正解のないQUESTION。

 デザインやアートの業界が特にそうなのかもしれないですが、ほんとに日々いろいろなQUESTION(問題)にぶち当たりますね。例えば、この看板の社名の色は何色がいいでしょう?というQUESTIONに対しての正解は正確には存在しない。場渡り的にその場しのぎのテイで答を出すことはできるし、セオリーや固定観念と主観と好みで何色かを色相の中から気分でチョイスすることはできるが、さて、それが今現在の正解かどうかはまったく未定である。逆に正解がないからそれらを気分や主観やセオリーや時勢の方程式で決定できるチカラみたいなことを信じているというか。これもどこか自分自身に対する言い訳のようなニュアンスもありますが、結局、気分次第ということで、いかにこの気分の密度と整合性を瞬間瞬間で整えられるかが勝負みたいなことなのかもしれません。

 正解は瞬時に変化するのが人のニーズの実態ですから、真理や根幹の部分は揺るがないとして、人間は心で生きているからいつも同じ正解だとは限らない。論理的な思考の人と感情的な思考の人が相いれないのはそれぞれのタイプの問題だからではなく、ただ単にシンクロするタイミングを逸しているだけ。つまり「たまたま」だと思います。で、逆に共鳴・共感できるということはこれも「たまたま」。無碍に人の意見にNOと言える人は逆の逆で素晴らしい判断をお持ちな人であり、ポテンシャルの高い人だと思います。仕事柄、協調しようとか折衷モードにいたいとか中立で受け止めてポテンシャルで判断したいなど捉えましょうと構えているばかりに、自分で自分のトラップにひっかかる。自分で自分にfakeをひっかけるとなる。それで傷が絶えない感じです。これは自分でひっかいた傷、これは自分で掘った墓穴と、これらが増えてくると、また、それはそれで、同じ傷や同じ墓穴に落ちる感覚を楽しみにしたり・・・。完全にアドレナリンジャンキーの末期ではあるが、それもまたいとおかしみたいな。

 どうせ正解がないなら開き直って、一周回ってみようかなとか・・・。まぁ、そんなジャンプ力もないのにハードルを上げないように・・・が日々の心情かもしれないです。でも、バーの高さが上がれば上がるほどアドレナリンは出るわけで、失敗覚悟でスタート!あぁ~ダメかぁ~ってのも続けてればクセになるとかならないとか。