「上から目線」の構造。

 「根拠はないが自身満々 あの人は何様なのか。」というキャッチコピーで「上から目線の構造」という書籍がちょっと気になっている。榎本博明というこの著者のことは知らないし、別段、エンジンでリサーチするつもりもないが、書店で発見したらちょっとチェックするだろう一冊ですね。

 「上司の注意に逆ギレする。」「お客様に説教する。」「駅や飲食店で威張り散らす。」「取引先の前で先輩面する。」「他人のミスを必要以上に誇張する。」などなど。いるいるって感じ。大人と若者、双方の視点を交え心理学的な見地からのメカニズムの分析という主旨のこの書籍。なかなかオモシロイアプローチである。まぁ、さほど悪意もなく本人には気がつていないテイで、日本人に欠落している唯一関西人だけに与えられたユーモアと会話のリズムがベースになっているような気がするし、「上から目線」って多分ご本人的には自覚の外。逆に言いたいのは「下から目線」の人が何故「下から」なのか?ってこと。結局、上とか下とか言っている人は自分を無理苦理「下」と仮定して述べているような印象がある。別にそんなにへりくだらなくともコミュニケーションはできるだろうに、何かどこか自信がないことを露呈しないように「下から目線」のポジションをキープしている。だから、「上から目線」が気になるような気がする。コミュニケーションの構図にそもそも「上」とか「下」とか感じる心理状態が注視すべき点のような。

 「上から~」の人って悪意とか策略とか別段なく、ただ、楽しく生産的にコミュニケーションをとりたいだけであり、主張するから主張してよというメッセージが込められているように感じている。

 ちょっと、ベクトルがズレているかもしれないが、世の中には比較的、比較的であるが「美人」と「美人でない人」がいる。これは現実である。で、比較的でありかなり主観が入っているので、このブログを炎上させてほしくないのですが、「美人は上目線が多い。」そして、「美人でない人は控えめが多い。」ように感じる。これはいろいろ複合的な要素が連動しているから一概にルックスで判断はできないが、自分のルックスや経歴やIQに自信が在る人は比較的「上から目線」傾向にある。しかし、それは、よくよく、冷静に分析・洞察すると、かなり無理・相当をしていることが分かる。つまり、全てはリフレクションなのである。その空気の中で反響している空気感や目線・意図のキャッチボールが、実は、「上から目線」の人の方が慎重で警戒心が強く、なお且つ、機知とボキャブラに富んでいる。つまり、ポテンシャルが高く日頃の努力と研鑽の賜物なのである。に比べ、「下から目線」の人や、「~でない人」はどうか?これらを怠っている人が多い。そんな人に限って「私は本もたくさん読んでいるし、ユーモアもあります!免許や資格もこんなに持っているんです!」と主張する。間違いなく、言えることは本をたくさん読んでいる人は自分で「本をたくさん読んでいる。」とは言わないし、本当にユーモアのある人は自分で「私はユーモアがあります。」とも言わない。それに、免許とか資格が最後の最後で仕事の現場でどう役に立つと思っているのか?資格も免許も便宜上の器に過ぎない。つまり全てはそういうこと。

 世の中「上から目線」と「下から目線」のバランスで調和がある。だから、上でも下でもいいので楽しいコミュニケーションをしていけばいいんじゃないかな、って、こんなコメントも実は上から目線・・・!?