辞任力。

 武士が切腹する瞬間は映画や映像でしか見たことがない。武士の魂の潔さとでもいうのか、切腹の美学みたいなものがあるのだろう。実際、目の前でそれを見たら同様に潔しというリアリティーがあるのだろうか。自分の命以上にもう私に責任の代価として差し出すものがありません!というスピリッツが切腹である。切腹だったのだろうと想像する。そのための脇差しであり、介添えとは中途半端に死ねなかった場合に首を落とす役目。この役目もまたスピリッツである。切腹する人と介添えする人の関係とは一体どのような関係性なのだろうか?ふと、江戸の時代、武士は全体の人口の何%ぐらいいたのだろうかと考える。おそらく15~20%だったと推定したがそれらの人間が常に一定レベルの責任を自分の中に保持しその大義や忠義に反した場合、切腹だったのだろう。人間だけですからね、自分で自分の命を断とうと判断する生物は。最後のそのために常に脇差しを持ち歩く人間ってどうよ?みたいな。そこまで覚悟ができて責任の意味を理解しているなら、失敗はバネにしてプラスのベクトルに変えなきゃ・・・みたいな。でも、江戸の時代はそうではないパワーバランスとメンタルバランスで支配されていたのでしょうね。

 で、平成23年、自らの責任をしてカメラの前で頭をペコリ。これで潔しとは到底言えないぞ。もし、あなた、今が江戸の時代なら、謝罪をしたその首は数秒後にその机の上ですよ。首がなくなった自分の身体を見ながら自分の犯した失態を反省するかなその首は?今が江戸じゃなくて良かったですね。ほんとに辞任力のある人達ばっかりだ。一定の冷却期間を経て第2の人生の始まりですか?脇差しぐらいそっと胸に忍ばせて第1の人生の無念を第2の人生でフラットにしてはどうですか?「辞任」はゴールではなくスタートなのですよね、貴方達にとって、って、「結婚」かいっ!