就職活動の想い出。

 実は自分自身大した就職活動の想い出はない。って、何が就職活動だったかも明確な記憶はない。だって、芸大の4回生の最後の1月頃まで就職活動など頭になかったし、別に大学に対してどこかいい会社を勧めていただけるとも考えていなかった。というよりも全然働くという意識というか社会に出るという意識が卒業制作を完成するまでまったく頭に無かった。終わって卒業が確定しても、さて、どうするのか?程度の意識だった。それこそバイト先を探すような感覚で1月の終わり頃から新卒者募集の専門誌などを物色した程度。よい時代だったのか、それとも、呑気過ぎだったのか。とにかく、在学中4年間で40種類以上のアルバイトをして4年間続けたバイト先も3社あったし、その中では、卒業したら働くか?と言っていただいた会社もあった。だから、さほど働くという意識と正社員として入社試験を受けて面接を受けてみたいなことはしなくとも働くことはできるだろうと考えていた。だから、どんな会社にするというよりもどこで働くかをそれなりに悩んだ。結果、なんのあてもなく「東京のデザイン会社で働く」がその時出した答だった。まぁ、この程度の指針でよくもまぁ・・・。

 で、現代の就職活動たるや、熾烈強烈激烈である。有名な国立大学でさえ・・・みたいなことだから、ガッチリ4年間勉強しても、「就活」は0スタートみたいな空気。そりゃ大変でしょう。ほんとに社会が人材をガチで選定している空気がありますね。「若者は何故就職できなくなったのか?」とか、「就職活動は1日200ページの読書から」とか、「就職活動のため、1,000冊読めば知識の水準が変わる」とか、「他者との徹底的なコミュニケーションが自分を磨く」とか、いろいろな現代を象徴するようなキーワードがそのテイの情報面にはちりばめられてる。が、逆にどれも、最近の若者はやっていないのか?ということ。それを別段特筆しなくとも、それぐらいは普通大学生ならやってきたでしょう!?みたいなことがフォーカスされているってことは、水準が下がったのか?確かに大卒の教育レベルを相対的にリサーチしたところ、先進国の中で日本は下から8番目だったそうである。50数ヶ国中ですから、これは問題。

 確かに自分が20代前半の時は日本の景気も良かったのだろうし、今ほど厳しい社会情勢でもなかったとも言えるが、もしも、この20数年で水準が下がり、社会構造が多様になり高い水準を求めるようになっていたとしたら、学生諸君の皆さん、これはシリアスな問題ですね。となる。なりませんか?

 だから、大学を選ぶっつ~よりも、自己研鑽の場、自己探求の場、自己主張の場としての大学ではなく、社会生活をするための予備校状態!?が今の大学だとしたら、それはそれで、現代の社会構造にマッチするはずないな・・・となる。では、高校から大学にかけて今の若者は何をしているのか?もしかして、勉強ばかりしていないか???ということになるぞ、必然的に。人間個体としての社会性って入社試験でスーツを来てからスイッチを入れるんじゃないぞ。それこそ幼稚園の頃から人間の社会性は成長し始めているはずなのに、義務教育が上位の学校に行くための予備予備予備校化しているから、こうなるだけ。つまり、学校の先生にも組織としての学校という組織にも、それを推奨している日本にも問題はある。が、そんなこと言ってもにわとりと卵。いつ何どきのタイミングでもいいじゃん、「やるのか?やらないのか?」スイッチを持っているか持っていなかだけ。そのスイッチはどこにある?どこかからの授与を待つのか?親が譲ってくれるのか?問題集の答の欄を塗りつぶせばゲットできるのか?違うはず。それは、スイッチらしきものですが、ONもOFFもないダミーです。スイッチはつまり今も昔も自分自身ですという意識が根本的に欠如しているだけ。シュウカツ・シュウカツって新しい丼モノかっ!?って話。

 たぶん、スタンフォードやオックスフォードやマサチューでは違うんだろうな?でも、内定率はそんなに高くないはず。つまり、そもそも、社会性の相対人口比率ってそう変動していないだけで、それを、何かの目的でマスメディアやネットメディアが煽るから弱い方向に主軸が変速するんじゃないかな。この程度の分析・洞察では何も始まらないが、ざくっとそんなところじゃないだろうか。

 だって、初めてお世話になった会社の給料はヒトケタだったですものね。でも、そのドアを開く時、自分はこの世界で一人前に絶対になるぞ!という決意を胸にそのドアを開いた記憶がある。その覚悟が言わばスイッチなんですよね。ポテンシャルを学校のカリキュラムで高めようなどとそもそも本末転倒ですよね。あくまでもあくまでも具体例ではありません、ただの独り言でございます。