一人ではできないこと、一人でやるべきこと。

 「チームプレイが基本的に苦手」。その言葉どおり中学・高校と、毎日土を舐めて自分自身へのリアルとして獲得した実感であり体感した法則である。しかし、社会で生活しているということは、無人島でサバイバルってるわけではないので、相互にリスペクトしながら、価値観を共有して生きるが社会構造における正解。しかし、世の中の仕組みは共有だけではジレンマが発生する。ジレンマと言ってしまうと語弊がありニュアンスが違ってくるのだが、それでも、社会性に欠け鬱になり自殺者が増え続ける社会を鑑みると、人間が永年培ってきた社会性の構造やシステムが綻び始めているとも捉えられなくない。ソーシャルネットワークなるものが現れ、ネット社会に蔓延しメディア文化が崩落し価値観とニーズが混沌としている・・・となっているが、そもそも、それは本末転倒で本来の姿・システム・組織・構造に回帰していると捉える、もしくは、なんだかんだとガヤ程度だったと捉えて、実はフィールド(別の場所)ではちゃんとたプレイヤーが球を打ち追いかけゲームが成立している。スプリンターはスタートラインにしっかりならび号砲一発でスタートを切っているのかもしれなぞ。結局、なんだかんだの部分は観客席のお話で実はなんだかんだ言ってるだけの人ってプレイヤーではないのかもしれない。映画「グラディエーター」で言えばまぬけな国王とマキシマスの関係のあれ。

 で、まず、一人ではできないこととは、そんな客観の世界を恙無く航海するための術。そして、一人でやるべきこととは、航海したいなら自分の手でオールを握って、自分の手でバットでボールを打ち、自分の足と自分の身体でテープを切れということ。昨日テレビでサークKの会長が自社のおでんをよく噛んで食べていたなぁー、まぁ、あれもテレビ的な演出戦略だろうが、掴みたいモノがあれば、自分の手を汚して掴もうみたいなことで、社会性の客観と個人としてのライフスタイルの主観のバランスが調和されるような気がします。