まじめの罠。

 日本の社会を覆う「まじめ教」に毒されていませんか?「究極の優等生」として悩んできた著者(勝間和代氏)が渾身の力を込めて綴る、いまの日本に必要な「脱・まじめ」の作法ということでタイトルが「まじめの罠」となっている。¥777だから、勝間さんのファンにしてみればお買い得だろう。トシさんの「まじめかっ!」というツッコミフレーズがどこからともなく飛んできそうな感じ。

 さてさてこの時代のこの国の「まじめ観」って具体的にはどうなんだろう。世界比較で「勤勉」が素晴らしい素晴らしいでそれをプライドだと勘違いしてここまで来ている人間に「まじめ」は「罠」ですよ、トラップですよ、fakeですよ、今のこの摩訶不思議な混沌としたカオスの時代だから、その罠に注意して道を歩きましょうと言っているのだろ。それは、決して、悪くないが、そこでさえ、そこかしこに「まじめ」が漂っているような気がするのが、けっきょく、脱出していないじゃん!みたいなことになっていたら、逆にそこは読み終えて「まじめかっ!」っツッコめるってモノ。

 しかし、人間の本質・資質はなかなか「脱!」できないですからね。逆にまじめでない人達の「罠」に対してあまり「まじめ」な人は免疫がない。「罠」が「罠」だと知覚できないぐらい、まじめ中毒になりまじめ麻痺になっていたとしたら、この一冊だけではリハビリは難しいぞ。ガッツリ社会のシステムと日本の慣習に浸りきっている神経でさえ、それだから、比較的、まだ、柔らかい学生の皆さまだったらどうなる?いまだに「まじめが一番」とだけ信じてモノゴトに対峙しているとしたら、免疫どころの騒ぎではない。まじめな先生が教えているからまじめな人間に成長するなんて幻想は捨てて、最初から自分を「脱!ありき」で構築する方がのびしろも期待できますし、その場その場での臨機応変力がつき、打たれ強い人間になるはず。

 確かにこれは表面的な表面を手でトレスするだけは入手できない経験値と技術力である。一回、金槌でノミを握りしめて頑強な大きな自然石に向かってこそ、自分の創りたい形が見えてくる。石の小さい破片が目に入らぬようゴーグルもするだろうし、石彫刻用のトンカチはマウスよりも思いですからね。マウスを動かして「石を掘ることは難しい。」と言葉知る以上に、金槌のストロークは意味がある。だからか、ボルダリングが好きだし、ロッククライミングに心を奪われている。

 海外ではデジタル機器中毒(インターネット中毒)を克服するために、日本の「そろばん」を導入しているらしい。これは、結果、そろばんのスキルを高めるためではなく、自分の目的対して集中力を養うために取り組まれているらしい。集中力を高めるためにはハイテクよりもローテクが効果的だということ。まさに、「ハイテクVSローテク」の時代であり、2者が戦う構図ではなく、この天秤のバランスが大切としているのだろう。何事も事の始まりがローテクから入り、今でも、ハイテクにガッチリのめり込めない自分は、まず、ゲームがNGだし、無料アプリとか大嫌い。だから、アプリをダウンロードしてコレクトしている人は引く。あったら使うけどってなかったら必須ではないという代物を何万何十万集めて何になるか?ということ。ならば、重い金槌で石にひとのみひとのみ入れて形を創っている方が好き。って、まじめかっ!?