分解と組み立て。

 ふと、自分自身の仕事について俯瞰で分析した時、デザインの仕事って与えられた案件を自分の感覚と技術でキレイに分解してキレイに組み立てる感覚なのかなと思った。特に何きっかけということではないが、いろいろな書籍を読んでいると、いろいろな著者のいろいろな考え方を知ることになる。一冊の書籍の中で頭に残ることは多くて10個程度のフレーズでしかないが、書籍を読むということに対してもどこか仕事をしている頭で捉え、リサーチしているような読み方になっているような。何故この書籍に興味を持ったのか、この著者は何をいいたいのか、どのような共鳴・共感を求めているのか、そして、今後この著者はどこへ行きたいのか?などなど。書籍の読み方はいろいろあるだろうが、これが、オンライン上のWEBサイトでのリサーチならここまでゆったりと情報を捉える事ができない。大枠、これは癖の部分で書籍に対する集中力とネットに対する集中力の差に他ならないのでしょうが、仮に、iPadを購入したらもっとその中の情報に対して集中力が上がるのだろうか?とも考える。つまり、書籍の情報は分解できるのですが、ネット情報は分解しにくい。というか、書籍は言わば一冊のリアリティーがあり、ネットはもう芋づる式の一連のチェーンである。情報量が多いことは嬉しいことだが、ここまで!という仕切りがないことがこの集中力を拡散させているような。これも捉え方の癖だから全てこの法則で捉えることはできないのでしょうが。

 で、分解の仕方も様々で何をどうあがいても自分のスキルでは規定できないパーツがある。このパーツをさらに細かく分解するべきか、このパーツはこのまま一個の個体として並べておくほうがいいのかという判断がある。仮に取り組むべき案件が目覚まし時計のような存在だったとしたら、そのパーツの数は必然的に確定している。ネジ1個、歯車1個、文字盤1枚、これがパーツである。分解した順番を忘れなければ、同じモノに復元することは簡単である。しかし、デザインという仕事は目ざまし時計とデジタル腕時計を分解して新しいアナログ・デジタル時計を創る感覚に似ている。アナログ時計のリアリティーとデジタル時計の利便性を兼ね備えた新しい時計を作ることが目的の場合、パーツパーツの特性と組み立て方の創意工夫がいわばデザイン力となる。キレイに融合させるためには、双方の特徴をしっかりと理解している上で、双方の完成度を組み立てる時に留意しなければいけない。この判断を誤ると、絶対に時計にはならない。ここがこの仕事の難しいところでもあり、楽しいところでもある。

 子どもの頃、なんでも分解することが好きだったことや、修理しているのか壊しているのか?みたいな行為が多かったことを経験値として失敗は成功の元的なアタックを繰り返してきたことで、ああ、このパーツはいつか使えるな、このパーツはたぶん何を作るにも有効ではないなという感覚というかスタイルが獲得できる。これがデザインの仕事をする上での最大のポテンシャルとなる。デザインの仕事をするにはセンスが必要だと鉄板の合言葉があるが、このセンスとは何だ?となるが、これは、分解する技術と組み立てる能力なのではと思った。

 だから、仕事場も頭の中もいつか使おうと思っているパーツでごちゃごちゃ。頭の引き出しにはこんなパーツは一杯詰まっている。整理もしなければいけないが、次から次へと興味のあるパーツを持ちこみ過ぎという意見もあるが、それでも、この作業は辞められないし、楽しくて仕方ない。常にどんな場合でも最適の分解をできて、最適な組み立て方ができるように研鑽を忘れないこと。それがこの仕事の大枠のフレームのような気がしました。