世の中の達人。

 たぶん「達人」にはいろいろな条件がある。どこにでもある食材で誰にも創れない料理を創る達人。ユーモアとセンスでどんなタイプの人ともコミュニケーションを潤滑にできる達人。誰もが発想できないようなアイディアを次々と発信する達人。緩みのない綿密な仕組みと機能を施したシステムを構築できる達人。決して真似できない努力量とそれに費やす時間を苦にせず前人未到の偉業を達成するポテンシャルを持っている達人。モノゴトノの真理を見極め自分自身の基準値を明確に持ち決して志しがぶれない達人。空間を知り快適を知り時間の概念を知るアーキテクトの達人。深いメッセージを衒いも憂いも濁りもなく純粋に発信できる心理の達人などなど。世の中の「達人」達は今何を考えてそれぞれのジャンルで自己研磨し我が道をどんな歩き方でどんな心持ちで生きているのだろう。

 しかし、そういうエキスパートな人って「私はマルマルの達人です。」と自分で自分のことを達人だとは考えていない人だろう。仮に自分の温めている世界や研ぎ澄ましている世界が特殊で至高のフィールドでもそれが誰に対してどの程度の「達人」なのかなどその人の頭の中には微塵もないだろう。だから、その人は「達人」なのである。これも言わば「達人」の条件。

 そして、「達人」には必ずその方を強烈にリスペクトしている人の存在が不可欠である。社会とはそういう構造をしていることが最低最大の条件だから、広くなのか深くなのかは別として、必ず「達人」の一番近い存在の人は「達人の達人たるや」を心から認めている人であるはず。その弟子なのか伴侶なのかマブダチなのか相方なのか右腕なのかは様々だろうが、だから、「達人」は今日も元気でその道を闊歩している。

 また、「達人」が生み出す価値について言えば、知ってしまえばそれまでのようなことでも、情報として知る前からその達人が生み出した価値とは「達人ゆえの価値」なのだから、感違いしてはいけないことは、誰かがその価値を知った段階でその価値は共有しなければいけない前提で世の中に流れ出したモノだという認識である。エゴに操られそれを独り占めして優越に浸る人もいるだろうが、そんな構図は本当の達人は求めていないし、不幸にもそうなってしまったとしたらそれは、真価として「達人の価値」とは呼びにくい。

 で、そんなことを書きながら自分自身は何の達人か?そう考えてみる。しかし、自分の中から生まれる言葉の中にフレーズの中に、適切なココイチのテッパンの言葉もフレーズも実は浮かばないが正しい。つまり、これは「作用と反作用の関係」でしか成立しないこと。だから、近い人にそのテイで「あなたはマルマルのの達人ですなぁ~」とか「君のこの仕事は達人技ですね」とか「そんな捉え方をできるのはまさに達人!」みたいなことばを投げかけられて、初めてそれを認知して完結する。つまり、何かをしている、何かをしてきたことに対して、誰かから言っていただけた批評や驚嘆や激励が「もしかして、自分はマルマルの達人なのかな?」などと思わせる一番適正なルートなのである。まぁ、そういう意味では大した達人技もなく、偉業も達成せずに、のらりくらりと浮世を流してきただけだから、改めて思うことは、「自分自身もできたらマルマルの達人と呼ばれたいなぁ~」とか「どうせ達人と呼ばれるならこの分野がいいなぁ~」と考えてしまう。しかし、言ったもん勝ちではないだろうが、言ったもん勝ちの部分もある。

 テレビタレントはそれ(言ったもん勝ち)で少なくとも成立して生業としているはず。それがメディアのチカラ。でも、そのハリボテも崩壊しつつある。メディアが崩壊して人の価値観がネット社会の構造上、拡散したからである。だから、価値判断やニーズは人の数だけあると知るべきであり、スタイルやシステムやフレームを価値をまだ価値と捉えている人はこのまま失速するだろう。飛翔したいなら「達人(龍人)」にならねば、自分の足で歩きたいならその場にしゃがみこんでいないで「達人(立つ人)」にならねば・・・と最近特に考えてしまう。

 日本にそもそも元気がないのは偉人も名人も企業人も職人も多いのに「達人」が少ないからなのだろうか・・・!?