低温社会。

 プライベイトや職場での人間関係の「温度」が低下している。ネットを通じて人とつながることが容易になり、メールを使えば気軽にコミュニケーションができる。しかし、ネット上では「友達」の顔色をうかがいながら過ごし、職場では人間関係が希薄になり、孤独を感じる社員が増えているという。コミュニケーションに異変が起きているらしい。それは結婚しない人が増えたり孤独死が増えたりすることからの分析・洞察だろう。ネット上のコミュニケーションは対人での関係のディテールと何が異なるのか。このあたりが入口のようです。ネットの利用者や利用時間が急激に増えている傾向も踏まえると、孤独は嫌だがリアルに対面するのはちょっと・・・みたいなことで、ネットのアプリの中で「友達マーク」が付いていたら「友達」になった気分になる。その「友達」のアイコンが増えることで、自分自身はネット上にたくさんのネットワークが広がったと誤解している感じ。この状態で安心しているから、次の一手を出しそびれ、いつしか次の一手の出し方もそれを高めるための好奇心も失速する。だから、コミュニケーションに異変が起きているなどと新聞の編集者が洞察してしまうみたいな構図だろう。

 内向きの志向が強く、比較的「熱い人」は敬遠される空気感。だから「なるべく空気を読む」や「なるべく相手と合わせる」といった傾向のコミュニケーションが通例となり意識がフラット化する。させる傾向にあるのだろう。同じ趣味だっていうだけで安易に「友達」が成立してしまうSNSはどこか本末転倒な印象がある。「互いの共通点に頼る関係は快適な一方、現実ほど手応えが感じられず、物足りないのでないか。」という意見があるらしい。あたりまえ当然のお話。仲間と褒め合うことでのちょっと寂しいコミュニケーション。それは、リスペクトではない。そんなネット上で褒め合うことになれてしまうとその心地良さがリアルだと感じて結局意識が内向きになる仕組み。人との摩擦を避け、ネットの中で同類同志で褒め合う先に何があるのか?そんな場所では「熱い人」は敬遠される傾向にあり、全体的な人間関係の温度が低下するという流れ。

 それに、SNSもまさにの部分で、意外と制約はルールが多くて窮屈。非常にメンドクサイことが多いことで、ネットにアレルギーを感じている人はリテラシーが低いイコール熱い人ということにもなっていそうな現代社会構造が見えてくる。確かに、SNSはメンドクサイ。さてさて、この状況をすでにマークは予見していたのであろうか?であるなら、それありきで社会に摩訶不思議な調和をもたらした功績はさてさて、大きいのか小さいのか?結果、フラット化する情報の動向に体温は低くあるべき?熱くあるべき?