目は心の窓か・・・。

 昨晩のテレビで「うその見抜き方」というテイのテレビ番組があった。さほど特筆することはなかったが、臨床心理医らしきおばはんが登場して「うその見抜き方」の講釈をベラベラって感じのテレビプログラムでした。人間が嘘をつく時、必ず表情にそのサインが現れるというあれ。伏し目がちになったり、眉を不自然に上げ下げしたり唇を噛んだりなどと簡単な導入部分から合わせ技の部分で番組を進めていた。そのおばはんはあまりテレビで見かけない人だったが、さぞ権威でらっしゃるのだろう。最近、このテイの取り組みに必ずおばさんが登場する。たぶん、その分野の権威ならおっさんもいろいろいるだろうし、おっさんの方が多いはずだと思いながらもテレビ的にはおばはんの方がいいのだろうか?タッチが優しいのか、語調が激しくともバランスが整うからだろうか。確かに、おばはんは強い。というか強いおばはんは無敵である。芸能人を相手にズバズバ立ち回れるのも、ならではの所業だろう。

 で、確かに「嘘」について、人の表情が反応する様々なディテールはいろいろあるでしょうが、そもそもの足元をすくうと、「嘘」って何だ?というお話。嘘を付くということは、いい嘘と悪い嘘があるとおばはんは言うが、そもそも、人間の言動に「良い」と「悪い」を決めているのはどこが基準か?そこから紐解かないと、それおばはんの主観だろうみたいなことが非常に多い。「嘘」の話を広げるなら、この度の大震災のテイで言えば、政治家や原発関係者の「嘘」は良いのか悪いのか?これも軸足次第ですし、対世界に対してなのか、対国民に対してなのか、対テロに対してなのかの軸でこの「嘘」はどうにでもカタチが変わるぞ。このおばはんは日本で一番の大嘘つきは総理大臣だと言っていたが、それはいったいどういう意味があるのか?まさに、what's do you mean?である。何かを言わなければならない。事実はこうだと知識として頭にあることが、どうして、言葉にする時に捻じれるのか。捻じれる程度ならいいが、反対向いているのは何故?論理で考えた結果、公共の電波でそんな「嘘」を言い続けて何の意味があるのか?つまり、しゃべっていることが別に「嘘」でも「本当」でもいいが、あなたがその場所で貴重な時間を費やしてお話していることがどういういう意味があるのか?をもっと強い質量のあるボキャブラリーで言葉にするべきかな?もう、何を言っても国民は信じてくれるはずがないから、適当な思いつくことをただマイクに向かってお話しているわけではないでしょう。個体として貴方の喉で声にしている責任は貴方自身に返ってくるのに、そのブーメラン、どこに向かって投げたいのか?

 おばはんが言っていた、目は心の窓だって。ならば、言葉は心の澱なのかな?