怒りを忘れた国民。

 震災時の中国報道をプラスのベクトルに捉えた人が多い。それが我が国民性の誇れる部分だと。しかし、それはある側面であるように思えてくるのは私が根本的な天の邪鬼であることでもなさそうである。「日本人は怒りを忘れている!」とある書籍の著者が語っている。怒りは人生に必要か必要ではないかというお話。

 平和とは怒りが生まれない社会であるという仮説を元に戦後の経済構造や教育の仕組みや政治の構築がリセットされたと大枠のフレームを分析する時、高度に経済成長を達成してはじけたバブルまでの経緯で何が真実か?というお話。もし、あるひとりの統治思想を持った「平和とはこうあるべきだ」的な思想があったとする。それを戦後の経済復興に適用し経済的な成長を促進したというはどこかの段階で根底を流れている仕組みだろうし、それをベースに我々の生活があり、発展途上の国の皆さまと単純に生活水準を比較した時にモノが豊富に与えられた仕組みで人生を全うしてきた。それが、今となって全てがメルトダウン。国が行う不正に対しても政治家と企業家の私利私欲を貪る情報を突き付けられても、まぁまぁ的にスルーする国民性を育成されてきたのかもしれないぞ!というリアル。たぶん、仏教とも深い関係があるだろうが、そもそも、密教である仏教を日本的にアレンジした仏教や宗教感に思想の根源や人としての・・・みたいな真理は精通していたのだろうかという疑問。全てが???となる。

 そこに本当の日本人のアイデンティティーがあるとしたら、農耕民族で海に守られ鎖国解禁後、流入する文化や技術や思想に対して日本人がとった行動や思考の分析と考察を今しなければいけないような気がします。誰がするのか?おそらく上の息がかかる人では不可能だろうし、末端の人ではそこまでの網羅と体系化ができない。格差社会と叫ばれたが、そもそも、日本が開国した時にその仕組みづくりは進められていたはず。だって、出先が「士農工商」のそこですからね。現状のあの国のそれを分析したらそうなることは必然である。でも、それでも、アイデンティティーは確立しなければいけない。今でもどこかで幕府の思想がこの国を支配しているような危惧もある。

 では、そのエネルギーとなるベクトルのタイプや元素・要素は何だろう?たぶんおそらく「怒り」だろうと思う。しかし、旗を振り振り徒党を組むような「怒り」でも、どこかを占拠して要求を主張するような大きな声の出し方でもない。米騒動的なチープなパパフォーマンスではダメ。怒りとはもっと根底的な脳幹からの信号であるはず。それに対して「教育」というリミッターをいっぱい装備された人の心や思想の構造を分解・リセットさせて、平均値に戻し、世界の様々な基準値を網羅して、改めて自分の立つ位置を選択させるような仕組みだろう。それはもしかすると、FACEBOOKかもしれないし、ツイッターかもしれない。開発者がやりたかったことは、実はそこなのかもしれないと思う。それで牙城を揺るがされる人もいるだろうし、それで掘りを埋める人もいるだろう。その行動と思考が巨大な関に穴を空ける蟻になるかもしれないし、バタフライ・エフェクトの羽ばたきになるかもしれない。

 繋がるべきはそこの一点。冷静で沈着で揺るがない「怒り」を内蔵している人達が立ちあがる時、本当に日本の夜明けが来るのかもしれないぞ。という意味で、さぁ、平成の坂本龍馬は誰だ?みたいなことが国家や東電関係者以外のエリアでゆっくりと発動・起動しているとかしていないとか。

 見慣れたあの首が被災地に並ぶ時のために、心に非のある皆様、ある意味、首を洗っておいた方がよくないかな・・・。日本の歴史を熟知している高学歴の皆さまだから知っているでしょう?民は恐ろしいと・・・。

 というようなテーマの小説を書いたらニーズはあるだろうか???