若狭湾の夕景。

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 昨日は伯父の法事で若狭へ。ご存知、このエリアは言わずと知れた原発銀座。この地で生まれた人間にとって今回の東北での出来事はとてもリアル。あまりにもリアル過ぎていろいろなことが麻痺している状態だとも言えなくない。いつ何どき天災に見舞われ自分の故郷が同じことになるやもしれないという複雑すぎるこの心の中をちょっとクリアにしてくれるこの若狭湾の夕景でした。しばし、カメラを構えそのキレイな光景に心を奪われた。いつまでもいつまでもこの夕景がこのままであって欲しいと願わない人間はいない。原子力発電所の存在が地域にどのような恩恵をもたらしどのようなリスクを負わせているかを考える。簡単に答のでない疑問を前に人はいつも手探ることを止める。そして、気持ちを切り替え、未来を強引に向こうとする。今を凝視せずに、達観したように「輝ける未来」のビジョンで頭を満たし、答の出ない疑念を隅に追いやり棚に上げる。それはとても簡単であると共にこの能力が人間を進化に向かわせる。さて、それが進化と捉えられるか否かは、神は信じないが神のみぞ知るである。

 さて、空の上でこの偏在する価値観の中で人間の文化と呼ばれている空間と時間の中で、神がいたとして、その方はこのことをいったいなんとしたいのだろうか・・・?これも一種の逃避かもしれないし、思考の誤作動かもしれない。しかし、心地はいい。そんなことを考えてしまうほどに美しい夕景でした。

 ひとりの人の命が途絶える時、残された人の心に残るものがある。これを繋ぐことは使命感とか本能とかっていう存在のさらに奥にある何かが強烈に作用しているような気がする。武士は死して刀を残すと言う。刀を奪われた日本人が次に手にしたモノは何?もう一度、今、この手に何が握られているのかを再確認するいい時期なのかもしれない、日本は。