我流ではなく基本から。

 「Mac Fan特選のグラフィック・DTP・Webデザイナー養成スクールとは? 確実にスキルを伸ばしたいなら、我流ではなく、基本から専門家に学ぶべき」というキャッチコピーのメルマガが到着していた。まぁ、よくあるメルマガの内容だったので特筆するべき要素はないが、この分野に限らず、現代は個人の持っているポテンシャルが仕事の成果を左右しそれが引いては会社・企業・組織の総合力になるという構図。これは何も現代に特化した傾向ではないものの、よりその傾向というか影響は熾烈でありリアルにガチになっているように感じます。

 で、「グラフィック・DTP・Webデザイナー養成」というベクトルでのお話ですが、例えば、グラフィックデザインの世界においてスクールで学ぶべき、会得・体得する知識や技術って最近ではどうなんだろう。いきなりイラストレーターやインデザインの使い方から入るのだろうか?そもそも、グラフィックデザインとはイラストレーターによるオペレーションのように捉えられているが、絶対にそうではない。それは手法や手段の部分であり、グラフィックデザインには、案件に対する捉え方やデザインに消化する際のアレンジやセンスやノウハウ的な部分がその完成度・品質を大きく左右するのに、その基本の養成となると、相当の時間とモチベーションが必要なはず。それをどこまでこの養成スクールで分化しているかがまず疑問。その上で、「デザイン」という概念をどう捉えているかでそれぞれののびしろが決まりますから、A4に文字を並べて大小の差をつけてテンプレートに沿って仕上げることが「デザイン」だと養成されてしまうと、のびしろは見事に期待できない。家を建てるのに金槌で釘が打てるだけでは家は建てられない・・・みたいな。

 つまり、いろいろな書籍でWORDでチラシをデザインしよう!的なノリはありはありだが、デザインしよう!の最初のボタンをかけ間違えている。デザインはそんなにディープな捉え方をする必要はないが、安易に捉え過ぎていると、自分自身が既存のテンプレートから抜け出すことができなくなる。そこをもし基本として養成されると、目の前の課題・案件はクリアできても、次の白い紙にひと筆も入れられなくなる。だから、紙面でもWEB画面でもモニター画面でも同じ。すでにある素材を並べるだけでは最近ならiPadで3歳児でもやること。素材からこだわりながら、最後の完成形のバリーションを頭の中の引き出しに幾つ温存・保管しているかがアマとプロの違い。爪を隠すことの醍醐味を知っている鷹は簡単に舞い上がらないということ。常に蓄えながら無駄なテンプレートを削除していく楽しさが実はデザインの仕事の楽しさなのである。と信じて取り組んでいます。