心が熱くなる時。

 人間、心が熱くなる時ってあります。それは、感動だとか怒りだとか。その時ってなんとなく自分的にはパワフルに心のエネルギーが満タンになっている感じがあります。素晴らしい映画や絵画を観た瞬間にいっきに沸点に達する感覚や、納得いかない行動や言動に触れた時、言いようのないエネルギーが心に充満して、深呼吸をしたり、ちょっと、目をつぶり沈静する感じ。でも、それって力があるなしでいうと確実に自分の不思議な力のみなぎる感じが実感されて、ちっぽけな事でぶつぶつイライラしているのに、なんとなく、熱い感じは気分的に悪くない。ぼわっと燃える瞬間があまりにも日常的に多過ぎるとそれはそれで扱いにくい人になってしますが、適当に、自分なりの基準や軸でぶつかるのは精神的にはいいことじゃないかと思います。人を傷つけたりモノを壊すことはNGですが、自分で着火して自分で消火できるなら、ちょっとぐらいイラっとしても心の健康にはいいのではないだろうか。

 と、自分の挙動を擁護しているようなことを言い訳的に書いている感じがするのですが、それでも、心が熱くなることがないと、やはり、心も低体温が続く。すると、リアル体温と同じで免疫力が低下して身体機能も低下するだろうし、新陳代謝も体温が高い方が活性化する。たぶん、同じ個体だから心もおなじはずと、全く医学的根拠も科学的根拠もない持論ワールド全開である。

 で、ネット社会は便利で情報が豊富、多種多様なニーズをそれぞれのデバイスで獲得したい時に獲得できるということでは熱いのですが、その中に存在するコンテンツについては、温度が低め。ブログが炎上するって一時流行ったがそのエネルギーって実はネットの中だからこそ大切な仕組みなのかもしれないと思います。誹謗中傷は建設的ではないが、生産的な論拠に置いて心が熱くなる、ポジティブな炎上は逆にその書き手や発信者のポテンシャルの高さの尺度を示しているような気がします。どうも、ネットやオンラインのパワーユーザーは冷静過ぎてフラット過ぎて一歩踏み込まない感じがしてて、もっと、ガツガツしてるぐらいがちょうどいいように思います。人に避難されたり、攻撃を避けるために、フラットな意見をどれだけ並べても、日常会話レベルをわざわざ携帯端末からつぶやいても、それって、熱くないような気がする。まぁ、熱いか熱くないかは別としても、踏み込んでこないから踏み込めない感じの日本人のコミュニケーションは探り合いの文化。一刀両断の間を見切るようなネット内のコンテンツがないものだろうか・・・、たぶん、構造上システム上無理だろなぁ。こればかりはリアル社会のリアリティーに勝る「熱さ」は存在しないだろうし、どこまで技術が進化しても、3D映像で心は熱くならないぞ。