら図書館に行きなさいと言われるが、図書館はなんか時間が止まっている感じで嫌い。情報って拡散していなければ魅力がない。つまり、バケツに土と水を入れてかき混ぜると濁り土がバケツの中を水といっしょに回る。この土の粒子には魅力を感じるが、底に沈殿した粒子を見ても心は震えない・・・みたいな感覚。

 図書館もじっくり腰を落ちつければ知の宝庫なのだろうが、まず、腰を落ち着けようとする気分になれないのだから仕方ない。無理にそこにいると息が詰まってくる。

 で、やはり、書店がいい。新しい情報が「動いてる。浮遊している。」感覚がするからである。長浜市だから最寄りの書店レベルが現実的な徘徊ルートなのですが、たまに梅田や新宿に行くと巨大な書店があり、一旦、入ると2時間は出てこない場合が多い。

 そんなブラ見で最近気づいたのですが、歴史的に著名な哲学者や文学者の名言集が目につく。「ニーチェの名言集」とか「ドラッカー関連の噛み砕き本」もその系列上。ここにはあまり自分自身の琴線が震えないのでスルーしていますが、何故、今、ニーチェなのか?それに、テレビ番組でも、海外の宗教的な慣習やムーブメントを取り上げて日本の宗教倫理と比較させるプログラムが目につく。これは、震災の関連でテレビ局が数字を得るために、またまた、国民の感情をコントロールしようとしているのか???と思ってしまう。今更、キリスト教の教えを説かれても、ニーチェの名言を並べられても、気持ちの色が変化する人っているのだろうか?いるとしたらその人はかなり泥が沈殿していますよね。

 キリストさんでもニーチェさんでもドラッカーさんでも、誰でもいいからバケツの水をかき混ぜてください!みたいな。

他人をほめる人、けなす人。

books110427.jpg
 草思社文庫から出ている125万部突破の大ベストセラー。著者はフランチェスコ・アルベローニという1929年生まれ。イタリアの著名な社会学者で、ミラノ現代語大学社会学教授。哲学、宗教、文学にも造詣が深く、イタリアきってのモラリストとして知られている。人間の本性にかかわる問題についての犀利(さいり)な発言は現代人の心性に強く訴え、著者のほとんどが各国に紹介されている。おもな著書に「恋愛論」、「エロティシズム」、「友情論」、「借りのある人、貸しのある人」などがあるそうです。

 少し抜粋すると「楽観的な人、悲観的な人」というチャプターがあるのですが、その中の一文。「オプティミスト(楽観主義者)はまた、困難をもより容易に乗り越えることができる。それは彼のスタンスが新たな解決にいっそう開かれているからであり、不利は条件を有利な条件にすみやかに転換できるからである。ペシミスト(悲観主義者)はまず困難を目ざとく見てとるが、それに怯え、すくんでしまう。情況を転換するにはちょっとファンタジーがあれば足りる場合が多いのに。」としている。まさにである。

 間違いなく、自分自身は「オプティミスト(楽観主義)」なので、よく他人にストレスを与えることが多いそうだが最後の最後で気にしていない。助言も多く頂くがこれもあまり心に響くことはない。ただ、そんな心の構造だが、自分が心からリスペクトしたある分野の達人やエキスパートには心を完全に奪われることが多い。これはつまり「自分勝手」なだけと批判されることになるのですが、それでもそれでも、楽観主義者は平気なのである。

 もうひとつ、「習慣を変えない人」というチャプターより抜粋。「自分のなかの一部を捨て去り、別の展望をもって世界を見ることができなければ、肉体的にも精神的にも老いていく。」としている。まさに同感である。この場合の「習慣」とは日常生活のディテールということではなく、精神的な意味での慣習の部分だろうし文化や歴史に対する依存度というか距離感の問題だろう。何も習慣を破壊して新しいリセット感を得ようとする振幅ではなく、固執することで視野が限定されると言いたいのだろう。うんうん、まさにである。

 この著書、これらのチャプターが50以上あり、¥650+消費税である。これは売れるは・・・。

私の心の師匠。

ekipa01.jpg
ekipa02.jpg
 この黄色いTシャツの彼の写真が、彼が私のクライミングの心の師匠となった瞬間です。師匠というか、相当、年下であり、自分の息子ぐらいの年齢ですが、完全無欠の師匠なのです。しかし、この写真は私が撮影したモノではなくこの日の講習にナビってくれたKUNIさんが撮影したモノ。だから、お話は聞いていたのですが、実際の師匠がこの15mの壁を容易くクリアしている写真はこれが初めて。う~ん、圧巻。そのスピードを次はビデオカメラで抑えるつもりです。(ただのファンかもしれない・・・。)が、それは、私自身がここをクリアするための資料としてのつもり。

 さてさて、皆さん、一度冷静になって(お前だけが妙なテンションだ!とツッコまないでいただきたい。)この高さどう思われますか?15mです。この真下に立てば分かりますが、登るってことよりも、ロープ1本で15mの高さに登っているって日常生活ではありえない。それも自力で壁のポイントを登るのです。「馬鹿やなぁ~」と思うか「ゾクゾクするなぁ~」と思うかでこの写真の意味が180度変わってきます。いやいや、素敵な写真をありがとうKUNI-saaaaaaaan!

詳しくはこちら。KUNI-BLOG

クライミングの講習風景です。

kousyufuukei110424.jpg
 なんとも熱い空間でした。老若男女問わず想像以上に多くの方が講習を受けに来ておられました。クライミングだから私のようなおっさんは少ないだろうなぁ~、バリバリの若手が集まってきてて、このおっさん大丈夫?みたいな空気になったらちょっとはずかしいなぁ~とかいろいろ考えていたのですが、いやいや、私よりも年配の方でもガツガツ壁にアタックされてましたし、若い女子も私と同じ初体験なのに、ガチで壁と獲得しておられました。同じモチベーションを持って集まった人達とのこのひととき、う~ん、近年まれにみる素敵すぎる誕生日となったのでした。いやいやいや、これはつきつめますよ。まだまだいけるいける。次にここを訪れた時は、屋外の15mを絶対に制覇してやるぞ!的なモチベーションで福井県立クライミングセンター様を後にしました。皆さんの笑顔、47歳のおっさんには素敵過ぎて完全に中毒になりそうです。まだ、ボルダリングやクライミングの基礎もフォームもリズムもあったもんじゃなかったですが、素敵過ぎるマスター達もこの目に焼き付けてきました。何百回もその頭に焼き付けた映像を反芻して次は少しでもそのマスターに近づけるようにトレーニングしていきたいと思っております。

 ということは、自宅に必然的に練習用の壁を作ることになりますが、それはもう仕方ないですね。いやぁ~楽しかった!いや、楽し過ぎました。おそらくたぶん間違いなく、ゴルフへの熱意は失速していくでしょうね。だって、ボルダリングは想像以上に楽し過ぎましたから・・・。今でも両手の内側の筋肉はパキパキですが、これさえも、心地いいと感じていますから、間違いなく中毒症状の第1期ですね。

福井県立クラミングセンターにて。

fukui_wall110402.jpg
 福井市にある「福井県立クライミングセンター」に行ってきました。午前10時から施設利用に関する講習を受けて、トップロープクライミングの基礎知識と実践を受けました。そして、後半は、3mまでの壁をつかったボルダリングの講習。そして、仕上げにこの写真の屋外に設置された15mの壁に初アタック。朝から何度となくいろいろな屋内の壁にチャレンジしているので、もう、握力も腕の力もヘロヘロ状態。最後の力を振り絞ってこの壁にトライしましたが、右サイドの壁の最初の上向きの壁の手前で無念にも壁から手が離れ、ロープでぶら~ん。う~ん、ボルダリング、トップロープクライミング、リードロープクライミング、刺激的過ぎます。オモロスギです。

 で、今回、講習を受けさせていただいたので、会員番号を頂きました。次回から300円ほどでこの施設を利用することができるという流れ。場所が福井市だけにそうちょくちょく来るわけにはいきませんが、定期的にこの壁にトライしていきたいと思っています。壁を登るという目的は達成されたので、次の目標としてこの15mの壁の制覇を目標にしたいと思っております。

 いやいや、ボルダリング~ロープクライミング、奥が深すぎです。

詳しくはこちら。http://www1.fctv.ne.jp/~masah/index.html

明日はここへ!

rockscape001.jpg
 明日はこちらへ行ってきます。ほぼこの日のために10ヶ月の準備をしてきた。初めてのボルダリングジムデビューである。さぁさぁガツンと打ちのめされるか、ここに定期的に通うことになるのか、楽しみ楽しみです。まぁ、明日で何の因果か47歳になるわけで無理をしないようにチャレンジしてきま~す!

スヴァールバル条約。

 検索すると、「スヴァールバル条約は、1920年に締結された、スヴァールバル諸島の取り扱いに関する多国間の条約。内容は、スヴァールバル諸島をノルウェーの統治下におくとする他、ノルウェーの法律は全ては適用されず、また、全ての加盟国は等しくこの島で経済活動を行う権利を有するとされ、さらに、スヴァールバル諸島を非武装地帯とすることも定めている。原加盟国はオーストラリア、カナダ、デンマーク、フランス、インド、イタリア、日本、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカ、スウェーデン、イギリス、アメリカ。1924年にソ連(現ロシア)、1925年にドイツが加盟。現在の加盟国は40以上。」となっている。極寒の果て、人間が暮らせる最北の地でこんなクリーンな条約が存在するのか。たぶん、何事においても賛否慮論だろうが、白くまが守護神のように思えました。

 この諸島の絶対温度の永久凍土の中の倉庫に眠る64万種の植物の種子。う~ん、地球上で一番安全な場所と意識の高い人間が管理する最も人間の崇高な部分が具現化された場所のような気がします。地震も津波も放射線もなく、ビザもない島。この地の安全度を100とすると、日本は0.02ぐらいかもしれないですね。

誤解する英語か・・・。

books11042201.jpg
 誤解か・・・、何故これほど誤解をするのか?その誤解の根底にあるものを知りたいなぁ~と買った書籍です。そこに実は日本人の考え方の思考パターンが潜むような気がして。

元素がわかる。

books11042202.jpg
 なんでこの歳になって「元素」なのか?自分でも不明ですが、どうしても気になって買ってしまった。この類の書籍が氾濫しているので、都度、何故?が先行しつつもこればかりは「好奇心」としか言いようがなし。原子、陽子、電子、中性子、水素、ヘリウム、リチウム・・・。ナノの世界を知ればしるほど、マクロを分解できる。元素の歴史を知れば知るほど人間の好奇心の素晴らしさを知ることができる。過去の偉大な研究者とシンクロできるなどとは一切考えてはいなが、好奇心のベクトルが同じなら微量でもそれを楽しいと感じたい。何の得になるのか???この疑問はさて置き、興味があるから知りたいというだけ。だってだって、たかが元素、されど・・・ですし。

羊~です。

books11042203.jpg
 何回この映画を観たことだろう、そして、何回トマスハリスの原作を読んだことだろう。N.Y.に滞在していた時にビデオショップで外国版(VHS)も買ったし、勿論、DVDもある。そして、この英語版の原作本である。どんだけひとつの原作に飲み込まれてんねん!という感じですが。たぶん、この物語は過去に読んだ、出会った物語の中全てでBEST5に入る作品である。何がBEST1かについては気分で変動するために言及・限定はできない域のお話の中でも、映画との連動を考えるとBEST1かもしれない。

 ふと、あるレクターのセリフがどうしても気になり、書庫からひっぱりだして確認したってわけ。いやぁ~こんな小説書きてぇ~なぁ~!ちくしょう!!!

アブシンベル大神殿。

sekaiisan001.jpg
 世界遺産というモノがある。検索すると「私たちが住む地球には、雄大な地形、多彩な動植物、古代人が残した壮大な遺跡など、人類と地球の歩みにとってかけがえのない遺産が数多くあります。それらは、過去から引き継がれてきた人類の宝物であり、今を共に生き、次代に引き継いでいくものです。また、単にその遺産の形状や規模といった外観上のものだけでなく、修復・保存への取り組みや地域住民との歴史的な関係など、遺産とともに生きた人々の軌跡も含むものです。さらに「世界遺産」は、全世界共通の財産という位置付けがあり、その保存を協力して実施することによって、国際協力関係を推し進める目的も有しています。ユネスコでは世界遺産条約に基づき「顕著な普遍的価値(outstandinguniversal value)」を有するものを登録リストに掲載しています。その数は2001年12月現在で、文化遺産554、自然遺産144、複合遺産23の総計721が登録されています。」と出てくる。人類と地球の歩みか・・・。次代に引き継いでいくものです・・・か。普遍的な価値か・・・。何を人間は一喜一憂しているんだろう。世界遺産に対するホーキングの洞察を聞いてみたいものです。

器用なことがネックに。

 「器用貧乏」という言葉がある。検索すると「なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。また、器用なために他人から便利がられてこき使われ、自分ではいっこうに大成しないこと。」となっている。器用過ぎるだけにひとつの道を極められないというか、経験値が分散されてあれもこれもとやってしまえるためにビジネスとして成立しなくなったり、つい過分なことまで追求してしまい本分を置き去りにしてしまうタイプの人に適用される言葉。「器用」であることは決して悪いことでも生産性の低いことでもないのですが、「貧乏」という語感で表現されているようにあまり本人的にはいい感じにはならないという傾向があるようです。

 たぶん、この分岐点がプロとアマチュアの違いなのだろう。では、プロとは不器用なのか?という論法についてですが、言わば不器用なのかもしれないと思う。特にこの時代、ネットビジネスや進化・進歩するデバイスやPC機器を器用に使いこなす人よりも、ひとつのことを探究・追究して不器用だけれど秀でる感じがプロ像みたいな。プロ意識とは言わば不器用なタッチだけれども、ひとつのことに責任と自負を持ちお客様からのご依頼・ご希望に対して誠意を持って取り組む姿勢が基本。これは器用か不器用かとなると意外と不器用と捉える方がニュアンス的にマッチするようなイメージです。

 では、デザインの世界のお話だと、お客様からのデザインの希望要素を全てデザイン表現に反映させるためにしっかりヒアリングしてしっかりとコミュニケーションしてお客様のご意向をデザインにできる人と、自分の考えをベースに持ち、その上でお客様のご意向を反映させながら、そのご希望のニュアンスの中から今現在取り組んでいる案件に対して本当に価値があり必要とされるフィーリングをチョイスして自分のスタイルと組み合わせ独自のツールへ昇華させる人。この両者、さて、どちらがプロなのか?というお話。前者も後者もいずれもプロとして必要な取り組み方でありプロに必要なスキルやセンスやモチベーションには遠くないのですが、この両者のタイプ、パワーバランスが崩れるとビジネスとして成立しないばかりか、成果物としてのデザインのクオリティーにまで悪影響を及ぼす結果となる。

 「いいデザイン」を創ろうと試行錯誤した結果、マルチになり過ぎて平均点以下の成果物になる危険性を秘めている。つまり、器用な人は迷うのである。そして、不器用な人は迷わないのである。迷わない人は結果、とても強い。信じる者は救われる・・・的なニュアンスもなくはないのですが、でも、強い独自の創造性とは不器用なアプローチ、不器用な思考、不器用なスキルがほどよく機能している方がいい場合が多い。逆に器用な人は意味なく自負がありエゴがあり天狗感が漂ってしまう。そこが何よりも最適なコミュニケーションの障害になる。言動ひとつ、器用な人は上から目線になる。必要以上にへりくだる必要もなく、商売は50:50の鉄則の通り、100円のものを100円で売るでいいのですが、最後の最後、売り切御免ではのびしろにならないから、お客様に対して最後の最後で、100円を99円にする。パワーバランスの視点では51(お客様):49(クリエイター)に結果なるような流れが継続性を生むように感じています。なかなか、この時代、このニュアンスを維持するこは難しいが、変に専門知識だけを振りかざして器用に立ちまわることよりも、不器用でもいいので、誠意を持って精進邁進することが基本姿勢でいいのではないだろうかと思っています。

 デッサンのお話では、自分自身、ココイチのラインを出したい時は、鉛筆を左手に持ち替える。ココイチのラインを出すのに右手は器用過ぎるのである。しかし、ベースのラインは右手で構築して、最後のラインは左手でぎこちなくラインを出すとそれが自分の絵としてしっくりくる場合が多い。これはデッサンに限ったことでもないのでしょうけれど・・・。

880m。

mt_ibuki11041703.jpg
 昨日の登山プランは2時間登って1時間下山でした。だから、伊吹山は標高1377mなのですが、登頂目的ではなく、あくまでも練習モードで880mまで。それがここでした。ちょっと時間は予定よりかかりましたがほぼ2時間の登りでここまで到達でした。少し休憩してあとはゆっくりと下山でした。次は登頂で時間配分したいと思っています。

三合目到着。

mt_ibuki11041702.jpg
 ほぼここまで1時間30分の行程です。身体は訛っているわけではないので、結構キツイ長い斜面もありましたが、なんとかここまで到着。しかし、富士山と違うのは草や土の面が多いので靴でしっかり地面をホールドできるので力が逃げないこと。富士山の細かい石の砂は斜面の割りに石が多く踏ん張る力が逃げてしまうことで疲労が2倍3倍になった経験がある。に比べれば斜面は同じぐらいでしたが、伊吹山は固まった草の面や土の面が多くしっかり一歩一歩確実に登れる感覚が楽しかったですね。ここまで来て装備はこの程度で問題なし。これが雨や雪となると登山プランに合わせて変更しなければいけないが、今日はこの軽装で正解でした。装備ひとつでも工夫が必要だから登山は面白い。装備に失敗するれば苦労するのは自分だから誰にも文句が言えない辛さがありますが・・・。まぁ、それも含めての登山ってことなのかなと登山経験3本目のビギナーのコメントでした。

伊吹山初アタック!

mt_ibuki11041701.jpg
 何回も仕事で訪れている伊吹山。パンフレットや乗車券の納品で3合目まではゴンドラか車で登っていた伊吹山。しかし、山麓から登山モードでとなると今日が初アタック。改めて登山をするという視点で見る伊吹山はなんと大きい素晴らしい山だこと山だことって感じ。今日のプランは午後1時スタートで2時間登って1時間で下山。で、登れるポイントまでというプラン。天気もちょっと風が冷たいがほぼ快適に近い状態です。装備は軽くただ冷たい風や汗を対策の着替え程度。正月以来、2011年2本目の登山でした。

「見る」という蓄え。

 「見る」という技術がデザインやアートの仕事にはとても大切。世の中の情報のディテール的には、秀逸な技術力やセンスのいいマッチングを構想する発想力、そして、パソコンの知識とソフトウエアの技術にどうも目が心が奪われるが、それらはただの枝と葉に過ぎない。幹の部分や根っこの部分ではこれらは「まぁ、あればいい」程度であり、さほど何かを創りアウトプットすることやビジネスの展開力を上げることには重要なことではないと考える。起承転結で言えば「転結」の部分。つまり、成るようにしかならない部分とでも言いますか・・・。とにかく素晴らしいパソコン環境を持っている、国内でも最速のパソコンがある。勿論、ソフトウエアも最新のソフトを全て揃えているが、さて、その人が素晴らしいデザインをできるか?素晴らしいアウトプットを企画・構想するチカラを持っているかとなると、案外、その逆の場合が多い。らしさの部分で言えば、だからその人はパソコンの環境を整えてソフトウエアを完備して準備していたい、コレクションしておきたいと感じているのである。つまり、組み合わせやゼロから何かを創造することには自分自身決して長けているとは実のところ感じていない場合が多い。妙なバランスである。

 無いものこそが「強請る」対象なのである。そして、この方程式はいつの時代も、まぁ、変わることのない普遍の方程式というか黄金比率というか錬金術というか。どれだけ自分の頭に論理でセオリーで納得を積み上げても心は知っている。頭と心のバランスについて、まゆつばな宗教テイストや哲学チックな論拠・論証でお茶を濁すつもりはないが、結局、人間は頭と心のバランス。どれだけ地位や名声や資産を持ってても心は知っているのである。自分のIDを。そして、そのジレンマと葛藤しながら・・・みたいなことなのである。

 で、言えば、上記の「地位・名声・資産」を全く持たない私のような人間はこの逆方程式に依存しなければ自分の存在が成立しないだろう・・・ぐらの危機感で毎日が勝負なのである。これまでもそう、今もそう、これからもそうなのである。

 話がかなり個人的な趣向に逸れましたが、まず、仕事という大きな流れをコントロールすためには、上記のようなポテンシャルを整理しておく必要があり、しかし、現状に維持に甘んじずつねに新しいこと、過去にクリアできなかったこと、親しい友からのアドバイスや苦言などを、しっかり整理してひとつひとつマークアップしなければいけない。そこで、一番基本的なことが実は「見る」「見た」とい蓄えの大切さなのである。これは、マイルストーンのようなものなのかもしれないが、知識や経験とはまたニュアンスが異なる。「見る」ためには「見えている」必要があり、この心の視力というかこの見え方はその時の気分やテンションに大きく影響を受ける。だから、心のベクトルがいつも同じ方向を向いているというわけではないので、この「見る」には非常にむらがある。が、それも実は大切なディーテルなのである。むらがあるからこそ「見た」になるのである。誰が見ても同じことを感じるなら、極端な話、人間のニーズは地球上同じである。しかし、慣習が異なり、文化や歴史が異なり、趣味趣向が異なり、ニーズが分散するのはこの限定できない言及できない感情の指標とも言える「むら」があるからこそなのである。ひとことに「むら」と言ってしまうが、ここには、感激も感動も憎悪も悲観も嫉妬も黙認もある。これらは絶対にデジタルツールには反映・適用・転用できないSOMETHING。世の中の情報の細部を虫の目でちくちく見ることも意義はあるだろうが、それが、実は「むら」であると捉える実態としての自分、つまり、自分の中の心としっかり折り合いをつけようとする心の軸が微弱だと、逆に自分が苦しいぞということ。これが現代の代表的な「苦しさ」のひとつかなと思います。

 時に「見なかった」という蓄えに対して自分自身を設定・限定する必要(もしくは勇気)がある。誰も心のから孤立したいとは願っていなのに書籍とアイテムに囲まれてアイソレートな状態でいることが落ち着く人もいるだろが、それは、つまり、「見えていなかったこと」を「見なかったこと」と捉える勇気ひとつなのかもしれない。誰に言っているという大義があるわけではなく、自分自身に対するよく湧き上がる独り言です。ツイッターではこの長文がつぶやけないので、やはり、ブログが一番です。

若狭の海。

misato_ph110417.jpg
 娘が撮影してきた写真です。曇天の日本海とスポーツカーの構図です。写真というのは撮影する人の何かが画面に定着されるわけで、同じ風景を同じ時間に撮影してもどこか違う。勿論、カメラの精度やレンズの違いで画質は左右されるし、技術やセンスなども影響する。そして、同じ撮影している人でも多分気持ちや感覚の部分で写真はどうにでもなる。まして、映像ならそれがカメラの精度やレンズの種類の違い以上の映像の質が撮影する人のポテンシャルに依存する。

 アクション的に写真はシャッターを切るだけで撮影はできるだけにその一瞬の気持ちというか構図への感覚的なこだわりが写真のチカラを左右するのだろう。また、それは風景ひとつ、モチーフひとつにしても同じ。撮影者の心が動かない、このモチーフを撮影しようという気持ちがなければそのモチーフを選択・チョイスしないわけで、写真をいろいろな場面で見るがそれがそこまでひとつひとつの変数を捉えなくとも、人はそれらを漠然と感じ取り感動したり癒されたり刺激を受けたり無視したりしているということなのでしょう。だから、写真は誰が撮影したかで大きくそのニュアンスやフィーリングが異なって来る。

 まず、私は車があまり好きではないのでほとんど車の写真を撮影しない。つまり、どんなにスポーティーな車でもクラシックな車でも味のある車でも車は車なのである。よって、カメラを持っている条件で仮に素晴らしい車がそこにあっても写真を撮ることはない。仕事以外に。ので、この写真をそういう目で見た時、まず、「ああ、この写真はどこか気になるが、自分なら撮影しないなぁ~」という視点で気になった。赤い車に対して「赤い車」以外にのびしろを感じないし、ここから「自分が運転したら・・・」とか「この車で走ったら・・・」というイマジネーションは湧きあがらない。だから、逆に気になるのかもしれません。

 写真はテレビ・新聞・雑誌・ポスター・パンフレット・WEBサイト・映像コンテンツ・仕事場の写真フレームの中などなど、日常いろいろな場面で接点があり目に触れる機会に溢れているが、それが仕事なだけに、写真という表現手法に対して下手をするとその効果や印象度に対して麻痺している部分がある。仕事というメガネで写真を見過ぎて、純粋に写真に対する愛着が薄れている状態。だから、お客様にもよく注意・忠告されるのですが、「お前の撮影する写真はどうも愛がない・・・と。」これはズバリなのである。何に対しても表面的に流してはいけないいけないと頭で感じていて注意していても、心の指針が動かないモノに対してはどう自分に言い訳をしても心の指針が振れない。無理苦理奮い起しても、やはり、写真に対して愛を感じている人の写真には到底太刀打ちはできないというパワーバランスなのです。

 これが、逆に「絵画」や「イラストレーション」や「デザイン」や「WEBサイト」に置き換わった時、そこに、くだらないぐらいに無意味なぐらいに情動を逸するぐらいに愛を感じる。特に「絵画」については「もう、そこだけは、絶対に、ゴッホにもスーラにもロートレックにも負けたくない。」ってぐらいの愛があると感じて止まない。だから・・・つまり・・そういうことなのである。全てはそこの部分なのである。そこが「らしさ」の部分。

 たぶん、若狭の海の畔に赤いスポーツカーが駐車してあっても私はカメラを向けることがないだろうが、娘がアンドロイドで撮影してきたこの写真を見て、そんなことを感じてしまいました。なんだか不思議な魅力の部分に惹かれましたね。自分の中には存在しない感覚が娘の中にはあるのか・・・と。

うなぎ屋さんのタレ。

 昔からずっと営業しておられる料理屋さんで、もう何代も続いているうなぎ屋さんのお話。何十年も営業をしてこられてると、それこそ、戦争の時とか関東大震災の時など、お店が地震や火災の被害を受けて避難しなければいけない状況がいろいろあったそうです。そんな時、そのお店の先代様はかならずそのお店に代々伝わる秘伝のタレの甕(かめ)を抱えて避難されたそうです。自分の命が家族の命が危ないという危険な状態に銀行の通帳でもなく現金でもなく被災ツールでもなく、そのお店に代々伝わるタレの甕(かめ)をこぼれないように密封して抱えて避難したそうです。つまり、そのお店のご主人にとって命の次に大切なものが秘伝の味を継承してこられたタレだということ。う~ん、凄まじい職人・料理人スピリッツ。先代が試行錯誤して作り溜めた愛される味はいわばお店のご主人の命なんですね。レシピとしてのデータは頭にどこかに控えておられるでしょうが、それでは全然不十分なんでしょうね。

 そうかそうか、デジタル時代のコピー文化に情報過多なテクノロジー時代の効力が及ばないガチにリアルな宝物や財産とはそういう唯一無二の何かなのですね。例えDNAが解析され、人間の設計図が完成しても絶対に人間らしいものであり、人間ではない。SF映画のようなお話ではありますが、逆に人が培ってきた経験から現世に残っているリアリティーこそが唯一価値のある意義のある存在なのですね。この法則を理解していれば、それぞれの仕事の現場で何に取り組み何を残し何に意義を感じ何に邁進すればいいのかが見えてくるような気がします。デジタル・ネット・コピー時代に絶対に複製できないニュアンスやフィーリングやタッチやディテールこそが価値の中の価値なのでしょう。

 だからこそ、蒲焼きが美味い・・・と。世の中で一番好きな食べ物がこれなので、ちょっと、無意味にも大人気なくテンションが上がってしまった・・・。

FLASH プロの現場の仕事術。

books110415.jpg
 アウトラインは理解しているつもりでも、やはり、最新のソフトにはFALSHを愛するデベロッパーの魂が息づいている。それは、開発者が感じ取った市場のニーズがこれでもかと反映されているのだろう。そのリアルを知るためにも、新しいバージョンの書籍が出れば買う、新しいアプローチの書籍を発見したら買うのループ。ここを惜しむと大変なことになる。この世界、ほんとに一瞬で取り残されるから・・・。でも、ガッツリ取り組める時間もないので、必要な部分を集中して広い読みになる傾向がある。当然、新しい技術やスクリプトは一回では絶対に頭に入らない。そして、残らない。だから、いつでも手の届くところに置いておく必要のある情報。気軽にどこでもふと気になったらページをめくれる書籍以上の存在はない。ネットを探せばどこかにあるのだろうけれど、そこに辿りつく時間がかったるいというか、その時間がモチベーションやコンセントレーションを下げるのである。間違いなくネットの検索中は余計な情報も画面にチラチラするので集中力が殺がれる。情報が豊富なのはいいことだし、いつもいつも紙一重でネットの情報には助けられているが、さて、自分の欲しい情報だけを一番いいカタチで引っ張り出したい時、ネットはめんどい。というか遠い感覚がある。だから、絶対に何かを会得したいなら、確実に自分の中に入れたいのなら、書籍を擦り切れるまで読み、メモを書き込み、付箋を貼り、角を折るに限る。これが紙というメデァイの最大のポテンシャル。

 で、いまさらアップルさんにそっぽを向けられたFLASHの書籍を読んでどうすの?的な感じもあるのですが、こればかりは世の中的にテンションが上がらず旬なツールでなくとも「好き」だから仕方ない。便利便利って便利基準で何でも選ぶことは大切な視点かもしれないですが、便利じゃないモノ、ちょっとクセのあるモノ、ややこいが憎めないモノってやっぱ愛してしまいますね。スマートなデバイスでイケてるタッチには遠くなりつつあるけれど・・・、やっぱり「好き」こそが・・・の始まり。

 Don't think, feeeeeeeeeeeel...なのである。

「想定内」と「想定外」。

 チェルノブイリではあの事故の後、どのような処理が行われ、どのような流れで復興と廃炉の作業が進んで来たのだろうか。長期化する長期化するとはよく聞くがそれはどの程度の具体的な影響なのだろうか。管理システムが想定外に崩れたのなら、まず、どこまでを想定していたのかを知りたい。結果、真実が伝わってきていないと感じてしまう根幹の原因を知りたい。でも、まぁ、それを知る術はないに等しいから世間的には新聞やテレビの情報で我慢しているが、実は、意外と問題の本質は簡単だったりするのかもしれないし、いやいや、世界で類を見ないぐらいの歴史的な大惨事なのかもしれない。簡単に「想定外」というが、この情報時代に日本のトップクラスの英知と知識がそこにあるはず。そして、この事件を受けて世界から最高の人材が集結しているはず、それでも、「想定外」。この場合の想定とは具体的に(話を聞いても専門書を読んでも理解できないだろうが)何を指して、その人知上の最高の英知の「想定外」とは何なのだろう?地震の研究も相当日本は取り組んでいたはずだし、建物の耐震性も今回の地震以上の震度を想定しているはず。なのになぜ?

 放射線の流出にしても同じく、電気が途絶えれば核融合を冷却できないって!?発電所でしょ?どれぐらいの電力が必要か知りませんが、「想定」していなら、完全に冷却できるまでの電気はどこかに保有しておいてくださいって感じ。それが「想定」でしょ?でも、結果、大型のバケツリレーで冷却していたのを見て、相当「想定外」だったのだなぁ~と感じてしまった。というか本当に想定していたのか???レベル。ご近所で火事が発生したから、ご近所同士がバケツリレーして火を消しましょう状態じゃん!でも、冷えないのならば、冷却する方法は電力以外にもあるでしょうし、それに放射線が漏れるって発熱している核を保管している金属製品の器なら完全に漏れないんでしょう?だったら、ちょっと大きめのそのケースをどこかに作っておいて、こんなことになったら、そのケースの中に完全密封してそれをどこか比較的安全な場所で電力の豊富なところで集中的に冷却して原子炉を廃炉化すればいいじゃん!それが「想定」ではないのかと今さなながら、暴論が頭をよぎる。

 政府が「復興なんとか委員会」を発足したらしいが、ほんとに日本人は好きやなぁ~って感じ。なんとか委員会とかなんとか組合が・・・。「日本の団結力は素晴らしい」って地の利とパイとバックグランウドを考慮したら「団結力」しかないのですから。ってCMにツッコんでも何も始まりませんが、もっと、テレビのCMデレクターの人達、セオリーや会議で決め同意を得た言葉をチョイスせずに、あなた達の心から放たれる文脈でメッセージ映像を創って流してください。あなた達はそいういう立場にいるのですから。あなた達にできることは想定内の標準的なオブラートに包んだ言葉を流すことではなく、セオリーや定石やテレビ会社のスタイルに対して想定外かもしれないが、「体温のある言葉」を流してください。

 病気が原因か先天的か両手両足のない青年が、ステージの上でバタンとうつ伏せになり、顎と身体をひねりながら立ちあがっている映像を観ました。彼はとても快活に言っていました。「どんなことがあっても諦めなければ立ち上がれる。」と。これが体温のある人間の中から出た強い言葉だと思います。両手両足があることの方が不自由にさえ思える映像と言葉でした。

LAB的なことかなと・・・。

 この2~3年、う~ん、もしくはこの仕事を始めてからかもしれないが、サラリーマン・クリエイターの頃からかもしれないが、仕事があれば会社にいた。まだ仕事を始めた頃や20代の頃はバブルだったこともあり相当忙しい状態だった。だから、給料をより多く欲しかったからからもしれないが、仕事があれば休みなしで仕事場にいた。その頃は若造だから早く一人前になるためにただただ一生懸命にというニュアンスで休みを返上して仕事をしていた。それが自分なりの「頑張っている」ということで「勤勉な日本人気質だから仕事大好きでいいじゃん!ええやん!」と納得してた。が、遊ぶ時は徹夜明けでもゴルフや釣りに行っていた。が、30歳・40歳ともなると、ゴルフや釣りなどもそこそこでいいかなぁ~と思える部分と自分にとって「楽しいこと=モノを創ること・考えること」になっていることに気がついた。

 遅いか早いか、敏感か鈍感かはさて置き、ゴルフ場にいても仕事のことが頭から離れない。ルアーを投げていても仕事のことばかり。これは楽しくないぞ・・・となり、ゴルフや釣りのテンションも平均値に落ち着いてる。だから、ゴルフをやっているとはいえ、練習場には年に数回、ゴルフ場には年1~2回。これで趣味としてゴルフをやっているとはかなり遠いようにも感じているし、バス釣りは好きだが、仲間で楽しく魚を釣りましょう!では全く楽しくなく、トーナメント形式で時間を制限して釣果を競うテイでしかテンションが上がらなくなった。が、そのトーナメントも終わり、ここ数年ロッドは握っていない。

 それと並行して「富士山に登ろう!」と決めてから基礎体力づくりが趣味のひとつになった。その流れで壁や鉄棒や健康器にぶら下がっていたら、山登りの向こうに「ボルダリング」という競技が見えてきた。結果、ほぼ10ヶ月(昨年の6月頃から)の自分なりのトレーニングを経て、来週4月24日、福井市のボルダリングジムに講習を受けに行く(ボルダリングジム・デビューである。)。ここに通うことは距離的に難しいので行けて月一レベルだろう。トレーニングは自宅でやらなければいけない。これが、一番今テンションの上がる趣味。と、これが日々のルーティーンになっていると、まぁ、趣味という括りで出かけない。決してインターネットやパソコンやソフトウエアが大好きです!という人間ではないが、結果、休日も一年中ほぼ365日基本的に仕事場か本屋さんにいるか何らかの書籍を読むか原稿を書いている。

 で、これは本当に「仕事」なのか?とふと・・・。大学の教授さん達の仕事は「研究」である。お休みもとっておられるだろうが、基本的に教授の皆様の頭の中は自分の研究のことだけ。別に私のデザインやアートに対する取り組みが大学の教授さんレベルだと言っているわけではないが、逆に、天職であるということでその取り組みの度合いというかディプスを捉えると、決して、大学の教授さんレベルに劣らない突っ込み方をしているとも思える。つまり、「好きなこと=仕事=研究?」というタッチが見えてくるようなことを最近、富に考えるようになった。お客様から与えられた案件を右から左に流すことが仕事ではないので、一旦、飲み込み・消化してアウトプットすることがデザイン・クリエティブの仕事の軸であり核なので、いつしか、仕事場にいることが、「仕事をしていますモード」からデザインやアートやマルチメディアの「自己研究をしていますモード」になっているように感じた。さて、リアルはどうかは分からないが、仕事で休みが潰れるのは嫌だが、研究なら仕方なし!という人間構造になっているように感じます。

 で、「仕事=研究=楽しい」となり、1年中、仕事場でいろいろテンションがキープできるということなのです。つまり、デザインもアートもクリエイティブも問題はいろいろあるが正解のない世界。よりよき答を導くために自分自身の引き出し(方程式や公式やルール)は多い方がいい。が、昔の方程式が現代では未来では通用しないこともしばしば、だから、研究過程でこれらをブラッシュアップしなければいけないし、それに必要な機材(パソコンやソフトウエアやアナログツールなど)は可能な限り新しい環境にしておく必要があるということ。つまり、これは仕事でもあり、研究でもあるのかなと・・・。

石谷技建公式WEBサイト。

gamen_sekiya-giken.jpg
 最近公開された石谷技建様の公式WEBサイトです。

詳しくはこちら。http://www.sekiya-giken.com/

深海のYrrを読んで。

Yrr110413.jpg
 この小説は上・中・下ですべてが600ページ近いボリュームでした。しかし、その中に書かれている物語は秀逸そのもの。ドイツのマイケル・クライトンと称されることはとても理解できた。あと数冊この作家さんの書籍が存在しているらしいので早速2作品目をチェックしている。しかし、なんとも、素晴らしい物語。「人間とは?」という疑問に対する答えなど・・・と暴論を期待せざるをえないとタカを括りかけていたところにこの小説との出会いである。いやいや、人間も捨てたもんじゃないなぁ~とそう思える小説でした。そのリサーチ力はもう科学の専門書のそれに同位している。神も登場するしフロイトも登場するしアインシュタインも登場する。じゃあどうこれをまとめているの???となるが、それが、この約1800ページに集約されている、そういう小説でした。3.11前に購入して読み始め、物語が進行していく過程で3.11になった。そこから、津波・地震・放射能・海洋汚染・世界の思惑と戦略・・・どれもこれも現実に起こっていることとリアルにシンクロして、地震の予報を気にしながら読む「深海のYrr」はリアル過ぎました。ある意味、最高のタイミングでこの小説を読むことができたのかもしれないと思っております。

 「すべてはひとつ・・・」。うん、すべてはひとつなんですね。

 2012の原作も映画も読んで観ている上での「深海のYrr」ってのは最高の「盛り」でした。

詳しくはこちら。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150411700/hatena-hamazou-22/

第27号、本日発送しました。

sos_vol027_110412.jpg
 本日、情報紙S.O.S.第27号、全国のご参画頂いたメンバー(19名)の皆さまに発送完了しました。皆さまのご尽力を賜り第27号を完成させることができました。本当にありがとうございました。同封のメモにも書かせていただいたのですが、先行して先週の土・日に都内で開催された震災支援講演の会場(目黒区)に向け一定量を発送させていただき、支援プロジェクトの中核メンバーの皆様や取材関係者テレビの方などに配布させていただきました。そして、土曜日にも現地(福島や女川)に入る支援者の方にも送らせていただきました。ひとりでも多くの方のお手元に届くことを願っております。また、皆様のお手元に到着の際は皆様の親しい仲間やビジネスネットワークの中のDEEPな方のお手元に配布していただければ幸いでございます。私も引き続き、これまでS.O.S.でお世話になってきたメンバーの皆様を中心に個人的に発送させていただく準備をしています。予算の関係上、少部数であり、取り組みとすればミニマムな取り組みかもしれませんが、だからこそ、ガチの人にお渡しいただければと思います。

 参画いただい皆様、本当にありがとうございました。

アップルとアマゾンとホーキング。

books110411.jpg
 すでに仮想現実の世界や論理の世界では大きな波動が押し寄せて来ていた。それは命を奪うような波動では決してないが、個人としての存在感や企業としてのリアリティーを孤立させる大きなチカラを持っている。「別にインターネットなど活用しなくとも仕事はできる。」と思いたいだろうし、それでも成立する部分は確かにありなのですが、闇雲にアップルもアマゾンも猛進しているわけではない。市場が求めているニーズのひとつの答がこれなのであるから。それを、また、新刊であるこのホーキングがどう洞察・分析しているのか。この2冊の相関性は遠いように思えるが、実は、ニアミス感もある。

 で、それが、どう自分自身やアクトの業務スタイルと関係するかなどについても、やはり、リサーチしておくべきことだと思っての入手なのである。よくよく読み進めて、「ちょっと遠かったなぁ~」で終わればそれはそれで自分自身のポテンシャルであるし、そこで、何かオモロイ論証が得られれば、何か、「らしい」波動が創れるように感じます。

 書籍という梯子を登れば見える景色が違ってくるというAC広告のあれは、なかなか、的を得ているように思います。見えていることと会得・体得していることは違うし、知覚していても行動と連動するとも違う。しかし、見えていなければ何も始まらないが人間社会の常。視野と思考のディプスの振幅はあればあるほどいいはず。まぁ、ホーキングレベルとシンクロできるなどとは思わないが、その片隅にあるSOMETHINGぐらいは拾えるかもしれないですし・・・。

もうすぐ47歳。

 いやはや、このようなディープな春になるとはということではありますが、それでも春は春。被災者の方、廃炉に向けて集まった世界中のエキスパート、そして、選挙と政治と相撲業界。う~ん、本来なら、もっと、ふわふわした春めいたニュースが情報が溢れている時期なのに。でも、これも現実、仮設住宅もそろそろ完備されてきたそうですし、春の到来と同時にいよいよ復興ムード満開と時が流れてほしいものです。

 で、春だから必然的に誕生日がやってくる。つまり、1歳多くなるのも現実。あ~あ、という感じでついに47歳である。47歳である、こんなおっさんになってしまったのかという印象と、47歳ってセオリーではどうあるべきなのか?とか、47歳は人間的にどうあるべきなのか?などとまだまだガチで人生を振り返るつもりはないですが、ちょっと、感慨深い。あと3年で50歳!?それが今一番多く心を占めている実感かもしれません。大台に乗る前にあれもしたいこれもしたいと、まぁ、そのあたりを適当に負荷をかけながら、この厳しい時代を走れればそれでOKかなと、そんな春です。

 しかし、そんなおっさんの意識の中でここ最近思うことは、お仕事案件でお世話になっている会社様・企業様・個人様、そして、個人的なネットワーク(S.O.S.など)でも、明らかに年下の20代、30代の方との打ち合わせや仕事が増えている。この仕事を始めた20代の頃、30代、40代、50代の仕事現場のいろいろな人へのリスペクトは大きかった。考え方や技術力やセンス、そして、人間性やご経験されたいろいろなお話のひとつひとつに集中して拝聴しながら、自分自身の中に蓄えようとしていたような記憶がある。

 それが、40歳後半にもなれば、当然、仕事の現場の方や経営者の方にも20歳代、30歳代がおられて当然。その皆様から見れば、私は46歳のおっさんである。責任感や仕事に対する熱意やアイディアやモチベーションなどなど、皆さまから逆にピ~ンとした緊張感を頂くことが多い。絶対に「私は20数年この世界でやってきたからね・・・」みたいな天狗感なタッチでは生産的なコミュニケーションはできないと感じる日々です。たぶん、イマドキってことでもないですが、天狗感満載の方は意外と多いし、それは、年代を問わず、20歳代にも、60歳代にもおられる。しかし、その方は完全に損をしているタイプだと思っているので、自分自身は40歳後半のおっさんであるが、絶対に、仕事をしている時は20歳代も60歳代もイーブンでフラットだと思って、コミュニケーションのディテールは留意している。やもすると、年下の方だから、適当なことを言ってしまったり、年上の方に対してもパソコンやインターネットやデザインの専門用語を並べてお茶を濁してしまうこともあったが、それで頭は「この程度でいいか。」と納得できても、心が「やっぱり、あの言動は適正ではなかった。あの説明は不十分だった。」と反省反省反省ばかり。それに、若い担当者さんでもとても有能でボキャブラリーの豊富な方と仕事をさせていただくと、「ああ、自分がこの年齢の頃はとてもこんな丁寧で慎重で的確な仕事スタイルはできていなかった・・・。」と振り返ることもしばしば。

 これはつまり、完全におっさんの独り言状態なのですが、でも、この現実をリアルに受け止めて、さぁ、50歳まじかのおっさんならではの「らしき」思考と行動とモチベーションを覚醒しながら、然るべきライフプラン上のビジョンに向かってイノシシのように猛進したいと、トルクを上げていく感じの春なのである(バカボンのパパかっ!?)。

Superfly Live 2011

superfly002.jpg
 こんな時だから、心を奮い立たせるのは人のエネルギー。人は人に心を動かさせる。起こったこと、漏れてしまったこと、失ったモノはあまりにも大きいが、もう、それは過去のこと。今そこにここにある命がこの状況とどう対峙するのか・・・ということが最も重要なことだと誰しも考えているのではないだろうか。自粛すること、できることで支援すること、心でいっしょにふんばることはとても重要だが、ひとつになる意義の世界の中に確実に存在する個の意義。それを繋げることにもっとも人間は長けているはず。歌えるなら歌おう、描けるなら描こう、語れるなら語ろう・・・みたいなエネルギーが徐々に加速していけば、この大惨事が過去にないほどの礎になるはず。礎にしなければいけない。

 再度、自分自身の「らしさ」の部分でもある、ポテンシャルを再確認したい。結局、ひとりひとりはそれしかできないのだから。

タウンページ到着。

townpage110409.jpg
 本日、タウンページが到着。この4月よりちょっと広告を出しました。これまであまり広告はしていなかったのですが、ある仕事仲間の方から、「けっこう、最近はタウンページからの問い合わせが多いですよ~。」という情報を頂いたので、それではということで、広告を出しました。インターネット時代にわざわざ電話帳広告って!?というパターンになりがちだったのですが、まだまだ、本当に困っている人って電話帳を調べるんですね。つまり、いろいろな端末が発達して浸透して活用される時代が来ても、それと連動・平行してこのようなアナログなツールも効果を生んでいるということ。改めて紙というメディアの情報の価値が普遍であることを感じました。

 で、これに連動させるためにも早くアクトのWEBサイトをどげんかせんといかんのです。あたりまえのことですがお客様の案件が何よりも最優先ですから、自分のところのWEBサイトのなど最後の最後ってことでずっと沈滞している始末。これではダメなんですが、時間は無限ではない。こんなブログで愚痴っていないで時間を捻出して手を動かせってことなのですね。

 タウンページも完成したことですし、そろそろほんまにガチなのである。何回かお尻に火がついて消えてついて消えてしているうちにお尻が炭化して石化している。そんなモノは捨てて、新しいお尻に火をつけよう~っと。

渾身の第27号完成!

sos_vol027_110408.jpg
 情報紙S.O.S.第27号が完成しました。只今、折り加工をしております。参画いただいたパワーメンバーの皆さまへの発送は4月11日(月)~となりますが、先行して、本日開催される東京都内での被災者支援イベント会場で関係者に配布する予定です。メディア(各出版社やNHKの人など)の人にも、支援プロジェクトの中核メンバーの方やエハンさんにもこの第27号をお渡しする機会を頂きました。引き続き、福島・女川の現地に入られる支援者の方にも本日直送して被災地へ第27号を届ける想定です。ひとりでも多くの被災された方、そして、現場の最前線で救援・支援に対峙しておられる方のお手元に届くこと祈念しております。

 私達は日本のどこにいても、世界のどこにいても、「WE LOVE JAPAN!」です!

レベル7。

 おしなべて呑気な人間だからなのでしょうが、楽天的とでもいいましょうか、O型の典型とでも言いましょうか、本当に無神経なところは青天井人間。上限がないと言われるぐらい無神経タッチ。とは言え、神経質なところもある一面でありそうなものですが、そう一般レベルの神経質と比較するとやはり呑気で大雑把。だから、損得で言えば、損もしているだろうが、それでも、その損でさえ呑気に見送っているような傾向があり、逆に得のことばかりにベクトルが向くタイプなので損はあまり気にしない。「損」と「得」っていってもそんなに個人的な主観のさじ加減ひとつ。新聞やテレビや雑誌で「これがお得」「これはリスク」と規定されても諭されてもさて?「それはあんたの基準でしょう?私は別にそれについて損とも得とも思いません」的なことが日常茶飯事で、まぁ、言ってしまえば、「どこまでもマイペース」「天性の天の邪鬼」「あくなきアウトロー」のようです。

 そんな心の構造だから、今回のフクシマの大惨事が日本は「レベル5だ!」、海外は「レベル7だ!」という議論が白熱したところで、さてさて?状態である。そもそもレベル7とはMAXの危険レベルでありチェルノブイリ相当である。実際、漏れている放射線の量は比較にならないほどチェルノブイリより多いらしい。ならば、なぜ日本政府は「レベル5」と設定するのか?この発表に一部の海外の専門家は遺憾の意を示している。日本の情報の質は遅く透明度が低い。そして、判断基準が緩い!と。つまり、これが実のところの「日本人の真実」なのである。この世界からの評価が実のところの日本人の芯を喰った評価だと思えなくない。思いたくないは別として思えなくないという分析です。

 で、一国民としての基準値はどうか?「別にレベル5でもレベル7でもいいから、早く危険因子を安定させて欲しい。仮にもう手遅れでもそれは現実だから仕方なし。ならば、その漏れた放射線とどう対峙するべきかを正確にマニュアル化してほしい。最悪、日本が海外から孤立するならそれで仕方ないし、放射線を浴びてしまった人は日本に残り、まだ、そのレベルに達していない人はどこか海外に移住をするというプランでもいいから、対応プランを関係者のポテンシャルや慣習やセオリーや先入観の中で決めないでほしい。」と考える。

 もう、「想定外」のレベルのお話はいいじゃないですか、関係者各位の優秀な知識と頭脳と経験値で「想定外」だったのだから、私は何も言いませんから、想定外の状態ならその想定外に合わせて臨機応変に対応するポテンシャルを見せてください。人間の「想定」など結果この程度だったのですから。それはどう解釈しようが現実であり真実だったのですから。そこから全てを起動してください。

 そこで、海外に移住を希望する人にはせめて国から飛行機代を頂ければ動く人は動くと思いますよ。私は少なくともその心の準備はできています。「この国を捨てたくない。」「この国を離れたくない。」ということが大前提だからあなた達は苦しんでいいるのでしょうね。しかし、放射線が漏れた以上、人間の英知を超えた緊急事態であることは現実です。善処していただくことはありがたいですが、早めに「プランB」を準備したらいかがでしょう?とレベルマイナス7の人間(私)は考えております。

確かにそうなんだけど・・・。

 海外のお話。ある4歳の娘の左手の成長が遅いことが気になった両親が精密検査をしたところ脳に大きな腫瘍が発見される。最初は手術を試みるがその腫瘍は脳細胞に絡みついていて手術では摘出できない。やむなく医師団は放射線治療に切り替える。しかし、腫瘍は小さくならない。両親は娘のことを考えて治療方法を懸命に探すが適正な情報は得られない。ある時、直接放射線をレーザー照射で腫瘍に直接あてて腫瘍を小さくし治療する機器と治療方法を知る。しかし、その治療費用は莫大であり、とても、そのような費用は捻出できない。そこで両親はWEBサイトを立ち上げ治療費を募る。ご近所やそのことをWEBで知った人から募金が集まり治療費用が用意できる。しかし、レーザー治療をする医師団からは、治療する場所が頭部だけに、レーザーによる脳の腫瘍の治療はできない。リスクが大きく、例え腫瘍が小さくなったとしても他の部位にレーザーがあたり脳細胞を破壊して生命が危ないと判断される。この治療をしなくとももう余命は1年。苦しむ両親。娘は最後まで両親に気丈なところを見せて5歳で短い人生を終える。う~ん、テレビの番組枠を使ってこの記事を30~40分近く観た。子を持つ親として人間として生命の大切さ、治療費を提供する暖かい人達、小さな命を救うために翻弄する医師の存在。確かに、この映像のこのシナリオの中にツッコむ余地はなさそうに思えるが、でも、この30~40分の映像と実際の娘さんの映像を見せていただき、人命の尊さを感じることについてどのように捉えればいいのかがまったくのお任せであることがとても気になった。5歳の小さいな女の子が脳の腫瘍でその命を終えるということは、間違いなく悲劇であるし、人命の尊さというモノサシで捉えるなら、こうして震災だの放射線だの経済不振だの世界情勢からの孤立だのと言われながらも、まぁ、命があり生活しているだけで「幸福」だと考えてしまう。基準がそこにあるから、相当の状況も「普通」だと捉えられてしまう。そのような気がしたのです。言わば、政府からのコメントや映像から流れる情報のディテールがどこ基準かということ。

 そう簡単に治療費数百万円が集まるのか?命と引き換えにでもレーザー治療するという選択肢は本当に無かったのか?美談が美談を生んでいるが、そんな展開にならず、ただ、腫瘍に病み生命を失った人も多いだろうし・・・などと、側面を見てしまう。命が終わることについて、あまりにも美しい物語、あまりにも暖かいシナリオ。テレビでそれを流すことに対する責任というか、その側面に光を当てて企画編集を進めるという視点が、言わば、今の情勢だからか美し過ぎて鼻についてしまった。もっと、現実は、ガチでリアルでディープなんじゃないだろうか?もっと、フクシマの最前線で被爆覚悟で復旧に取り組んでいる人達の有志やその家族をリアルに見せて欲しいと願う。情報がどこかで屈折して今日本でとてつもない歴史的な大惨事が起こり、とてもつもない場面に対峙している人達が今現在もいるわけで、海外の美談に心を震わせている場合ではないはず。

 テレビの人達へ、適当なとは言いませんが、もっと、リアルを見せてください。もっと、本物を見せてください。1年後、3年後の、創り込んだ記録映像など要りません。フクシマの今を見せて欲しいです。

情報紙S.O.S.第27号来週発送・納品します。

 情報紙S.O.S.第27号は無事、昨日(5日)の午前中に印刷行程に進めました。金曜日(8日)の午前中に印刷が仕上がってきますので、そこから、断裁して折り加工(12面折り)行程へ進めます。そして、ご参画いただいた皆様宛に各40部を発送(納品)させていただく運びです。発送予定日は当初の目標期日4月11日(月)より少し遅くなりますが、なんとか、来週中にはお手元に到着予定です。ありがとうございました。

 皆さまのご尽力で第27号を完成させることができました。本当にこの日本最大の大惨事の時にご無理極まりない、そして、一方的なお願いに対してご賛同を頂けた皆様、本当にありがとうございました。第27号は全国のS.O.S.マスターメンバーの皆さまのお手元にも届きますが、それとは別にこの「PPPプロジェクト」の運営母体やエハンさんにもお渡し(お送り)して、最終的には女川現地へ第27号を送らせていただく予定をしています。また、それぞれのメンバー様のネットワークを通じて東北の被災された方の手元に届くことを願っています。私も個人的なネットワークで関東や東北の皆さまへ直送する予定です。

◎プロジェクトの公式WEBサイトはこちらです。http://hopebook.jp/

 また、発送が完了しましたら、今回の第27号の作品を閲覧できる専用WEBを作成して、PCやスマートフォンなどで閲覧できるような状態にし、情報紙のPDFデータをダウンロードできるように準備したいと考えております。情報紙の形態では少部数ではありますが、オンラインで閲覧できたり、ダウンロードしていただけるような準備は全て完了させようと思っております。

 また、第27号のWEBページが完成したらこのブログやmixiやツイッターでアナウンス・告知させていただきます。もし、WEBサイトをお持ち・運営していおられる方がおられましたら、「WEB版情報紙S.O.S.第27号」のURLをどこかのページかブログの中にリンクボタンかリンクテキストを貼ってぶら下げていただけると嬉しいです。

穏やかな琵琶湖。

biwako110405.jpg
 今日はいい天気。少しづつ暖かくなってきました。雲ひとつない穏やかな琵琶湖です。対岸まではっきりと見えました。もう普通なら普通の春なのに・・・、って感じ。

チェルノブイリの今。

hairo110404.jpg
 これが現在の廃炉らしい・・・。

詳しくはこちら。http://gigazine.net/news/20070426_chernobyl_visit/

絵は嘘をつかない。

 今更ながら思うことは、絵を描くと自分の中身が出てしまうということ。言葉でどれだけいいこと言っても、絵にすると嘘偽りは露呈する。悲しいかな露呈する。口でどれだけ雄弁に語っても一枚の絵にはかなわない。たぶん、音楽もデザインも映像も同じだろう。最近そんなことがよく気になる。実は絵を描くということはとても凄いことなのかもしれないぞ・・・と。気持ちがのっていないとき、モチベーションが下がっていると、やはり、絵はそうなる。気持ちが高まってピュアになっているとやはり絵はそうなる。だまし絵とかというテイの絵でさえ、実は騙すということに純粋に対峙していないと、緩いことしか刻印できない。文字を記すとは、精一杯純粋に文脈を練ろうが、その側面は多面であることから、どう伝わるかが受け手サイドのポテンシャルにかなり影響を受け、時に、反意なニュアンスに転換されて伝わることもしばしば。しかし、絵は違う・・・というか、絵は正直でありガチでありピュアであるから、描き手と絵の関係はピュアであることを前提に、そこに自分自身の中にある嘘を挿入する余地がない。それが絵の最大の特長だと考えるように感じるようになった。表面的な技術や画材やテーマの重い軽いでは決して絵は判断できない。誰がどのような気持ちで描き出したかが間違いなくそこに刻印されているのだから。これが、ドローイング系のソフトウエアやベクトル系のデータとなると、また、純度が異なり、混ざり物が混入する。

 で、デザインも同じ。「デザイン」が見えている人のデザインはやはり、上手い!しかし、緩い経験値と幼いアプローチと洞察のコンビネーションではやはり成果物が緩くなる。とはいえ、自分自身常にテンションの高いデザインをできるということではない。やはり、気分や同調のレベルが多様であり、そこは人間のやっていることだから濁りや絞り込みがあまくなる場合もある。時間に追われると、コンセントレーションがマッチせず、流してしまうこともある。しかし、時間があるからテンションが充実しているとも限らないこの不思議な相関性をどこまでセルフコントロールできるか・・・もこの仕事の醍醐味。

 言わば、成果物でコミュニケーションできないスキルでは作用も反作用も緩いということ。絵を描くこと、デザインを創ること、人と人のコミュニケーションにIDを示すこと。なかなか、これだ!という正解がないだけに試行錯誤が続く。でも、それも楽しいから「もっともっと!次へ次へ!」と続けられてきたとも言えなくない。

 ジンセイでもっとも大切なことは、やはり、「継続」なのである(by スリムクラブ)。

春へのサイン#04

flower11040304.jpg
 こいつは会社の中に置いているドングリ君。外よりも早く小さな葉を付け始めました。

春へのサイン#03

flower11040303.jpg
 これはドングリ。2年前にドングリを拾ってきて植えていたのが、昨年の春に芽を出し、秋には葉が全部落ちた。ここまでかな・・・と思っていたのですが、この冬も雪の下でじっくり我慢していたようです。ここ最近、葉の芽が膨らみ始めました。これも春へのサイン。

春へのサイン#02

flower11040302.jpg
 こちらも同時期に植えた奴。小さな花を付け始めました。

春へのサイン#01

flower11040301.jpg
 昨年の秋に植えたアネモネの花が咲きだしました。今年の冬はたくさんの雪が降りましたが、土の中で球根達はこの時期を待っていたのですね。

大満足のチョップ君。

cyoppu_kun110403.jpg
 朝イチから30分の散歩に缶詰入りの朝食で大満足のチョップ君。

「アビス」から「イール」へ。

 DVDコレクションの一枚、映画「アビス」をまた観た。う~ん、何回見ても素敵である。たぶん、今後、キャメロンがどのような映画を創ろうがこれを超えることはないだろう。「タイタニック」も「アバター」も結局この後の流れで、テーマや手法に予算が確保できたから、仕上がっただけ。いばわ、キャメロンが映画を通じて言いたいこと、表現したかったこと、創りたかったことは、この「アビス」で完結していると、何の根拠もない確証を持っています。これが映画ファンの恐ろしい心意気であるが・・・。

 結果、ここでも潜水艦の中の核弾頭がキーになっている。潜水艦が何かの原因で大破するということからこの映画は始まるが、結果、人間は地球にとっていいことを何ひとつしていない。結局、その強い自意識で人間は人間のことしか考えていないよと言いたいのだろう。それが、この後の映画ではモヤモヤし始める。アバターの戦いも実際、どこに軸足を持っていいものか不明である。

 そして、「深海のYrr(イール)」ヘ繋がる。かなりこの著者も「アビス」をリスペクトしている感じが読みとれ、ああ~ここで繋がっているのか・・・と知る。結局、最近のクジラをテーマにした物語の根底は全てここにあるような気がする。まぁ、歌を歌わせるのは自由だが、根本的な軸足があることを祈るだけ。龍氏の小説を読むことはもうないので、その真価は未確認ですが、たぶん、おそらく、深海と人類の関係は「アビス」と「イール」の振幅で包括できるような気がします。また科学分野の専門誌や研究書などを読めば深い洞察と分析が読めるのだろうが、そんな文献は一般の目に止まることはないので、一般レベルではここが一旦階段の踊り場でいいかなと思っております。

 イールは今、上・中・下の下巻の200ページあたり、あと400ページの中にどこまで深い文脈があるのだろか?楽しみ過ぎてもう読むのを止めようかとさえ考えています。

やるじゃん美大生。

gamen110403.jpg
 なかなか、やるじゃん!アートで被災地と全国をつなごうと、美術大学の卒業生と在校生の有志らが復興支援に立ちあがった。ライブで描いた絵をチャリティー販売する「アーティスツ・アクション・フォー・ジャパン」というプロジェクトを発動されているらしい。現在170名の仲間が登録を受けさらに賛同者の輪が広がっている。ある東京芸術大学卒業生の方は「経済力がない自分たちにできることはドローイングだと考えて始めた。活動自体が被災者を勇気づけるメッセージになれば」と話しておられそうです。

 うんうん、素敵じゃないですか?誰もが放射線防護服を遠隔操作ロボットをガソリンを送ることはできない。いろいろな人がいろいろな立場で考えて、自分にできることを考えて行動するということが大切です。何もできないから何もしないではなく、できることをやるというスタンスが一番伝わるのかもしれません。素晴らしいです。

詳しくはこちら。http://aafj.optima21.jp/

世界各国から。

 米国からは、専門家や米軍特殊部隊が派遣され、放射線防護服が1万着、ホウ素9トン、はしけ船、遠隔操作ロボットが到着し、フランスからは汚染水処理の協力、放射線防護服が2万セット、発電機5台、遠隔操作ロボットが到着。オーストラリアからはLNGの供給を拡大、ドイツからは遠隔操作ロボット、ロシアからはLNG10万トンを緊急輸出、中国からはガソリン1万トン、ディーゼル油1万トン、韓国からは発電機4台が提供された。まだまだ、世界各国は検討中の援助・支援の申し出が続々と到着しているららしい。地球はひとつ、人類はひとつ、世界が今完全にひとつになっている。

春よ来い!

 今日、長浜は暖かい。遅い雪が降ったり、急に冷たい雨が降るなど変に長い冬だった。その上、この度の東日本大震災の情勢、低迷する景気の感じ、全てがなんとも「晴れモード」には繋がらない感じ。いい加減パチンとはじけるような感覚になりたいものです。しかしながら被災された皆様の映像を見るたびに不謹慎であり自嘲すべきことを鑑みても、なんとかライトで気楽な思考になりたいなぁ~と・・・。季節的にはもう4月。本来なら入学式や入社式の新入生・新社会人の皆様が大きな夢を抱き~みたいな季節なのに世の中はそうもいかない。なんとかなんとか一日も早い復興の兆しをゴイッと引き寄せたい気分です(政府の人達も現場の人達もまだまだそんな気分ではないでしょうが)。そんなにテンションを上げなくとも地球の春は自然とやってくるのだが、パチンとはじけるような春に早くなってもらいたい。まぁ、これも気持ちひとつ。暖かい日だったので気持ちが緩んでいるのかもしれない。もう100%放射能が漏れていない!完全冷却状態!廃炉完結!という段階になってほしいものです。そこが2011年の春のような気がします。まだまだ先のようですが・・・。

 いやぁ~この冬は最悪でしたなぁ~!と元気な日本がもう一度笑顔になることをただただ祈念するばかり。

24人のメッセージ。

 3月17日、情報紙S.O.S.の第27号を起案した。そこから情報紙S.O.S.のパワーメンバーの皆様に声をかけさせていただきご賛同を得た。以前から声をかけたかった人にも声をかけた。その方たちからもご賛同を得られた。関東にお住まいの方や諸事情で参加されない方もおられたが主旨は十分に理解していただけた。北海道から沖縄、そして、海外の皆様である。年度末である上に、東日本大震災が余談を許さない状況、日本経済の言わば歴史的なボトムのこの時期にはなはだ無茶苦茶で一方的なお願いである。ほんとにご賛同いただけ、貴重なお時間を捻出していただき作品・原稿づくりをありがとうございました。本日、全ての原稿・作品が到着いたしました。ここにご報告させていただきます。まだ、印刷行程前ですが心から感謝いたします。

 そして、今、手元にはテーマ「WE LOVE JAPAN.」というアプローチの作品原稿が23口揃っている。いずれも逸品揃い。これを本日から編集・DTPして印刷行程に入る。できれば、3.11を受けて4.11に発行したいと考えていますが、それはちょっと微妙になってきた。しかし、1日も早く完成させて、参画いただいた皆様のお手元に届けるべくトルクを上げていきます。まだ、途中の段階ではありますが、参画いただき、貴重な参加費用を頂けた22名の皆様にお礼を申し上げます。

 ようやく、福島原発はフランスや海外の援助を受け、「廃炉」という言葉が新聞やテレビで登場するようにある意味収束に向かっているように感じます。まだまだ、余談は許しませんし、もう一度、同じ規模の地震に見舞われたら・・・と考えるとヘビーですが、それでも、逞しく生を全うしなければいけませんし、それぞれの地域で通常どおりに毎日のルーティーンに精進しなければ「WE LOVE JAPAN.」にはなりません。決して大きなことはできないですが、志を強く柔軟にシンプルに抱きこの苦境の時代を・・・などとまゆつば系の宗教伝道師のような言葉しか思いつきませんが、まぁ、その感じでいいのではと思っております。本日は4月1日。もし、小さな悪意のないたわいもない嘘をひとつつけるとしたら、「I DON'T LIKE JAPAN.」と、4月1日のこの日のブログに記述したいと思います。