人なりの不思議。

 結局、全ては人なりという不思議な方程式があるように思います。何事にも好奇心を持って仕事にライフワークに趣味にとパワフルな人の仕事はパワフルになる。キメが細やかでひとつひとつのストロークが強い上、根底にあるものがしっかりとしているから安心感があり信頼度が高い。一方、微弱な人。メンドクサイ人の仕事はそれに確実にシンクロする。何かの言動や行動でそれを感じる人には必ず何か原因がありそれが言葉やコミュニケーションにおけるディテールとして表出する。明確なのは金銭感覚。言いたいことだけ言って決済をできない人。たとえそれが1円でも1億円でも同じだろう。仕事とはこの信頼関係で成立しているから案件を起こしておきながら決済ができない人間はおそらく人生もそんな感じに生きてこられた結果だろうと推察するしか仕方ない。人間的にどれだけ知識が豊富で機動力があったとしてもここが緩い人は全てが緩い。最後の最後で信頼関係を築くことができな場合が多い。

 逆にプッシュの強い人、マイスタイルを確立している人は、言動も行動も思考も魅力的である。だから、人間に魅力があり様々なスキルとセンスを持っておられる。つまり、仕事についてもその分野で達人でありエキスパートな展開ができる人なのである。向学心に貪欲で世界を社会を空間を見極めることができる人。そういう人になりたいものである。

 世の中に対して否定的な考えを持っている人の軸は実は自分の中になく、常に自分以外のパワーバランスが気になる。だから、言動も社会や他人に対して否定的な言動が多く、決して、共感しようとしない孤立タイプ。天才的な素養があればそんな人でも何かシンクロできるような部分があるのだろうと思いたいが現世でそれを失っている人はたぶん来世で活躍されるのだろう。つまり、生を受けていながら、生を全うしていない人。何事も人なりの不思議がある。

 では、自分自身はどうか?他人は自分が映る鏡、リアクションで自分のそれがキャッチできないといろいろな展開が苦しく先細りの展開になる。最後はグランドゼロ。イーブンになることは時に有効な気分転換ではあるが、できればできれば、上のベクトルで何事も取り組みたいし、下降していると感じるならばどんなにカッコ悪くとも手足をバタバタ動かす感じでいいんじゃないだろうか。とにかくそんな感じで、何においても手足をバタバタしてきたが、まだ、この歳(47歳)になってもそれが足りないと感じています。登山道を歩きながらリフレッシュしながらでも、まだまだ、バタバタが足りないと後悔し焦り時間をどこまでも味方にしたいと願う。だから、リフレッシュには全然なっていないのですが、私の場合はそれで少しづつほころびを縫い合わせている感覚なのです。

 全ては人なりにでいいのだから、他人のことは否定も肯定もせずマイペースに生きたいものですが、社会との関わりの中で他人との関わりの中でしか自分自身のIDは機能しない。現代、ネット社会の構造はこのことがよりリアルに細分化されているように感じる。孤立するのは簡単、全てのデバイスの電源をOFFにすればいい。言葉を発さず目を閉じればいい。社会から孤立して霞を食って生きればいい。しかし、それでなかなか生命を維持することは難しいし、まして、家族がいるなら責任も伴うだろう。自分の世界の中で完結せずに動きながら考えていくことで場所を変え視界を変え動いている人が好き。そんな行動力と思考力のバランスのいい人に対しては自然と心を開けるものですよね。