MACはどこへ行く?

 あるメルマガより抜粋~「新Macミニを紹介するアップルのWEBページには、こんなコピーもありました。「必要なものだけ。不要なものはありません。」たしかに今日、個人的には光学式ドライブを利用する機会はほとんどありません。「音楽や映画が欲しくなったらiTunes Storeへ。」たしかに今日、というかもうずいぶん前から個人的には光学式ドライブを使っていません。「アプリケーションはMac App Storeからワンクリックでダウンロードできます。」たしかに今日、App Storeの便利さを知ってしまった以上、余程のことがない限り個人的にはパッケージに手が伸びません。ただし、そうはいっても、いざというときの利便性がまだ光学式にあるのも事実。他のMacやPCのドライブから認識させたり、外付けをいちいちつなげるのはやっぱり面倒で時間もかかります。でもその、いざというときも、たぶん近しい将来にはなくなるんだろうなあと思います。アップルがいうところの革新とは、まったく新しいものを生み出すのではなく、未来にある普通のものを今創りだすことですから(失敗もありましたけどね)。」とある。思考錯誤はいいが紆余曲折が曲がり過ぎ折れ過ぎ。何が便利かは誰が決めるのか?に軸足がない。そんなところを軸足にしていたら商品やコンテンツの進化はありえないが先方の言い分だろうが、そもそもを考えてみたい。パソコンはツールである。どう使うかはユーザーが決めるということへの割合いを無視して技術革新の押し売り(たたき売りかも?)である。で、あとは、これが「イマドキの便利です。」「サイシンのスタイルです。」って言ってるだけの言いっぱなし。

 これは私個人がMACを見切った理由ですが、ツールとしては別段さほど特化したことでもないし、別に、アップル=デザイン性、WIN=機能性などというパワバラはどうでもいいこと。さほどMACのインダストリアルデザインがいいとも思ったことはない。23歳の時(24年前)、新宿で初めてMACに出会った時からMACはツールでしかない。しかるにソフトウエアも同義である。機能と技能の関係をいい意味で無視できるほど趣味の世界でパソコンを捉えることはしないし、できないが正解。

 で、必要なものは?不要なものは?という質問が発言がメーカーから出る段階で完全に軸足がぶれている。そんな登り方では1,000m級の山も登れませんよ。アップルはダウンロードシステムで首を繋いだがそれは貴方の池に貯まっていた水をたまたま苦肉の策として売ったからでしょう。水はどこにでもありますからね。で、果汁(過重)を入れて、炭酸(起爆剤)を入れてボトルに詰めてパッケージ化したから、のどが渇いた人がそれを買っただけ。そんなそんな貴方達がのたもう程の大義名分は全てあとづけでしょう。

 MACという価値観はどこへ行くのだろう?できれば20数年のパワーユーザーとしていっしょに山を登りたかったですが、道の途中でほったらかしにされた気分です。だから、もう、アップルの展開には期待ができない。それに比べるとWINは足が地についているように感じる。相対的な重力に対して自重を受け止める体制が整っているような気がします。って、一寸先は闇ですが・・・。

 しかし、スマホってどこへ行く?あんなアプリ必要か?あんな無料ゲームに一喜一憂している時間が有益か?っていう前に感覚的に楽しいか?最新デジタルデバイスには非常に「?」が多すぎる。まず、それは何かを決めてほしいものである。それも、ユーザーに依存するのか?それとも、それはユーザーが決めることなのか?この現代では・・・。