沈殿する土。

 私がもっとも通っている長浜市内でもっともリスペクトしている情報源「サンミュージックさん」。たぶん、その回数は1年365回以上。勿論仕事や趣味の情報収集の場として、音楽CDやDVDを買ったりレンタルすることが目的ですが、何も無くとも図書館のような感覚でぶらぶらすることが多い。何故か、心が落ち着くからである。情報に触れたいのならネットでいいじゃんという意見もあるが、モニターに表示される情報は薄い。情報としてのディテールがミクロ過ぎるナノ過ぎる。画面の変換で情報の表示を確認したところでなんか頭にも心にも入ってこない。よほど仕事の案件目的で集中しているモードなら表示に注視するが情報を集めたいと考えるなら、書店が一番。だったら図書館に行きなさいと言われるが、図書館はなんか時間が止まっている感じで嫌い。情報って拡散していなければ魅力がない。つまり、バケツに土と水を入れてかき混ぜると濁り土がバケツの中を水といっしょに回る。この土の粒子には魅力を感じるが、底に沈殿した粒子を見ても心は震えない・・・みたいな感覚。

 図書館もじっくり腰を落ちつければ知の宝庫なのだろうが、まず、腰を落ち着けようとする気分になれないのだから仕方ない。無理にそこにいると息が詰まってくる。

 で、やはり、書店がいい。新しい情報が「動いてる。浮遊している。」感覚がするからである。長浜市だから最寄りの書店レベルが現実的な徘徊ルートなのですが、たまに梅田や新宿に行くと巨大な書店があり、一旦、入ると2時間は出てこない場合が多い。

 そんなブラ見で最近気づいたのですが、歴史的に著名な哲学者や文学者の名言集が目につく。「ニーチェの名言集」とか「ドラッカー関連の噛み砕き本」もその系列上。ここにはあまり自分自身の琴線が震えないのでスルーしていますが、何故、今、ニーチェなのか?それに、テレビ番組でも、海外の宗教的な慣習やムーブメントを取り上げて日本の宗教倫理と比較させるプログラムが目につく。これは、震災の関連でテレビ局が数字を得るために、またまた、国民の感情をコントロールしようとしているのか???と思ってしまう。今更、キリスト教の教えを説かれても、ニーチェの名言を並べられても、気持ちの色が変化する人っているのだろうか?いるとしたらその人はかなり泥が沈殿していますよね。

 キリストさんでもニーチェさんでもドラッカーさんでも、誰でもいいからバケツの水をかき混ぜてください!みたいな。