自分のアタマで考えよう。

 知識にだまされない思考の技術か・・・。月刊100万PVを誇る超人気ブロガー「ちきりん」さんという方の本。ダイヤモンド社から¥1,470。「会議で結論を出すには?」「就職活動で失敗しない方法とは?」「お得な電気代の払い方は?」「自殺の最大の原因は?」などの疑問が投げられた場合、あなたならどう答に導きますか?というテイ。10万人の読者を「なるほど」とうならせる ちきりんさんならではの、こう考えて、こう答えますという書籍だそうである。

 確かに、「情報」と「知識」の分岐点はどこか?という視点は常に持っているつもりですし、「情報」が氾濫している飽和しているって言われてもさほど実感はなく、結局、マスメディアや大手のライターの意識が見え隠れする情報と実際の出来事に対する分析を比較すれば、何故そういう視点で、何故そこに喰いつくのか?みたいなことは多々ある。あまりにもそれが多すぎて、「もうどうでもいいや!」となっているのがマスメディア。で、あまりにも情報がプライベイト(ソーシャル)過ぎて「だから、何が言いたいの?」とか「そこを掘っても何もでないでしょう?」というのがSNSのような気がする。最大のポイントはこのちりきんさんもたぶん指摘しているだろう「自分のあたまで考えたことなのか?」という差別化。

 例えば、どこかで初雪が降る。「今日は例年よりも1週間早く雪が降りました。」はリアルな情報であり鮮度は高い。が、その鉱脈を掘っているわけではない。「1週間も早い初雪ですから、車のタイヤは交換しましょう?」がマスメディア的見解であり、「初雪で小さい雪だるまを作りました。」がSNS。これがツイッターなら「今、雪が降り始めました。」になるのだろう。

 で、自分のアタマで考えようとは、どういうことか。「昨晩から降った初雪。私はびわ湖に降る雪がすきだから早速カメラを持ってびわ湖へ。これがその写真です。」ぐらいになるのだろうか。アタマで考える前に感じることが大切だと思っているので、考える前に行動したい。そう言えば、雪が首筋に入って「冷たい」ではない。まず、雪が首すじに入り冷たさを感じてから、アタマが「冷たい」と思考している。だから、考えるよりも感覚が先が正解である。つまり、考えるという行為は常に行動とリンクしている。しかし、情報過多になると行動が沈滞する。その上、「考えて考えて!」と言われても、行動しないのに、人間の頭は身体は「考え」に導けない、連動しない、そんな気がします。