2011年08月 アーカイブ

暖炉用の薪。

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 ある暖炉があるお家用の薪。冬の準備ということでこんなにたくさん集めておられます。暖炉のある家ってあこがれますし、暖炉で暖をとるって素敵です。ほんとにほんとにエアコンが嫌いなので、自然の風と暖炉の温かさが装備された家って理想ですね。日本にはもう風土とか歴史とか関係なく、さまざまな趣味趣向の家が立っています。海外の人から見た日本の街並みってガチで色気がないのだろうなぁ~。ニーズが多様になり商品が多様になるが人間の生活が多様になるはずがない。ならば、家は多様性よりもモノホン思考が正解のように思います。なかなかいろいろな条件があるので、できそでできないことなのですが・・・。

人生はすべて「逆」を行け。

 ダイヤモンド社から出ている書籍のタイトルです。「常識に逆らえばすべてがうまく回りだす。人生は全て逆を行け。川北義則著」です。「そろそろ、世の中の「当たり前」から飛び出してみる。」「失敗は悪いことだと思うことこそが、そもそも間違いなのだ。」「仕事でいつも全力投球する人は、肝心な仕事を任されることはない。」「孤独死の可能性は誰にだってある。むしろ前向きに受け入れてみない。」「出世競争は出遅れたほうこそが、有利、と心得よ。」「お金で買える幸せはどんどん買って、人生を愉しもう。」となかなかの立ち位置からの発言がならべられてる。しかし、このフレーズでこの書籍が良書と判断するのは難しい。すでに、この著者は「常識」とか「当たり前」を過敏に意識し過ぎている。また、万象に対してなかなか「逆」という価値観は、どちらかというと日本文化が「YES OR NO文化」に対して憧れている感覚が内在しているし、対極とか二極とか推し量ってる段階では、絶対に支点は見えない。

 いやいや、これはキャッチフレーズだから、本体にはたぶん遅くらその振幅のディテールが書いてあるだろうと、このテイで人に食い下がっても何もありません・・・みたいな事と同じで、このキーワードに対してこう考えてしまうことには私の中で何かしらの理由があるはずだから、同じ文脈を読んだとしても、同じことを繰り返すことになるだろうと思います。これが人間が持っている非常に優れた能力・感覚・スキルである「直感」という力である。

 知識のタテ糸とヨコ糸を紡ぎ過ぎた文明こそが何かを「包む」と捉えながら、何かを「遮断」していると思う。逆の逆は同じ場所ではないのである。気になるがこの書籍は書店で発見してもたぶんスルーだろう。もう、そんな気分ではないのである。たぶん、世の中のニーズのディテールも同じじゃないかな。

何故、逝ってしまわれたのですか?


 なぜ、なぜ、そんなに早く、逝ってしまれたのですか?あなたの声を姿を見て聞いて感じるたびに、もう、この世にあなたがいないことが辛いですね。もし、あなたが今も生きていたら、今の政治にどんな苦言を放たれるのでしょう。原発の問題について何を語られるのでしょう。あなたが不在のこの国は出稼ぎアーティストと少女の団体が蔓延しています。そして、モホノンの人達はメディアから距離を置いておられるように思います。ライブが大切でしょうが、あなたのような声や言葉やメロディが果たしてライブ会場にはどこかで流れているのでしょうか?

 「あのこの寝言」ですか・・・。

 「タバコを吸いながら劣等生のこの僕に~。」か・・・、「すれ違っただけで分かるようになるさ。」か・・・。快活で重くも鋭く永遠に響く言葉達ですね。

フィンランドか・・・。

 教育への取り組みの質が世界的に高いのはフィンランドらしい。そこには、日本と正反対の教育がおこなわれている。教育とはなんであるかを追求している高い次元での取り組みが蓄積されているらしい。だから、日本の教育システムのようにフラフラしていない。担当者や政治家の思いつきで指針がぶれない。過去の自国の歴史や文化を国民にひとりひとりが辛辣に受け止めて浄化しながら継承していると言われている。実際、そこで教育を受けた経験がないから、こんな表面的な情報でたぶんおそらくそうなんだろ程度の深さしか感じ取れないのですが、もし、その教育を受けていたら・・・ということは仮想でもいいからシミュレーションしてしまう。点数や上位の学校へのアプローチの勉強など一切しないし、企業にしっぽをふる大学生もいない。学生であれ社会人でれ人間の最少単位である個人の能力を磨くことが教育の本質であり、それを、学校のプログラムや企業のシステムに依存して、自分のポテンシャルのなさを自分以外の理由に置き換えて不平不満を口にすることは絶対にないらしい。

 ガチで日本の正反対である。たぶん、日本は大きなモノも小さなモノも見えていないのだろう。見えていないモノがそれを教育だと誤認して教壇に立っているのだから、何をどう変えようなどとの議論が成立しない。まず、何をの何が捻じれて微弱なのだから。必然的に学生がそうなるのであり、それが永年蓄積していれば、そりゃ、こうなって然るべきなのである。

 フィンランドか・・・と妄想する前に、不思議なことや不条理なこと疑問に思うこと不具合に感じることには素直に純粋にNOと反応したい。情報化時代への期待値は、そんなNOをしっかり繰り返していれば、YESな人に出会える確率も高いということ。まぁ、それは今も昔も同じかもしれませんが。

 「ゆとり」とか「脱ゆとり」とか、教育は言葉遊びではない。

ホンダのスパイクかな・・・。

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 そろそろファンカーゴが引退なので、次はこれかな・・・?

福島千里さん、凄い!

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 やはり、世界陸上が始まると観てしまう。だって、陸上はシンプル。ルールや技術面はもちろん世界最高だから素晴らしいのはあたりまえとして、それよりも、無駄のない鍛え上げた身体のフォルムやその動きを観ているだけでいい刺激が溢れている。福島千里さんが79年ぶりに準決勝にコマを進められた。凄いことである。世界で活躍する日本の女性が目立つが男はどうした?

贈り物。

 最近出会った、あまにも素敵な文脈なので全文紹介します。「メディアの危機に際会して、僕がいちばん痛切に感じるのは、この「これは私宛ての贈り物ではないか?」という自問がどれほどたいせつなものなのかを僕たちが忘れはじめていることです。この自問の習慣のことを、かつてクロード・レヴィ=ストロースは「ブリコロール」という言葉で説明したことがあります。「ブリコロール」というのはフランス語で、「日曜大工」とか「器用仕事をする人」とかいうことですけれど、要するに、「手元にある、ありあわせのもので、なんとか当座の用事を間に合わせてしまう人」ということです。資源の乏しい環境におかれた人間は「ブリコロール」的に生きる他ありません。山奥で暮らすとときとか、ヨットで船旅をしているときとか。そして、人類史のほとんどの時間を人類は「手元にあるありあわせのもの」で間に合わせるしかないという状況で生きてきました。あれがないから、ちょっとコンビニで買ってきて、というわけにはゆかない。ですから、「ブリコロール」的な潜在能力は僕たちの生得的なビルドインされているはずです。マトグロッソのジャングルの中で採取と狩猟の生活をするインディオたちが限られた資源を最大限に有効活用するために、環境に対して独特の踏み込みをする習慣を持っていることを知りました。ジャングルの中でふと目についたものがあると、彼らはそれを熟視して、こう自問するのです。「こんなものでもそのうち何かの役に立つんじゃないかな?」。これこそすぐれて「ブリコロール」的な問いなのです。この言葉はおそらく沈黙交易の起源において、テリトリーのはずれで、「なんだかよくわからないもの」に遭遇して、それを「贈り物」と考えたクロマニヨン人の考えと、本質的には同型のものだろうと思います。その「なんだかよくわからないもの」がいつ、どのような条件の下で、どんなふうに「役に立つ」ことになるのか、今の段階ではわからない。そもそもその価値や有用性を考量する手持ちの度量衡がないからこそ、それは「なんだかよくわからないもの」と呼ばれているわけです。でも、ある種の直感は、それが「いつか役に立つ可能性がある」ことを教えます。そのような直感が活発に働いている人だけが「いつか役に立ったときに「ああ、あのときに拾っておいてよかった」と思っている自分の感謝の気持ち」を前倒しで感知することができる。だとしたら、それは、さしあたりは意味も有用性もわからないものですが、その人にとっては、すでに「贈り物」なのです。映画でよくあります。登場人物が物語の途中で、何かを拾う。あるいは置いていこうとしたものを、なにかのはずみでポケットにしまう。そういうシーンが大写しになったら、それは伏線です。必ず後で「それがあったおかげでピンチを脱出した」という展開になります。よくあるのは、「聖書」と「家族の写真を納めたロケット」。これは胸を銃撃されて、誰も死んだを思ったときに、聖書やロケットが代わりに銃弾を受け生き延びた・・・という話につながります。似た話はあまりも多いところから考えると、これはずいぶんと起源の古い説話原型なのでしょう。その教訓は明らかです。人が「無意味」だと思って見逃し、捨て置きそうなものを、「なんだかわからないけど、自分宛ての贈り物ではないか」と思った人間は生き延びる確率が高い。そいういうことなのです。」という文脈です。

 これはある書籍のかなり後半の文脈なので、ここだけ抜粋してもその真意は文脈以上に伝わりにくくなっていますが、これをこの文脈にならい「贈り物」だと捉えた人は情報の海からその書籍を釣り上げてください。

 つまり、用意されたプログラムにはのびしろはないということです。どちらかと言えば、パソコンなどもフリーズしたり誤動作をする時にその真価が見えるみたいな。人間も同じかなと思います。正常にモノゴトが潤滑に流れている時はそれには気づかない。しかし、どこか流れに淀みができたり、落差のある流れに実は有用性が潜んでいるのかもしれないですね。飽和する情報が「自分宛て」と捉えていただくためにも、セオリーや相対性はそこそこにして、ポテンシャルと絶対値で「贈り物」を練り上げたいですね。

セガンティーニ

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 この絵の前に何分いただろう。都合よくこの絵画の前にはベンチがあった。誰も座っていなかったので、ずっとずっと見ていた。ずっとずっと見ていたかった。そんな一枚でしたね。

本を買う人、読む人。

 基本的に本を買う人と読む人は同じだと捉える日本。しかし、海外で書籍とは読むモノであり買うモノだという意識が薄いらしい。そう言えばそうだ。この錯覚が著作権や書籍ビジネスの流通のシステムに大きな影響を及ぼしているという構造上の論理がある。つまり、著者は何をなりわいにしているかという論点。しかし、著者が過度に著作権を行使してその代価を得る本質があるかというと、それはどこか先入観のようにも思える。つまり、著者が書籍をどうして欲しいのかという根幹の問題は読んで欲しいと思っているだけで、買って欲しいという要求はどこかあとづけのようになり、そこで、実は、儲けているタイプの人達がその食いぶちを失いたくないがために、本は買うモノというメディア操作をしているという論理。書籍を買うという心理には書籍をコレクションとして満足を得ている人が大きく関係している。では、書籍をコレクトするのは何故か?これも文化レベルのお話になるのですが、今すぐ読みたい本だから買っているということではなく、書庫に置きいつか読むために手元に置きたい、もしくは、一度は読んだが、また、読む時のために手元にコレクションするということがその背景にある。言わばそれが「書籍」のリアルなのである。すると、電子書籍は何か?正確にはそういう理由と背景からそれは「書籍」ではない。書籍として得る文脈のそれと、電子端末で情報として得るそれとでは、情報に対する価値観が大きく異なる。でも、書籍の中の文章もタブレットのテキスト情報も同じだと捉えることができる感覚の人は、この情報をできるだけ安価に入手したいというタイプの人だろうと言える。

 つまり、教育の現場のパラダイムシフトと同じで、学生は消費者で教育はビジネスだと捉えるならば、少ないコストと時間で最大限の効果を得ようとするベクトルが優位になる。が、教育を「効果」と捉える時点でもう大きく逸れて捻じれているから、現代のような教育の情勢に陥る。大学もひいては社会構造も同義。本来獲得しなければいけないのはフレームや定義ではなく本体の本質なのだから。だから、全てが空洞化する方向に陥るのかもしれない。

 で、買う人と読む人は同じではない。買って満足する人と文脈を読み知識として得る人との大きな相違点を掌握していることが、文化やビジネスとしての書籍流通に対して巧みにベクトルを修正させながら、マッチさせることができるような人になれる手法だと思います。では、メディアや広告やデジタルコミュニケーションの構造はどうか?まったく、同じである。常にこの関係を踏まえて戦略を講じなければ、味噌とクソが入ったみそ汁を飲むはめになる。

 まぁ、正確にはその性質上、味噌とクソは大きく異なるが、実は、科学的に物理的には同じ性質だったりするという乱暴な分析もできなくはない。文化が違えば「クソ汁」だってニーズがあるかもしれないし、逆にどれだけ公明正大に公儀における理想論で一般化したシステムでも、ニーズが捻じれていると、「味噌汁」だと思ってすすっているモノが「クソ汁」だったみたいなこともあるんじゃないかな?

 さて、あなたは本を買いたい人なのか読みたい人なのか?

梅田は雨。

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 本日は打ち合わせで大阪へ。午後から例のスコールがやってきた。激しい雨と梅田の風景。梅田駅の風景がほんとに大きく変わってとても規模が大きくなり、とても便利になりました。やはり、いつの時代も駅が変わると街が変わるのですね。

20万キロ突破!

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 お仕事で10年間お世話になっている愛車「ファンカーゴ」の走行距離が先日20万キロを突破しました。ほぼ11年目でこれだけ走ったということになります。それだけ遠方に車で出ることもないので、それにしてはよく頑張ってくれたものです。もう、タイヤもいっぱいいっぱいですし、いたるところがガタガタなので、次の車を検討中なのですが、2回ほどちょっとぶつけられたりしていますが、それでも、ここまで乗った車は人生ではないので、いわゆる車好きではない私でも愛着しみじみです。

 エンジン関係にまったく興味のない私でも、これを廃車にする時は、どこかの部品を手元に残したいなぁ~と考えております。まず、車とかバイクとか走ればいいじゃん的な人間なのですが、この愛車「ファンカーゴ」は特別な気持ちになっています。

 って、買い換え近くにドカァ~ン!ってことにならぬよう、「100里の旅も99里を半ばとする」で安全運転で有終!?の美へ向かっている今日この頃なのです。

夏への扉。

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 たぶん最初に読んだのは20代の頃。これを知ったのはあるSF小説のランキングがまとめられている書籍でした。その中でこの小説が第1位だったことで興味が湧き、合わせて、ハインラインを知る。そこからハインラインの作品は全て読んだはず。その中でもこの「夏への扉」は好きな作品です。かれこれ、これで4冊目ぐらい。今回もひさびさに読みたくなり購入。以前に購入した3冊はどこへ行ったのか?たぶん、良過ぎて誰かに進呈しているのだろう。で、4冊目ということ。最初に読んだのは夏ではなかった記憶があるが、それでもGOODだった。夏休みだから読書というアプローチは今の時代はどうなんだろう?ゲーム・スマホ・タブレット=「楽しい・便利・最新」って、これは誰かがそうしたくてそうなっている側面も多分にあるはず。実はデジタル機器に皆さんじんわりと疲れているのかもしれない。RPG的なプログラムの中で用意されたシチュエイションと3D画像の疑似リアルに疲れているのかもしれない。とはいえ、経済が覚醒する以上、こられは必要不可欠らしいが、いやいや、意外にそうでもないのかもしれない。ハゲ・シワ・体臭ビジネスに医学的・科学的な根拠を見出せなくなった多様なニーズが光の箱に気持ちを奪われている内に、もう、見えている人達は「夏への扉」の向こうに行っているとか行っていないとか?

地元高校の統廃合問題について。

 昨晩は地元統廃合の問題について、中学校のPTAの広報部長として長浜市民交流センターで午後10時頃まで滋賀県の教育委員会との交流!?の場に参加してきました。勿論、PTA会長様や各部長様といっしょに同じ中学校に子どもが通う親として真剣に今回の統廃合の問題を捉えて提言ができればという思いで参加でした。

 冒頭で長浜市長のお話があり、次に県の教育委員会の4名が長浜市のPTA関連の参加者70名ほどの前に鎮座し今回の湖北地域の高校の統廃合の政策原案を述べるという構図です。その長い説明ののち、次は質疑応答の時間。各中学校のPTAの会長さんや各関連団体の方から次次にこの原案の不備について質問と意見が飛び交っていました。本来の終了時間になっても、皆様からの教育委員会の面々への質問は終わらない。詳細をここで述べるには量的にも内容的にも膨大になるのでできませんが、まぁ、よくある、地域と県との温度差から来る様々な不協和音であり、現場(湖北地域)の生活・文化・教育の現場のリアルを県の教育委員会の委員長はじめ皆様のリサーチ不足が地元の皆様をヒートアップさせている仕組みです。

 皆さん、怒りを抑え言葉を選び教育委員会の皆様に論理的に説明し、具体的な解答を丁寧に求めておられましたが、いかんせん、当然のように、この4つの雁首から出る言葉の体温の無さ加減が、当然のように鼓動と脈拍を上げる。感情をぶつけても建設的ではない場だということを想定内に、適当にお茶を濁して帰れば仕事が完了と思っているテイで、さほど、困っている表情もなく、ぬかに釘状態。

 頭が悪いとかボキャブラリーが微弱とか人間的な感情が欠落しているとかは言いませんが、もっと、お互いに大切な時間を使って集まっているのだから、生産的で建設的な意見を交換しましょうよ的な感想でした。結局、分厚い企画政策原案の資料を頂きましたが、結論は「財政が苦しいから。」が一番の根幹のようです。それに、装飾物が多すぎる。では、その苦しい財政の中でなんとかやりくりする方法について湖北地域の皆様と意見・情報交換をしたのか?していない。17万部のパンフレットとホームページで報告しましたので・・・が解答。では、18万部のパンフレットとホームページで反対意見のパンフレットを用意すればこちらの真意を理解してくれるのか???という水のかけあい的なことになる。

 大人の意見交換の場に子どもの論理。どうせなら、論理と論理ではなく、紳士的なモラル的なルールを一旦解除してとことんこの4名と感情論をぶつけ合えば答は出るのか?たぶんそれも出ないでしょう。と、つまり、この4名は頭だけはいいからここまではたぶん想定内だろう。手を出したり強引な手法が届かない構造だということを周知の上での4つの雁首の陳列である。

 さて、必死に地域の子ども達のことを考えて発言している人の心の声をこの4つの雁首の中にある灰色の臓器に伝えるにはどのような手段が一番適正なんでしょう?アリアドネかな?

 その首の上に載せているはいったい何なのでしょう?確かによく働くCPUではあるが・・・。

ユキブラさんライブ!


 昨晩の京都ライブスポットRAGさんでのユキブラさんのライブのワンシーンです。ちょっと、ブレアウォッチ風にコンパクトカメラにて撮影した映像です。天井に近い位置からのハイビジョン映像はたっぷり1時間ありますので、これは再編集DTV後、ガッチリアップロードしていきま~す。

 できればできれば、もうちょっとハイクラスなカメラが欲しかったぁ~!まぁ、これは今後の課題として・・・。

リーダーがリーダーを育てる。

 「リーダーがリーダーを育てる」というタッチのメルマガが到着した。その本分は下記のようになっていたので一部抜粋します。

 「リーダーシップ能力は、プロジェクト管理やスタッフ編成、ベンダー評価といった各種のスキルを兼ね備えていることと誤解されやすい。実際、よいITリーダーはこれらをすべてこなせる。しかし、真のリーダーシップとは人を動かす力だ。優れたリーダーは、適材適所でチームの各メンバーに能力を発揮させ、それをまとめ上げて絶大な相乗効果を引き出す。米国CIOエグゼクティブ・カウンシル(CIO Magazine米国版の発行元が創設したITエグゼクティブのためのグローバル・コミュニティ)が毎年選出している「Ones to Watch」アワードは、次代を担う新進気鋭のITリーダーを表彰し、併せて、彼らの成長を後押ししてきたCIOの功績をたたえるものだ。受賞者は、人を動かす力とそれに裏打ちされた業績が傑出しており、将来のCIOとして嘱望されている。2011年の受賞者は25人(「2011 Ones to Watchアワード受賞者」を参照)。彼らは、CIOがITスタッフのリーダーシップ養成に尽力したことにより、次代を担う新進気鋭のITリーダーとして成長した。真のリーダーが次のリーダーを育てるということだ。だが、米国CIOエグゼクティブ・カウンシルが2011年2月に実施した328人のITエグゼクティブに対する調査において、ITリーダー層が薄いとする回答者と、層が厚いとする回答者の間で大きな違いが出たのが、IT部門の運営に関する今後の見通しだった。また、回答者の52%は、ITリーダー層の厚さが「ある程度増している」と答えている。ところが、多くの企業はリーダーシップ開発の重要な要素を認識している一方で、それらについて驚くほどなおざりにしている。例えば、紛争管理力や政治的手腕は回答者が重視している力量だが、自社がこれらの力量を適切に育成していると答えた回答者は、それぞれ26%、17%にとどまっている。この回答状況からすると意外ではないが、回答者はIT部門長レベルでもこれらのスキルが「あまり磨かれていない」と答えている。人を動かす力を持つ有能なリーダーとなるためのスキルの中で、会社としての育成があまり進んでいないものはほかにもある。例えば、人の考えをくみ取るスキルを自社が適切に育成していると答えた回答者は10%にすぎない。あいまいさへの対処については27%となっており、社内の力関係の実態把握も15%という低い数字だ。「主に日々の戦術的な問題に対応することに終始している受け身姿勢のIT部門は、リーダーシップの開発機会を無視しがちであり、そのために悪循環に陥りやすい」とカレン・ルーベンストランク氏は指摘する。同氏は企業役員などを指導するエグゼクティブ・コーチで、『The CIO Edge: Seven Leadership Skills You Need to Drive Results』(CIOの武器:結果を出すために必要な7つのリーダーシップ・スキル)の共著者でもある。そして今回、米国CIOエグゼクティブ・カウンシルのために調査結果を分析した。「部下を強力なリーダーに育てれば、CIOには余力ができ、他の役員とより戦略的に連携して仕事ができる。CIOとしての本分を果たせるというわけだ」(ルーベンストランク氏)この点において、2011 Ones to Watchアワード受賞者が所属する英国グラクソ・スミスクライン、日産ノースアメリカ、米国ジェイコブズ・エンジニアリング・グループ、米国ペプシコといった企業はとりわけ際立っている。前述したさまざまなスキルを養成して強力なリーダーを育てているからだ。そうすることで、企業は競争力を保つことができると、日産ノースアメリカの情報システム担当副社長を務め、2011 Ones to Watchを受賞したリンダ・アン・グッドスピード氏は語る。「“できる”リーダーは創造的かつ革新的だ。また、そうしたリーダーを数多く育てるものである」(グッドスピード氏)」とあるが、そりゃそうでしょう。

 結局、要は「ITリテラシー」と「リーダーシップ能力」は「機能と技能」の関係だと捉えられなくもない。双方とても重要な要素ではあるが、似ているようで似ていない。共有しているようで分岐しているという相互の関係性をどこで分割するか、それともしないのかという捉え方でしょうね。

 そもそも、これだけの文脈を読んだところで、「リーダー」の定義もよく分からない。ただ、言えることは、知識や技術が豊富でもリーダーの素養・資質ではないということ。これだけ難しく理路整然と文脈を連ねても結論から~となるとそこに辿り着くような気がしました。

ユキブラ・ライブ@RAG

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 昨晩は京都のライブハウス「ライブスポットRAG(ラグ)」さんにてYUKI BRASIL PROJECT(ユキ・ブイラジル・プロジェクト)さんのライブにダイブしてきました。なんか本格的なライブはひさびさでしたので、いい感じのライブハウスにいい感じのお客様が集まり、これまたいい感じの店員さんとちょっと怖い感じのレジの店長さん!?そしてそして、これまたいい感じのユキブラさんということでもう条件はベストマッチの空間。ちょっと、長浜で開催される打ち合わせもあり~のでその後のライブへと。もう、空間に入ってきただけで20%ぐらいは満足っていうテイがまず素敵。ぐぐっと気持ちが自然に持ち上がる感覚。これが実は大切な部分なんでしょうね。いきなりゼロラインからスタートさせるのではなく、会場の立地条件(京都三条)とその会場の空間の雰囲気・空気ってのがまずライブのエピローグになる。ここから、少しざわざわ感からの、ドラムさんのカウント・・・みたいな。ユキブラさんの場合は「ジャア~ン!」ではなかったのですが、それでも、気持ちはライブモードになっていく感覚。トルクが上がる上がる。そんな感じがそこかしこに漂っていました。

 勿論、固定のハイビジョンでライブ風景はライブハウス様、ユキブラ様の了承・承諾を得て録画してきましたので、このブログで配信しようと只今準備中です。本格的な~というと非常に陳腐な安易な語彙のチョイスになりますが、こんなライブが気軽に長浜市内で聴けたらいいな~と感じつつ、やっぱ、京都はいいなぁ~とか、こんなライブを自分でも演奏してやれたらどんなに気持ちいいだろうなぁ~とか、いろいろ、いろいろ、考えてしまいました。

 というより、この空間がそういう頭に切り替えてくれた~みたいな事なんだろうと思います。お洒落なお客様とライブを観る、ライブを楽しむという紳士・淑女な空気もたぶん長浜などの地方には欠落してる要素なんだとも思いながら。つまり、にわとりも卵もどちらも先みたいな。

詳しくはこちらです。http://www.ragnet.co.jp/live_spot_top.html

下町ロケット。

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 どうやら、受賞発表後、チェックして保留している間に25万部のヒットになっているらしい。そうかそうか、やっぱいいのか。恐らく今の日本国内の情勢やスイッチの入り方に対して素直な正々堂々とした物語が展開されているのだろう。分かりやすく宇宙工学のことよりも、人間ドラマ的なこともあり、直木賞の選考委員もそのあたりの国内の「空気」を読んだ結果がこの25万部なんだろう。とにかく、出版社はどうしてもリアル書籍を売りたいからあらゆる手を尽くしてくるだろうし・・・。にしても、この物語は読みたいと思っています。ただ、天の邪鬼なので今読みたいかというとそうでもない。でも、どこかで読みたい一冊ですね。どうやらドラマにもなるようですが、これは、ちょっと、期待せずに。

一枚の開場設営ラフスケッチ。

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 どんな大きな世紀のライブプロジェクトも1枚のイメージスケッチがその成功・失敗を左右する。ジブリの映画も大企業の一大プロジェクトのCMでさえも、たった一枚の最初のイメージスケッチで決まると言われている。つまり、議論な好きな日本人は山のようなどこかから収集してきた画像をビジネスソフトに貼り込んで「こんなに膨大な資料を作りました。私はこのプロジェクトに命を賭けています!」って言いたいのだろうがそんなことは意味も価値もないとは言わないが、さほど、プロジェクトの本丸には近くない。

 もっとも大切なことは、人が集まり協議し意見を出し合いながらそれぞれの頭の中で概念化しようとしている抽象的なキーワードや過去の経験で蓄積した膨大なTPOのTIPSを総合したアウトプットが航海の旗になるのである。ベラベラとたくみな話術で時間の尺を潰そうがそれは時間と声帯の浪費である。

 よりも、その概念を踏襲したシンプルで強い一枚のラフスケッチがビックプロジェクトを根底から支えているのである。言わば、それがアウトプットされた段階で時間軸を無視すれば、このプロジェクトはすでに成功しているとも言えるのである。

 さて、このラフスケッチはいつどこで再現されるのでしょうか?この場所に入れた人はこの一枚の絵と繋がる瞬間があるはずです。それが、現場でリアルタイムに起こるリアリティーであり、それこそに時間とコスト(入場料)を適用する価値があると思います。それをジャッジするのも個体のポテンシャル次第。どれだけ予算があって、立派なハリボテに人が群がろうが、出発点が借り物なのだから、必然的にのびしろなど期待しちゃダメダメ。それはただの既成事実を予定調和という絵具で絵にしたモチ。

 しかし、この1枚は違うのです。

離婚しやすいタイプ!?

 ほんとにテレビ番組の質が失速している。そんなネタで視聴率が獲得できるのか?そんなテンションでメディアとして成立できるか?という感じはずっとずっとあったものの、ほんとに最近のテレビプログラムの狙いが不明です。温存していた映像の再編集と芸人のガヤで組み立てるハリボテ企画、あとは、低俗な政治のお話がベラベラベラベラ。

 で、最近チラミしたテイは「離婚しやすいタイプ」についてのお茶濁し論議である。然るべき専門家が登場して適当なことでもないんだろけど、尺だけを繋いでおもしろおかしく仕立ててOKみいな。そんな緩いテイな上で「離婚しやすしタイプ」が紐解かれていた。適当に離婚経験のあるタレントや女優を並べて、然るべき専門家と対峙しながら、人生相談する。それを適当にMCが煽るという番組でした。

 神経質な人は離婚しやすいということに対するいろいろな分野の専門家の意見がまた緩く、そこまで、「正義」とか「適正」とか「理想」とかという基準を仮設定してどうよ?みたいな。結果、離婚するのは個人的な問題でどのようなコンサルティングをされようが、結局、儲かっているのはコンサルティングの先生であり、当のご本人は金を払って混乱を買っているだけ。結果、離婚の本質的な問題に対して他人がとやかく言える隙間(余地)など絶対にない。まさに、「夫婦喧嘩は犬も食わない。」のである。適当なコンサルティングがまかり通っているから、その延長上でこんなテレビ番組になり、制作サイドはそれが視聴率になると踏むのだろう。全てが後手後手の最悪の循環ですね。弁護士が喜ぶだけでしょう。

 少しジャンルは違うが、よく定期的に会社や個人で受ける「健康診断」これって、「あなたは健康体です!」という診断結果がでる比率は8%以下らしい。つまり、この場合「健康」って何かという上記の基準値の設定のお話。人間生きていればどこか悪い部位があるし、生き物なんだから、血液などの数値は気温や神経の関係で変動している。それを、健康診断の際の数値だけを判断して「再検査」となるケースが想定以上に多いということ。この流れで言うなら「ハゲ」も「シワ」も「ヒマン」も強力なビジネスモデル上の潜在客層なのである。これで成立している経済構造だから、いかに、メディアにコントロールされやすいターゲット(見込み客)だということになる。これが、テレビに適用されれば、そりゃ、モノホンのリアリティーなどにこだわる必要もコストもモチベーションも必要ないはず。ターゲットはなんでも美味しい美味しいとしっぽを振る犬や猫なんだから、とりあえず的に空腹状態が回避できればそれでOKなんでしょうね。

 「結婚と離婚」、これは個体対個体の問題。家族でさえ、専門家でさえ、まして、ビジネス目当ての外野が観覧席でガヤを飛ばすのはナンセンス。個体と個体の問題は個体同士のポテンシャルでしか、適正な答は出せないが正解。それ以外は全て誤解答である。

 ある、俳優が「私は3回離婚しているので、もう何が正解か分からないよ!」と、まぁ、見事なジェスチャーとパフォーマンスをしていた。なんでやねん!「人間として正解(軸がないから)ではないのだから、正解という基準が見えないだけでしょ!」みたいな。ちょっと2枚目で知名度があるだけでこうも軸がぶれるんだなぁ~というサンプルにしか見えない。

で、7合目にやっと・・・。

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 で、7合目に到着した。もうかなり息は上がっているし、どうも、眠たい。気圧の関係か単純に睡眠不足か!?人工衛星や流星群を見ていた時間帯が遠い昔のように思える。なんか、須走ルートはタフなのか???とこのあたりから頭をよぎるよぎる。しかし、息が上がる、眠たい、暑いで、思考回路はズタズタだったような記憶しかないぞ。もっと余裕でスマートにすいすいと今回は登るはずだったのに・・・。山麓の駐車場で聞いた情報では、このコースを3時間で登頂する人間がいるらしい。そいつはたぶん人間ではないだろう・・・。

6合目を抜けると・・・。

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 ここは6合目に向かう途中。樹海を抜けて、植物も減り単調な登山道が現れます。この段階でもう太陽も昇り体力的にけっこうな状態です。昨年の経験を生かして今年はちょっと余裕で登れれば・・・などと考えていたのですが、どうも、そう簡単に安易に余裕はかませないのが自然。もっと、練習をしておけば・・・とか、あれこれ用意しとけばよかった・・・などと、頭に浮かぶことはネガティブなことばかり。なんでいつもこうなる!?それに昨年のようにちょっと眠たいぞ・・・みたいな状態でした。

日本を脱出する本か・・・。

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 日本の政治がどうのこうの、原発&放射能問題がどうのこうの、温暖化がエネルギー問題がエコが不景気がと、うだうだうだうだ言っているうちに、当の国民がいなくなったら、政治家さんたち、企業家さんたちどうしますか?国民が不在になったらあなたたちの儲けしろがなくなりますね。自分たちの戦略で自分たちを養う構図になりますね。これを逆本末転倒とでも言うでしょうか、蛇頭蛇尾とでもいうのでしょうか!?このような書籍が出ている段階ですでに相当のニーズと実績があると判断するべきであり、この書籍に書かれていることは、まさに、リアルタイムの鮮度の高いレアな情報です。この書籍は2011年8月4日初版の書籍ですからね。もう、日本国内から本当のつぶやきは聞こえてこなくなるかもしれないですね・・・。怖い怖い。

琵琶湖大橋。

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 佐川美術館を出て長浜に帰る湖岸道路から見た琵琶湖大橋と琵琶湖。

彫像の存在感。

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 佐川美術館の入口に立っていたブロンズ像。自分自身このような大作は作成したことがなく、大学の時にカリキュラムで頭部のみを作成しただけ。立体芸術やインダストリアルにも興味はあったし、造形やインスタレーションなどにも興味があったが、自分は平面で・・・という強い意志があったために、立体作品に対しては距離を置いている。

 しかし、受験の時も在学中も、デザインの仕事を始めても、立体作品についての好奇心は無くなっていない。絵も好きだが、どちらかというと手を動かして立体作品を創る方も好き。だから、こういう機会に立体作品を見るとこんな大作にチャレンジしたい気持ち湧き上がってくる。実際、学生の頃は絵画の成績よりも立体の成績が良かったし、立体作品に取り組む友人も多い。自分は平面の人間だからと立体作品は棚に上げている感じがあるが、石・木・紙・布・土・鉄・ガラスなどいろいろな素材で創る立体作品についてはこの歳になると、2~3周回って取り組みたいという強い気持ちが常に存在していますね。

 立体作品って、また、平面と異なる達成感があり存在感も違います。

富士山のご来光。


 こちらが8月13日、富士山5.5合目からのご来光です。もう少し雲海にオレンジ色の光が広がり、どこか神がかり的な幻想な厳粛な絵になるのかと想像力がMAXになっていたのに比べ、あれ?というご来光でした。が、何はともあれご来光はご来光。次は山頂で・・・。でも、その前に、地元、伊吹山のご来光が先かな・・・。いやいや、白山もよさげだし、穂高の雪原から見るご来光なんかもいいだろうなぁ・・・。

アルプスの画家「セガンティーニ」。

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 7月16日から滋賀県の佐川美術館(守山)で開催されている「セガンティーニ展」をチェックしていた。やっと、ラストウィーク前に何とかい時間が作れたので行ってきました。なかなか、滋賀県には陶器とか立体の美術館はあるのですが(と言っても少ないのですが・・・)、絵画となるとなかなかモホノンが来ない。佐川美術館は今回初めてだったのですが、この展示会も30年間熱望されたそうで、主催者側も相当の苦労をされたとメッセージボードに記載されていた。

 そりゃそうでしょう、センガンティーニはなかなか滋賀県に、もしくは、日本には来ないでしょうから。という意味で彼の41年間の奇跡の軌跡をその場所で対面してきました。やはり、モホノンはいい。よく、「会場は混雑しているから私は図録を買って自宅でじっくり絵を鑑賞するのです。」とか「インターネットのデジタル画面でオフィシャルサイトで鑑賞するから展示会はいかないの・・・。」とか言う人は、モホノンが持つ存在感を一回も感じたことのない残念な人。印刷物やポスターやパソコンの画面でどれだけの美術印刷技術で再現されようが、どれだけ高解像度の画面で再現されようが、そこには絵画の持つ魅力はない。配色や構図やバックボーンに一喜一憂したいなら、それで充分であり、蘊蓄だけ並べたいのなら、それすら必要ないはず。絵画は絶対に美術館で出会う必要がある。そして、その絵の前に立ち、自分自身の中からどんな声が聞こえてくるかを聞く場所なのである。

 最近は携帯端末で「音声ガイド」なるものが入口に置いてあり¥500とかで会場内をそれを持って歩き、絵画の説明が聞けるシステムなっているようだが、そんなの聞いて何がどうなる?そこにいるのは、自分の中から聞こえてくる声、絵が語りかけてくる声、この絵画をコレクションしている人の声を聞くためにここに入ってきているのではないのか?誠に残念。

 その存在感とひと筆ひと筆を感じて心に刻んできました。セガンティーニ20歳の自画像ですら、すでに140年前の絵画です。それは小さい絵でしたが、間違いなく、彼の20歳がそこにあったような気がしました。モノホンの絵画からはそれを描いた画家の鼓動が聞こえてくる。

グーグルのヘッダーは素敵。

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 まぁ、グーグルもいろいろあるようですが、このヘッダーロゴの展開はいつものことながら秀逸です。大きな遊び心と深い知的好奇心と優れたコミュニケーション能力をバックボーンに秘めているからこそこの展開ができますよ・・・みたいな。

映画「グラディエーター」最初のシーン。

 ふと、ただ、気まぐれに欲しくなったので、ずっと、欲しかったのだろうが、いまさらながら、DVD「グラディエーター」を買った。最初の麦畑のシーンからもう一気にローマ時代に気持ちがダイブ。特典付きのDカットDVDだったので、リドリー・スコット監督のインタビューやラッセル・クロウの撮影の合間のカットなどもあり、なかなか、素敵な2枚組のDVDコレクションになりました。

 しかし、何回見てもいい映画はいいですね。最近、無謀にも自分で映画を撮りたい撮りたいと言いながら、10年以上が経ち、こんなど素人以下の輩が何をどうあがこうが映画などエベレストより高く、もしかしたら、月より高い位置にあるかもしれなのに、どうしても、映画作品を創りたいという気持ちが、失速しない。映画に精通している人や映像カメラマンの人や何本も映画作品を作成している皆様には、いつものことながら、厳しい言葉を頂いているのですが、それでも、映画作品を創りたいという気持ちが失速しない。ある方からは「まず、創りたい創りたいではなく、短い、ほんの数分のでいいから、撮影して編集すれば、いかに映画が難しく、楽しいものか体感できます。」と言われた。まさに!です。まず、スタートラインに立つためにも、「やりたい人」ではなく、「やり始めた人」にならなければ、何も始まらないのである。

 で、「グラディエーター」の最初の麦畑のシーンをどこかで撮影してみようと思う。あれ、難しいのかな?ということ、被写体深度の浅いカメラがいるぞ、となる。そうだそうだ、カメラだカメラ。

8月13日ご来光直前@富士山の映像です。


 こちらが8月13日の富士山ご来光前の映像です。小鳥のさえずりが最高でした。

いよいよガチのアタック!

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 で、スギノのノギス、計2,500本目の記事が、富士山へのガチのアタックの自分自身になるとは・・・。

 もう、すでに1時間ほどは歩き始めているので、気温10度とは言えそこそこ身体も熱くなっている状態です。バックに富士山。天候は間違いない、あとは、体力と気力の勝負です!っていうい感じです。

人生初!富士山のご来光!

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 って、ご来光自体が人生初かもしれない。これがいわゆる富士山のご来光か・・・みたいなリアルでした。

で、6合目までの途中でご来光が・・・。

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 で、5合目の樹海をゆっくりとスタートして少し早めにご来光を見るために脇道にそれてスタンバイ。まだ、空がオレンジに染まり始めた段階で一枚。勿論、このご来光は映像でも撮影してきましたので、また、近日中に映像でアップします。ちょっと初めての富士山ご来光にテンションが上がりぎみでした。朝になると小鳥のさえずりも開始でとても素敵な感動的な映像が撮影できました。

富士山キャラクター!?

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 で、お土産物屋さんにはこんな富士山のキャラクターが並んでいました。可愛い、確かに可愛いがこれは買わない。

スタート地点がここ。

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 で、須走ルートの出発点の地図がこれ。さてさて、今日はどんな一日なるのか?的な心地でした。

5合目到着!

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 ということで、須走ルートの5合目に到着。まだまだ当然真っ暗で人もまばら。早速、ゲイト的な場所にはご案内の人がいる。そこで、富士山登山の簡単な注意をしてもらいました。そして、その方のアドバイスどおりに1時間ほど5合目で気圧に身体を慣れさせるためにちょっと休憩。あたりは真っ暗だけに、その星空の美しいこと美しいこと。下界では絶対にお目にかかれない夜空。すると、「おおっ!人工衛星だ!」と先ほどのゲートあたりで案内人の人が叫んでいる。その人の指差す方を観ると、ほぼ一等星ぐらいの明るさの星が真下にゆっくりとしたスピードで下降している。恐らくこれはUFOではないし、スピード的に流れ星でもない。こんなに明るいんだ、人工衛星ってとその軌跡を目で追っているとその案内の人が一言「こんな人工衛星を見るのは生まれて初めて・・・」と。うん?あなたはこの場所のエキスパートですよね、永年この富士山に関わってこられて「生まれて初めて!?」。

 そんなそんな、サプライズが次から次へと重なるかなぁ~と。ご来光への期待値とその人工衛星発見のサプライズ。おまけに、今夜はなんとか流星群が一番多い日らしく、その方向を見ていると、確かに一本の流れ星がその人工衛星の光の軌跡を横切る始末。このサプライズ3本は幸運×3以上のテンションで、パートナーとゆっくり!?協議(いくか!?いきますか?程度の会話だけ)ので午前4時にアタック開始でした!こんなにサプライズが続くと今日は樹海に迷い込んでオダブツかもしれないかなと頭の中にもう一個大きな心配(流れ星)が流れていきながら・・・。

須走ルート駐車場到着。

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 前日12日の午後7時頃に出発して東名経由で須走ルートの駐車場に到着。昨年の富士宮の駐車場も大きかったですが、このようなライトアップはなしでした。なんとも、雰囲気があり、「さぁ、登りますよ!」的なモチベーションが上がる。早速、シャトルバスのチケット売り場に顔を出すと、まだ誰も待っていない。早朝の午前6時からがシャトルバスの運行時間だからである。待機しているのは10台ぐらいのタクシーと駐車場整理のスタッフの人のみ。広大な駐車場は20%程車で埋まっている。午前1時なのに本日アタックする面々がモゾモゾと準備中でした。

 タクシーの運転手に聞けば、ご来光は4時30分頃。シャトルバスならご来光を観ることはできなが、タクシーなら午前3時30分頃に5合目に到着して午前4時頃からアタックすれば、6合目あがりでご来光が見れるらしいという有力な情報を入手。早速、パートナーにそれを報告して、急遽、シャトルバスを待たずにタクシーで5合目へGO!

 「ご来光」については、また、いずれ数年後に・・・と思っていただけに、まさか、この日ご来光が見れるとは・・・状態でテンションがあがりました。天候も大丈夫そうですし、第2回目の富士山登山で少しは段どりも前倒しに展開できるようになり、ちょっと余裕を持って臨んだことでのサプライズの「ご来光」でした。

明日、富士山。

 第2回目の富士山アタックまであと1日。今回は須走ルートです。台風は来ていない。体調は万全です。とにかく忘れものをしないように出発しよう。楽しみ楽しみ。

 今回はちょっと余裕なので、映像や写真をいっぱい撮影してこようと思っております。

THE ARRIVAL WORLD

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 もう、素晴らしい、素晴らし過ぎてすでに3回夢に出てきました。なんでしょうこのワールド。ひとりが描いた作品だけに世界が突き抜けている。昨晩テレビで観た「コクリコ坂より」も、勿論、いろいろな映画もそうですが、産業の部分でいろいろな意見が介入して研ぎ澄まされていく部分とフラット化する部分があるはず。しかし、一般ユーザーはそこはスルーして純粋に楽しむか楽しめないかで観ている基準があり、創り手はそれらを想定しながらも自分の世界観を高めていく。ここに共鳴の渦を創るためには何が必要か?これが昨晩の宮崎駿さんの言葉のひとつひとつに感じられた。そして、「ARRIVAL」を改めて分析してみる。素晴らしいですね。一人の世界で完結できる強さが絵本にはあるが、絵本とて編集者や出版社の意向が介入しているだろうが、それでも、この作家ショーン・タン氏のこの絵は突き抜けているんですね。

 ああ~、突き抜けたい。

YUKI BRASIL PROJECT PROFILE

 YUKI BRASIL PROJECTさんについて検索するとこうなっている「京都ゆかりのJAZZ FUSION界で活躍中のメンバーと共に結成。Samba Bossanovaを中心とするブラジル音楽にジャズをはじめとする様々なジャンルの要素を取り入れた色彩豊かでスパイシーなインスツルメンタル。ポルトガル語による美しくドリーミーなヴォーカル。関西のライブハウス、ホールのほか寺社や文化施設。ステーション等ユニークなシチュエ-ションで活躍中。2008年結成10周年ライブを開催&CDをリリース好評発売中!」と公式WEBサイトに紹介されていました。

 今回、NAGAHAMA JAZZ WALK!ライブのVol.01でお世話になる5名様ですが、実はまだ、皆様のライブを拝見・体感していない。それぞれれ実力派の独自の音楽の世界観を展開しておられる皆様だろうという想像をしていますが、そのリアルは8月23日の京都でのライブでマッチさせてこようと思っております。

 9月23日は長浜市内の叶匠壽庵様でライブをお願いするのですが、大人チックなモノホンのライブを期待しております。楽しみです。

詳しくはこちらです。http://www.h2.dion.ne.jp/~taijazz/yukibra.htm

ナガハマ・ジャズ・ウォーク公式ブログはこちらです。http://www.nagahama-jazz.com/blog/

宮崎駿さん怒る!

 昨晩のNHKの番組に宮崎駿さんと息子さんの吾朗さんが登場されていた。「コクリコ坂から」の制作ドキュメントである。監督が吾朗さん、脚本が宮崎さんという組み合わせ。冒頭から完全に気持ちをロックオンしてテレビを観ていました。特に印象的だったのが、二人ともほぼ全ての画面でタバコを持っているか吸っているかしていること。宮崎さんはもうすぐ70歳。ほぼ1年を通して撮影された全ての登場シーンで宮崎さんはタバコを吸っている。心も身体も魂も健康な証拠である。「今日も元気だタバコが美味い!」なのである。

 そして、3.11、スタジオジブリはスタッフの安否を気遣い映画の制作追い込み期間にも関わらず、3日間の休みを決定する。しかし、宮崎さんは激怒!なんたることか!と。そこで宮崎さんが取材のカメラマンに言った一言が「絶対に制作者は現場を離れてはいけない!」だった。制作現場を離れて何が映画づくりだ!と。どうせ死ぬなら制作現場で筆をもって鉛筆を握って死ぬほどの覚悟がなければ映画なって創れないんです!と。これがジブリの心臓なんだと思う。これが宮崎さんの真骨頂なんだと背筋が寒くなり心と魂が震えた。「僕たちは映画を創る人なんだ、被災された人、災害地の前線で不眠不休で復興に取り組んでいる人に対して敬意を払いながら、僕たちは映画を創るんだ!」と。余震の中、筆をすすめた。作画を進めたぐらいがちょうどいい感じに伝説になるんです!と。その言葉を吐き出す宮崎さんを凝視する吾朗さん。凄まじい親子の構図である。

 で、映画の試写会が終わり。親父と息子の間にこれと言って会話はなし。その後、宮崎さんは取材の方に一言。「う~ん、少しは俺を脅かしてみろよ!」と一言。そして、その言葉を吾朗さんに伝えると、吾朗さんは笑顔で「くそっ!」と東京の街に消えていかれました。なんてなんて素敵な親父と息子。

FBI美術捜査官という書籍。

 FBIは1万3千人もの捜査官を擁しているのに、この美術犯罪チームには12人。しかも非常勤とこの書籍には紹介されているそうである。その捜査官ロバート・ウィットマンの約20年にわたる美術品盗難、盗掘、詐欺などの捜査を濃密に描いたノンフィクションがこの書籍だそうです。盗難被害にあったフェルメール、レンブラント、ピカソ、マネ、ノーマン・ロックウェルといった傑作が次々に登場し、それを奪還するべく潜入捜査にあたったウィットマンたちチームの活躍はリアリティーあふれるエンターテイメントだと紹介されている。美術品の価値について世界と日本の違いはどうなのだろう?とこの紹介文は閉じているが、価値があるからこそ盗難の対象になり、裏ルートを介して大きな犯罪として成立してしまう土壌が世界にはあるということ。一方日本の美術作品はほんとにどうなんだろう?世界的に価値があるのかないのかなど、裏ルートの相場など知る由もないし、表の相場さえも不明極まりない。盗もうとした犯罪者には美術品の価値を判断する能力があり、大きなリスクを覚悟で法を犯しマネーを転がしているのだろう。美術品の貨幣価値についてという分野や美術家・芸術家が何故貧乏なのか的な書籍や画家のドラマチックな人生を読むにつけ、魅力的な人生だが、さて、自分はそこへ踏み込めるのか?と若い頃からずっとどこかで考えてきたような気がする。芸術はお金ではないから、貧乏をしても自分の絵を描くことの至高に純粋な魅力を感じながらも、「それで飯が食えるのか?それで家族が養えるのか?」という頭の中の声とのパラドックス。実際、なかなか、「絵で飯を食う」レベルは現実的にはなしとしてしまってきた。どこかで、チャンスがあればなどとも虎視眈々さは失っていないつもりでも、そちらののびしろが確約できない状態で、現在のスタイルを廃棄することはできない。

 で、ある意味、この捜査官の対象になるような犯人諸子はもしかして、芸術家崩れ!?どこかで絵画や芸術品の価値を見極めながら、芸術とは対極にいるようにFAKEをかけながら、実は、自分自身も芸術の道に・・・みたいな犯人像を勝手に想像してしまう。

 という感じで、面白いアプローチな書籍ですね。物語は常に捜査官目線で進行するのだろうが、その中に芸術の価値についてどのような切り口があるのか?芸術品をお金に変換する瞬間、それは、100%ビジネスとして犯人は割り切るのかどこかで芸術へのリスペクトを引きずるのか・・・?みたいな楽しみ方ができそうな予感がしますね。

NAGAHAMA JAZZ WALK!始動。

 いよいよ、NAGAHAMA JAZZ WALK!が始動する。9月23日長浜市内の叶匠壽庵さんでの「ボサノバナイト@YUKI BRASIL PROJECT」から本格的始動となる。現在、チームNAGAHAMA JAZZZ WALK!の企画・運営スタッフの皆様で当日の準備や告知ツールを作成中。今回のVol.01は定員が50名というこうとで、音楽の好きな人に対して素敵なライブを長浜市内で体感・堪能していただくにはちょっとキャパ的に小さいかもしれないのですが、本格的な5人編成のバンドでかなりかなり大人チックで雰囲気のあるライブを期待しています。で、8月の後半にこのYUKI BRASIL PROJECTさんのライブが京都のライブハウスに出演されるとのこと、そこで、企画・運営スタッフの皆様と一足早いYUKIさん達のボサノバナイトを体感してこようと思っております。

 ネットで音楽コンテンツがだだ流しの現代、音楽の業界も優良なコンテンツづくりにしのぎを削っているってのに、削っているってのに、何故か世の中、K-POPとAKBみたいな捻じれまくり。あれは正確には音楽ではない。モノホンの音楽を聴ける人が、もしくは、モノホンの音楽の楽しみ方を知っている人がこのVol.01には集まって欲しいと考えております。勿論「モノホンってなんやねん!」という方もぜひ!そこに居ていただければ、モノホンのリアルが体感できますから。とは言え、告知期間も今からですと約1ヶ月間です。ライブチケットは¥2,500(ワンドリンク+スイーツ付)(税込)となっておりす。また、公式WEBサイトが公開したらこのブログでもご案内させていただきますし、ツイッターでもつぶやきま~す。ライブが好きな方はぜひロックオンしておいてください。

 音楽端末のシャカシャカ系のデジタル圧縮データばかり聴いていると、こうして、たまには、楽器から出るストレートな音色を体感したくなるというもの。無意味なダンスも無理苦理の笑顔もないと思いますが、モノホンの音楽であることのリアリティーは抜群です。ぜひ、長浜の街かどやネットで「NAGAHAMA JAZZ WALK!」で何かを発見したり、何かがヒットしたら、一度フォーカスしてみて、クリックしてみてください。そこが、意外に近場にあるモノホン音楽への入口かもしれません。

 で、12月3日には、まず、長浜市内で単独ライブなどということは、実現不可能!?ってぐらいのビックネームが待機しております。まだ、告知はできませんが、「おおっ!NAGAHAMA JAZZ WALK! Vol.02でこの二人!」みたいなまさにモノホン中のモノホンです。世界が認めた日本のモノホン音楽の牽引者二人が12月3日長浜市内にやってくることだけは、今の段階でお伝えできると思います。BTW,チェゲと飛鳥の二人ではないことだけは確実な情報です。

 公式WEBサイトは近日公開ですので、そちらも、また、覗いてみていただけると嬉しい限り。今、しばらくお待ちくださいませ、と言う感じ。やっぱ、プロのワンランク上のライブはいいですね。

長浜ジャズウォークの公式WEBサイトはこちらです。http://www.nagahama-jazz.com/

日本を脱出する本。

 ダイヤモンド社から「日本を脱出する本」というのが出ている。あまりこの著者の方は存じ上げないが、なかなか極端な切り口かなと思いきや、いやいやそうでもないような気がしてくる微妙なニュアンス。そうかそうか、出版社として書籍を売るためにこういうニーズを設定してこの角度から書籍を企画して出してくるのか!みたいな意味と価値でやりよる。短期の海外移住から永住までを案内しているらしく、知識がゼロでもこの1冊で海外生活ができるということらしい。この書籍からの抜粋を読めば、「円高は日本脱出の絶好のチャンス」「旅行の延長で3ヶ月だけ海外移住する」「海外で働きながら生活する」「子どもの安全・教育のために日本脱出」「老後は何もしないでゆっくり暮らす」などとある。また、「放射能汚染、国家破産、増税、リストラ、いじめ・・・。日本に居づらくなったら、海外へ行くいう選択肢もある。」と言いきっている。確かに、さて、今のこの国の未来に何を描けるか?未来を描く安定志向のこの国の人々でさえ、どう考えても未来は暗いぞ。文化・経済・教育・産業と何かにつけて「復興」「再生」と活字の上ではモチベーションが高いみたいだが、実際、国民は冷静にこの事態を分析しているだろう。すると、この「脱出」という選択肢は決して妄想・幻想ではない。かなりのレベルでリアリティーのある選択肢のように思いますね。

 苦しい時だからこの国に残ってみんなでひとつになり頑張ろう!と言うのは簡単であるが、なかなか、厳しい現実はある。やる気のない人、私利私欲モードで軸のぶれている人、環境問題もエネルギー問題も特に関係なく危機感の薄い人が脱出するなら、少しは精査されるだろうが、実際はその逆だろう。日本の頭脳と言われている人達は全て海外の企業や大学の研究室で成果を上げている。つまり、ずっと叫ばれている空洞化がいよいよラストスパートということだろう。で、出て行く人は比較的、見えている人であり、できる人達なのである。この国に固執しているのでもなく、この国を愛しているのでもない、この国に依存している人が残っている構図が否めない。愛国心と依存心を混同しないことである。

 で、10年後、日本はどうなっているだろう?それを思い描くとゾッとする。そもそも、政治や行政の人間が無能であることはいいとして、本来、才能と志を持っている若者がその能力を発揮できる社会なのかという軸でこれからの10年間を捉えるべきである。社会構造が私有から共有へ移行せざるをえないのは獲りあうモノが絶対的に少ないからである。世界的に見ても失業率は低い方だろうが、それでも、個体としての能力ののびしろは現在の情報に網羅・列挙されている物理定数だけで安易に判断はできない。

 さて、この書籍の中のリアリティーはどんな感じだろうか。とても、気になる一冊ですね。

1番キャッチャーで3試合。

 昨日は自治会の恒例のソフトボール大会。朝7時20分に集合。もうその段階で、グランドの土はカラカラで最近ろくに雨も降っていないので、ちょっと走れば砂煙状態。水を捲くわけでもなく、そのままの状態でソフトボール大会が始まった。十里町のチームは第2試合だったので、私は最初の1時間は塁審でスタート。その段階ですでに汗が全身から噴き出してくる。グランドには7時前に到着して役員の皆さまが準備しているのを見ながら準備体操とグランドを2周程走っていたからである。しかし、私の身体の中のどこかには、野球(ソフトボール)スイッチが身体のどこかに埋め込まれているのだろ、「プレイボール!」という主審の声で、身体の疲労感がなくなり、気持ちというか集中力が臨戦モードになる。これは、不思議。野球(ソフトボール)は小学4年生から硬式の高校3年生までやってきたから、試合がスタートすると、スイッチが入るのだ。さすがに身体はその頃の10%もイメージどおりに動かないが・・・。

 で、午前9時から十里町チームの試合。私は1番バッターでポジションがキャッチャー。昨年はレフトで死に欠けたがキャッチャーはずっと動いていなければいけないので、それはそれで厳しいポジション。キャッチャーの元気がなくなると、ピッチャーにその影響が出て、それが内野・外野と伝導する。8人のプレイヤーを守り時間の間ずっとひとりで見ているのもキャッチャー。だから、ピッチャーに対して1球1球声をかける、フライやゴロが飛んだら内野に声をかける、ランナーがいれば適正な塁にボールを投げる声をかける、そして、その他も試合の流れを切らないように全員に大きな声を出して試合を盛り上げるのもキャッチャーの仕事。だから、疲れる。でも、楽しいポジション。そして、1番バッターは試合開始の第1番目の打者。初めて敵のチームと対する打者である。だから、絶対に三振とかフォアボールはない。ちょっとぐらいのボールコースでも打ちにいく積極性が必要不可欠。それが、試合の流れを大きく作るからである。私は常にどんなボールでも1球目はスイングする。それぐらいの勢いがなければ1番バッターの意味がない。ストライクでもボールでもヒットにするぐらいのタイプでなければ、他の打者に沈滞ムードが伝導してしまうからである。で、当然、1球目の山なりのボールに喰らいついて左中間にヒット。

 で、1試合目も2試合目も大量リードでコマを進めたが、3試合前、相手側のベンチに現れたのは全員ユニフォームの「本気チーム」。う~ん、これは親善ソフトボール大会だったはずが、一変、グラウンドの空気が変わる。もう、こうなると最初から威圧されている感じ。どうみても全員20代と30代じゃないの!?ってぐらいの完成されたチームが相手。これに勝てば準決勝なのに・・・。試合が始まる。十里チームは先行を選び、私が最初の打者。相手のピッチャーもどこか苦笑いの余裕モード。ふわりふわりと明らかに打ってくださいよ、完璧な守備でウチは絶対に守りますからぁ~というタイプ。親善ソフトだから早いボールは禁止なのでここだけはどんなチームでもしょうがなく条件は平等。にしても、どこか余裕のピッチャー。そして、後ろで元気なキャッチャー。さらに元気なベンチの応援団みたいな相手チームとの試合が始まった。しかし、今年の十里町チームはちょっと違う。とにかく、そんなピッチャーに翻弄されずに、叩きつけるバッティングで適打を重ね相手のエラーを誘い最終回の段階で10対7で十里チームのリード。

 最終回の打順は私から。もう、あと1点でも2点でも獲っておきたいところ。当然1球目から打ちにいく。渾身で振り切ったボールは鉄壁の守りをしてきたサードの頭の30cmぐらい右横を抜けレフト線を抜けていく。サードはグラブを顔の前に上げただけの反応だった。なんとも爽快な一打だった。その打球はレフトも追いつけずランニングホームランコース。もうすでに3試合目、足はセカンドベースを回ったあたりでへろへろ。でも、なんとかホームイン。その次の瞬間、レフトからダイレクトにボールがキャッチャーミットへズバン!あと、数秒遅かったらアウト!?なんとも、本気なチームなのである。で、1点を加えて11対7で、最終回の相手の攻撃。さすが打線がここでも爆発して、4点を入れられる。でも、そこで踏ん張ってなんとかなんとか引き分け。ゲームセット!!!(あのホームランがなければサヨナラゲーム・・・。)

 で、大会ルールで、9人9人でじゃんけん勝負。じゃんけんの順は打順と同じ。皆さんから緊張の視線が注がれる。結果、私は勝ち、2番の方も勝ち。2勝!が、しかし、ここで、十里チームの勝利の女神はいなくなった。3番から7番まで連続で負けて、なんとも惜しい惜し過ぎる3回戦の敗北だったのです。う~ん、楽しかった楽しかった!

 しかし、最後のサード線への1本は爽快でしたね。あんな動きをしていたサードが一歩も動けずグローブを顔の高さに上げるだけだった感じ。顔の前にグローブを上げた瞬間、ボールはもう頭の後ろみたいな。

 へとへとのへとでしたが、楽しい3試合でした。人間、スイッチが入ると信じられない底力を持っているものなのですね。このホームランはいろんな意味でいい感じでした。もうちょっと前段階からの走り込みが必要でした。反省・・・。

手島葵さん。

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 若いのに雰囲気がある。これも資質か。雰囲気ってあえて作るものじゃないのかもしません。歌声や楽曲や歌詞の世界観は無理苦理作っても習っても簡単に身につくものじゃないのかもしれません。最初から手島葵さんの歌の世界は確立していた。その世界があとは広がるだけということ。エージェントがターゲットを設定して戦略をどれだけの資本を投じて作り上げても結局それらはハリボテ。K-POPの勢いもAKBの勢いも素晴らしいが、これらは結局、美しくコストを賭けて組み上げたハリボテ。狙うか狙わずか結果がそうなることもこうなればそれがたまたまでも「戦略」という分野に属する。ならば、資質を持って世界観を醸し出し自分のワールドを確立した、しようとしている人と、その存在に魅力や共鳴を抱く人達との関係性とは、ハリボテと根本的に何が違うのだろう?何も違わないのだろうか?

 そんなことわざわざ取り沙汰さずともいいことなんだろうけど、ハリボテの美学には共鳴が難しい。

なかなかやりよる・・・。

 ほぉ~これがFLASH抜きのHTML5.0とJAVA.S.の実力か。なるほどなるほど、やりよるやりよる。これがある強い側面で今後のテッパンになろうとしている。勿論、映像コンテンツも充分に実装可能だから、狙いが明確な戦略を持っている策士はこれを実装するだろう。いやいや、それでも、軽いサイトがいいよっていうタイプは多分、CSSかCMSに移行するし、ソフト面で活用術を模索し続けるだろう。一方、FLASHは独自のルートを開拓するだろう。つまり、技術は技術、デバイスはデバイス。戦略次第ということ。ここにはつまりコストも関連するし、企画・運営するマンパワーの部分でポテンシャルがこのツールを有効にも無効にもするって感じ。ただ、この方向性は今後、必ずテッパン中のテッパンになるだろうから、進行系であることを「ありき」として、取り組む必要性が非常に高い。って、もう、サンプルはいくつか作成しているので、ガッツリ構築できたら、どこかの量販店のiPad2で確認してみよう。

 で、iPad2はさてさて、買いなのか?まだ、自分の中では「買い」ではない。リサーチはしているし、どんな活用術があるかも頭では理解しているが、「よし、買うか。」となる何かが足りない。それは、スマートフォンも同じ。誰しも飛びついているが、つまり、何事にも「飛びつきたい人」だけが飛びついているだけで、天の邪鬼な私は、そのジャンプ力、他の目的に使ったら?みたいな側面でスマホを捉えている。まず、携帯するツールに電話以外のsomethingがあまり必要だとは感じていない。携帯性を重視するほどの活動をしていないという実証に他ならないが、それでも、触手は伸びない。

 もっともっと、私自身としてはクリエティブやアート分野で有効なツールやギアや機器が欲しい。そっちにダイブしたいタイプなのかもしれない。「完成された便利」は便利だと感じない・・・みたいな。燃費のいいクールな車は欲しいが絶対カーナビは要らないよ・・・みたいな。

それがこちらのWEBサイトです。http://www.contents.ne.jp/

NXCAMか・・・。

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 これ欲しいなぁ~。これならHD記録方式で画像サイズが1920×1080可能。で、独自の映像圧縮形式でライン一本でPCに直結。そのままダイレクトに編集ソフトへ・・・みたいなこと。それにカメラに巨大なハードが内蔵で、メモリスティックも切り替え式なので、スティックさえ用意すれば、延々と映像を記録し続けるってことらしいぞ。出力端子も豊富だから、テレビ用からDVDコンテンツ用、勿論、WEB用にも、ライブ放送用にも抜群のレスポンス。う~ん、欲しいぞ、かなり。

気球がふわり。


 夏の朝、気球がふわり。いやいや、なんとも、気持ちよさげでした。

中野の朝。

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 中野の朝、午前7時頃。JR中野駅に向かう商店街というよりも細い路地。ちょっと雨が降りそうな曇天とこのなんともベタベタな感じ。「THE裏通り」みたいな。

19.99ドル!

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 これが19.99ドルか・・・、これは娘の子どもにもその子どもにも伝えたい一冊ですな。完全無欠の保存版という本でしょうね。これが、電子書籍でってなるかならないかで言うなら絶対にNO!

暑いですな。

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 あまりにも外が暑いのでチョップ君は会社に避難中。でも、暑いのでしょうね、もう、グッタリ・・・。

スイカ収穫!

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 はじめてスイカが実った。過去に挑戦してここまで育った記憶はない。2株植えてこの成果は大きい。畑だったらもっとたくさんのすいかが育つのだろうが、まぁ、家庭菜園の植木鉢レベルだからこれで納得納得。赤いスイカではなく黄色いスイカなのですが、味はどうだろう?今夜は長浜の最後の花火大会、花火おわりで冷たく冷えたスイカを食べようと思っています。

資質って実は怖い・・・。

 デジタル時代、何をするにも、職人技がソフトウエアで安価に処理できてしまう時代。また、アナログの技術やセンスがデジタルに変換されそでなかなか移行が難しいテイストも・・・みたいな時代。多様多様と何が多様か分からないほど、とりあえずなんでもかんでも「多様って言っとけば!?」みたいなこと。最近の大学の生徒募集のパンフレットやポスターやテレビCMの捻じれ加減はほんとに見苦しい。日本の大学ってひと昔はいわゆる狭き門だったんじゃないの?入学するのは厳しが合格すればあとは卒業までキャンパスライフをエンジョイしましょう!だったじゃないですか。私自身は違う意味で骨の髄までエンジョイしましたが、入試の実技ではそれ相当のテンションで臨みましたからね。それがひと昔で、何何大学卒業って看板を背負えるような看板ではなかったので、社会と接点を持つのに苦労はしたが、苦しくも楽しい大学生活だった。なのに、現代は高卒者の内定率が落ち込んで、大学生人口が増えているって話。これはもう本末転倒どころの騒ぎではないぞ。どうやら、高校卒業しただけでは、企業からの反応が薄く、だから、大学に行くってのなら、道理が通っているが、どうも、就職できないから、大学に行く~みたいな流れもあるようなないような。そんな都合のいい大学ってあるかな???例えば、高校では不十分な実技や研究や学問を追求するための大学でしょ?現代の大学って予備校のようなテイになっていないか?社会に飛び出すための助走ならまだいいが、学生が社会に馴染むためのリハビリ施設になってないか?で、大学側も生徒が欲しいから、4年間の授業料を維持したいから、学生を甘やかす。勝手に自分の世界を見つけた人材は何も4年間在籍する必要はない。温室化で社会から隔離された空間でしなやかに育成されるから、現実の壁の前でフリーズするんじゃないの?

 で、大学生が増えているってことは、実は、国内の大学の数も増えているっ~話。どうなのこの現実?絶対この流れで日本からマークは現れないですね。悲しい・・・。

 さて、前置きが長くなりましたが、「資質」のお話。人間の資質ってどの段階で確立できるのか?しているのだろうか?将来の夢をあなたは何歳の時に決めました?大学卒業してから?一つ目の会社を辞める時?ユーキャンで資質を磨いて新しい夢を手にしている人、それは本当に夢ですか?資質って実は学ぼうと意識化しても学べないものだと最近知った。新しい分野に挑戦するのは個人の自由だが、習うことと会得することの間には深い谷がある。教育期間に何を感じて、自ら好奇心を持ち、探究心を研鑽してきたかの裏にあるものが言わば「資質」。気まぐれに「あれやりたい」「これやりたい」で才能が開花すればそれこそ1億人総クリエイターである。しかし、これは絶対にない。成長のどこかの段階で人は必ず自分の資質と向き合う時期がある。その大切な時期に踏み込んだか躊躇したかで実は「資質」は変化する。化学反応的な表現でお茶を濁すこともできるだろうが、モノゴトそんなに安易でもない。逆に、「資質」があるから、社会との関わりがスムーズになるかとなるとこれも違う。「資質」が邪魔をして社会との関係性から距離を置くタイプもいる。だから、「資質」は怖い。「資質」を存分に開花・覚醒して立ち回るか、自分自身の「資質」に箍をかけリミッターを設置してフラットに浮世を流すか・・・。

 そんな私自身の「資質」は何だろう?皆さんの「資質」は有効に機能していますか?

で、廃墟。

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 で、その渓谷に面している廃墟がポツン。これもこれもグイグイ来る来る。このスポット、印象的過ぎるでしょう。ちょっと、忘れられない景色コレクションのひとつになりそうでした。なんや、忘れるかもしれないんかいっ!

ここはどこ?

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 ここは等々力渓谷っていう場所。何故、ここで写真を撮ったかはさて置き、なんとも雰囲気あり過ぎ。平気で散歩の犬とすれ違い、平気でサラリーマンとすれ違う。朝のウォーキングの親父ともすれ違う感じがなんともサプライズ。なんかの映画のロケになるなるなりそうです。なんでこうも隣の芝生は青いんだろう・・・。

東京行脚は刺激がいっぱい。

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 いやいや、今回の東京行脚もいろいろ素敵な情報や刺激のリアルをたくさん頂きました。お会いできた皆様、貴重なお時間いただきまして本当にありがとうございました。もっともっと、東京や県外に出ないと、もっともっと人に会わないとダメだなぁ~と痛感する2日間でした。ネットのメール交換だけでネットワーク感に浸っている場合ではない。現代なら千ネットは一対面にしかずとでも言いましょうか・・・。とにかく、同じ場所で同じことばかり繰り返していると、思考だけの先行型になり、頭の中だけ動き過ぎて実態は伴わなないみたいな。頭で豊富な大量の情報をたくさんインプットして活性化しているつもりでも、それは、頭の中だけで完結してしまい、実は周りが動いているから前に進んだような錯覚に陥ってるだけ。でも、実は元の場所みたいな。ぐるぐる山道を歩いてみても実は大切な羅針盤を失ってコンパスなしで歩いている状態。だから、へとへとになって同じ場所に戻ってくるみたいなことかも。そんな、へとへと感だけで毎日を満足してはいないだろうか・・・?みたいなことなんですね。

 で、たまに、ゆったりと東京に行くと、そのあたりの古い歯がじわりじわり抜けて、新しい歯がその後ろからガッツリ生えてくる感じ。

 まぁ、そんないろいろな出会いもありましたし、道場やぶりのつもりが、ばっさり一刀両断って感じもありましたし、東京ってたくさんの人がいることだけでも特異な場所だから、オモロイ人もいっぱい見かけました。そのあたり、じっくりと時間を作ってこのブログに書き出したいと思います。

 この写真は高速夜行バスで29日の朝到着した場所です。西新宿の朝は心地良かったです。う~ん、懐かしい場所、西新宿~!