言葉の中の真意の割合い。

 さて、例えば「私を信じてください。」という言葉。この言葉の真意の割合いを何で推量・計測すればいいのか?という疑問。それは、文脈やボキャブラリーのスキルの問題でもないようです。では、何がそれを実感として判断させるのかとなるとこれがまた適正なモノサシがないとなる。それを直感でしか測れないと仮説すると、全てを直感で処理しなくてはならなくなるし、信頼関係という基準値さえ、実は直感でその質量が認知されているとしたら、そもそも「信じる」というこはただの直感の蓄積?とならないだろうか?極端な洞察であるから、話半分以下で読んでいただければいいが、それでも、つきあっている女性がいる。もうそろそろ(何がそろそろかは不明として)結婚した方がいいと親にも友人にも言われる。本人も周りの温度が温かくなるからその気になる(このその気というのも実はとてもファジー)。そして、プロポーズ。「私と結婚してください。一生幸せにします。」さて、この言葉の真意の割合はどうだろう?確証のためにダイヤモンドを買うがそれは形骸化した概念であり真意の割合を100%に引き上げる効果は実はない。つまり、形式上の流れで文化や慣習的な意味でそれをすることで真意が高くなるだろう程度の行為に過ぎない。でも、それを信じるか信じないかは個人のポテンシャル。そして、誓う。富める時も貧しい時も健やかなる時も病に伏していいる時もって、この言葉も実はどこに真意の軸足を置くべきかによくよく考えると迷うはずなのである。

 でも、これも形式的に処理する能力を義務教育や社会教育で学んでいる国民は迷うことなく、「はい。」と答えている。さて、ここまでの流れでどれだけ真意があるのだろう?実は、本当の確証はどこにもないはずである。それほど、言葉のクオリティーは微弱である。まだ、どこかの民族が獲物を発見して吠えている方が真意の割合は高い。つまり文化とはよく言ったもので、文字(記号)化することでそれを共通言語として信じてくださいよ、というルールなのである。だから、言葉を覚えた段階でその共通のルールの世界に踏み込むことで、真意は定かではないが、たぶん、これが「幸福」だろうと、世間のセオリー的に「幸福な人生」だと感じさせられて生命を全うするから、それが逆に幸福なんだという諦念とういか概念なのである。

 しかし、一旦、どこかでこのルールの隙間が見えてしまった人はその真意を改めて探すことが人生のそれに置き換わる。人生、知らなければいいことはたくさんあるし、知って逆に不幸になる場合も少なくない。言葉とはたかがそれだけのツールなんだと知ると、どんな説得も無意味に感じてしまうことがあり、その考えに対する自分の中の反証さえ意味をなさなくなるケースもある。

 ある方が私の価値観に無断で入ってくる時、私は否定も拒絶もしない。一旦、その言葉を飲み込み(飲み込んだふり)、時間をキープする。つまり、脳の言語中枢は人それぞれの処理速度を持っていると言われているから、早急な人にはタイムラグを置き、緩慢な人にはインターバルを入れない。これが、言語によるコミュニケーションの一般的な方程式。しかし、歳と共に自分自身のレスのスピードも鈍化するから、注意しなければいけない。しかし、歳と共にチャンネルが増え、使える色数が増える。つまり、不思議な比例と反比例が起こる。これを楽しめていると他人とのコミュニケーションはとてつもなく楽しくなる。結果、真意の割合を推量しながら、比例と反比例を座標化し何色をチョイスしようかという選択肢が増えると楽しくなるのである。

 だから、私のような人間に絶対に勧誘は難しい。年上の人からの言葉には極力リスペクトしたいとは考えているが、ある程度、貴方達も歳を重ねてきているのですから、目の前の人間が自分の発した言葉を受け止めていないことを感じとって頂きたい、という場面がよくあるのですが、私の頭の中では受け取った言葉がキレイに分解されて机の上に並んでいるだけなのです。その机の上の言葉のパーツをどのようにお返しするかだけを考えているので、絶対に、私は勧誘されない。大抵の人はそうだと思いますが、他発で人間の心は動きません。自発を促せるほど貴方達にポテンシャルがあれば、私から動いているはずですという言葉は絶対に口にせず、比例と反比例を楽しんでいるのです。逆にこの楽しみは誰の心の中にでも多かれ少なから起こっていることです。それを自覚するかしないかは別として・・・。だから、真意の割合いを時間や論理や語調で解決しようとしないことですね。それは間違いなく時間の浪費です。

comments

う~ん兄弟だから言えるのかもしれませんが、たまに「毎日こんな事を考えながら生活しているのですか?」
というコメントや問いかけがありませんか?(笑)
寝ている時以外はずっと考えているのでしょうけど。
いつも思いますが、これだけタイトルに対してキレイに文が整理されていると読み手にはかなりありがたいですね。 本当に1冊の本を読んだような感覚です。
兄ちゃんに勧誘は無理ですね、僕は「あなたもその道のプロなら今話してる人間に脈がないことを判断し次に進む決断を下したらどうですか?」といったことがありますが、それで相手を余計に熱くさせてしまうこともありますね。
自発を促せるほどあなた達にポテンシャルがあれば、私からうごいているはずです。は名言ですね!
ポテンシャルは言葉の羅列ではないその人の行動じゃないかな?と思います。
たとえば平山ユージしかり、15Mウォールを登りきる小学生しかりです。

  • kuni
  • 2011年07月08日 20:10

sure!(確かに!)

確かに、「毎日こんな事~」は言われそうです。
しかし、人間は恐ろしく他人には無関心です。
そいいう生き物です。
興味を示す時は必ずいろいろな意味で
空腹な時だけ。
これを根底に理解している必要があります。
そして、格上の人間を絶対に揶揄しません。
熱量は熱い物体から冷たい物体に伝導し、
重力下では必ず上から下へ物が移動します。

人間も同じ。シナプスの電気信号というか
化学反応が水風船の身体を伝わり筋肉を動かして
会話とか行動が起こっています。
つまり、全ては分子レベルで正確に制御されている。
あとは、心とか魂とかをどこで定義するか?
それが個性です。

だから、私のブログにコメントは不可能です。
たかだか毎日4,000ビューレベルでは無理です。
400,000ほどあれば一人ぐらいはいるでしょうが。

つまり、「ヒトコブラクダの法則」なんです。

その団体、あまりにも上から目線なので、
「あっ!私は介護士の資格もっていないですよ!
貴方達のお茶飲み友達は同年齢で探してください。
God bless you!」と言葉になりそうでした。

  • khuz
  • 2011年07月09日 09:38

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