テレビの存在理由。

 おそくら、4大メディアと言われる「テレビ」「ラジオ」「新聞」「雑誌」の中で、実は、一番最初に消滅するシステムが「テレビ」だという仮説があります。ラジオというメディアはこの度の震災でその存在価値をしっかりと証明しました。そして、ラジオ局自体の運営費用がテレビや新聞社・出版社と比較にならないぐらいに安価で効率のいい事業体系が展開できることもその存在価値と存続性の理由に挙げられていると。そして、新聞と雑誌は液晶端末系やスマートフォン系がその隆盛を極めようが人が情報のディテールに対して紙という媒体に愛着を得てしまっている限りそのニーズは消失することはないと言われており、電気ということが必須条件の液晶端末に対して、紙のメディアはスイッチを入れる必要も充電する必要もない。これ以上の便利さが液晶端末にあるのか?そして、コスト面でも大きな新聞社や出版社・雑誌社の形態をとらなければニーズに対して適正な規模の組織と筐体で発信し続けられる紙媒体というのは消失することはないだろうと言われています。

 それに比べて「テレビ」は?情報を得るための端末としてのコストやそのコンテンツを配信する創造するシステムや組織はあまりにも肥大してしまったということ。この現状を時勢にマッチさせスリム化させようとする取り組みは明確に昨今のテレビ番組には表出していますが、それでは、その情報をテレビで観る知る聞く必要がどこまであるかとなるとこれがなかなかつじつまの合わない事情があるようです。しかし、テレビ関係の人達は「ラジオ」や「新聞」や「雑誌」が消失しても、まさか「テレビ」が消滅することはないだろう・・・とテレビの有用論を崩さない傾向にあるそうです。でしょうね、一旦、文化のテーブルで「娯楽」「ステイタス」「エンタメ」の中核を担うビジネスモデルとして肥大・覚醒してきたシステムですから、相当の自負もあるでしょう。しかし、一番の危機感は、テレビ業界の人材的な空洞化がその一番の理由に挙げられているそうです。広告スポンサーが離れ、別の「娯楽」「ステイタス」「エンタメ」ソースが多様なニーズを満足させている昨今、肥大化したシステムを維持・管理することが難しいということが一番の消滅・失速・消失のトリガーらしいですね。その価値観にユーザーが反応しなくなれば、いわば親亀がこけるわけですから、なしくずし。

 で、世の中、ドックイヤーからマウスイヤーになり、トドノツマリ、バクテリアイヤーになった時、そのサイクルに人がついていかなければいけないのか、人のスピード感にもう一度、インフラ・デバイス・プラットフォーム・コンテンツの拡充サイクルを適正にマッチさせる取り組みをするのかしないのかということになるのでしょう。ここでテッパンの「時は金なり」という銘がそのリアリティーを帯びてくる・・・みたいなことじゃないでしょうか。

 早起きの鳥は芋虫を食べてきたが、芋虫も馬鹿じゃないし、鳥以外も芋虫は食べる。芋虫だって野菜や木の葉を食べるし鳥だってさらに大きな鳥に狙われてるんですね。自然はそういう仕組みでシンクロして正確なループを展開していることにもっと注視することで、テレビの存在理由のもう一枚裏にある、地球に上でこの一生をどう生きるかという本来DNAに記述している設計図がチラチラと見えるとか見えないとか・・・ってことじゃないでしょうか。もしも、その解析を完了している人達がいて、その設計図さえも消失させようとして、放射線を無視しているとしたら、鳥に食べらるのは芋虫ではなく人じゃない?人が描く「絶対悪」と「善人・聖人・神」の比較をたぶん深海でYrrは失笑しているだろうな・・・。