えっ、ボクがやるんですか?

 「部下に教えたい社会人のものの言い方100」がサブタイトルの「えっ、ボクがやるんですか?」という書籍がある。なかなかいい視点であるし、これを買うターゲットはかなりこの部分で心労が絶えない人達なんだろう。素っ頓狂なNGワード連発の新人類がこうも社会の構造を意味なく多様にしているのかとという嘆きが聞こえきそうな書籍である。仕事を上手く流す、効率を上げ商品の品質を高めるためにも、jこのタイプの新人類をなんとか処理して更生させ社会人として立派なパーツにしなければ管理職の人自身のポジションも危ないぞ!的な警告の書なんでしょうね。

 例えばNGワードとはこんな感じ。「課長だって間違ったじゃないですか!」「この会社を選んだのは休日数が多いからです。」「それ、命令ですか?」「手が空いたときでいいって言ったじゃないですか!」「ボク、そういうことできないんです。」「そんなこと、先に言ってくださいよ」「だって、言われたとおりにややったんですよ」「時間かかりますよ」「次の指示を待っていました」「なんでその謝罪をボクがするんですか?」などなど。少なくともこの事例の中には女性がいないことがおぼろげに理解できる。つまり、めんどくさい奴というのは比較的男性の場合が多いということなのだろう。そして、比較的、いろいろな面で紙一重の野郎が多い。確かに自分自身の経験で会社に属していた頃、いろいろな連中と仕事をしなければいけないからいろいろな連中と連動するために苦労をしたような記憶もなくはないが、完全直結の自分のペースを崩さない私は、あまり、このタイプのコミュニケーションで苦労した記憶がない。やっぱ、職場のコミュニケーションって作用と反作用だから、こうなっちゃう原因は上司にもあるはず。何もメンドクサイ野郎だって白い状態からはさすがにこのようなタレナガシはしないだろう。なんとかしたいなら、実は、部下の言い方を注意する前に自分の物腰を再チェックする必要もあるんじゃないかなと思います。

 って、もし、仮に私がまだ会社組織のある部署の責任者だとして、そこの部下が私の指示に対してこのようなリアクションをした場合、どのようなことになるのだろう。そのコメント事例はあまりも恐ろしくてここに書き綴ることなどできないが、私は組織にいたころは若さもあったのだろうが、オブラートを持ち合わせていないタイプの人間だったし、それが、どこかクリエイターだと勘違いしていた。だから、切るか切られるかみたいな職場が理想だと思っていたので、よくバッサリ切られたし、まぁ、その日の気分で無意味にに無作為に刀を振り回していた。そんなことをしても生産的な時間は築けないことをようやく20代の後半頃に気づき言葉はできるだけ温存するようにしているし、考えをすぐ口にせず反芻することをその経験から学んだような気がします。まだまだ、未熟そのものですが・・・。

 で、例えばこんな感じ。「えっ、ボクがやるんですか?」「はい、やるんです!」「それは聞いていなかったですが・・・」「言いました。」「でも、もっと詳細を言っていただかないと・・・」「どこまで言えば良かったですか?」「どこから始めるかとか、予め注意する点とか、何故、私がそれをやらなければいけないのかについての理由などですね。」「では、そもそも、お前は何故そこでその質問をしているのですか?」「ええっ!」「何のために、私はお前のその質問に答えていると思いますか?」「それは、仕事だから」「それが答です。仕事だからお前がやるんです。いやいや、理解する必要などないですよ。言葉どおりです。でも、できないなら言ってくださいね。別の方にお願いしますから」「できるかできないかではできますが・・・」「では、何故この仕事をお前が・・・の部分で理解できませんか?」「はい」「では、逆に質問です。何故この疑問に対して私がお前に説明をしなければいけないと思いますか?」「それは会社の組織として・・・」「それが社会だということは理解しているようですね。」「一応、大学を出ていますから」「大学を出ても出なくても社会は理解できるでしょうけれど、お前の理解力のベースが大学で養われたとして、そのベースありきで、ボクがやるんですか?と聞いたのですか?」「・・・」「やってください。お願いします。」となる。このテイが実際あったことなのか否かは言及できませんが・・・。

comments

2例ありますね。僕そういうこと出来ないんです系「僕力がないんで持てないんやわ」一回りも下の奴にため口でしたね。 
そうか持てんか、「今は持てんでもええから持てるようになれ!これが持てんのならここでは使いもんにならんぞ」と即返で答したら目が点になってましたね。
時間がかかります系
「時間がかかります、うまくいくかどうかわかりません」どのくらい時間がかかるのか聞くと「分かりません」分からんのに時間がかかるのはわかるのか!
うまくいくかどうか・・・。は、やってみろと。 うまくいくかどうかはみんな分からん、そもそもうまくいった度合のモノサシを持ってるのか?
結局仕事に自信が無いので、最初からハードルを下げうまくいかなかった時の保険をかけるタイプ
そもそも、そんな人間に期待してる訳がないのに。
最終どうにもならない時は「やってくださいお願いします。」となるのは理解しますがあまり多用すると勘違いする人間がいる、お願いしないとやらない、「やってやってる。」と言う発言が出る。
最近は、「仕事はやるか、やらないか。」黙って淡々とやる奴が金、文句は言うがやる奴は銀、やらない奴と文句だけ言う奴は去れ。
他人の指摘はしなくていい、自分が出来てるかどうかを確認しろ、自分が出来てないのに人を指摘する必要はないし、自分がしっかり出来てるのなら他人を指摘する必要はない、そのままそれをキープすればよい。
と言ってます。
これを管理者の僕がどれだけの精度でやれてるかが全てで、言葉は二の次!ベースが出来てない人の言葉は誰にも響かない。 これは小学生でも分かることなので大人相手だとシビアになるのは当たり前で、部下の係長には部下に見られてる意識を持て、どんなにやっているようでも他人の評価の方が厳しい、限界ぐらいまでやって少し認められるぐらいだと考えろ。 と言ってますが、このあいだのコメントではないですが自分事になってない人には響かないですね。
やらない奴にやらす魔法の言葉は一つありますね、合法的に「やらなきゃクビ!」これでほとんどの人間はやります、ストレートにイメージ出来ることを突き付けてやることです。 僕も前の社長に言われたことがありますがスッキリしましたね。

  • kuni
  • 2011年05月29日 22:05

たぶん、リアリティーなんだと思います。仕事をしているリアリティー、社会に属しているというリアリティー、給与をもらっているというリアリティー、生きているというリアリティーの欠如からくる軸のブレがこのタイプをふわふわさせているのでしょうね。現代はそのふわふわ系がすべて「癒し」という言葉で片付けられている。人間の細胞が自らの傷を癒す時、細胞レベル・元素レベルではとてつもないことが起こっています。治癒するために破壊される細胞もあるのにその細胞は傷を治癒するために自らを犠牲にして本体である人体を救うとプログラムされている。癒すとはそれほど激しいアクションなのに、どこか「ボケェ~!」とするような語感が定着していますね。マクロにミクロにモノゴトを洞察できていれば、「その金槌で左手の小指を潰しなさい。」と言っているわけではないので「僕はできません。」とはならない。「はなから、あなたにできないことなどお願いしませんよ。」と言ってあげると、リアリティーが増すかもしれないですね。私はできるできないを絶対一回飲み込みます。「できない」を「できる」に消化して血や肉に変えるのが人間の生き物としての一番の醍醐味だと思っていますね。

  • khuz
  • 2011年05月30日 08:06

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