ふしぎなキリスト教。

 まぁ、神についてどう考えるかって人間の永遠のテーマでありテーゼでしょうが、このような書籍が生まれる、そして、それが世の中に流通するってことを考えると、「キリスト教」ありきとなる。これについて否定も肯定もしないし、人間最後の最後で信じる者が救われるという概念はとても人間らしいからそれはそれでいいんじゃないと思います。ただ、既成事実としてこのような書籍が生まれる経緯を人類学上といういう類のアプローチで行う時、その両極かその振幅の中に存在する議論のテイストは、キリスト教が普及する以前のどこかのタイミングで発症したこと。それをまず紐解かなければ、ふしぎかどうかも規定できないだろう。仮説に仮説を重ねても…みたいな感じ。

 でも、世界で一番発行部数の多い書籍が「聖書」だから、「THE BOOK」っていうぐらいの存在感を今更なんともしがたいわけで、それはそれとして、自分自身がどう考えるかという鏡のように捉えることが一番大切で正確なアプローチではないかと思います。否定や肯定について生産的な議論はできないわけですし・・・。信じているモノが何かをいったいどんな方法や道具で共有すればいいのか?人間の心はそんなに簡単で単純ではないでしょうし。まぁ、「ふしぎ~」としておく方が人間的かなと。

 で、茂木さんが推薦分を書いている。脳科学の分野から一体「キリスト教」に対してどんな洞察をされるのだろう?それは窒素や水素に対して何を思うか・・・に近いアプローチになりそうですしね。

 その起源から近代社会への影響まですべての疑問に答える最強の入門書ってことですが、別に入門するテイはさて置き、すべての疑問の出所と信憑性がまずどう確保されているかを知るだけでも、この書籍、なんとなく興味が湧いてきます。