そもそもブログって何だっけ!?

 やっていることは、キーボードで文字を入力してサーバにアップした文字がブログのプログラムの中で処理されて規定のフォーマットデザインでブラウザで表示されるという仕組み。この単純な仕組みが何故こうもいろいろなのびしろやリアルを生みだすのか?それは言わば、「機能」としてのハード部分と、「技能」としてのソフト部分に分けられるような気がします。諸説ありますが、結局何事も人間が何かを思い立ち行動を起こす時、「機能」と「技能」で包括出来ると思います。

 では、ブログを打つ時のキーボードの機能と打つ技能についてはどんなリアリティーがあるのだろうか?普通のキーボードからタッチパネルキーボード、携帯のボタンなどなど。文字を入力するには音声入力なども入れるとほんとに多様な機能の機器が存在します。で、技能の部分で言えば、人差し指一本でポチポチ入力からブラインドのカシャカシャ入力まで人それぞれ。しかし、キーボードに対峙するとき、さてさて、「ブログを書く」ということが目的の場合、別段、そんなにハードルは高くない。何もネイチャーに掲載する記事を書いているわけでも、雑誌の編集者に追われているわけでもないのだから、気楽に書けばいい。

 で、ブログって何だろう?WEB-LOGなのは分かっているとして、ただのWEB上の記録と言えば記録だが、この記録にも「ビジネス仕様」と「プライベイト仕様」があるし、ビジネスモードでも、それぞれの仕事のジャンルによってその文脈は異なる。しかし、おバカタレントのおバカブログを読んでも、ブログを表示させているだけでゴールの人はいいが、有益な時間を過ごしたい、自分のチョイスでブログの運営者をセレクトしたい、魅力的なブログならチェックの頻度を上げて、できればインタラクティブに情報交換をしてみたいと考える。コミュニケーションが潤滑になったらお互いに気心も知れ、ご対面。まぁ、これがいわゆるブログのテイだろう。で、ならば、これをビジネスに利用・活用するとなると、さて、どういうテイで取り組まなければいけないか・・・が現代非常に混沌としているのでしょう。だから、そこ、利用・活用するのは誰で誰に向けてなどの5W1Hが当然明確にする必要もあり、明確になっても、気持ちが緩むと文脈も緩む。心が乱れると戦略も乱れる。しかし、そもそも、たかが、WEBの記録だと捉えれば、適度にゆるんで楽しい感じがいいと思う。「書かなきゃ書かなきゃ」ではそんな感じのブログになる。これが、ただのキーボードからサーバに入力しているだけのテキストなのに不思議。

 書き手のポテンシャルだから・・・とは簡単に分析できない何かがBLOGにはある。その答はたぶんブログを書く人の数だけあるだろうから、それが、一番大きな楽しい理由なのだろう。つまり、ブログは「楽しいモノ」なのである。

comments

ブログは登山の記録をするために始めたのですが、今は目に飛び込んできたものを題材にその時感じた気持ちを書くのが楽しいですね。
次の日には違う気持ちになっているかもしれないし、1年後には真逆の気持ちになってるかも・・・。
最初は気にしてましたが、文脈はどうでもいい自分の言葉で、時には以前に読んだ本の言葉を拝借したり自由に書けばいい、読んだ本の言葉を使うのも自分が読んで憶えているのなら、それも自分のキャパですすしね。
最近楽しいのは、ブログの記事の内容を箇条書きのメモにしたものを元に書くことがあるのですが、書いてるうちに文がつながり、思わぬ長文になったりする。
適当にタイトルだけ打ち込んで、「さあ」で書き始めてスラスラと書き上げる時もある。
毎日のルーティーンになってるので、書きだすと書く頭と書く手になるのですね、キーを打つのはまだまだ早くなりそうです、ブラインドタッチとはいきませんが、これもブログを書くことを楽しむには重要なことですね。
このコメントを書いてると半分ぐらいの時に、消してしまったのですが、半年前にはそれで心が折れて投稿しませんが、今はこのぐらいは簡単にかけるので最初から打つかで再スタート出来ます。 これもなかなか素晴らしいことです。

  • kuni
  • 2011年05月20日 20:50

いい感じですね。

たぶん、ブログについて否定的な人は自分で自分に意味ありげなリミッターを枷をはめているのんでしょうね。それが「自分スタイル」です~みたいな。でも、それはあまりいいベクトルではないし、創造性を高めることや好奇心を覚醒することにいい影響を及ぼしていないような気がします。私もいろいろ否定的な側面はありますが、それでも、それらの取捨選択については慎重に選択するようになりました。「これはダメ!」「これならCome On!」って好き嫌いが多かったですが、即決は辞めて「???」の時間を余計に設定してモノゴトを判断しようと思っております。っても、その時間は通常の人間のそれよりも比較すると、格段に短いでしょうけれど・・・。

「堪忍袋の尾が切れる。」とはよく言いますが、私の場合、若いころに「スギノさんは堪忍袋の尾がないですね。」とお酒の席に後輩に言われたことがありました。瞬間に沸点に達するので、仕事場の仲間や上司や関連会社の人達は対処不可能だったようです。若い頃、実はそれでも自分の頭の中では充分に検討していた記憶がありますから、それほど、目の前の出来事に対して決断する用意をしながら対峙していたような記憶があります。だから、「お前らが考え過ぎなんですよ!もう、結論は出ているでしょう!」が口癖でした。が、それもいくつか無理な答もあったでしょう。しかし、自分で出した答だから、あとの処理は最大限自分で責任を持ち対処するというスタイルで自分自身が高められたという効果もあるでしょう。

ブログはその連続ですね。

  • khuz
  • 2011年05月22日 09:25

判断の早い遅いは個人差もあるし、メリット、デメリットあると思いますが、基本的には早い方がいいでしょう、判断の早い人はすでに想定しているか、経験が蓄積されているのだと思います。
吟味する時間をとるための遅さは必要ですが考えすらしないで時間をかけるのはダメですね。
早い場合は確かに判断を誤る時があります、間違った時はすぐに間違いを認め、必要ならすぐに謝ることをルールにしてます。
今は物を造ることより判断することが仕事の大半なのでこの部分は非常に大切です。
中には判断しない人がいるのには困ります、その人たちは分かっているのでしょうね、判断すると自分の責任になることを、自分の仕事の範疇で判断が必要な時も他人事のような感覚でいる。
で・・・。「どうしましょう?」と言う。 考えろというと「わかりません」という・・・。
最近は部下に、自分事と他人事の違いを説くのですが、これもピンときてない。
仕事場に、クマが入ってきてこちらに近づいて来たときに、「どうしましよう?」「逃げていいですか?」と自分に判断を仰ぐのか、スギノさんクマですよ逃げて下さいと言うより先に逃げる判断を下すだろう、檻に入ったクマが運ばれてきても逃げないだろう。
それが自分事と他人事の差だと説明するのですが「・・・。」という感じですね。
この仕事もクマが襲ってくるかもしれない時と同じテンションで対応する必要があるのだと言っても、自分事になってない人間に何を言っても響かないですね。
しかし、若いころの仕事中の兄ちゃんは相当恐ろしかったでしょうね。

  • kuni
  • 2011年05月22日 10:48

非常にいろいろなことがきっちりと整理されている
文脈ですね。これは頭で考えて蓄積された経験値ではなく、
行動と判断を適正に繰り返してきた人の文脈であり
論証ですね。最後の最後でよく人は「責任」という
言葉を多様しますが、逆にその人の「責任」という言葉の
ディテールを知ることでその人のポテンシャルが判断できます。
だから、作用と反作用の関係で、それに見合った責任を
自分自身が判断できる人になろうとするのが自分自身の正解。

この鍛錬というか研磨を繰り返してこなかった人の
言葉は必然的に質量が軽い。時には軽い論理も必要ですし、
いつもいつもディープに捉えていたら心が沈みます。
ガス抜きも必要ですし、活性化するために新しい空気も
必要です。そんな中で試行錯誤できる能力みたいな。

20代の頃は、ミズノの専務にもゴルフのつるやの社長にも
厚生省の役人にも大手代理店の役員にも
芸能人にもおかまいなしに噛みついていました。
が、理論武装と感覚的なギアはしっかりと装着していました。
無意味にキレることは絶対にしませんが、
「キレる人」と「キレる人」は紙一重です。
大切なのは軸足なんですね。

ボルダリングに初トライしてそれがガツンと理解・体感できました。なんでそれほど握力が無くなるのか、なんで、あのマスターが簡単に登ることができるのか。全ては身体と技のコントロールなんですね。大きな重力に対して自重をどの芯で受けるかで登れる壁の高さや難易度が上がるのですね。

う~ん、ボルダリング・クライミングの奥は深い。
まだまだ、先が見えません。手探り状態です。

  • khuz
  • 2011年05月22日 12:26

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