2011年05月 アーカイブ

あとひとつ。

 今月はたくさんブログを書いたが、あとひとつだけとても気になっていることについて。それは、お仕事のこと。お仕事で活用しているソフトウエアについてですが、次から次へとバージョンアップをしやがる感じがこの頃富に早くないですか?ってこと。昔ならもっと長いサイクルでそれぞれのバージョンがそこそこ納得レベルの完成度があって、例えば、DTPソフトの代名詞的なイラストレーターはさすがに5.5はないが、8.0はいまだに現役バリバリで活躍しているし、機能自体も完成形だと思っています。そこからどんどん短くなるバージョンアップを繰り返して現在使っているのはCS4(14)。だけど、世の中はCS5.5(15.5)らしいが、なんで「CS5.5」なんやねん!なんでCS6.0やないの???そんなに短く切って切って買い換えて欲しい感満載じゃないですか!アドビさん!!!で、もう、何がどうなってるかについても興味がなくりますよ、そんな売り手市場な意識だと。とはならないのだろうか?やはり、パワーユーザーはこの短いバージョンアップにもしっかり追随して、「おお!そんな機能があるのか!」「おお、こんなことまでイラストレーターでできるのか!」「なるほどなるど、ここまでキタァ~!」って感じで満足満足なのだろうか???

 私的にはほんとDTPするだけなら8.0で充分。ロゴもイラストもDTPデータの作成もなんの不自由もなしなんですけど・・・。でも、世の中のニーズに答えてかどうか知りませんが、どんどん、新しいバージョンが出ること出ること。アップグレードしたらここまでもれなく・・・とか、このバージョンまでしかアップグレードできませんからお早めに!とかってなぜ、そんなに市場を煽るのか?市場がそほど沈滞しているという証拠ですよね。次から次へ新しくして使えないからセミナーをして、大手が最新版を活用するから、中小はついてきな!みたいなこと!?ついてきたいですが、先立つものがないので、私達は技術やセンスで最新バージョンに挑みたいと思っております。CS5.5のそれを8.0で創れる人は必要ないですよねCS5.5は?これってただのへそ曲がりかな???

記録更新。

 今月は調子に乗ってブログ記事を90本書いてしまった。いつもの倍ぐらいの数である。理由は分からないが、ただ調子に乗っていただけだろう。4年前に「毎日1本毎月30本」を目標に始めたが、まぁ、それはなんとかクリアできている感じ。震災があり原発事故があり梅雨入りして台風が来た。そして、AKB48が記録を出したらしい。ミスチルの記録をAKB48が抜くか・・・、ほんといろいろ稀有なことが起こる。

 一方、サイバースペースのお話。なんと新種のウイルスが1.5秒にひとつ開発されてサイバースペースに流れ出しているらしい。世界のネット人口はなんと20億人。ほぼ1/3の人口が何らかのデバイスでネットにぶら下がっている状態である。個人情報が漏れることで世界はどうなるのか?20億人だから、仮に3~4人家族だったら一人に伝わった情報を家族内でその話題をしゃべれば言語が分かる対象ならば一気に世界中の人間にその情報が駆け巡る仕組み。さらにこの構図は浸透・進化・覚醒するだろうから、それがいいのか悪いのかも含めて、ものごとの側面にフォーカスする人もいるだろうし、誰かの正攻法を妬む人もいるだろうし、サイコな天才もいるだろう。結局、サイバースペースにも十字軍が必要なようですね。さてさて、誰がロビンフッドか?

 ちなみにアンドロイドの開発チームのリーダーは灘高の2年生。つまり、守護神はまだ16歳だということ。そうかそうか、年齢を重ねた高学歴なお歴々ではやはり本格的なサイバーテロから母体を守ることが不可能なんだ。たぶん、つまり、相手の天才達もその年齢だということになるのかな?つまり、サイバースペースの中での攻防は10~20代の天才達がゲーム感覚のように情報をコントロールしているという仮説もいやいやリアリティーがありそう。組織の長で威厳だけを誇示しても若い天才達は根本的にスルーだろうし、地位や名声に奢る人、資産や家柄に固執する人、万象はもうそのベクトルではないはずです。高学歴で失敗する人、学歴がないのに成功する人などいう書籍が出る構造の隙間にいったいどんなバグが潜むのか?

 すると、「防ぐ」ことが必ずしも正解でない場合も想定できる。「攻撃を受けない=サイバースペースで価値がない」とならぬように、埋蔵金(デジタルソースやアーカイブ)だけは蓄えておかなければ天才達の指標がぶれちゃいますね。さてさてこの大海賊時代、ひとつなぎの秘宝ワンピースはあるのか?

リンゴの木。

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 リンゴの木を植えた。これはちょっと冒険かもしれないぞ。いやいやかなりの冒険だ。リンゴづくりのおじさんの本を読んで刺激されたのだろうか、思わず買ってしまった。育て方などチンプンカンプン、何をどうすれば花が咲き、実がなるかなど全く知らない人に買われてしまったリンゴ君の不幸。しかし、なんとか白い花を付けるところまでは頑張ろう。この植木鉢では小さいのか・・・、肥料は何だろう・・・、いったいいつ頃花が咲くのだろうか・・・。絶対に赤いリンゴの実の写真をこのブログで披露したいものです。

えっ、ボクがやるんですか?

 「部下に教えたい社会人のものの言い方100」がサブタイトルの「えっ、ボクがやるんですか?」という書籍がある。なかなかいい視点であるし、これを買うターゲットはかなりこの部分で心労が絶えない人達なんだろう。素っ頓狂なNGワード連発の新人類がこうも社会の構造を意味なく多様にしているのかとという嘆きが聞こえきそうな書籍である。仕事を上手く流す、効率を上げ商品の品質を高めるためにも、jこのタイプの新人類をなんとか処理して更生させ社会人として立派なパーツにしなければ管理職の人自身のポジションも危ないぞ!的な警告の書なんでしょうね。

 例えばNGワードとはこんな感じ。「課長だって間違ったじゃないですか!」「この会社を選んだのは休日数が多いからです。」「それ、命令ですか?」「手が空いたときでいいって言ったじゃないですか!」「ボク、そういうことできないんです。」「そんなこと、先に言ってくださいよ」「だって、言われたとおりにややったんですよ」「時間かかりますよ」「次の指示を待っていました」「なんでその謝罪をボクがするんですか?」などなど。少なくともこの事例の中には女性がいないことがおぼろげに理解できる。つまり、めんどくさい奴というのは比較的男性の場合が多いということなのだろう。そして、比較的、いろいろな面で紙一重の野郎が多い。確かに自分自身の経験で会社に属していた頃、いろいろな連中と仕事をしなければいけないからいろいろな連中と連動するために苦労をしたような記憶もなくはないが、完全直結の自分のペースを崩さない私は、あまり、このタイプのコミュニケーションで苦労した記憶がない。やっぱ、職場のコミュニケーションって作用と反作用だから、こうなっちゃう原因は上司にもあるはず。何もメンドクサイ野郎だって白い状態からはさすがにこのようなタレナガシはしないだろう。なんとかしたいなら、実は、部下の言い方を注意する前に自分の物腰を再チェックする必要もあるんじゃないかなと思います。

 って、もし、仮に私がまだ会社組織のある部署の責任者だとして、そこの部下が私の指示に対してこのようなリアクションをした場合、どのようなことになるのだろう。そのコメント事例はあまりも恐ろしくてここに書き綴ることなどできないが、私は組織にいたころは若さもあったのだろうが、オブラートを持ち合わせていないタイプの人間だったし、それが、どこかクリエイターだと勘違いしていた。だから、切るか切られるかみたいな職場が理想だと思っていたので、よくバッサリ切られたし、まぁ、その日の気分で無意味にに無作為に刀を振り回していた。そんなことをしても生産的な時間は築けないことをようやく20代の後半頃に気づき言葉はできるだけ温存するようにしているし、考えをすぐ口にせず反芻することをその経験から学んだような気がします。まだまだ、未熟そのものですが・・・。

 で、例えばこんな感じ。「えっ、ボクがやるんですか?」「はい、やるんです!」「それは聞いていなかったですが・・・」「言いました。」「でも、もっと詳細を言っていただかないと・・・」「どこまで言えば良かったですか?」「どこから始めるかとか、予め注意する点とか、何故、私がそれをやらなければいけないのかについての理由などですね。」「では、そもそも、お前は何故そこでその質問をしているのですか?」「ええっ!」「何のために、私はお前のその質問に答えていると思いますか?」「それは、仕事だから」「それが答です。仕事だからお前がやるんです。いやいや、理解する必要などないですよ。言葉どおりです。でも、できないなら言ってくださいね。別の方にお願いしますから」「できるかできないかではできますが・・・」「では、何故この仕事をお前が・・・の部分で理解できませんか?」「はい」「では、逆に質問です。何故この疑問に対して私がお前に説明をしなければいけないと思いますか?」「それは会社の組織として・・・」「それが社会だということは理解しているようですね。」「一応、大学を出ていますから」「大学を出ても出なくても社会は理解できるでしょうけれど、お前の理解力のベースが大学で養われたとして、そのベースありきで、ボクがやるんですか?と聞いたのですか?」「・・・」「やってください。お願いします。」となる。このテイが実際あったことなのか否かは言及できませんが・・・。

キュウリは元気に。

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 2株が枯れてしまって心配したのですが、最初の2株はもう二つ花が咲き、小さいキュウリを付けている。枯れた2株のところに新しい別種のキュウリを植えたがこれは元気に先行の2株を追随しています。よかったよかった。

なんですか?

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 もうすぐ台風ですよ、雨が激しいので小屋に入って入って。出てこなくて結構です。雨が怖いくせに無駄に動かないでください。うん?猫でもいたのですか?

エゴノキ満開。

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 自宅の玄関の前にある木。名前は確かエゴノキ!?昨年は一本根元からクソムシに攻撃されて枯れてしまったが、今年はこのように満開。土に防虫剤を入れてからクソムシの被害は無くなった。明日にも台風が・・・って感じの雨なのにこのように満開です。

なんだこれ!!!

 なんだ、なんだ、これ!!!

映画「ROBIN HOOD」。

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 ラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット、そして、リドリー・スコット。なぜ、この時代の馬のシーンはこもうかっこよく、日本の戦国時代のそれは、ああももっさいのか?まぁ、もっさい話はさて置き、ラッセル・クロウ的には「グラディ~」を超えなかったが、それでも、代表作だと言えるのではないでしょうか。博士役も諜報部員役も勿論いい味なんですが、この時代とクロウは何故こうもマッチするのだろうか?その芯の部分をどこまでも理解している監督リドリー・スコットって、やっぱ、凄いですね。最初から最後まで安心して心を開放してドキドキできる映画でした。

映画「ブラックスワン」。

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 映画館には行っていないし、原作本にも手を出していない。そして、公式WEBサイトでも詳細はリサーチしていない。ただ、CMでしか知識を入れていないこの作品に対する温存感。たぶん、相当いい感じだろう。希望的観測をするに、「アイズワイドシャット」と「シャイニング」と「時計じかけ~」と「ビリー・ミリガン~」と「アマデウス」を足して2で割ったような映画レベルに期待しています。だから、何も情報を入れずそっとトレイにDVDを滑り込ませたい感じ。「17歳のカルテ」や「モンスター」も心の壺に温存してあるのですが、それと同じぐらいの期待値ですね。

ピカイチ、スリムクラブ。

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 笑い飯さんは一流のトップクラスのコンビでしょうけれど、そして、このレベルのプロフェッショナルが現在相当テレビメディアを牽引している。が、ピカイチは新星「スリムクラブ」さん。

 その秀逸な真栄田さん語録をいくつか。

 M-1グランプリの決勝にて上位3組に選ばれた時のひとこと。
 「僕たちがこの3組に残るってM-1のセキュリティー甘くないですか?」

 よくコントに挿入されるひとこと。
 「人間が一番恐れているモノ知ってますか?はい、それは変化です。」

 これもコントでよく登場するフレーズ。
 「すいません、あなたはどうやら高い教育を受けておられますね・・・。」

 ある番組の雛段でのひとこと。不細工芸人がカメラマンのテクニックやいろいろなメイク技術で素晴らしい写真作品に変貌した一枚の写真を見て~。
 「これはトランスフォーマーレベルですね。」

 なんとも時代を切っているこのフレーズ。他にも拾えばいろいろあるが、特に印象的なフレーズがこの4本。世の中、個人情報の保護保護とセキュリティーの強化に余念がないが、そもそも、セキュリティーってただの概念でしょう。守るべきことがないからセキュリティーで守りたい感たっぷりにモノゴトを捉えたいだけの社会のような気がしていたところへこの真栄田さんのひとこと。ボディーに効きましたね。そして、「変化」と「高い教育」というフレーズ。これもアイロニカルな刀で時代をバッサリ。そして、自動車やヘリがロボットに変化するあの映画からの引用。真栄田さんがあの映画を小馬鹿にしているのかリスペクトしているのかその真意は不明ですが、技術を駆使し機能や外見を変えても中身はどうよ?みたいな。

 これからもますます注目のスリムクラブ。

イノシシの牙。

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 まぁ、これを¥3,000で譲ってくださった方は「この牙はモンゴルのオスのかなり巨大なイノシシの下顎の牙です。」と言っていたが、その言葉の真意はどうでもいい。京都の山奥のイノシシでもマダガスカルのヒヒの牙でもなんでもいい感じ。とにかく、この存在感、このフォルム、この色、この質感がたまらなかったのです。現地ではこれはお守りとして首にぶら下げたりしているそうですが、まぁ、そんな現地の人の慣習もどうでもいいこと。とにかく、この物質と出会えたことに対して¥3,000という代価を支払ったという構図。

 歯肉がまだ残っている感じ、ちょっと、牙の根元が汚れている感じ、もう、このリアリティーは素敵過ぎました。

 で、カミさんが「これを何に使うのか?」と聞くがこれはナンセンス。世の中の物質が全て「使うため」だとか、「食べるため」だとかっていう目的に存在しているわけではない。人間はいつも自分が中心だと思っているからそうなるが、人などただの炭素でできた水風船。カルシウムの芯で重力に反発しながら、クネクネ生きているが、地球目線で言えば、それ以外何者でもない。逆に悪いことばかりしている感じではないだろうか。これも全て自分達が中心だと誤解しているから。電気もガスも石油も全て地球の加工物。アップル製品の基盤もサムスンの色素もトヨタの電極もすべて地球の元素の加工物じゃないですか、火影にペインが「奢るな」と言ったが、まさにそれ。

 皆さん、いつかカーボンに還るんですから、生を謳歌しましょう。イノシシの牙を仕事場のmy祭壇に置き、毎日それを見ながら脳が活性化するとしたらそれで充分¥3,000以上の価値はあるでしょう、と奢っている。Shit!

アフガニスタンの石と水晶のネックレス。

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 これもひときわオリジナリティーな存在感を発散していました。このテイでは朝の段階で2つしかなかったので、早朝からうろうろし始めた甲斐がありました。ほんとにいろいろなモノが京都の東寺の飲みの市では陳列されていました。たぶん、手持ちのおこずかいがあればあるだけ買ってしまそうな異空間でした。

 この透明の水晶もキレイなのですが、その間に詰まっている石はとても細かい細工だがしてあります。それを細いワイヤーで繋いでいる作品でしたが、これで、¥1,000。これを自分が付けるのか付けないのかということはさて置き、なんともお気に入りのアイテムとなり、白くま君が只今装着しておられます。

1,000mmのリアリティー。

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 のみの市で発見した折りたたみ式のスケール。木製でなんとも味があり引きつけられて買ってしまいました。全部伸ばせば1mになるのですが、日頃、デジタルコンテンツばかり作成していると、1,000mmってただの数字でしかなく、プリントアウトしてもなんだか1,000mmに対するリアリティーは薄い。しかし、こうしてこうしてペコペコ伸ばして1,000mmという感じはやはりアナログツールならではの・・・って、別にって感じなのかもしれないですが、長さに対する知覚がアナログツールとデジタル表示では同じは同じでもなんとなく違うみたいな感覚があります。しかし、この細工たるやどんな行程を辿ればこんな完成品になるのか?竹は竹でもどんな材料のチョイスをするのだろうか?この1mm感覚のメモリはどうしてこの材料に刻むのだろうか?考え出したら止まらない。でも、そんなツールものみの市で叩き売られてしまう現実ってアナログからデジタルへの変遷における価値の失速という構図になってしまうのでしょうね。そういう意味で味のある木製スケールでした。

梅雨入り!?台風!?

 いろいろなことが前倒し!?梅雨入りも台風日本到来も早くないでしょうか?まだまだ、大震災や原発事故は最中なのに、自然は自由だなぁ~。に比べて人間はされるがままだなぁ~ってあたりまえですが、しかし、長浜の場合、冬が終わったかなと思いきや寒くなったり、ああ~春らしくなったなぁ~と思えば寒さがぶり返したりの繰り返しで、まだまだ、朝晩は寒いと思っていたら突然の「梅雨入り」。で、台風が来ているって、これはどうなるこやらって感じです。

 で、夏は暑くなるそうで(また酷暑!?)節電モードで冷えピタの買占めが起こっているらしい。今年の夏も冷房も制限がかなり厳しくなるだろう。でも、冬の寒さはヘルニア保持者にはキツイので好きではないが、暑さはさほど気にならない、というか、汗をいっぱい出すことは気持ちがいいので好きな方です。ただ、梅雨は最悪。雨が最悪ではなく気圧。たぶん、血流に気圧が影響を及ぼすのか磁場が変わって同じく血流を乱すのか、もしくは、気圧が変わることで体内の圧力が変化して血管が収縮することでの頭痛なのか分からないが、梅雨は最悪。はやく、梅雨明けと共にその頂に立つことを目指してこの梅雨を乗り切ろうと思っております。・・・辛い。

高周波減圧乾燥機

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 自然の木を建材用に加工する場合、生き物である樹木を建設資材として活用するために適正な状態にする必要があるらしい。生き物である木が自然乾燥する際に割れたり捻じれたりするのですが、それも想定して自然乾燥する場合は一定の時間が必要なのです。と、ここまでは専門分野のエキスパートでなくとも知っているだろうレベル。そこで、エキスパートはさらにその効率や品質を向上させながら、木の管理をしておられるのだと推察します。そのひとつの結論がこの機械なのでしょう。専門的な知識が少なくほんとに木についてはビギナーの中のビギナー。でも、いろいろなお仕事をさせていただきながら、見聞が広がるのは楽しい。自分の住んでいる家の一本一本の柱や階段の部材なども毎日なにげに登ったり降りたりしているが、そんなエキスパートの人達が手掛けた建材で自分自身の日々の生活が成立していると考えるとまず自然に感謝すると共にこうした様々なエキスパートのお陰に支えられていると知る。

 に比べて、福島の地の汚染度合は最低最悪。同じエキスパートでも雲泥の違いですね。月とすっぽんなどという例えも頭に浮かびますが、あの対応とテレビで観る人間性をすっぽんが観たら、それはそのよく動く口にどうぞって感じで、「噛みついてくださいレベル」でしょうね。

詳しくはこちらです。http://www.morian.co.jp/htm/kansouki.htm
 

SAYAKA AKIMOTO.

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 私、全く、AKB48には興味がない。以上に肯定も否定もできないぐらい無味無臭な感覚で捉えていますが、どうも、秋元才加さんは別格です。いろいろなバラエティに出ておられるが明らかに他の47名かそこらへんとはポテンシャルが違うと言わざるを得ない。これがテレビの恐ろしいところだなぁ~と思いますね。例えばモデルを職業にしている人はスタイルもルックスも抜群だが最近のテレビプログラムの構造はディテールを重視している。だから、あほなコメントしててもキレイで可愛いはもう成立しない。人がテレビに求める情報のマテリアルはそこではないような気がします。これは言わばネットでも同じで情報のディテールというか演出・表現手法についても同位でただ整えてあるだけでは、踏み込み感がなく、伝導率が低いというか、それに対峙して何か大切なポテンシャルのエネルギーを奪われそうで否定するが正解のような。

 とにかく、そういう意味で秋元才加さんはいいですね。才女ですしたぶんIQは高いだろうなぁ~と感じてしまいます。あの切り返しと豊かな表情はこの世界で残っていく存在だろうし、別に固執せずとも他の分野でもしっかり地に足がついた展開をされていくだろうと思いますね。テレビの画面レベルですが、最近では観ていていい感じのする稀有な存在感を発散しておられますね。って、これも一AKB48ファンのコメントに属してしまうのだろうか・・・。

ふわふわした人。

 ええ、ブログをやっている以上、いろいろなレスポンスは単純に嬉しいし、どんな人からのレスに対しても誠意をもって返信したいところですが、でも、中にはちょっとキツイ感じのレスがどうしてもある。別に好き嫌いとか否定肯定というほどより好みをしている自覚症状はないのですが、レスに対してはガチありがとうございますなんですが、う~ん、なんと返信させていただければいいのか・・・となる人がたまぁ~にいる。そんな感じで迷った場合はちょっとスルーさせていただいている。ほんとにありがとうなのですが。

 それに、あきらかに腹の黒い方はなんでしょう?もう、メッセージやコメントを読んだだけで心がないというか、日本語がおかしい。まぁ、見切り発車している感というか誰でもいいからとりあえず送って返信があればいいか!みたいな感じで届くメッセージやメルマガはどう処理したらいいのか?まぁ、何も考えず「削除」が正解なんでしょうが、それさえもメンドクサイ。逆によくもまぁ、そんな心がない連絡をしてくるわい!という関心関心モードになります。たぶん、適当なメルマガソフトで無作為に送っているだけで、返信があれば話を盛ってやろう何か捻じ込んでやろうレベルの方なのでしょうね。寂しいなぁ~。もっと、生産的な建設的なのびしろのある行為に自分の心や頭や魂を使ったら???となりますね。そんなスパムに対して愚痴をこぼしても今の時代なんのメリットもないのでテンションは上げずにスルーしていますが、まぁ、次から次から。

 「私寂しいの・・・」って、なんでやねん!こっちはその60億倍寂しいわい!

アスペルガー症候群。

 検索すると、「アスペルガー症候群(アスペルガーしょうこうぐん、Asperger syndrome: AS)またはアスペルガー障害(アスペルガーしょうがい)は、社会性・興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障害である。各種の診断基準には明記されていないが、全IQが知的障害域でないことが多く「知的障害がない自閉症」として扱われることも多い。なお、世界保健機関・アメリカ合衆国・日本国などにおける公的な文書では、自閉症とは区別して取り扱われる。精神医学において頻用されるアメリカ精神医学会の診断基準 (DSM-IV-TR) ではアスペルガー障害と呼ぶ。対人関係の障害や、他者の気持ちの推測力など、心の理論の障害が原因の1つであるという説もある。特定の分野への強いこだわりを示したり、運動機能の軽度な障害も見られたりする。しかし、カナータイプ(伝統的な自閉症とされているもの)に見られるような知的障害および言語障害は、比較的少ない。」となっている。昨日、少しテレビで得た情報に対する洞察・分析なのですが、子ども頃からずっとこのアスペルガー症候群の諸症状で悩んでいた方のお話だった。

 そして、そのような病名を知り本人は精神的な苦痛から解放されたとのこと。しかし、この症状はどれも非常に微妙で紙一重。ご本人さんは学校時代でも団体行動に障害があったり、物忘れが激しかったり、ひとつのことに集中できなかったりで、大変苦しまれたらしいが、逆に、古今東西、天才と呼ばれる人達や各分野の研究者達はこの主人公のタイプと似ているような気がした。「注意力が散漫」と捉えると、悪い傾向のように感じるが、「好奇心が旺盛」と捉えることもできなくない。他人の心が理解できず、言語的なコミュニケーション能力が欠落していると捉えると悪い傾向のように感じるが、独自の世界観があり人とは協調しにくいタイプだが創造性や知識の面では秀でていると捉えることもできなくない。まぁ、何事も表裏一体ですし、それが、「アスペルガー症候群です。」診断されて安心したという下りもちょっとマリオネットワイヤーの存在が気になります。

 で、どうも、この傾向は自分自身にも少なからずあるような気がする。そう思ってテレビを見ていたら、何やらそれを見て笑っているカミさん。うん?何が言いたい?自由奔放で散らかして物忘れ野郎で興味が散漫でひとつにことに集中できない、我が道を行くって感じがもう一人近くにいるぞ・・・と言いたいのか???う~ん、しかし、否めない。

まだ、8,718人。

 もうすでに2ヶ月以上経つのに行方不明者が8,718人もいるのか・・・。遺族の人達は居たたまれない日々を過ごしておられることだろう。この数字が一日も早く0になり。弔うことで亡き方々の鎮魂を祈念するばかり。漏れた放射線の絶対量は地球の歴史上トップクラスだったこと、この、あまりも大き過ぎる傷あとが半永久的に生き残った人類やこれから誕生する生命にたいして「人間の存在意義」を問うことになるだろう。それでも地球上の人口は増え続けている。しかし、地球の環境や規模を想定すると80億人が限界点という仮説がある。それも2025年には到達するらしいぞ。これは「想定外」?それとも「想定内」?地球の地殻が持つエネルギーの恐怖、そのトリガー上で綱渡りしながら増えている人間って、なんとも逞しき生命体ですね。「深海のYrr」の映画化が楽しみである。もし、本当にYrrがいたとした今頃彼らはなんと思っていることだろう???

 Facts are curious things more than a novel. である。

ほぉ~、IQ148以上ね・・・。

 So,そんな団体があるのか。なるほど、なるほど、IQ148以上の人間だけが集まる団体かぁ~、入会テストが1時間でテストを受けるのに¥10,000で、年会費が¥3,000で定期的な食事会や交流の場合がありメンバー同士で親睦を深めあう社交の場だということ、なるほど。とても好奇心が頭をもたげる。公式なIQテストなど受けたことがないので、自分のIQがいかほどか全く不明ですが、なんとなく興味がある。世界各国にも多くのメンバー会員がいて、あの、J.フォスターも会員だとか、そして、著名なアーティストや事業家もいるらしい。どこかこの知的なテイの集まりに興味があるのか?単にJ.フォスターに条件反射しているだけなのか?自分を試すために他流試合を只したいだけなのか???

 で、この148以上という数字はほぼ総体的な人口の「2%以内」らしい。これが上位という軸で残りの98%が2%の位置的に下だということでもないらしい。IQという分類で2%なだけであって、仕事の能力や知識レベルやキャリアが影響を受けるような、まして、著名であることや資本家であることなどについての指標ではないとされているが、そこは人間の心の綾、IQが低いより高い方がいいでしょう・・・となるのが自然体。

 で、このメンバーでの食事会や懇親会などの社交の場、はたして、どんな空気なんだろう。「頭の回転が柔軟で速い」というイメージがあるので、優越感とはまた違ったせっかちの集まり!?ベラベラとうるさいしゃべりの集まり!?視点の定まらない議論が迷走するメンドクサイ集まり!?という側面も否めない。

 が、興味がある。好奇心が抑えにくい。どうしょう?「たった1時間のテストで¥10,000」これだけがボトルネック。たぶん、この組織の会長さんも相当IQが高いのだから、この価格設定をなんとかならないものだろうか?それともちょっと天狗になっているのかな?お食事会意外にのびしろのなさげなこの組織のメンバーになるためのテストが1時間で¥10,000って、これって、適正値なのかな???

 ストレートに「なんでやねん!」とツッコめないほど、興味があるのもリアル。

旅の効用。

 私はあまり旅が好きではない。非常に「無駄遣いな気」がするのです。決して漠然と無駄だなぁ~と思っているわけではなく、まぁ、おこずかいに余裕がないことが一番の理由なのですが、でも、「美味しいモノを食べること」「有名な観光地に訪れること」「旅館で露天風呂に入ること」「旅先で楽しい出会いがあること」などがさほど楽しくない。たった1日~2日程度、どこかに宿泊して何かを見たり知ったりすることが決してリフレッシュにならないし(私の場合)、例えばそれがホテルにも泊らず自前の食材をアウトドアでキャンプというテイなら、「もったいない」とは感じないし、テントで寝ることは楽しい気分だと思います。それが、有名なホテルだか、創業何百年だか知らないが、一泊泊るのに¥10,000以上も払って、及第点の料理とお酒。これは形骸的に日本人の大好きな「ちょっと贅沢な気分」かもしれないが、全く気持ちはのってこない。お風呂は好きだから露天風呂に入るのは気持ちいいが、何も旅とセットにする必要もないだろう。と、まぁ、全てに気持ちに余裕がないからこのテイで気持ちをリラックスできる性分・タイプではないのでしょう。だから、旅に行くと疲れる。まして、団体旅行など最悪に近い。全員と同じ場所を同じタイミングで歩く見る食べるってもうダメ。団体行動ができない只のおこちゃまモードなのかもしれないですが、それでも、団体行動はダメ。多くても2人がベターで1人がベスト。で、3人以上はもうダメ。まして、列を作って移動するような団体レベルはストレスの何者でもない。だから、たぶん、企業の中で組織の中でサラリーマン的に考え動くことがダメになったのでしょう。つまり、そこが結局ブンキテンだったのでしょう。すでにその兆候が29歳であったので30歳でサラリーマン生活をfly awayしてしまった。

 で、自分をそんな風に知っていると(恐らくたぶん)、何が好きで何が嫌いがある程度明確になる。すると、それを一旦リセットしたいから場所を帰る、非日常的な空間からテイクオフする。日頃食べられないものを食べ、テレビやネットでチェックしていた観光地に好奇心を覚醒され続け、そして、その場所のリアルを求めて旅へ出発となるのだろう。つまり、立っている場所が変化するだけで気分が変わり、それだけで、「リラックスできた。」と感じたいのだろう。だから、この場合、いいも悪いもなく、とにかく立ち位置さえ一時的に別の場所になればそれでいい。それにいくらpayしますかということなのだろう。

 ならば、根本的に短期的な「旅」よりも、「引っ越し」が一番。私はこれまで8回引っ越しをしている。それは明確な目的のため(自分なりには)。ただ、移動しても新しい場所で生活するチカラがないとただの逃避になる。まぁ、それに近いニュアンスもどこかにニュアンスとしてありますが、新天地を求めてか逃避かは神のみぞ知るでいいわけで、もし、自分自身を根本的にリセットしたいなら、Just moving! が正解。

今日の琵琶湖です。

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 こんなにキレイな夕景だったのに、カメラを持っていなかった。なんたる失態・・・。

6つの帽子の発想力か・・・。

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 最近見るテレビ番組、「仁」「世界遺産」「イッテQ」「しゃべくり~」「はねとび」「ロンハー」「した!」「ぐるナイ」「金曜ロードショー」「ダッシュ村」「めちゃいけ」・・・ぐらい。他のプログラムはライブ感がなく画面に登場する人のポテンシャルが緩い、そして、編集意図が緩いってことで全て却下・スルー。しかし、日曜日に観たこの番組はいいぞ。なんと何回かのシリーズモノだったらしい・・・見逃した!と、この最近のテレビ事情で「見逃した!」と評価できるようなテレビプログラムはほんとに珍しい。

 で、「スタンフォードの6つの帽子発想法」というテイ。なかなかでしたねぇ~。GOODGOOD!

 どんな感じだったかというと・・・、これが、非常に非常に魅力的だったので、何回に分けてここにライトダウンしたいと思います。いやいや、いいっすねぇ~スタンフォード大学。

滝川クリステル著「恋する理由」。

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 まぁ、タレント本の類かとタカをくくりながらも、どこか気になる。タレントのエッセイほどふわふわしたものはなく、たぶん、幽霊が世の中のタレントのイメージを適当に感覚的に編集したのがタレント本だろうし、それについてニーズがあるのだから否定も肯定もしないが、ただ、ただ、気なる存在のエッセイとなるとちょっと好奇心が湧いてしまう。この好奇心が一旦、頭も擡げると始末が悪い。いつまでも覚えている。覚えなくてはいけないことなど瞬殺で忘れるくせに、一旦、頭や心がキャッチした信号はどうも残留パルスが強いのか共鳴係数が高いのか残る。

 さて、滝川クリステルさんのことはテレビやCMに出ているキレイな才女としうイメージでしかなく、別段特筆するような発言でも存在感でもない。が、ダブルアイデンティティということやそのどこか自然体でいながら、言葉にできない知的な大きなsomethingを発散している美人であるとは捉えている。仕事でbeautifulなモデルさんやタレントさんを観てきたが、たぶん滝川さんをマジカで見たり話したりするような機会があれば、相当のチャクラを発散していることだろう。

 で、講談社から「恋する理由」というタイトルで書籍が出ているらしい・・・。「ドレス一枚と愛ひとつ。結婚しても、子どもがいても、いくつになってもオンナであることを忘れないフランス女性。お金を使わなくても心は豊か。彼女たちが教えてくれる、シンプルスタイル。」って、たぶん、どこかのライター作品だろうし、とくに掘り下げるライティングではないが、ただ、「フランス」という文化は気になるぞ気になるぞ。

 それに講談社だし、しっかり編集しているだろうし・・・、忘れなければ買うかもしれない。

硯と墨と筆。

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 これものみの市で購入。奈良から来た人からいろいろ奈良の書道のお話を聞いて~の、この石の硯と墨と筆。これまで、絵筆は数えられないくらい(おそらく1,000本以上)購入してきたが、さて、書となると、毛筆で初段をとった小学6年生の頃から記憶がない。なのに何故、のみの市的な空間でこれを買ってしまったのか???それも確証なし。ただ、仕事でも筆文字を書くのですが、絵筆と書の筆ではやはりどこかテンションというかモチベーションが違うのではないだろうか???と常々考えていたからかもしれないぞ。仕事場にはあらゆる絵筆があるのですが、どれも、文字を書くというモードになれないというか、黒といういろが自分にとって特別の存在だから他の色と混色することは最後の最後まで絶対にしない。絵具の黒を使ってしまうと色が濁るからである。濁りの究極が黒であり全てを吸収してしまう色だからである。それを目的に絵に黒を入れる場合はそれでいいが、彩色で溢れさせたい絵にしても、モノトーンの絵として仕上げたい場合でも、黒という色を使うのは最後の最後。ほどんど黒はペンでしか使わない。

 だから、文字を書く時はやはり「硯と墨と専用の筆」でしょう!!!みたいな感じ。
 
 この硯はなかなか小さいのに重量感がありますし、この墨も、紅の染料が混在しているらしく、すっきりとした美しい黒だそうです。ほぉ~楽しみ楽しみ。

ペーパーナイフとして。

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 どうも最近アイアンワークが気になる。まぁ、最近ということではなく、のみやなたや鋼のツールが昔から好きだったことの延長上であることは間違いなく、何故こうも鋼感のあるツールに興味を持ってしまうのかその理由は明確ではないが、のみの市のような混沌とした空間で自分のベクトルというか直観を信じる時、それは、やはり、衣や食に関することではない。「衣食住」に対するこだわりとか思い入れが限りなく小さいので、必然的に混沌とした空間を心が漂っていると、自分のベクトルにシンクロできる空間や存在に引き寄せられてしまいます。そのひとつがこの「ナイフ」。モノを切るならカッターでもはさみでもいいわけですし、料理はあまりしないですが、野菜や肉を切る場合は包丁がある。ならば、このナイフはどんなTPOが想定できるのか?それが不明で楽しい。

 雑多な空間で引き寄せられたツールや物質にはたぶん何か意味があるのだろうけれど、それをひとつひとつ分析して体系化するのは好きじゃない。というかメンドクサイし、意味をあまり感じない。論理的に組織化することはビジネスの基本なのかもしれないが、それは、別に得意な人がいるからその人に任せよう~的なヒラキナオリ感もあるのかもしれないし、どこかで大きく依存しているのかもしれない。もしくは、そのアクションで大きな失敗をしたことが障害になりそれを見送っているのかもしれない。が、とにかく、長期的に何かを整理するということは、よほど、よほど、興味のある分野でないとNO。

 で、このナイフ、確かによく切れる。キャンプやアウトドアには別のツールキットがあるからたぶん持っていかないだろうし、仕事机の前、窓際に置いて、ただ毎日見ていたいという存在。それは毎日目に入る空間は人の頭の中にとても酷似しているという説がある。好奇心に富み探究心が萎えない人の仕事場はモノに溢れているらしい。整然と論理的で統率力のある人の仕事場は雑多なモノはすべて整理出来てどこに何があるかをしっかり管理しているキレイな仕事場らしい。あきらかに前者の私は次から次へと増えていく不思議なアイテムに囲まれながら頭の中へたくさんのエネルギーの弾丸を充填・装填している。この色、このフォルム、この機能、この存在感。モノは元素のカタマリ。人とて同じ。ならば共鳴する理由があるはず、ただ、人間の脳レベルではそれは知覚できないということだけ。

アッシュケース。

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 登山・アウトドアのアイテム、アッシュケース。世の中、ガチで禁煙禁煙とめんどくさい。しかしながら、愛煙家でさえ車の窓からのポイステを発見してしまうと「これはダメダメ」となる。だから、吸殻は必ず自己責任で絶対に山では捨てないが当たり前、そして、絶対に持ちかえるが基本。これはあたりまえ。自分で出したゴミは自分で責任を持つ。確かにタバコを吸わない人にしてみれば、うっとうしい煙かもしれないし、そこはひっそりと所定の場所でタバコを楽しもうがエチケット。ってことで次の登山から携帯していこうかなという感じ。また、山で吸う一服が美味い。今日も元気だタバコが美味いって感じ。

アイアンワーク(火づくりはもの)。

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 昨日の京都東寺で購入したアイアンワークです。これで¥1,000なり。なんとも風合いのある仕事でしょうか。すかさず玄関の壁のラックに取り付け完了。う~ん、いい感じいい感じ。

公式WEBサイトはこちらです。http://hamono-s.com/

金魚もか・・・。

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 う~ん、金魚すくいもアリなのか・・・。

 まだまだ、ネタはあるのですが、今日の京都東寺の「のみの市」紀行はここまで。

スマートボール!?

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 懐かしすぎるやろ!なんでもありか!ゲーム世代の子どもたちが反応してるやん!のみの市にお店を出店する時の規定って何もないのか?形あるモノだったら何でも並べてもよし!なのか?これはお祭りなのか?出店モードはもうかれこれ回遊しているのでそのテイは理解でてきたし、なんでもありは感覚的に理解できたけれど、この場所でスマートボールって!?高得点をたたき出したら何か素敵な商品がゲットできるのかな?みたいことも別段興味無くスルーしました。でも、これがのみの市ってものなのかな・・・。あ~あ、いと楽し。

火縄銃!?

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 初めてののみの市、いろいろなものがあったが、火縄銃。そもそもそれは売ってもいいのか?たぶん、もう弾を撃つことはできんでしょう?イミテーションなのか?にしては相当古いし手入れもしてないでしょう?でも、ここに飾りたい店主みたいな。そんな感じで飾ってありました。これやっぱ店主さんが飾りたいだけ???120%買うつもりはないので値段は聞いていないですが、外人なら日本に京都にのみの市に来た記念に買うかな・・・?いやいや買わん買わん。

只今朝食中。

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 ちょっと休憩って感じで、石の橋の上。と、目の前のさぎ!?が水面に頭を突っ込んだ!口にはさぎの口にちょうどいいサイズの小魚。ほぉ~いい仕事をしましたね。橋の上にはそれを見つめる人人人。さぎは悠然と石の上に立ち、ゆったりと口にくわえた小魚を飲み込む準備。只今から朝食です~って感じ。

 魚はもしかしたら逃げられるかもしれないと、一生懸命全身をぷるぷるとくねらせてか、もう、絶命寸前での痙攣なのか、ピクピクが止まらない。いやいや、そんなもうこのくちばし間に挟まっている段階で諦めてくださいよ的な表情のさぎ。一旦、魚の頭をくちばしの根元まで器用に移動してグイっと噛む。小魚も最後のあがきを繰り返す。ようやく、さぎはこの魚を胃の中へという感じなのだろうか、ペンギンがアジを飲み込むように、のどの方向へ魚の頭を起用に切り替え(回転)てくちばしにそって小魚をくちばしと平行になるように頭がのどの方向、魚の尾がくちばしの先へとちょんちょんちょんと方向を変えた。おお、素晴らしい、テレビで観てたペンギンのあれと同じだ!橋の上で見ている人達も魚を上手にのどへ運ぶさぎの瞬間を見れた感で一瞬橋の上に妙な連帯感が生まれる。おお、さぎ君「いただきま~す!」ですね。

 あれ、出した。もう、橋の上の皆さん的にはつるりんと小魚がのどに入っていく感じなのに、どうも、魚の頭かエラかあばれたかでのどに入っていかなったのだろうか。ゲホッみたいな感じで小魚が石の上にポトリ。もう絶命寸前の魚はあまり動かない。すかさず、喰わる。しかし、のどには入らない魚。でも、喰わるさぎ、でも、のどに入らない魚。繰り返すこと約10数回。もう、橋の上の人達は「早く喰えよ!」的な空気。でも、何回も何回もくちばしの上で魚の方向を調整して調整して飲み込みたいさぎ。「おお~今度こそぉ~!、ポトリ。」なんでやねん!

 お前も、のどに入るテイでその魚を捕まえたんだろう?喰えない、のどに入らないならもう諦めて、もう少し小さい魚を探せば?もうかれこれ10分ほどお前の長い朝食を見ているんですけど!しかし、魚はのどに入っていかない。「もうええわ!下で待っているそのカメにその魚をやれば!?」と思った瞬間。魚はさぎの喉の中へツルリン。

 お前はマチャアキか!人に魅せる芸ってのはもっと練習してからそのステージに立ってください!それに、飲み込んでからのその「どや顔」はなんや!魚もつらい最後の瞬間だったこだろう。

樹木希林さん!?

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 まさか!樹木希林さん!?マジでガチのリアル。うん???ここはなんでもありなのか?昨日テレビに出てたぞ。白髪のお化けを相手にしている女性だけあって、その表情や存在感もそれに同位。東寺で樹木希林かぁ・・・、なんだこれ?

五重の塔、悠然と。

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 ふと見上げると五重塔が登りつつ太陽とクロス。あまりにも目線から下が非日常過ぎて、ふと見上げた五重塔がリアル。そして、太陽がリアル。今は確かに京都に来ているを認識させてくれる。ちょっと休憩です。

のみの市ではにわ!?

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 おいおい、埴輪君、そこで何をしているのかな?お前の店主は目の前にいるけど、全然目を合わせないぞ。もっと、いろいろわざわざ立ち寄っているのだから声をかけなよ。っていう店頭のコミュニケーションも超越してるのがここの普通?でないと、ここにお前を無造作に入れないよね?で、「これはおいくらですか?」と買う気もないのに聞くと、さすが、店主、タバコをくゆらせながら、私の心を見透かすように、まったく目線を変えずにひとこと「30,000円!」。はぁ~、これがいわゆる「のみの市」の洗礼なのか?埴輪君はまたこの店主と一緒に今日もお家に帰るのですか?

 というか、もしかしたら、お前が実はこのブースの店主で、お前が目の前の店主を遠隔でコントロールして、未知の信号を送ってこの店主に「30,000円!」ってしゃべらせたのか!?

京都東寺の「のみの市」。

 昨日は京都の東寺で開催されている「のみの市」に行ってきました。以前から行きたい行きたいと思っていたのですが、なにかとタイミングが合わず、やっと~な感じでしたが、天候も良く、じっくりとうろうろしてきました。うわさには聞いていましたが、まぁ、こんな感じだとは、ワクワクとドキドキの連続。しかしながら、どのお店を覗いても、逸品揃い!?さて、これらに価値があるのか?っていう逸品から、これは大丈夫?という逸品の数々。なんでわざわざここでこれ!?みたいな、ひと籠¥500のわかめ!?ひとかご¥350のしょうが?一匹¥3,000の鮭!?みたいなものから、古い貨幣・コインあり着物あり帯あり・・・右を見ても左を見ても非日常なモノが溢れ過ぎて・・・う~ん、最高でした。ここはある意味において極楽浄土か・・・と。

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 で、これは?何?どこで入手したの?どういう基準でこれは並んでいるの?これはどれぐらい古いの?で、このレンズは使えるの使えないの?この赤い犬は何のキャラ???

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 おじさんおじさん、この「ローマングラス」ってほんと?だったとしたらロマンあり過ぎでしょうし、で、なかったとしたら、おじさんのイマジネーションは素晴らしいですよ。おじさんが開発した「つぼマッサージステッキ」はさすがに「それひとつください。」とはならなかったですが、ここでこのシチュエーションで、ローマ帝国のお話が聞けるとは・・・。

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 これが、「ローマングラス」ってことですが、確かにキレイですし、疑うわけではないですが、もし、だとしたら、ひとかけら¥3,000って破格じゃないですか!have a nice day!

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 まぁ、全体的にこのテイなのですが、東寺のどこかにタイムトンネルがあって、時間が捻じれて、毎月一日だけこの場所に出現しているとしたら・・・。恐らく海外から訪れた外人さん達にしてみれば、それはそれで納得みたいな。日本の過去がこの空間に、漂い過ぎでしょう、しかし。

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 この時間のこの空間に置いてなければ、この品物の価値って光らない。でも、人がある意図であるタイミングである条件の元、ここにこれらを置いたという価値。だから、成立する何か?この中央の犬につながる緑のチューブ。黄緑色のエアー注入部分を一回、恐る恐る押すと、この犬が奇妙な動きをした。う~ん、見てはいけないモノを見てしまったような気がするぞ・・・。

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 で、で、この機関車は何をどうするの?目的は???そんな野暮なことを質問しない方がいいのだろう。さてさて、この機関車はいくらだったのだろう?で、この下の「白い顔」!お前は誰だ!!!

朝の琵琶湖。

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 昨日の朝、車で京都東寺の「のみの市」に出発。早朝の琵琶湖はなんとも穏やかでした。

ワンドだぁ~!

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 今日は午後、高島へ納品へ。で、道路沿いにちょっとしたワンドを発見!うぉ~、いるだろうなぁ~。あの漁礁はいるだろうなぁ~。ああ、あの葦ぎわを打ちたいなぁ~!いい感じの水の色だなぁ~!と、チラリと見えたワンドにテンションが一気に沸点へ。バス君の顔をしばらく見ていないなぁ~、BTO in 大野ダム懐かしいなぁ~!ふらりと行ってみようかなぁ~。でも、もう、パラマックスはないだろうなぁ~。

浮遊惑星発見。

 大阪大学と名古屋大学、そして、ニュージーランドのオークランド大学などの国際研究グループが、恒星の周囲を回る特定の起動を持たず宇宙空間を漂う「浮遊惑星」を発見したらしい。理論的に予測されていたそうですが、確認は初めて。太陽系などの惑星がどのように形成されたかについての謎の解明に役立つとのこと。物理学者のアインシュタインが予言した「光が重力によって曲がる」という一般相対性理論の原理を駆使し星の光の変化を捉えて発見につなげたらしい。銀河系ですでに10個の浮遊惑星を発見したそうで、大きさは木星なみ。銀河系には少なくとも数千億個あると予想されているらしい。浮遊惑星は誕生する過程で、他の天体の重力によってはじき飛ばされ、恒星などの引力に捕まることなく、宇宙空間を漂っているとみなされいるらしい。

 また、あまり表出しないが、世界で深海に対する研究結果が発表されている。それは、地球温暖化に関する海流や地球内部構造との関係が密接にあるのだそうですが、深海はまだまだ未知の世界で、衛星からのスキャンにしても砂漠の中に落ちた1本の針レベルの探査精度なのである。宇宙に対してもそうだろうし、人間は進化・進歩と「図に乗りやすい生物」なのか?謙虚に地球のことを考えてお互いをリスペクトしリレーションシップを高め合えてれば、ボーダーレスな思想になりそうなもの。それが、国家間での宗教感での経済格差間でのリーダーシップ同士間で、とにかく、天狗天狗天狗だらけ。

 45億年分の数千年ですからね。それも人間が決めたこと。もしかすると450億年かもしれないし、4500億年かもしれない。もしくは45,000年かもしれない。人間の進化の過程さえまだ仮説レベルなのに、そんなに天狗になっていいものだろうか。途方もない深海や宇宙の話をするよりも、今日の自分の時間給に注視した方がリアリティーはあるが、この休みに何をするかを考えた方がリアリティーがあるが、せめて、夜に星を見つけたらちょっと宇宙のこと、水道の水で手を洗う時に、マリアナ海溝のことを考える引き出しが心にあってもいいかなと私は思います。

 富士山に登ってから、どこでも水道水で手を洗う時、ジャバー!とカランを全開しなくなった。ひねってもそっと20%程度。チョロチョロと出る水で手を洗ったらすぐに水を止めている。たった、富士山に登るだけで「水の大切さ」が身体に刻印された。水も空気も自然の恵みも人間が創り出したものじゃないんだから、もっと、「お借りしていま~す!」感があってもいいのでは。そんな地球を半永久的に放射線で汚したと言われている人達も、まぁ、想定外の地震だったのだから仕方ないでしょう。それほど、貴方達は自然に対して、地球に対して、ちっぽけだったということ。開き直って首を洗うもよし、リレーションシップを持ち常に貴方達の生を全うできるベターな選択をしていくもよし、リセットしたいならインドへ旅をするもよし。

 光だって重力で曲がるのです。水風船の人間がその影響を受けないはずがない。大きな地球という磁石と太陽からの磁場を一年中受けながら生命を維持している生物ですから、「曲がり方」ありきでいいじゃないかなと思います。どうせ曲がるなら「楽しい曲がり方」を探究したいですね。

リンゴの木。

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 これをイメージして日曜日にリンゴの木を買ってきた。まだ、植木鉢に木の苗を移しただけの状態でしっかりと根を下ろしてくれるか不明。その感じになったらこのブログで栽培日記を書こうと思っております。まだ、予断を許さない状態なのでしばし待ちの状態です。でも、毎日朝はリンゴを食べているので、一日だけでもいいので、ウチのリンゴの木のリンゴを食べれたらいいなぁ~って感じ。桃栗3年柿8年ってことでしょうが、さてさて、リンゴは何年なのだろう???

そもそもブログって何だっけ!?

 やっていることは、キーボードで文字を入力してサーバにアップした文字がブログのプログラムの中で処理されて規定のフォーマットデザインでブラウザで表示されるという仕組み。この単純な仕組みが何故こうもいろいろなのびしろやリアルを生みだすのか?それは言わば、「機能」としてのハード部分と、「技能」としてのソフト部分に分けられるような気がします。諸説ありますが、結局何事も人間が何かを思い立ち行動を起こす時、「機能」と「技能」で包括出来ると思います。

 では、ブログを打つ時のキーボードの機能と打つ技能についてはどんなリアリティーがあるのだろうか?普通のキーボードからタッチパネルキーボード、携帯のボタンなどなど。文字を入力するには音声入力なども入れるとほんとに多様な機能の機器が存在します。で、技能の部分で言えば、人差し指一本でポチポチ入力からブラインドのカシャカシャ入力まで人それぞれ。しかし、キーボードに対峙するとき、さてさて、「ブログを書く」ということが目的の場合、別段、そんなにハードルは高くない。何もネイチャーに掲載する記事を書いているわけでも、雑誌の編集者に追われているわけでもないのだから、気楽に書けばいい。

 で、ブログって何だろう?WEB-LOGなのは分かっているとして、ただのWEB上の記録と言えば記録だが、この記録にも「ビジネス仕様」と「プライベイト仕様」があるし、ビジネスモードでも、それぞれの仕事のジャンルによってその文脈は異なる。しかし、おバカタレントのおバカブログを読んでも、ブログを表示させているだけでゴールの人はいいが、有益な時間を過ごしたい、自分のチョイスでブログの運営者をセレクトしたい、魅力的なブログならチェックの頻度を上げて、できればインタラクティブに情報交換をしてみたいと考える。コミュニケーションが潤滑になったらお互いに気心も知れ、ご対面。まぁ、これがいわゆるブログのテイだろう。で、ならば、これをビジネスに利用・活用するとなると、さて、どういうテイで取り組まなければいけないか・・・が現代非常に混沌としているのでしょう。だから、そこ、利用・活用するのは誰で誰に向けてなどの5W1Hが当然明確にする必要もあり、明確になっても、気持ちが緩むと文脈も緩む。心が乱れると戦略も乱れる。しかし、そもそも、たかが、WEBの記録だと捉えれば、適度にゆるんで楽しい感じがいいと思う。「書かなきゃ書かなきゃ」ではそんな感じのブログになる。これが、ただのキーボードからサーバに入力しているだけのテキストなのに不思議。

 書き手のポテンシャルだから・・・とは簡単に分析できない何かがBLOGにはある。その答はたぶんブログを書く人の数だけあるだろうから、それが、一番大きな楽しい理由なのだろう。つまり、ブログは「楽しいモノ」なのである。

今年もいいのが獲れてます。

 今年も例の「サラリーマン川柳」が厳選されてgoodなのが上位に獲れています。社会風刺と言えばそれまでですが、しかし、この芯を喰った感じはほほえましいというか温かいというか素晴らしいです。まぁ、ベスト10には素晴らしい逸品が揃っているのですが、私のベスト3はこちらです。

 久しぶり~ 名が出ないまま じゃぁまたね~

 クレームも 社員じゃわからん、パート出せ

 ときめきは 四十路(みそじ)過ぎると 不整脈

 う~ん、素晴らしい。

 そこで私も一句、「もれちゃった ゴジラもガメラも 来るかもよ?」

 

いい案件が・・・。

 これまた真実である。「いい案件(仕事)がいいエージェントから投げられるというのは幻想である。本当にいい案件(仕事)とは意外なところで意外な予期せぬ方法で出会えるモノである。」と。ただ、それを逃さないために、脈のない幻想は持たない方がいい。いい案件のサインを見過ごす結果になるからである。なるほどなるほど。

書籍の優劣。

 例えば、決め打ちせずに梅田の紀伊国屋書店に行く。書店に入る前には書籍を買うか買わないかは特に決めていない。ぶらぶらっと店内を歩き始めるとやはり目につく自分の好きななコーナーで足が止まる。で、平置きの書籍の表紙からチェックが始まる。すると、以前に何か見た聞いた覚えのある書籍が突然数冊頭の中に降りてくる。いろいろな書籍の表紙を確認しながらあの書籍は確かこんな広告文だった、確かどこかの大学の教授だった、などと回想しながら、目の前の書籍をチェックする。平置きと棚置きには書店の意図があるから、まず、オススメは平置きらしいので、確かに導線通りにチェックするのがその書店に来た意味にもなるのでそれに準じる。棚を見渡すと様々なタイトルが目に飛び込んでくる。書籍選びの第1アプローチは「いいタイトル」であることだとこれまた何かの書籍で読んだが、いいタイトルだからいい書籍という法則は存在しなだろうが、どっか引き寄せらる書籍は結果、いいタイトルであることが多いという法則が意外と機能するこが多い。だから、タイトルをチェックするのは非常に重要である。

 で、気になり手に取るにはこれまた同様の「何か」がなければ平置きでも棚置きでもその書籍を手にとることはない。そして、チラミ。このチラミもすでにこの状態でタイトルや書籍の厚さや装丁デザインでこの書籍の特質的な部分はニュアンスとしてインプットされているから、必然的に経験上、期待度が決定・確定する。そして、目次と1ページ目を読む。これでほぼこの書籍を買うか買わないかが決定する。「これはいいなぁ~。」で、元の場所に戻す。

 そして、次の一冊へ。これを数時間繰り返していると、あっという間に欲しい書籍が30冊ぐらいになる。さて、1冊目はどのコーナーのどの書籍だったか?これが意外と覚えている。と同時に「これはいいなぁ~」の一冊は売価もチェックして戻すので、30冊もあるといつも総金額が¥100,000を軽く超える。いつもこずかいを¥100,000持っているわけではないので、この30冊の中から1~2冊を選ぶのか、今回は見送るのかを検討・吟味する。

 これが書店で一番楽しい時間で、頭の中のCPUが「ぶぅ~ん」とフル回転する。「あの図録は良かったが¥8,600」「あの書籍は安かったが内容がちょっと・・・」「あのソフトウエアの書籍はとても参考になったがもっと応用編が読みたいかなぁ~」「あの画集は良かったが絵のタイプがちょっと~」などなど。で、結果、5冊買う時もあるし、1冊にする時もあるし、買わない時もある。これが、結局、自分自身の書籍の選定方法であり、こんな吟味の流れ・手法で書籍の優劣を決めている。

 さて、これが逆に選ばれる立場になった時。自分自身がどう検討・吟味されて最後の1冊に選らばれたいのか・・・。さまざまなニーズに答えるマルチな書籍になるのか、深く掘り下げ型の書籍になるのか、ただただ楽しさを追求するだけのライトな書籍を目指すのか、素直さと純粋さで広いニーズにYESな書籍になるのか・・・。自分の優劣がもしかしたら「タイトル」で決まっているとしたら、新しい書籍(自分)が欲しくなるのが必然。次へ次へと・・・。

JAZZのある街。

 以前、「どのようにJAZZを楽しむのか?」という書籍を読んだことがある。ある著名な作家の「JAZZ」とはこういうものですね的な啓蒙書を読んだことがある。JAZZのビックネームプレイヤーについての書籍を読んだことがある。いつの頃からか日本人とJAZZは付かず離れずでいい距離感を保ちながら生活の中に心地のいい場所を見つけたように思います。自分自身スタイル的にカッコイイからJAZZを聴くようにはなったが、他の音楽のジャンルよりも何が何でもJAZZが好きだということでもないし、スタンダードなナンバーを聴けば普通に心がスイングする感覚はあるが、だからと言ってディープにJAZZが命ですというタイプではない。

 そもそもJAZZとは何だろう?そのルーツをわざわざここで紐解くつもりはないが、自分にとってのJAZZとは何だろうと考えたが、これも同じ。適当な距離があるだけで付かず離れずの関係。気が向けば聴くし気が向かなければ聴かない。聴けば楽しいしが、聴きたくない時もある。そして、このアルバムのこの曲は~とか誰誰が開催したあのライブのあの楽曲こそがJAZZの真骨頂でこれを聴かないとJAZZは始まらないぞ!というメンドクサイ感じもない。つまり、JAZZとはそいういうモノでいいのかもしれない。音楽は音楽家の主張であり表現でありマイルストーンである。と同時にJAZZは空気のようなニュアンスが強いように感じる。かっこいいからJAZZをお店で流しているのも正解だろうし、一人部屋でゆったりとスイングすることも正解。いろいろな人それぞれのJAZZがあっていい~がJAZZのJAZZたる所以でいいのではないだろうか。

 これを絶対に聴いてくださいよぉ~!という強制はなんとなくJAZZっぽくない。こんな有名なプレイヤーが来て一夜限りのライブをするんです!だから、JAZZを聴きながらお洒落なひとときを過ごしてみませんか?って、いつJAZZとお洒落がマッチ(連動)したのか???それはお前のさじ加減でしょう。JAZZをお洒落だと思ってどこかに聴きに行くということは、ある意味、JAZZを利用しているだけで、JAZZの威を借りてはいないかい?と言いたい。

 もっと、自然にもっと気楽にもっと楽しげにが「JAZZスタイル」の自分自身の正解ような気がしますね。

誰が決めたこと!?

 誰が決めたことだか知らないが、子どもの頃から、注意や警告を受ける時に「一般的には~」「普通は~」「世の中では~」という接頭語が付くことが気になっていた。本能的にこれがとても疑問だったし嫌悪していた。もう、小学校に入る前の段階で、なんとなく嫌な記憶があり、学校の先生に言われることの全てがこの語調だったから、それが明確になったような漠然とした記憶。「世間一般的にはそうかもしれないが、別に何故その指標をそれほど過度に意識しなければならないのか?」そんな学生時代だから、「大切な義務教育中の勉学」の重要性が不明で未知だった。

 「偉い人が決めたことは素直にリスペクトして誠意を持って取り組みなさい!」これも聞き古されたよくあるセリフ。その場合の「エライ人」と「フウツの人」のボーダーはどこ?それは世間とか一般的とかじゃなくってお前のさじ加減でしょう?どんな教育とどんな経験を積んできたか知らないが、その人が「一般的」と言うと、その人のポテンシャルが確実に読みとれる。「ああ、この人間はこのことが一般的と捉えているのか、すると、論法的にはたぶん、こう言ったらこう言うだろうなぁ~。」と考える。そして、それは100発100中その通りのリアクションが返ってくるから、この「一般的」という言葉は非常に恐ろしい。だから、私は逆にこの「一般的」という言葉を使うように心かげている。それは、メンドクサイ人が「君、君、一般的にはね~」と顎が上がった瞬間、その人の「一般的」にシンクロさせるためである。まぁ、マージャンでいうところの「鏡打ち」である。すると、確実に相手は共感を抱くから、さらに顎のガードが甘くなる。しかし、そこでアッパーは打ちこまず、私自身は「一般的」をコミュニケーーションのツールとして活用しただけですから、さほど、テンションは上がらないまま心のこぶしを開く。しかし、この経験はデータベースとして非常に重要だから、心のライブラリーにしっかりと保管される。

 誰が決めたか知らないが、そんなふわふわしたリミッターを解除できなまま人生を送るのは嫌だと実は人は本能で思っている。が、リミッターの縛りは時に心地良く、まぁ、いわゆる鎖に繋がれた犬ほど、飼い主に擁護された犬ほどよく吠えるという仕組みのあれ。お互い、生死を賭けたタイマンであるなら、一発触発である。しかし、吠えている犬はある程度相手も襲ってこないことを知っている。吠える条件とはそこにある。だから、野生の獣や野良犬は怖い。サイレント(無音)で近づき「ワン」とも吠えず、のどを噛み切る。ワンショットである。できれば、ここまで全てを研ぎ澄ませたいものである。

 人間の「苦笑い」「失笑」で口元を上げる表情。実は、獣の本能で「グダグダ言っているとお前を食うぞ・・・」という意味があるらしい。

 つまり、自分がどれだけ素敵なのびしろのある能力を持っているかを決定するのは、自分自身なのである。ということ。自分で決めたから今の自分があると思えない自己を縛るリミッターを持ちたいものですね。ああ~多重になってしまいそうですが、そこは、理性と本能のバランスでぐっと堪えて・・・。

目に見えない恐怖。

 そもそも恐怖とは目に見えないモノが主体。偏在する慣習や淀む意識・価値観。時代をリフレクトしなければこの時代に生きた甲斐がないのかもしれない。もし、全てが終焉に向かっているとしても、何かクラウドの中に刻印できることがあるはず。そうかそうか、紳士たるもの雨が降らずとも傘を持て~ということか。

ネガデブなネガティブ。

 何事にも「ネガデブ」な人がいる。体系や私生活のことでもないが、とにかく思考に脂肪が多い人。適正値なら脂肪は的確に燃焼するが、ネガデブな人は蓄えに蓄えている。その脂肪が時に血液に作用して骨や腱に悪影響を及ぼすから始末が悪い。すると、どうしてもポジティブになれない場合が多く、瞬発力は勿論のこと持久力もなく、そして、必然的に柔軟性もない。人は口に出して言わないがネガデブな人と心から共鳴したいとは思わない。美しいフォルムが美しいフォームを生み美しいリズムを生むこと踏まえ、やはり、ネガデブな人はどこかネガティブさをぬぐいきれない。何もリカちゃんみたいなモデルのフォルムが美しいということではない、あれはあれで辛い。タブンアノタイケイヲイジスルタメニ、タイチョウカンリシスギテ、IQモダイエットシテシマッタ・・・みたいなことになるとほんと辛い。

 で、適正値はどこか?それを知るためにも適正な運動と適正な刺激が必要なのだろう。すべてはループでありルーティーン。淀ませない工夫が身体にも思考にも人生にも必要なのだろう。言うのは簡単、しかし、実行・継続は非常に難しいことです・・・。

大刀(本差)と小刀(脇差)。

 言わずと知れた、マンガ「ワンピース」のゾロ氏は三刀流である。大刀を両手で操り、もう1本を口でくわえている。このスタイルを尾田さんが着想された瞬間、たぶん、アドレナリンはMAXだっただろう。悪魔の実を食べて「ゴム人間」になったルフィーとこのコンビは言わばあらゆる力のパワーバランスの究極のバランス。多くの敵に対峙する時、二人は葛藤し研磨し協調し合いながら成長し自分の道を歩む。そして、それに呼応する友情の存在。最近、テレビで「ワンピース」のパワーバランスを考察するタッチが鼻につく。そして、「ワンピース的~」という書籍も鼻に付く。絶対に買わないしこの悪臭にどのように対峙して自分自身に対しての消臭を行うかが非常に楽しい。反面~なんとかではないが。

 さて、日本の武士は常に大刀(本差)と小刀(脇差)を持っていた。大刀は戦闘用、小刀は切腹用。こんな理路整然とした心理とスタイルがあるだろうか。これをファジーにした明治維新のそれらは新しいシステムを武士のシステムに置き換えるためにそのシンボルであり完成された刀というツールを奪うことで実現させたという仮説。

 鎧の時代、鉄砲の時代に、大刀で何ができるとその立ち位置の人はたぶん然るべき場所でそう諭したのだろう。しかし、時代は巡る。原子のエネルギーは自然の力でもろくも粉砕された。エネルギーという怪物を人間は手なずけることが出来なかったことが証明された。多くの犠牲を伴ったがひとつの結論が出された。この結論を突き付けららた刀を奪った末裔が今間違いなく躊躇している。3.11からのあの躊躇の様はもう悲劇と喜劇の繰り返し。早く、彼らを楽にしてあげるためにも、時代は次に進まなければならないと、もしかすると「ワンピース」は語り始めているのかもしれないぞ。

 いつも心に大刀(本差)と小刀(脇差)を持っていたいものですよね。

 映画「レオン」の中で言っている。最も技術のある達人は一番近くで機能するツールをチョイスする。技術や経験が未熟な人こそ遠隔用のツールを使うと。音が出ないツールでそっと忍びより仕事をすることがベスト。ランボーもそうだったしベトナムの狙撃兵はライフル一発でヘリを落としたそうです。アフガンでは優秀なスナイパー達はブレッドを磨き密林に潜みそっとトリガーに指をのせていたらしい。トリガーを引く時、ナイフをそっと動脈に対してタテに入れる時、絶対に迷わないことが大切だと、原作には書いてあった。技術やツールを使える人がフラットな精神力で時代の膿を時代の幻想を新しく切り出すことは、一見、破壊かもしれないが、実は創造の側面もあるのかもしれない。

 映画「ウォンテッド」のラストシーンが蘇る。エキスパートとは、放たれた弾丸の責任もしっかりと自分の肉体と精神で受け止めますよ・・・ということ。さて、ツールを持たないシステムというモンスターを操ってきた、しかし、制御できなかった。テーブルに雁首を揃えて頭を垂れるだけで、責任はクリアできないほど大きいことをどこまでその魂と身体で示してくださるのだろう。

 赤犬、青雉、黄猿を従える、桃太郎は誰だ???

怒りを忘れた国民。

 震災時の中国報道をプラスのベクトルに捉えた人が多い。それが我が国民性の誇れる部分だと。しかし、それはある側面であるように思えてくるのは私が根本的な天の邪鬼であることでもなさそうである。「日本人は怒りを忘れている!」とある書籍の著者が語っている。怒りは人生に必要か必要ではないかというお話。

 平和とは怒りが生まれない社会であるという仮説を元に戦後の経済構造や教育の仕組みや政治の構築がリセットされたと大枠のフレームを分析する時、高度に経済成長を達成してはじけたバブルまでの経緯で何が真実か?というお話。もし、あるひとりの統治思想を持った「平和とはこうあるべきだ」的な思想があったとする。それを戦後の経済復興に適用し経済的な成長を促進したというはどこかの段階で根底を流れている仕組みだろうし、それをベースに我々の生活があり、発展途上の国の皆さまと単純に生活水準を比較した時にモノが豊富に与えられた仕組みで人生を全うしてきた。それが、今となって全てがメルトダウン。国が行う不正に対しても政治家と企業家の私利私欲を貪る情報を突き付けられても、まぁまぁ的にスルーする国民性を育成されてきたのかもしれないぞ!というリアル。たぶん、仏教とも深い関係があるだろうが、そもそも、密教である仏教を日本的にアレンジした仏教や宗教感に思想の根源や人としての・・・みたいな真理は精通していたのだろうかという疑問。全てが???となる。

 そこに本当の日本人のアイデンティティーがあるとしたら、農耕民族で海に守られ鎖国解禁後、流入する文化や技術や思想に対して日本人がとった行動や思考の分析と考察を今しなければいけないような気がします。誰がするのか?おそらく上の息がかかる人では不可能だろうし、末端の人ではそこまでの網羅と体系化ができない。格差社会と叫ばれたが、そもそも、日本が開国した時にその仕組みづくりは進められていたはず。だって、出先が「士農工商」のそこですからね。現状のあの国のそれを分析したらそうなることは必然である。でも、それでも、アイデンティティーは確立しなければいけない。今でもどこかで幕府の思想がこの国を支配しているような危惧もある。

 では、そのエネルギーとなるベクトルのタイプや元素・要素は何だろう?たぶんおそらく「怒り」だろうと思う。しかし、旗を振り振り徒党を組むような「怒り」でも、どこかを占拠して要求を主張するような大きな声の出し方でもない。米騒動的なチープなパパフォーマンスではダメ。怒りとはもっと根底的な脳幹からの信号であるはず。それに対して「教育」というリミッターをいっぱい装備された人の心や思想の構造を分解・リセットさせて、平均値に戻し、世界の様々な基準値を網羅して、改めて自分の立つ位置を選択させるような仕組みだろう。それはもしかすると、FACEBOOKかもしれないし、ツイッターかもしれない。開発者がやりたかったことは、実はそこなのかもしれないと思う。それで牙城を揺るがされる人もいるだろうし、それで掘りを埋める人もいるだろう。その行動と思考が巨大な関に穴を空ける蟻になるかもしれないし、バタフライ・エフェクトの羽ばたきになるかもしれない。

 繋がるべきはそこの一点。冷静で沈着で揺るがない「怒り」を内蔵している人達が立ちあがる時、本当に日本の夜明けが来るのかもしれないぞ。という意味で、さぁ、平成の坂本龍馬は誰だ?みたいなことが国家や東電関係者以外のエリアでゆっくりと発動・起動しているとかしていないとか。

 見慣れたあの首が被災地に並ぶ時のために、心に非のある皆様、ある意味、首を洗っておいた方がよくないかな・・・。日本の歴史を熟知している高学歴の皆さまだから知っているでしょう?民は恐ろしいと・・・。

 というようなテーマの小説を書いたらニーズはあるだろうか???

レディー・ガガという現象。

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 さて、もう、このテイもブレイクして久しいが、この現象はどこ向きなんだろう。カリスマミューズみたいなことなんだろうし、ファッションリーダー・アーティスティックなパフォーマーでありオピニオンリーダー的な存在であることが、本人の意識や努力や時勢の潮流にマッチしてこの現象に辿り着いたみたいなことなのだとして、逆に時代はガガという存在を今後どう処理していくのだろう。エキセントリックなパフォーマンスが枯渇するが先か潮流が変わるが先か?ここまで世界を席巻するということは本人にも世界にも理由があったはず。法則はいつも何かが起こってから検証されるが常。このようなスーパースターというのはそのほとんどがイマジネーションが肥大した存在だろうから、こうなるためにはいろいろなメディアのコントロールの作用があったはず。オバマとツイッターの仕組み、facebookとフィンチャーの仕組み、ライブドアとホリエモンの仕組み、放射線と東電の仕組み、どれも、一般人的にはエキセントリックで刺激的ですが、リアルでガチの部分、この仕組みの構造の中には様々な人が関係していて大きな潮流になっているのでしょう・・・。

 で、ガガとメルトダウンの仕組みにも、さて、ところで、バタフライ・エフェクトは適用されるのだろうか?

映画「幸せのちから」。

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 珍しいタッチの映画をテレビ局がチョイスするなぁ~と思った。ウィル・スミスと実の息子が共演するという素晴らしい映画「幸せのちから」。一方でウルトラスパーマン「ハンコック」を展開しながら~の、このどこか社会からドロップアウトしそうな男を演じてしまうウィル・スミスの凄さ。たぶん、実の息子さんだろうなぁ~と思いながらのこの物語はなんとも切ないタッチで淡々と進む。アメリカの社会全体が抱えている問題なのか、この主人公の見極め方や判断力の過ちが原因なのか分からないが、この状況をどう打破するかという描き方をテレビの人達が、「どこか現在の日本とシンクロしているからチョイスしてみようか・・・」的な意図を感じてしまった。父と息子が現実の社会で日常の生活を維持するために、つまりは、生きていくためにどのような葛藤をしてどのような取り組み方をする~みたいな部分が非常にリアルに描いてあったような気はする。しかし、しかし、なぜ?わざわざ金曜ロードショーなのか?

 テレビの人は「ウィル・スミスも映画の中で頑張って、ドロップアウトしながらでも粘り強く頑張れば最後に道は開けますから・・・」的なささやきがそこかしこで聞こえてきそうでちょっとテンションは上がらなかった。そんなななめな見方はダメなんだろうけど、やはり、映画を観る状況ってTPOが大切。観終わってから、ああ~やっぱ、普通にDVDを借りて来て観るべきだったと少し後悔してしまった。

 ほんと、テレビのチカラが年々弱くなっている。そりゃスポンサーが離れていくはず。一流だけが枠を相当な広告費用で抑えていたのが、それが緩くなったのか、ちょっとこれはないなぁ~というCMが流れる場合が多く非常に目に付く。印象的ならいいが、悪い印象しか残らない。作り方も緩く、画面も仕掛けもメッセージもNGなCM。ああ~これもテレビメディアの価値を下げているなぁ~と思っちゃいますね。

 でも、ということは、この息子さんが大きくなって「ベストキッド」のリメイク~となるのか。役者の息子はやはり父の背中をしっかりと観ているんですね。DNAはしっかりと機能しているんですね。

尾川智子さんDVD「The Cliff」。

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 ボルダリングジムが長浜近辺にないものだから、かなりもやもやしています。ちょっと壁を登りたいと思い立っても車で約2時間はやはり辛い。都会なら仕事終わりでちょっとジムに寄って壁に1~2時間向かうことができるのだろうが、ここ長浜ではそれが不可能。これまで別に長浜市に対して不便だとかモノ足りないなぁ~と感じたことはなかったが、ボルダリングジムがないということはかなり辛い。ってもそんなニーズが長浜にはないからだろうから仕方なし(贅沢な話)。仕事面でも関西方面にも関東方面にもアクセスはいいし、琵琶湖があり伊吹山があり水も緑もいっぱい。地震も少ないし台風もさほど被害はない。こんな素敵な場所に暮らしていながらボルダリングジムがないということだけ文句をいう筋合いはどこにもないのだが、それでも、長浜市内にボルダリングジムが欲しい。どこかの倉庫で誰かがボルダリングジムをオープンしないかな・・・。

 もう、クライミングの身体とは?というテイや技術的な書籍は2冊、そして、尾川智子さんの基本的なボルダリングの専門誌は何回も読んでいるし、それこそ気になる毎にこれらの書籍を隅から隅まで読みたおしている。たぶん、ゴルフを始めた時以上のハマリカタ。ナノニ、それを試す場所が無い。この中の書籍には、いくら本を読んでも技術やバランス感覚は向上しないし、仮に、自宅のどこかにらしき壁を作っても壁のポイントの設計はプロがしなければ意味がなし効果がなしと書いてある。確かにそうだろう。天気のいい日はボルダリングジムよりも自然の大岩で練習しないさいとも書いてある。うんうん、おっしゃる通り。でも、なかなか、そんなに時間に余裕がない。バランス感覚の練習や階段の2段クロス登りや懸垂や指の拮抗筋を鍛えることも時間を見つけて取り組んでいるし、ストレッチも仕事の合間、寝る前にじっくりやっている。はやく、ベストマッチの靴を探して壁に向かいたい。

 ならば、どこかで時間を作ることをしなければならないのでしょうが、それも現実的には難しい。ほんと辛い感じです。こんなにボルダリングやロッククライミングに魅力を感じてしまうとは思っていなかったので、そこそこの健康管理と身体づくり程度だったのが・・・。

 で、攻めて美しいフォームを頭に入れたいなぁ~と、このDVDにちょっと興味がある感じですね。尾川智子さんのフォームってほんとにYouTubeとかで観てもキレイです。ボルダリングはバランスとムーブ。こればかりは筋肉馬鹿には遠く高い領域です。ほんとにバランス感覚やフォームが美しい人は純粋に憧れてしまいますね。

公式WEBサイト(blog)はこちらです。http://ogawatomoko.aspota.jp/

カスタムカラー。

 印刷物でもWEBサイトでも大型テレビでもファッションの世界でも建築の世界でも日常生活の中でも配色というのは深く関係している。改めてWEBサイトの配色集みたいな書籍をリサーチするとカラバリのスタンダードの組み合わせが誠に整然と整理されている。

 例えば、「原色を使いこなすコツ」「淡色・純色を使いこなすコツ」「無彩色でまとめるコツ」「知的で誠実な印象を与える配色のコツ」「ゴージャスでエレガントな印象を与える配色のコツ」「ナチュラルで落ち着いた印象を与える配色のコツ」「モダンで洗練された印象を与える配色のコツ」「ポップで楽しい印象を与える配色のコツ」「キュートで親しみやすい印象を与える配色のコツ」「ロマンチックで優しい印象を与える配色のコツ」「さわやかで若々しい印象を与える配色のコツ」そして、「カラーユミバーサルデザイン」などの法則関連などなど。まぁ、見事に体系化してあるから、それぞれの配色パターンにはほぼ完ぺきなカラーリングが配置されていて、確かにその印象を受けることは認めてしまうことしきり。

 しかし、そもそも色相と彩度と明度で表現される配色の組み合わせはモニターや画材や染料などの成分上細かいミクロの単位まで分解すれば無数に等しい色の組み合わせがあり、人間の目の網膜で感知できる色の限界点や工業的に再現できる配色の限界点などがこれらのカラバリで規定されているだけで、それこそ、科学的に色を分析すれば色とはとてもとても奥が深い存在なのである。その世界と人間の心理を組み合わせて、商業や工業や芸術に展開してきた人間の歴史をひも解けば、そこには、からなず文化や歴史や慣習との深い関連性が存在する。そこが、旬なWEBサイトというテイで、モニターで再現できる色の深度となるから、大まかにフレーミングしておけば、まず、それ相当の適用が可能ということだろう。

 で、色について深く知れば知るほど~の部分、ひとこと「ロマンチック」と言っても、たぶん、日本人が感じる「ロマンチック」と、マダガスカルの人が感じる「ロマンチック」は異なるだろうし、日本の白のカラバリはたぶん一般的には5~6種類、しかし、アラスカや北欧の人の白は40種類以上あるらしい。つまり、暮らす環境やその国民性で色はどうにもで変化するということ。

 「カスタム=慣習」ということを根底に捉えれば、何かのプロダクツやツールを開発する際のカラバリのヒントになるのではないでしょうか。お仕事チックなお話になってしまいましたが、たかが色、されど色なのである。

アジアン・カンフー・ジェネレーション。

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 ナカナカ、イイカンジデスネ。GOOD,GOOD.

世の中の達人。

 たぶん「達人」にはいろいろな条件がある。どこにでもある食材で誰にも創れない料理を創る達人。ユーモアとセンスでどんなタイプの人ともコミュニケーションを潤滑にできる達人。誰もが発想できないようなアイディアを次々と発信する達人。緩みのない綿密な仕組みと機能を施したシステムを構築できる達人。決して真似できない努力量とそれに費やす時間を苦にせず前人未到の偉業を達成するポテンシャルを持っている達人。モノゴトノの真理を見極め自分自身の基準値を明確に持ち決して志しがぶれない達人。空間を知り快適を知り時間の概念を知るアーキテクトの達人。深いメッセージを衒いも憂いも濁りもなく純粋に発信できる心理の達人などなど。世の中の「達人」達は今何を考えてそれぞれのジャンルで自己研磨し我が道をどんな歩き方でどんな心持ちで生きているのだろう。

 しかし、そういうエキスパートな人って「私はマルマルの達人です。」と自分で自分のことを達人だとは考えていない人だろう。仮に自分の温めている世界や研ぎ澄ましている世界が特殊で至高のフィールドでもそれが誰に対してどの程度の「達人」なのかなどその人の頭の中には微塵もないだろう。だから、その人は「達人」なのである。これも言わば「達人」の条件。

 そして、「達人」には必ずその方を強烈にリスペクトしている人の存在が不可欠である。社会とはそういう構造をしていることが最低最大の条件だから、広くなのか深くなのかは別として、必ず「達人」の一番近い存在の人は「達人の達人たるや」を心から認めている人であるはず。その弟子なのか伴侶なのかマブダチなのか相方なのか右腕なのかは様々だろうが、だから、「達人」は今日も元気でその道を闊歩している。

 また、「達人」が生み出す価値について言えば、知ってしまえばそれまでのようなことでも、情報として知る前からその達人が生み出した価値とは「達人ゆえの価値」なのだから、感違いしてはいけないことは、誰かがその価値を知った段階でその価値は共有しなければいけない前提で世の中に流れ出したモノだという認識である。エゴに操られそれを独り占めして優越に浸る人もいるだろうが、そんな構図は本当の達人は求めていないし、不幸にもそうなってしまったとしたらそれは、真価として「達人の価値」とは呼びにくい。

 で、そんなことを書きながら自分自身は何の達人か?そう考えてみる。しかし、自分の中から生まれる言葉の中にフレーズの中に、適切なココイチのテッパンの言葉もフレーズも実は浮かばないが正しい。つまり、これは「作用と反作用の関係」でしか成立しないこと。だから、近い人にそのテイで「あなたはマルマルのの達人ですなぁ~」とか「君のこの仕事は達人技ですね」とか「そんな捉え方をできるのはまさに達人!」みたいなことばを投げかけられて、初めてそれを認知して完結する。つまり、何かをしている、何かをしてきたことに対して、誰かから言っていただけた批評や驚嘆や激励が「もしかして、自分はマルマルの達人なのかな?」などと思わせる一番適正なルートなのである。まぁ、そういう意味では大した達人技もなく、偉業も達成せずに、のらりくらりと浮世を流してきただけだから、改めて思うことは、「自分自身もできたらマルマルの達人と呼ばれたいなぁ~」とか「どうせ達人と呼ばれるならこの分野がいいなぁ~」と考えてしまう。しかし、言ったもん勝ちではないだろうが、言ったもん勝ちの部分もある。

 テレビタレントはそれ(言ったもん勝ち)で少なくとも成立して生業としているはず。それがメディアのチカラ。でも、そのハリボテも崩壊しつつある。メディアが崩壊して人の価値観がネット社会の構造上、拡散したからである。だから、価値判断やニーズは人の数だけあると知るべきであり、スタイルやシステムやフレームを価値をまだ価値と捉えている人はこのまま失速するだろう。飛翔したいなら「達人(龍人)」にならねば、自分の足で歩きたいならその場にしゃがみこんでいないで「達人(立つ人)」にならねば・・・と最近特に考えてしまう。

 日本にそもそも元気がないのは偉人も名人も企業人も職人も多いのに「達人」が少ないからなのだろうか・・・!?

二人の坂本龍馬。

 昨年から今年にかけてテレビ番組の中に二人の坂本龍馬が登場した。ひとつは大河ドラマ、ひとつは「JIN」の中。私自身は幕末にも明治維新にも坂本龍馬にも別に興味がないので、いつも、このテイのタッチはスルーしている。しかし、大河ドラマとなるとなかなかそんなタイプの人間でもどうしても接点ができてしまう。嫌悪しているわけではないので、テレビに出てれば観るが基本がその程度のテンションなので、あぁ~福山君か…程度。それよりも昨年の大河ドラマで言えば真木よう子さんが画面の中で光っていたのでそればかりを観て福山君の坂本龍馬は「3へぇ~」ぐらいでした。と同じく、というか、そのテンションとは比較にならないぐらいに、ひさびさにテレビドラマを第1話から最終話まで観たドラマがあった。それが「JIN」である。「コミックが原作で大沢たかおさんが主役!?」これだけで、ちょっといい感じはしないのですが、それでも、大沢たかおさんに引き寄せられて第1話を観た。これがビンゴ!とてもいい、昨今のテレビ番組にはない何か物語の振幅と深度が未知数な感じ。大河ドラマの吉本新喜劇化はさて置き、同じ日曜日でこれは比較にならないぐらいの「JIN」の素敵さは何だ!

 で、この物語の中に登場する「坂本龍馬」がまたいい。上記の通り、私自身はこの時代に特筆する思い入れはないので、新撰組や長州や薩摩や土佐やと言われても体温も脈拍も上がらない。が、この物語の中の坂本龍馬には確実に引きつけらている自分に気が付いた。ほぉ~坂本龍馬ってこういうタイプだったのか。過去にいろいろな文献の知識としての坂本龍馬像は頭に中にあるし、特筆しないとは言え、江戸の文化や幕末・明治維新のフレームは頭に入っている。ただ、さほど、その時代の登場人物に感情移入ができないというだけのお話ですから、その坂本龍馬像よりも、JINのドラマの中の坂本龍馬はとても魅力を感じてしまった。これも役者のポテンシャルなのか・・・、物語のスケールの大きさの違いなのか・・・。

 しかし、ほんとはどんな人だったのだろう?坂本龍馬という人間は。かなり尾ひれ背びれが大きくなり独り歩きをしているキャラのように思う。昨今の戦国ゲームのテイで無理苦理な脚色と物語設定をされてマジンガーZ化してしまった坂本龍馬像。物語化する段階で等身大って不可能でしょうし、事実を史実から紐解くのは難しいのかもしれないですが、でも、興味が少しだけ湧いてきたテレビドラマ「JIN」の坂本龍馬なのでした。

 もしかしたら、古今東西の日本人の中で一番拳銃の似合うキャラかもしれないぞ。刀はいいのに、日本人のピストルの持ち方はオモチャっぽい。やっぱ、これも慣習・文化・歴史の蓄積物がDNAにインプットされている量的な仕業なのかなと思います。まぁ、ピストルが上手に使えることは何の自慢にもなりませんが・・・。

これこれ。

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 ふと発見した油絵作品。これこれ、こんな感じがいいですね。この感じで早速描いてみよう。

「失敗」より実は怖いモノ。

 人はみな「失敗するのが怖い」と言うが、本当に恐れているのは、「成功するかもしれない」ということであるらしい。億万長者や有名・著名になりたいと夢を描くが、実は、夢はいつまでも夢であってほしいというリミッターを解除できない人が大多数だという仮説。ある書籍からの引用ですが、創造性を高めることは社会に対して自分を露呈させる。社会というステージで自分を表現するためのシンプルなアプローチだという仮説を元に、ほんとうのほんとうのところで、人は実は「成功したい」と頭で想い、公言しながらも、実は「失敗してもいい」と考えているようである。なんとなく、人間の心を言い当てている強い文脈だとこの書籍を読んでいて感じた。だから、「神様・仏様」のシンボルも同じ、「神がいない。」と嘆くことで皆と共感・共鳴させることが根底の仕組み。で、実はほんとうに「私が神です。」と、目の前に神様が現れることは100%想定していないわけ。つまり、「神が実在してては困る。」のであるという論法。すべて人間の心の綾の部分ですから、ゴールは人それぞれでいいとして、「成功と失敗」の下りは創造するということを仕事にしているクリエイターにとってみれば非常に大切なメタファです。

 もう、リミッターは相当解除されているつもりでも、歳相応に余計なリミッターが付いているはず。ヨセミテハンマーでウォールの壁にアンカーを打ちこむように、ピッケルをガッツリ、フックアップさせるために、余計なリミッターは叩き壊したい感じですね。

 ただ、「失敗」と「成功」の相関性については、別のアプローチもあるでしょうし・・・、これは、また、いつか。

正解のないQUESTION。

 デザインやアートの業界が特にそうなのかもしれないですが、ほんとに日々いろいろなQUESTION(問題)にぶち当たりますね。例えば、この看板の社名の色は何色がいいでしょう?というQUESTIONに対しての正解は正確には存在しない。場渡り的にその場しのぎのテイで答を出すことはできるし、セオリーや固定観念と主観と好みで何色かを色相の中から気分でチョイスすることはできるが、さて、それが今現在の正解かどうかはまったく未定である。逆に正解がないからそれらを気分や主観やセオリーや時勢の方程式で決定できるチカラみたいなことを信じているというか。これもどこか自分自身に対する言い訳のようなニュアンスもありますが、結局、気分次第ということで、いかにこの気分の密度と整合性を瞬間瞬間で整えられるかが勝負みたいなことなのかもしれません。

 正解は瞬時に変化するのが人のニーズの実態ですから、真理や根幹の部分は揺るがないとして、人間は心で生きているからいつも同じ正解だとは限らない。論理的な思考の人と感情的な思考の人が相いれないのはそれぞれのタイプの問題だからではなく、ただ単にシンクロするタイミングを逸しているだけ。つまり「たまたま」だと思います。で、逆に共鳴・共感できるということはこれも「たまたま」。無碍に人の意見にNOと言える人は逆の逆で素晴らしい判断をお持ちな人であり、ポテンシャルの高い人だと思います。仕事柄、協調しようとか折衷モードにいたいとか中立で受け止めてポテンシャルで判断したいなど捉えましょうと構えているばかりに、自分で自分のトラップにひっかかる。自分で自分にfakeをひっかけるとなる。それで傷が絶えない感じです。これは自分でひっかいた傷、これは自分で掘った墓穴と、これらが増えてくると、また、それはそれで、同じ傷や同じ墓穴に落ちる感覚を楽しみにしたり・・・。完全にアドレナリンジャンキーの末期ではあるが、それもまたいとおかしみたいな。

 どうせ正解がないなら開き直って、一周回ってみようかなとか・・・。まぁ、そんなジャンプ力もないのにハードルを上げないように・・・が日々の心情かもしれないです。でも、バーの高さが上がれば上がるほどアドレナリンは出るわけで、失敗覚悟でスタート!あぁ~ダメかぁ~ってのも続けてればクセになるとかならないとか。

NEW YORKの雪か・・・。

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 やはり、どうしても、心を持っていかれる場所、NEW YORK。かなり強い刷り込みの影響だろうけれど、このテイの写真をネットで発見してしまうと、しばし心が止まる感覚がある。世界は広いのに何故ここにこれほど心が動くのだろう・・・。

ホビースタイルというコンセプト。

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 最近、販促ツールを作成させていただいた「ホビースタイル琵琶湖」様の内観写真。う~ん、素敵過ぎますね。昨今、本当にいろいろなライフスタイルがありそれぞの施主様のセンスやスタイルでいろいろな住宅が建てられています。自分の家を建てるという時、ご主人のご希望と奥様のご希望のパワーバランスが一番キモになるのでしょう。私の場合は家を建てるにあたり気になったのは構造の部分。配色や素材やっていうことはあまり気にならず、やはり、耐震性が一番気になり建築会社様を選択したような記憶があります。で、各部屋のレイアウトや壁や床やドアなんて部分はすべてカミさんまかせだったような流れでした。

 しかし、こちらのホビースタイル琵琶湖さんの家、まぁ~、素敵です。販促ツールのための写真撮影に2回ほど現場にロケにお邪魔して、撮影当日も朝から夜まで拝見しましたが、細かいところまでこだわりにこだわった素敵過ぎるお家でしたこと。最大のポイントはガレージなのですが、「ガレージのある家」なんて、自分自身の家づくりの選択肢に無かったので、おどろきのみの素敵なスペースでした。まぁ、1年に1~2回しか車を洗わない人間にしてみれば「ガレージ」が欲しいとなるはずもなく、会社の前に停めてある愛車など酷暑の夏も降雪の日も青空ガレージ。ウチの愛車がここのガレージを見たらなんとツッコまれることだろう・・・。親が選べないようにオーナーも選べないんですね。

 うん、素敵な印象に残る記憶に残るお家でした。

公式WEBサイトはこちらです。http://www.gallery-biwako.jp/style/

ワークスペースの整理整頓。

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 今日は天気がいいので、仕事場の整理と掃除をしました。とにかく書籍や書類や制作過程のプリントアウトやサンプルの印刷物などなどが氾濫して、「あれはどこへいった状態」に陥る場合が多く、整理をしなければしなければと思いつつ次の案件に着手してしまうサイクル。だから、当然、定期的に整理しなければ・・・なのです。「机の上は頭の中」ってことを肝に銘じて、仕事場を整理しながら頭の中も整理整頓。

強烈な100歳!

 あるローカルテレビに100歳の男性が登場した。その方は書道の先生で御歳なんと100歳。朝早く起きて自分で自分の朝食を作る。30歳年下の奥様がおられるのですが、それがその方の一日の始まり。料理人であったご経験もあるということで、自分の朝食なのに皿にキレイに朝食を並べる。バランスのいい栄養価の高い食事で一日を始める。次に書道教室の生徒さん達(年配から若い人などいろいろ)に対しての本日のテーマというか課題となる筆文字をそれぞれの生徒さん達に対してしたためる。決してコピー機など使わずに一枚一枚。そして、自分で背広に着替えて課題の詰まったバックを抱え家を出発。元気にいつものコースを歩きバス停へ。教室にはすでに多くの生徒さんが待っている。「おはようございます!」元気に声をかけて前の席に着く。課題を説明してそれぞれの席で皆様の作品(筆文字)に対してコメントをする先生。熱意のある人に対してはマンツーマンでのアドバイスがヒートアップする。

 授業の終わりにひとりひとりの作品に対して丁寧に添削を入れられる。美しい作品については称賛し、バランスの悪い部分については的確に添削を入れる。添削が終わると生徒の皆さまから大きな声で「本日もありがとうございました!」ニコリと先生。

 そして、昼食はとなると、いつものごいひきの食堂&カフェがある。そこまでまたバスで移動。ランチタイムでにぎわうその食堂の個室に入られる先生。すでに奥様が到着していて席につく。「いつものを。」と一言先生。出てきたメニューはガッツリのハンバーグ定食。これはメニュー的にちょっと多いのではと思いきや、それを全て残さずにペロリ。食後のコーヒーまでガチのランチタイム。素晴らしい!なんと素敵な100歳だろうか。

 食後もずっとニコニコしながら、コーヒーを一口一口味わいながら楽しい会話が続く。う~ん、100歳かぁ~。まだ、自分は半分もいっていないのかぁ・・・。いいなぁ~こんな100歳になりたいと素直に感じてしまいます。

 ねっ!これがテレビで観たい感じたい物語なんですね。ローカルなのに素晴らしい取り組みである。情報過多になり飽和した価値観の中、テレビの人達も大変でしょう。大手のスポンサーにしっぽを振ってのびしろの少ないテレビプログラムを作成するのもビジネスモデルでしょうけれど、テレビを観ている人はだいたいそんな感じをもう本能で分類しているんじゃないでしょうか。テレビにチカラが無くなってしまたことでメディアのパラダイムがシフトしたと言われているが、それは、そのことでしょうね。しかし、テレビというメディアのそもそもの部分を理解しているテレビの達人ならこの100歳の書道の先生をチョイスするみたいなことじゃないのでしょうか。素晴らしい先生でした。マイリマシタ。

 テレビの達人と100歳の書の達人が出会うイチゴイチエイがなんとも素敵。

人なりの不思議。

 結局、全ては人なりという不思議な方程式があるように思います。何事にも好奇心を持って仕事にライフワークに趣味にとパワフルな人の仕事はパワフルになる。キメが細やかでひとつひとつのストロークが強い上、根底にあるものがしっかりとしているから安心感があり信頼度が高い。一方、微弱な人。メンドクサイ人の仕事はそれに確実にシンクロする。何かの言動や行動でそれを感じる人には必ず何か原因がありそれが言葉やコミュニケーションにおけるディテールとして表出する。明確なのは金銭感覚。言いたいことだけ言って決済をできない人。たとえそれが1円でも1億円でも同じだろう。仕事とはこの信頼関係で成立しているから案件を起こしておきながら決済ができない人間はおそらく人生もそんな感じに生きてこられた結果だろうと推察するしか仕方ない。人間的にどれだけ知識が豊富で機動力があったとしてもここが緩い人は全てが緩い。最後の最後で信頼関係を築くことができな場合が多い。

 逆にプッシュの強い人、マイスタイルを確立している人は、言動も行動も思考も魅力的である。だから、人間に魅力があり様々なスキルとセンスを持っておられる。つまり、仕事についてもその分野で達人でありエキスパートな展開ができる人なのである。向学心に貪欲で世界を社会を空間を見極めることができる人。そういう人になりたいものである。

 世の中に対して否定的な考えを持っている人の軸は実は自分の中になく、常に自分以外のパワーバランスが気になる。だから、言動も社会や他人に対して否定的な言動が多く、決して、共感しようとしない孤立タイプ。天才的な素養があればそんな人でも何かシンクロできるような部分があるのだろうと思いたいが現世でそれを失っている人はたぶん来世で活躍されるのだろう。つまり、生を受けていながら、生を全うしていない人。何事も人なりの不思議がある。

 では、自分自身はどうか?他人は自分が映る鏡、リアクションで自分のそれがキャッチできないといろいろな展開が苦しく先細りの展開になる。最後はグランドゼロ。イーブンになることは時に有効な気分転換ではあるが、できればできれば、上のベクトルで何事も取り組みたいし、下降していると感じるならばどんなにカッコ悪くとも手足をバタバタ動かす感じでいいんじゃないだろうか。とにかくそんな感じで、何においても手足をバタバタしてきたが、まだ、この歳(47歳)になってもそれが足りないと感じています。登山道を歩きながらリフレッシュしながらでも、まだまだ、バタバタが足りないと後悔し焦り時間をどこまでも味方にしたいと願う。だから、リフレッシュには全然なっていないのですが、私の場合はそれで少しづつほころびを縫い合わせている感覚なのです。

 全ては人なりにでいいのだから、他人のことは否定も肯定もせずマイペースに生きたいものですが、社会との関わりの中で他人との関わりの中でしか自分自身のIDは機能しない。現代、ネット社会の構造はこのことがよりリアルに細分化されているように感じる。孤立するのは簡単、全てのデバイスの電源をOFFにすればいい。言葉を発さず目を閉じればいい。社会から孤立して霞を食って生きればいい。しかし、それでなかなか生命を維持することは難しいし、まして、家族がいるなら責任も伴うだろう。自分の世界の中で完結せずに動きながら考えていくことで場所を変え視界を変え動いている人が好き。そんな行動力と思考力のバランスのいい人に対しては自然と心を開けるものですよね。

ミリオンセラーが優れているという基準。

 よくテレビや書店でもそうですが、ミリオンセラーありきで価値のヨシワルシを決定しているが、この基準は本当に正しいのか?という素朴な疑問。つまり、固定観念やセオリーに対する天の邪鬼な一意見なのですが、例えば、音楽シーンでよく最近は昔の歌手の在庫処分的な映像を引っ張り出して、振り返り系の番組が多い。昔で言うところのレコードの売り上げ枚数に順位を決めて「第一位は~!」みたいなテイの奴。右向け右的な基準で言えば「多く売れた=多くの人に指示された=優れた作品」という方程式だろうが、そもそも、そういう時代だったからそういう基準で良かった良かったとなるが、さてさて、改めて冷静に客観的に考えて、「たくさん売れた」が「優れた商品・作品」としていいものだろうか?という疑問。

 「優れている」という価値を分解していくと、ニーズにマッチしていることや機能として優れていることやデザイン的な価値として優れている、そして、その道を辿ればルーツがしっかりしていて揺るがない価値というような存在感があるモノがそれに値するように思います。しかし、「多く売れた」だけの商品が必ずしもこれらの方程式にマッチしているとは、イコールだとはどうも考えにくいと思うのです。

 例えば、日本の音楽シーンでミリオンセールスを達成したいろいろなアーティストがいる。確かに「多くの指示を受けたからたくさん売れた人」という価値判断を適用してもいい方もいるのだろうが、いやいやこの人はどう見ても「売れただけ」タイプのような人も大勢いる。一重に好みという基準で、「それはあなたの好き嫌いでしょう!」と言われればそれまですが、少数派の意見かもしれないですが、上記の定義で言えば、ニーズにマッチせず、機能もチープで、バックボーンも到底確立しているとは思えないのに、ただその作品を指示した人が多いだけで上位にランクインしている。だから?とはならないのだろうか?

 つまり、現代のニーズは多様化している。「生物の多様性」などと、「月は丸い」的な当然のフレーズが横行しているように、「多様化」という言葉自体も多様に枝葉を分岐させている。価値がフィッシュボーンの時代はそれでいいが、大きな木の全体像が誰にでも見て確認することができるようになった時代だから、そもそもの部分で多様なことが本来の多様として映っているだけであり、ならば、古き良き時代の「ミリオンセラー」の対象に疑問を感じる視点も多様でいいのではないだろうかというQ。

 デザインの世界に入った頃は「グッドデザイン賞」という存在を知り、「おおっ!これが世の中的にグッドなデザインなのか!」と認知しして鵜が鮎を飲むようにそれを「グッド」な「デザイン」とインプリントしたものですが、まぁ、アヒルも大きくなればそれ相当の価値感が芽生え「グッド」にさえ疑問を感じてしまうわけ。時代が変革しようとしているのか、人が変革しようとしているのか、価値が変わるとき必ず仕組みが変わる。あらゆるエネルギー産業の天秤が動く時、そこにあらゆる波紋が起き経済も文化も覚醒・昇華する。この場合、トリガーはなんでもいい。溜めこんだエネルギーが海底で開放され4万人近い人の命が奪われた。しかし、地球全体としては70億人に向かって人類は増殖している。人間の英知の象徴に罅(ひび)が入り漏れた放射線の行方を辿る旅。群れてNOということは簡単だが、もっとモノゴトは多様な構造を持っていると知っていればそれが徒労だと理解できるはず。

 どうも、これらの全てに当てはまる方程式があるとすれば、「人が3人以上集まるとロクなことがない」ということがどうも唯一の真理のように思えてならないのは、天の邪鬼な私だけだろうか・・・。

 多く売ることが経済成長であり価値基準の全てであった時代から、次第に飽和し破裂して漏洩したこれらの価値基準がもう一度、化学変化を起こしチェーンリアクションを生む時、分解されたパーツがどんなフォルムに再構築するのだろう。さて、日本人にそのセンスがあるのかないのか?それぐらいの予見はしておいてちょうどいいぐらいの「想定外」となる時代なんじゃないでしょうか。

「pencil」というソフトウエア。

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 最近ある書籍で紹介してたソフトウエア「pencil」これはWEBサイトを構想する際に、ちゃちゃっと構想プランを作成できるソフトウエア。まぁ、普通はイラレやフォトショップやFLASHでガッツリ作っているわっけですが、もっと簡単に全体のフレーミングをイージーに作ってしまいたい場合はこれが便利ですっていうお話。

 で、早速、アクセスしてダウンロード。さすが無料ソフトだけに軽い。なんかとても便利そう。で、ちゃちゃと作ったドキュメントが上記のような画面イメージです。英語版ってことでまだちょっと手探り状態ですが、たぶん、全ての機能が掌握できれば有効なツールになりそうな予感がしています。イラレの英語版にアタックしていた頃を思い出す。

 「時は金なり。」品質を落とさずに効率を上げるために猫の手も借りる的な感じ。少なくとも猫の手よりはなんかよさげである。

 いやぁ~、世の中にはたくさん便利なものが無料であるんですね。そもそも、CG系やグラフィック系やWEB系のソフトって高価なイメージがある。アドビのそれがスタンダードだから「仕方ないかぁ~」と思いがちだが、いやいや、無料で優良なソフトウエアは非常に多い。ソフトウエアの価格設定って多分、開発費用と広告費用でしょうから、そんなに頻繁にバージョンアップしなくてもいいので、販売開始してからある程度、開発費用と広告費用を回収したら無料にしてもいいんじゃないですか?アドビさん。インフラに連動するためにって、多様なニーズに適応するためにって、ブラッシュアップは必要でしょうし、その作業にコストがかかることは理解できますが、結局、アップルもそうですが、「便利の押し売り」をしているだけで、一定のパワーユーザーと呼ばれる層は反応していますが、それって何が「パワー」?って感じがします。結局、iPadに代表されるデバイスの便利さって「バナナのたたき売り」と同じ。そりゃ「美味しい美味しい甘い甘い」と連呼されれば買っちゃう猿もいるって感じ。

 よりも、アップルもアドビもデベロッパーなんだから、儲け過ぎない程度の設定値でお願いします。PCのフォントなども一時は高価な商品でしたが、もう、浸透して飽和してますから、ニーズが発生しない。予定調和なのかもしれないが、サービスのフレームを組み替えてもコンテンツの本質・品質は同じだからニーズが覚醒しないのでしょう。

 つまり、もう、手法や手段や方法を追いかける時代は終わりつつあるのでしょう。これがいい意味か悪い意味かは不明ですが、昇華・覚醒の時代がやってくる。「ハード」よりも「ソフト」、「機能」よりも「技能」、「知識」よりも「知恵」、「論理」よりも「実践」という意味での覚醒の時代へ。なんかそんな気がするのですか、これは老婆心でしょうか?だからさ、もう、ハリボテのxxxxx博覧会的なハード思考は辞めましょうよ・・・って感じ。文化や歴史に触れたいなら触れたい人と温めている人がONE TO ONEで繋がればいいじゃん。経済の活性だとか地域振興だとか雇用の創出だとかって、「文化や歴史なんて「甘いバナナ」程度・・・」の認識の人達が「美味しい美味しい!」と連呼しているようにしか見えません。本当の文化や歴史の創出や継承は絶対にバナナよりも美味しいと思います。まぁ、バナナ自体は美味しいのですが、きな臭くなると鼻につく・・・みたいな。

詳しくはこちら。http://pencil.evolus.vn/

3本足のブタ@チリ

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 チリでは3本足のブタは縁起のいいアイテムらしい。この土色な感じ、なんとなくアースチックで買ってしまいました。可愛い表情がなんとも和みます。小物入れの小さな黒い陶器と2種類の原石から削りだしたダイス。で、エスニック調のバンダナとテルテル坊主パターンの手ぬぐい。梅田をぶらぶらして気になるアイテムを買ってきました。バンダナなキーボードカバーで使う予定ですし、手ぬぐいはマルチに便利なアイテムですので、頭に巻いたり首に巻いたりみたいな感じ。いつも視界にお気に入りのアイテムを置いておくとそれを見ているだけでなんとなくですが和みます。平面的なイメージをいつも仕事では追いかけるので可愛いアイテムや独特の世界観のある質感はいい感じで五感を刺激してくれるっていう狙い。まぁ、好きなアイテムに囲まれながら仕事していると頭も柔らかくなるし、気分転換になりますね。

ずっとやりたかったこと・・・。

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 で、その梅田行脚の流れの中で紀伊国屋書店で買った書籍。2時間あらゆるコーナーをチェックしていると、買いたいリストがあっという間に30冊を超えてしまったので、じっくり本日の予算を考慮して、この1冊に絞り込みました。最近の傾向として、翻訳本に興味が湧く傾向があり、日本人が著者の書籍よりも海外の著者の翻訳本がいい感じ。画集やソフトやデザインやWEBや心理学や生物学や天文学や洋書や登山の専門誌などキリがないので、この一冊に絞り込んだというわけ。いやいや絞りに絞り込んだだけにかなりの良書でした。満~足、満~足(by シロ)。

モンベルのクマ。

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 で、仕上げにモンベルへ。登山やクライミング用品のお店。お店にある商品はすべて欲しい商品ばかり。でも、今日は我慢我慢。ひとつひとつの商品をじっくり見て穴を開けてきました。

地下の画材屋さん。

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 で、地下の画材屋さん。梅田に行った時はほとんどこに立ち寄ります。なんか落ち着くというか、心が自然とウキウキする場所ですね。

ロフト方面をぶらり。

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 阪急方面をぶらり。路上に設置されたオブジェ。やぎ!?誰かの作品なのかな???詳しくはチェックせずに1枚だけカシャリ。

大阪駅リニューアル2!

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 ってことで、これがホーム上に出現したルーフ。巨大です。京都駅の時もびっくりしたが、これも、なかなか迫力がありました。このルーフの下に広場があり、金時計のモニュメントがありました。ランドマーク的な要素も多分に備えた新しい大阪の顔って感じでした。

大阪駅リニューアル!

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 4日に大阪駅がリニューアルオープンってことで早速チェックに行ってきました。梅田に伊勢丹が!がウリだったようですが、あまり自分自身は伊勢丹は関係ないので、どんな感じかなぁ~というチェックでした。人はそこそこ多かったです。これがトリガーになって大阪が元気になればいいですね。

梅田!?

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 梅田のロフトの前あたりの家屋。うん?ここは梅田!?

70億の種。

 2011年の10月に世界の人口は70億人になるらしい。そして、2025年には80億人に到達するらしい。どこまで増えるねん!2025年は63歳になっている想定ですが、さて、その頃に「日本」という国はあるのだろうか?そろそろ国単位での合併が起こり、アジアは一つの国として機能し始めているような気がするし、もしくは、「日本州」としてハワイのような存在なっているのか?さらに地殻変動が活発になり、日本はアトランティスになるのか?いやいや放射線が漏れ過ぎてこの国自身が「水棺」の中!?なのに、世界の人口は80億みたいな・・・。いやはや人間という種は強烈である。

仕事での「モットー」は?

 仕事においてのモットーや、常に気を付けていること、心がけていることは?という編集室からの質問に対してのQ。「他の人を思いやる仕事やサイトにしたいと思っています。少しの手間でハッピーになれる人がいるというのは素晴らしいですよね。」「利用者の立場で考える。」「できるだけ近視眼的な行為を避けようと思っています。常に、全体像を俯瞰して、長期的な視野で行動すること。」「情報の送り手側の都合を可能なかぎり排除したサービスを提供すること。でもそれは難しいです。日々、葛藤です。」「楽しく仕事すること。楽しんでもらうこと。仕事は人生の大切な時間を引き換えにしますので、せめて楽しくやりたいですね。」「見た目の美しさを追いかけないように気を付ける。造形的に美しくなくても、案件のテーマにマッチすることを優先するようにしています。」「自分にしか出来ない「らしさ」の表現。」とあります。いずれも、非常に論理的で感情豊かな解答です。非常にリスペクトの振幅が大きい。

 で、自分自身の仕事にたいする「モットー」は何だろうと考える。考えに至るまでのベーシックな部分を回帰すれば、私が幼稚園の頃、家の玄関には大きな冷蔵庫があり「豆腐」を販売していた。本格的なお店というテイではないが、親戚から仕入れて売っていた。子ども心に、ご近所の皆さんが、毎日、豆腐を買いに来られるのを見て、そして、祖母が豆腐を大切そうに水槽式の冷蔵庫から取り出し、お客様が持ってこられる小さな鍋に入れ30円とか50円を頂いている姿を見て、「豆腐」を通じてご近所の皆さまと繋がっている暖かい気持ちになったような記憶があります。また、夏場は夏季旅館をしていたので、いろいろなお客様が夏場だけ訪れ海水浴に行かれる。お客様が海に行っておられる間に、食事やお風呂や布団の準備をする。夜、蚊が多いと蚊取り線香を付けてお部屋に持っていく。宿泊している赤ちゃんが熱を出されると氷を持っていく。そして、海水浴を楽しんで帰られる時に宿泊代と食事代を支払って帰られる。微力ながらお手伝いに対してお金を貰える嬉しさは小学生的にはとても大きな意味や法則や価値があった。

 大学の頃、卒業が迫り、東京に行くことを決めた時、ふと、大学4年間で何種類のアルバイトをしたのだろうと振り返った。4年間続けたアルバイトもあるし単発のアルバイトもあったが、その種類は42種類は確実に覚えていた。ひとつひとつのアルバイトで雇い主や担当者の人にアルバイトの内容を指示されて仕事をしてバイト代を頂くという行為。目的は画材や専門書籍を購入するためではあったが、仕事として捉えると「社会の規範と触れることで自分自身の未熟な部分を覚醒させたい。」と捉えていたような感覚がある。嫌な仕事、好きな仕事はあれど、全て楽しかった。

 それが自分自身の「仕事」に対する気持ちのルーツだから、別にモットーは何?と聞かれてお茶を濁すことはどうにでもできるが、言及するなら、「社会との関わりに対して気持ちを開くこと。」なのかもしれない。現在、仕事のディテールは「デザイン」になったがその軸はぶれていないつもりです。

仕事の楽しさって?

 あるWEBサイト関連の書籍からの抜粋。「仕事の楽しさって?~WEBの仕事のおもしろさや大変な点を教えてください?」というQ。WEBデレクター達はこう答えている。「見えない相手の目的を達成させるための仕掛けづくりが楽しいです。」「思い通りに行かないことも多いですが、WEBサイトを公開する瞬間が一番楽しいです。」「変化のスピードに対応するのは大変かもしれませんが、新しい発想やアイディアを短期間で実現できるダイナミズムは大きな魅力です。」「仕様が決まっておらず、常に不安定な要素が多い点がおもしろいです。」「たった一人の個人デザイナーでも、チャンスがあれば、大企業の顔ともいうべきサイトのデザインができるのは大きな魅力ですね。」「紙媒体とは異なり、インタラクティブな仕組みや時間、動きを使った表現ができるのはWEBならではの楽しさです。ただ、数多くある環境に対応させるため、テストや確認作業に時間を取られるのが大変です。」「日々新しい技術が生まれ、それとともに表現の幅が広がるところが楽しくもあり面白くもありますが、その反面、常に新しい情報を取り入れ続ける必要があるので、そこが大変と言えば大変なのかもしれません。」となっている。

 つまり、「苦しさ」=「楽しい」という両刃の部分をしっかりと自分のスタイルに組み込んでひとつひとつの案件に対峙しているプロフェッショナルの皆さまの声だなぁ~と思いますね。ある、一定の技術や経験値があれば、ずっとそのスタイルでニーズを獲得し続けることができない面白さ。いつでも自分のスタイルを0ベースにリセットして再構築できるポテンシャルを持っているのか持っていないのか。世の中や人のニーズは対流し相互に伝導し合っているのにいつまでも同じ場所で同じ思考を守るタイプではこのループは実現しない。

 政治家の皆さまの仕事のディテールは知らないが、たぶん、ぶっちゃけて言えば、政治という仕事は楽しくないだろうなぁ~。仮に莫大な利権の綱引きをしているとして、仮に地位や名声や威厳を取り合うカードゲームだったとして、そのゲーム、勝っても負けても自分自身を浪費しているだけのような。意義のある政策や活動もそのポジションだからこその部分でしょうけれど、それは、別にあなた達のような人間がいなくとも実は成立するのかもしれないですよ。何も「ありき」でそんなに手持ちのバーチャルカードを浪費しなくともそのゲームを始めている段階で多きな意味では両者とも負けているような。まぁ、これはあくまでも「お仕事」という切り口のお話ですから、自分自身がそう考えるなら全うしていただければいいのですが・・・。

 で、楽しいですか?ってことです。もっと、別の使命感を芽生えさせる土壌がこの国に存在しなかったと言えばそれまですが、仮にバーチャルでもいいからイマジネーションの世界でもいいから、金魚すくいの金魚と小川のメダカの違いみたいな。

3年目のいちご。

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 こちらも3年目のいちごの株。一年で枯れたのか・・・と思いきや、2年目もしっかり花をつけ実をつけた。この冬も葉は雪の下でペッタンコでしたが、暖かくなるとともに葉を付け花を付けた。1年目、2年目よりも多くの花を付けている。結実が楽しみな3年目のいちごです。

想い出のゲタ、伝説のゲタ。

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 まだ、このゲタのことについてこのブログで回帰するのは早いと思っています。それほどこのゲタは私の想い出の記憶の中で大きな意味がある。昨晩、これに足を通して外へ出てみた。その感触が脳を心を刺激した。自分自身にとって深い意味のある品物を身につけると身体は正直に反応する感覚。これが人間の人間たる一番の本丸なのだと思う。価値が氾濫し情報が氾濫し慣習が変化する世界で唯一普遍の物体の価値。その究極がこの大地であり地球ならばその欠片である石に心を奪われるのは人間の摂理だろう。大地から生まれた木や植物や生物が紡いだ元素で構成・構築された人間の創造物ひとつひとつに実は地球の意思があるはず。そして、それをカタチにした人の気持ちやそれを愛用した人の気持ちを吸収してモノは意味や価値の質量を増していく。しかし、いつかはそれらは炭素に変える、元素に変えるのだ。その過程で人間が生命の意味を追求して死の前にある生を謳歌しているからこそそれらが輝くのである。そんなたった一つの生、一生を一分一秒も無駄にしたくないと考えない人間に生の価値は認識できないだろう。しかし、認識すればするほどそれは重く心や魂に負荷を懸けてくる。それでもその負荷を受け入れる器としての心が在るのか無いのか。想い出は潮流のように上流から下流へ流れる。生をこの世に受けてその最後のシーンまで。

 人間が炭素に還っても物質は残る・・・みたいな。

で、これ。

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 そして、3回転ほどしてから、これ。今日もカイベンのようです。ちょっとモノがリアルでガチなので、ブログの品位が落ちるのでちょっとモザイクにしました。

一旦、私の前に座って・・・、

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 そして、一旦、私の前におすわりして~の、

まず、猫がいないか確認して、

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 まずは、そわそわしながら猫やカラスがいないか確認して・・・。

3年目のドングリ。

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 で、これが、3年目の春を迎える我が家のドングリ林。そろそろ、大きくなったら大きな鉢、もしくは、土に植えかえてあげようと思っておりますが、そこそこまでこの状態で育てようと思っております。こちらも山で拾ってきたドングリを植え芽が出た自家製なので、元気に育っているのを毎日見ているのはなんか楽しいですね。桃栗柿は数年でもドングリがいつになったら実を落とすのか不明ですが、まぁ、私が死ぬまでにどこかでこの皆さんが実を付けたらいいかな・・・と、付けてほしいな・・・と。

そして、キュウリ君。

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 そして、これがキュウリ君。このスペースに4ポット購入して均等に植えたのですが、1ポットは植えて早々に枯れていかれました。何故か?原因は不明。水も肥料もあげていたのに、他の3ポットは元気なのに・・・?こればかりはキュウリ君に原因を聞かなければ分からない。で、元気な3ポット。たぶん、腐葉土という袋を買ってきてそのままこのケースに入れただけが悪かったのかもしれない。ニンジンとかネギは冬の段階から、土が痩せないように石灰とか腐葉土を少しづつ足してココイチの状態にして種を捲いた。農業のエキパの人にしてみれば、理由は明快、解決策もあっただろうが、そこは、初級ビギナーのマネゴト師なわけですから、枯れてしまうこともある、途中で成長がストップしてしまうこともある、「あれ、これだけ?」ってぐらい実が少ない場合もある。さて、さて、この3苗からキュウリは何本できるのでしょうか?

そして、これがニンジン。

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 へぇ~、今更ながら、へぇ~、ニンジンを種から植えるとこんな芽が出るんだぁ~みたいな。でも、ちゃんと3列に植えたらワサァ~と出てきた出てきた。で、ここもネギ君と同じ、少しづつ手探りで間引きながら、適正なニンジン君になるように調整していく想定です。このニンジンの種類的にはあまり長く細くトンガラないタイプの短く太くなるパターンの奴です。が、が、そんなに種の袋に表示してあったような見本どおうりに到底なるとは思っていないので、どこまでこのイメージに近づけることができるか・・・。楽しみ楽しみ。

ネギネギネギ。

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 このネギは太いなんとかネギという種類ではなく、直径の細いネギ。芽が出てまいりましたので、ここから少しづつ間引きながら大きく育てて食卓へ~が目標です。毎年いろいろ挑戦しているのですが、今年は初めてネギを種から植えました。こんな小さいな鉢ですが、元気に育つのだろうか・・・、美味しいネギになってほしいものです。

疑問解決!185。

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 株式会社翔泳社さんから2011年3月10日出版されている書籍「WEB DESIGN FORIM~10人のプロが教える原則と経験則」、¥1,890(税込)なり。ほぼ毎日通う地元の書店サンミュージックさんのデザイン・WEB・パソコンのコーナーで昨日発見した書籍。新しい書籍が入ったらピンと来るほどチェックしているので、この書籍は即決で購入。これが書店の情報のディテール。書店に行くと気になる書籍、無視していい書籍に大きく分かれるが、書籍の買い方としては大きく3つに分けることができる。

 今回のように書店で発見して即決購入のパターン。これは、日頃気にしていることと書籍の内容やタイミングがマッチした場合、何があってもそれは購入している。過去にこれは即決レベルの書籍だったにも関わらず、ちょっと考えてしまって、次の日に書店に行った際、それがすでに書棚な無かった場合のプラスマイナスの振幅は意外と大きい。アマゾンで購入すればいいじゃんってことですが、それは書籍を手に入れるということだけに注視すればそれだけのお話なのですが、この即決購入パターンはそれ以外のSOMETHINGがある。

 つまり、書籍を発見して即決ってことはそれをずっと望んでいた気持ちがあるってことで、それに書籍の内容や価格がマッチするというこのタイミングが、その書籍の内容に対峙する場合のテンションやモチベーションに連動しているのである。また、日を改めようということは、どこかモチベーションが濁っているというこであり、そのことが好奇心の軸をぶれさせる。それが知識として頭にインプットする際の障害になる場合がある。気持ちひとつの問題ではあるが、即決購入パターンは自分自身が求めているニーズが今目の前にあるということ。それに対して決断をできない何かがモチベーションに対して、引いては自分自身に対してとても重要な何かである場合が多いのである。

 そして、次のレベルは「検討案件パターン」。ニーズもあった。内容もそこそこ。価格帯もそこそこ。しかし、購入は一時検討しようと考える書籍。これが、実は一番多い。多過ぎてその全てを覚えていない。できるだけメモをしてチェックしたリストを残しているが、あらゆるジャンルの書籍に近い数を検討しているし、雑誌広告から新聞広告から友人・知人からの紹介、いろいろなネットの仲間からのオススメ書籍などなど。検討案件は一旦メモや切り抜きでSAVEするが、そのメモを紛失したりして忘れている場合が多い。しかし、書店に行き、その書棚に来たときに、ふっと思い出す書籍があり、再度チェックとなる。この場合、そのリストから購入する書籍の確率は30~40%程度ですが、それでも、チェックしてメモしてチェックしてメモして日々書籍リストは貯まっているので、それでも相当の数となる。

 3つ目の購入パターンは非常に重要なパターンです。それは、まったくノーチェックでぶらりと書店に出向き出会える1冊である。まったくのノーリサーチでその書籍を買う予定などしていないし、そんな分野の書籍に自分自身が興味などなかったはずなのに、ふと手にした書籍から自分自身のイマジネーションや探究心や好奇心に火がつくパターン。これは意外と大きな火になる場合が多い。目的がありリサーチをして書籍をチラミして購入する書籍とこの青天の霹靂のような一期イチエイ的な1冊との出会いはある意味対極の選択モード。しかし、この買い方のは「アタリ」が多い。まぁ、この「アタリ」という基準も自分自身のさじ加減ひとつですから、一般的にはどうだか不明ですが・・・。

 そして、上記の3つのパターンと同じぐらいに重要なことが、「ハズレ」もたまには読む必要があるということである。明らかに嫌いな作家、スルーしたいテーマ、タイミング的にもジャンル的にもテンション的にも明らかに明らかにこの一冊は私の琴線に触れないだろう一冊でも1年に1冊程度は買って読むようにしている。しかし、大抵のことは我慢強く粘るし、楽天的な神経の私でも、この「ハズレ」の書籍を読むことが唯一のストレス。しかし、読む・・・みたいな訓練として専門書でもノンフィクションでもフィクションでも雑誌でも隅々まで読む。結果、のびしろが1%もないことだけが確認できるわけですが、それでも、ああ、やはり、このジャッジではのびしろが0%なんだと確認することも非常に重要な書籍選びのポイントなんです。これは一定期間必ず行っている裸身で滝壺に立ち冷たい水を受けるような気分。

 で、この書籍についてブログを書こうと思って書き出したが、なにやら、「私の書店での本の選び方」になってしまった。また、近々、このブログでこの書籍のオイシイ部分を抜粋させていただきます。まぁ、間違いなく¥1,890以上の価値があるでしょう。「好奇心」って私の場合、一番お金のカケシロなのです。

奥琵琶湖2011.05.02

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 少し黄砂が飛んでいてもやっていましたが、賤ヶ岳から見降ろす奥琵琶湖は美しかったですね。ちょっと趣をかえてモノクロモードで撮影しました。やっぱ、モノクロはモノクロで好きですね。

災害派遣。

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 恐らく、東北へ行かれるのだろう。ご苦労様です!

ワンピースについて。

 いよいよワンピースの新しいステージが本格的に始まった。海底への冒険の旅がああも自由自在にスピードを加速させるとは、そして、一旦、マリンフォードでの頂上決戦とエースと白ひげへの追悼を完結させながら~の、新世界への伏線を並べながら、海底へ向かう冒険へ切り替えるパワー。まさに、ルフィーの冒険はノンストップである。奇しくも深海への好奇心は今回の放射線の海洋への流出やゴアの仮説や諸小説でのフィクションの世界ではそうとう旬なテーマである。尾田先生がどの段階で深海をテーマにしようと構想しておられたかとなるとたぶんアーロンの頃からかもしれないし、トムさんの頃からか、もしくはインペルダウンの頃にこの設定が頭にあったのかもしれない。ってぐらい、このわくわくをひも解くキーワードの散りばめ方が秀逸なのである。知らず知らずにルフィーの冒険に気持ちを奪われていると、ふと振り返った時にとてつもないトラップが仕掛けられていたことに気づきしばし愕然とする。これが構想力だと言わんばかりに太い構想のルートに並べられた尾田さんの世界はもう誰に止めることができないようである。今回のあの大震災と津波の被害でさえ尾田さんのイマジネーションは飲み込もうとしているから凄い。政治・メディア・思想・専門家の今回の震災を受けて「ああするべきだった・・・」「責任の所在はああだのこうだの・・・」「今回の事故はそもそもモゴモゴ・・・」。そこばかりを豚のように掘り起こしてもトリフは出てこないんじゃないのかな。

 で、マリンフォードの頂上決戦を受けて、ルフィー達は成長した。敗北を知り自分たちの弱さを知り、世界がとてつもなく大きく広いことを知った。そして、2 years later...新しい物語が始まった。世界のパワーバランスは変わったように思えるが君臨するそれが別のチカラになり、海軍も新しい組織となり海賊や革命軍に対して備えている構図である。さてさて、深海には何が存在するのか?そこにも強大な力とそれに対抗する勢力が存在し、過去と現代と未来を混沌としながら、様々な尾田さんが生み出すキャラで楽しい活劇が展開されることだろう。

 ルフィーはレイリーを、ゾロはミホークを師匠とし強くなっている。漫画の世界観だから簡単に強くなれるが、それでも、ワンピースはそのディテールをしっかりと描いている。「何故強くならなければいけないのか?」「チカラを手に入れるということはどういう意味があるのか?」「どんなチカラを自分自身は求め誰を師匠とするかについて最終判断をするのか?」これらが安易な絶対悪に対してのそれならばワンピースほどのぶ厚い物語にはならない。ひとりひとりの心の葛藤やジレンマをしっかりと描くからこそ、これらの「強くなりたい」疑問が読者に共感を与える。だからワンピースが面白いのである。だから、GaやDoやEvやBrは完全スルーしてもいい漫画・物語となるのである(主観として)。

 さてさて、62巻を手にしている方、まだ手にしておられない方。今後、「深海」というキーワードはエネルギーの分野でも環境汚染の分野でもそれぞれの国の産業や流通の分野でもそして観光産業の分野でもおそらく取り上げられるメインテーマでしょう。すでに、グランブルーのあたりから海洋に対するロマンは切り込まれていたのかもしれないですが、世界が一つになるために、ボーダーレスに思考するために、海洋について興味を持つことは地球を知り国を知り自分を知るぐらいの共通言語として必要不可欠なテーマになるでしょう。宇宙への興味の前に自分達の今立っているこの大地と海洋について興味を持つべきなのだろう。

 最初に海洋に漏れた放射線はたぶんもう深海の海流に乗り、ロスあたりに到着しているだろう。深海で誰かが浄化していない限り。