3つの知。

 知は3つに分類できるというお話。それは、「学問」「知識」「情報」の3要素。情報とは日々なんらかの形式と目的で流れてくるものであり、新聞やテレビなどのマスメディアが提供しているモノから現代ではネットの中から提供されてくる。マスメディアからソーシャルメディアに変異する段階で情報は比較的スムースに移行していった形跡がある。これに対しての部分で知識とは何か?知識とは人類が長い歴史の中で蓄積してきたもので、情報のように断片的ではないい、言わば体系的なモノ。その中で普遍的な価値観となったものが学問となります。

 例えば、出版文化とはこの3つの知の中で知識と学問をカバーしています。そして、それらを共有することで国民全体の水準が向上して民主主義に対して深く関連性を与え文化として成立するという構図を呈しています。よって、ネット文化が発達・進化・浸透し「情報」のみの流通が盛んになったとしても、知識と学問という視点ではどうも欠落している状況が現代のネット社会の構造だと言えなくないのです。これは、まさにの部分です。マスメディアの失速と出版文化の衰退がもたらすその国の文化や教育レベルの沈滞はこの3つの知の構造がいかに活性化さているかで推し量ることができるという仮説です。

 すると、インフラの整備からビジネスモデルの創出などイノベーションに関連する人材がそのスキルやセンスを含めた知識と学問のスタイルを発信することが沈滞し、情報だけが飽和した状態で商品やサービスや人的な資産が新しいベクトルに向かう土壌を失うというこになってしまうという警鐘をどこかで具体的にネットの技術に取り込まなければこの失速モードはシフトチェンジできないような・・・そんな気がします。3つの知を改めて考える時、そのベクトルはおそくらプラットフォームでもインフラでもデバイスでもないなずです。これらはただのツール。やはり、有料で優良なコンテンツを創出する人と人がネットワーク上に点在する仕組みを、もしくは、それらの素養が活性化されマンパワーがグイグイ覚醒する仕組みづくりにもっと軸足を持っていかなければ、文化や経済や教育の水準は必然的に失速してしまうのではないでしょうか。ガチでベタでリアルな思考と構造と行動がネット内でリアル社会で活性化されないと、そこでこそ本当のつばぜり合いをしなければいけないですよね・・・という感じ。

 さてさて、クラウドの中にシャングリラはあるのか?阿弥陀浄土さえ包括しかねないネット文化の隆盛を、今、改めて分解して再構築できるポテンシャルはどこで息を潜めているのだろうか・・・。