適正と天職の不思議な関係。

 少なくとも私が大学生の頃にはキャリア教育などはなかったし、適正チェックなどという便宜的な仕組みはなかった。大学のスタンスは大学。企業と連携はするが、さほど、学生の人生には割り込んでこないが普通でした。連携と言っても企業の採用試験予定日がインフォメーションボードに紙でピラリと貼ってあるぐらいしか記憶がない。でも、インターネットの無い時代に自分でリサーチして電話して就職活動をしていたみたい。(って、お前はしなかったのか!?)

 それに比べ現在はどうか?用意周到の極みで、適正と天職について体系化されているらしい。そんな、人の適正を分類するなんて本当にできるのだろうか?そして、天職の定義についても実しやかに書かれている。この関係をそりゃ学生諸子は信じるだろうなぁ~。行政の方針だからフレームだけこなしてホンマルの部分は現場のディテール優先でいいだろうが、それでも、いまどきのゴタクはこんなところだろう。「仕事が私の適正に合っていない。」「私の能力や個性がここでは発揮できない。」「私の努力が正当に評価されない。」ベラベラベラ・・・と。全て私が中心。

 でも、「社会人」になるんでしょう?社会って何でしょう?パブリックですよ、偏在している経済のフォルム、慣習のディーテル、文化の空気、情勢の臭い、そして、会社の価値・意義と自分がどう対峙するかでしょう。これらのゴタクはポテンシャルの低い、知性が劣化している人の言葉。そもそも、何かの問題に対して機能するポテンシャルがあなたの存在価値であるならば、一人で並べるゴタクを別の自分に転写してみてください。自分が何を言っているのか客観的に捉えることができるんじゃないでしょうか。適正と天職なんて、その道で数十年試行錯誤して自己研鑽して紆余曲折右往左往した人間だけがつぶやけるフレーズですよ。自分自身、学校で会得できた適正って例えば何だったんだろう???・・・・・・・・・・・・・・・、ないんかい!?