「脳梁の傍らへ」。#001

 ふとこんなタイトルが頭の中に降りてきた。普通ならブログには書き出さず、書き溜めて物語にしているのですが、なんとなくいろいろ頭にあることがこのタイトルでひとつの物語になり、それを、なんとなく理由は定かではないのですが、このブログで少しずつ物語にしていけたらと思い、頭に浮かぶままにここに書き出していきます。シリキレになるかもしれないですが、ブログ連載小説的に書き下ろして見たいと思います。これもある意味LAB的な取り組みの一つとして。

「脳梁の傍らへ」

#001

 無機質な表情で先生が私に伝えた。「肺癌ですね。申し上げにくいことですが、かなり末期です。余命はおそくら6ヶ月・・・。」この言葉をどう受け止めればいいのだ。死に際で人は人生の場面を走馬灯のように瞬時に回帰すると言われている、まさに、その心地だった。このことを家族に伝えるべきか否か、頭の中にあったまず最初の選択肢だった。一瞬で無機質な病院の色彩がさらにモノトーンとなり、常なら病院の中のざわざわした雑音が遠い向こう側の世界のノイズのように遠ざかっていく感覚。自分の死がどういう意味なのかと考える頭とそれが恐怖なのか失望なのか区分けできないままただふわふわと思考を彷徨う心の間で目に見えるモノ、耳に入ってくる声、歩いている足の感覚が、現実という世界から離脱しすべての意味を問う自分が自分の中に存在することを自覚した。病院の出口。低いモーターの音と共にガラスのドアが開き初夏の湿気を皮膚が捉えた。すれ違う初老の老人がゆっくりと病院に入っていく姿を心で追いながらこの出口から病院の外に出るということでさえ、生きている実感として敏感に捉えている自分がいた。何故だ?と考える前にどうする?と考える前にただ家族のいろいろな顔が頭に浮かび悲しいという感覚でもなく諦めという感覚でもなく歩いていた。病院に来た時に降っていた雨はやみ、初夏の日差しが薄い雲から漏れていた。生まれて何万回も受けている太陽の光でさえ初めて土の中から芽を出し光合成を始める木の芽のような気持ちで受けているような気持ちだった。これから自分はどこへ行くのだろう。

 っていう感じで、思いつくままに書き下ろしていこうと思っております。