AKB48とSuperflyさんの違い。

 いったい何がこうも違うのか?同じプロのアーティストなのに・・・、何故、こうもう異質なのか。高校生の頃から、おニャン子~モーニング~AKBのラインは全く心の針が動かない。嫌悪するということでもないしその仕組みというかシステムは立派だと思うし、もし、今もどこかの広告代理店の仕事をしている立場で、AKBのツールを仕事でやる羽目になれば、一生懸命取り組んでいるだろう。しかし、それは仕事としてであり、少なくとも音楽を愛するひとりのおっさんとしては全く楽曲作品として価値を感じることができなままジレンマと共にその仕事をしていたことだろう。現在、どこかで、そのプロモーション活動をしてる人がいて、同じことを考えている人がいるかもしれないだろうが、そこは、プロとして襟を正しているのだろう。逆にAKB命みたいなテンションも実際理解できなくはないので、そういう思考タイプの人ならそれはそれで至高なはず。プロダクションに雇われてるデレクターなんだからそこはプロとしていい仕事を繋げることに終始するのが正解。

 でも、同じとは言わないが、歌を歌う楽曲を提供するプロフェッショナルとして、こうも、存在感とか心地よさとか押される感じとかがAKBとSuperflyさんで異なるのか?あちらは数十人、Superflyさんはひとりじゃん!烏合の衆とは語弊があるが、あれだけ集まっても多分私の個人的な見解の中では、Superflyさんの爪の垢と比較しても格が低い。まぁ、爪の垢とは古風な引用ですが、Superflyさんを構成する元素のデオキシリボ核酸のひと繋ぎでもAKBでは勝てないだろう。つまり、それを構成している最少単位が違うのだろう。しかし、音楽ビジネスの世界は潮流がある。隆盛があり衰勢があるように、この捉え方にもその振幅があるだろうが、今、さて、3edアルバムが6月15日に出るぞという段階において、私の中でのパワーバランスはそれぐらい違っているように感じています。

 同じ、女性なのに、どこでどうなればと、どういう条件が揃って揃わないとこういう差が生じるのかとそれがとても不思議です。同じポテンシャルと同じ志を持っている。同じように研鑽を繰り返し同じように道を進む力を持っているのに、何かひとつのタイミングで人生は大きく分岐する。それをしばし立ち止まり必然だったのか偶然だったのかとその経路を体系化するがその段階で時間軸は先に進むみたいなこと。何事も動いているということが基本でありモノゴトを思考する時のベースにあることを心は感じているが頭は納得していないみたいな。教育もビジネスも文化も歴史も経済も慣習も同じ。微妙な誤差と微細な摩擦を有効にエネルギーに変換しながら、思考の分岐点で決して向こう側に行かぬこと。やむを得ず止まってしまったなら、どこで道を間違えたか確認して、勇気を奮い立たせその場所まで戻れるかのループ。ここまで来たからもう戻れない・・・は単なる頭の考える都合なのです。何歳になってもこの人生のさじ加減はできるような懐でいたいものです。硬化した思考は決してチェーンリアクションは生まないし、そんなこと人間の設計図(DNA)には一文も書いていないはず。