言葉は道具!?

 話は意外な入口から入りますが、昨日、コミックス「ナルト」の最新刊を発見。そして、購入。想定以上に早い展開にちょっとびっくりしました。内容をここで記述することはできないのですが、知っている人は「なるほどあのことね・・・」とか「ほぉ~、そういう見方しますか・・・」的なことでたぶん「うんうん」だろう。実は、カミさん的にはナルトはジライヤが死んだところあたり、もしくは、サスケが我が道を歩き始めたあたりでNGになってしまったらしい。確かに、大きな物語の分岐点だったとは思うが、そこでこの物語がめんどくさくなるって、ちょっと、物語の枝葉が分かれ過ぎたのかもしれない。しかし、それは、岸本先生が向かう「結」の部分へのアプローチ。キャラクターが想定意外の展開をして、話が複雑になったからと言って失速していては、作者の創造力に負けたということ。やはり、世の中、複雑で難度が上がるとストレスになるほど、フラット化しているのだろうか、などと考えてしまう。

 一方、私のテンションは逆に上がっている。確実にこの最新号でも上がった。というか、この「ナルト」の忍びの世界のひとつのルールを感じることができたことはこの最新刊が初めてだった。なるほどなるほど、これが岸本先生が言いたかったことなのかとガッツリ昨晩は3回読みこんでしまった始末。

 そのひとつは人間が口にする声にする言葉についての洞察。「沈黙は金、雄弁は銀」というフレーズが岸本アレンジをして巧みに描かれている。結論はまだ確定していないが問題提起としてはなんと秀逸な引用だろう。そして、「侍の刀」に対する洞察。そうかそうか、そういう捉え方か。と、この部分が一番テンションが上がってしまった。しかし、待てよ、これって「少年ジャンプ」っすよね。小学生あたりから読んでますよね?ナルトは今も連載されてますよね?ってことは、この内容で小学生達は「あり」なんだと改めておっさん目線でひとり盛り上がっていることにドキリ。この下りは小・中学生は無理だろうなぁ~。いやいや、最近はこれでいいのだろうか???と。

 で、言葉も刀も道具。道具は目的のためにある。そして、使う人と連動してそのポテンシャルを発揮する。言わば道具は使う人でのびしろが決まってくる。だから、人は自分を死ぬまで研磨するのだ。妥協した人は道具を手放し、同時に言葉も失うと・・・。なるほどね、ひとつの大きな真理かもしれないぞ。