「下町ロケット」という物語。

 今年の直木賞の作品のタイトルである。先日発表だったからまだこのキーワードは新鮮なはず。このタイトルからどのような物語かを今の段階では想像しているが、実際、書店でこの書籍を発見しても、さて買って読むのかとなるといつも躊躇してしまう。結果、買わない場合がほとんどで、何故、気になっているのに買わないのか?について考えてみた。

 「下町ロケット」なんとなく日本の技術力を誇示するようなタイトル。下町のエキスパートが宇宙開発のどこか重要な部分を担っています的な部分をベースに展開される人間模様みたいなテイだと想像する。この段階で人間模様と宇宙開発が適正であれば間違いなく手にとりチラミして購入しているんですが、この切り口ありきの作品はどうもこれまでの傾向として「ハズレ」が多い。何も書籍の評論を生業にしているわけではないのだから、そこを敏感になっても仕方ないのだが・・・。でも、何故か、興味があるが、直木賞も芥川賞も受賞作品から出会うことはない。逆に、その後、作家デビューされた著者が温めて温めて書き下ろされた作品をたまたま書店で発見して、芥川賞作家や直木賞作家であることを知らず、へぇ~オモロイ物語だなぁ~ってなり、結果、あとがきとか著者のプロフィールを読んだ時に、「ああ、だったんだ!」となるパターンが多い。ので、最初から直木賞受賞作品ですというテイで読み始めることで、無駄にハードルを上げているからかもしれない。審査の批評を読んでもピントが合っているようにも思えず、時代性とか描写のテクニックとか言われても微妙な癖が気になる。フェイバリットな作家さんなら、この文書の癖やキャラの人格の魅力で引きつけられる訳で、審査員や批評家の意見は全然あてにならない。

 で、これも、書籍としての情報のディテールが自分とマッチしているか否かは読むしかないのである。だから、小説家の人は大変だろうなぁ~と思う。こんな我がままな素人が相手なわけですから、自分がオモロイと思っている世界観を書き下ろすだけでは成立しないのですから。つまり、小説も映画もデザインの仕事も社会(ターゲット)との整合性の上にその特異性や品質や鑑賞性や機能性が求められていると言う構図。

 まぁ、「下町ロケット」、とにかく書店で発見したらチラミしよう。