大刀(本差)と小刀(脇差)。

 言わずと知れた、マンガ「ワンピース」のゾロ氏は三刀流である。大刀を両手で操り、もう1本を口でくわえている。このスタイルを尾田さんが着想された瞬間、たぶん、アドレナリンはMAXだっただろう。悪魔の実を食べて「ゴム人間」になったルフィーとこのコンビは言わばあらゆる力のパワーバランスの究極のバランス。多くの敵に対峙する時、二人は葛藤し研磨し協調し合いながら成長し自分の道を歩む。そして、それに呼応する友情の存在。最近、テレビで「ワンピース」のパワーバランスを考察するタッチが鼻につく。そして、「ワンピース的~」という書籍も鼻に付く。絶対に買わないしこの悪臭にどのように対峙して自分自身に対しての消臭を行うかが非常に楽しい。反面~なんとかではないが。

 さて、日本の武士は常に大刀(本差)と小刀(脇差)を持っていた。大刀は戦闘用、小刀は切腹用。こんな理路整然とした心理とスタイルがあるだろうか。これをファジーにした明治維新のそれらは新しいシステムを武士のシステムに置き換えるためにそのシンボルであり完成された刀というツールを奪うことで実現させたという仮説。

 鎧の時代、鉄砲の時代に、大刀で何ができるとその立ち位置の人はたぶん然るべき場所でそう諭したのだろう。しかし、時代は巡る。原子のエネルギーは自然の力でもろくも粉砕された。エネルギーという怪物を人間は手なずけることが出来なかったことが証明された。多くの犠牲を伴ったがひとつの結論が出された。この結論を突き付けららた刀を奪った末裔が今間違いなく躊躇している。3.11からのあの躊躇の様はもう悲劇と喜劇の繰り返し。早く、彼らを楽にしてあげるためにも、時代は次に進まなければならないと、もしかすると「ワンピース」は語り始めているのかもしれないぞ。

 いつも心に大刀(本差)と小刀(脇差)を持っていたいものですよね。

 映画「レオン」の中で言っている。最も技術のある達人は一番近くで機能するツールをチョイスする。技術や経験が未熟な人こそ遠隔用のツールを使うと。音が出ないツールでそっと忍びより仕事をすることがベスト。ランボーもそうだったしベトナムの狙撃兵はライフル一発でヘリを落としたそうです。アフガンでは優秀なスナイパー達はブレッドを磨き密林に潜みそっとトリガーに指をのせていたらしい。トリガーを引く時、ナイフをそっと動脈に対してタテに入れる時、絶対に迷わないことが大切だと、原作には書いてあった。技術やツールを使える人がフラットな精神力で時代の膿を時代の幻想を新しく切り出すことは、一見、破壊かもしれないが、実は創造の側面もあるのかもしれない。

 映画「ウォンテッド」のラストシーンが蘇る。エキスパートとは、放たれた弾丸の責任もしっかりと自分の肉体と精神で受け止めますよ・・・ということ。さて、ツールを持たないシステムというモンスターを操ってきた、しかし、制御できなかった。テーブルに雁首を揃えて頭を垂れるだけで、責任はクリアできないほど大きいことをどこまでその魂と身体で示してくださるのだろう。

 赤犬、青雉、黄猿を従える、桃太郎は誰だ???