感覚とは推し量れないモノ。

 今、福島千里選手を育てた北海道の中村氏というコーチの書籍を読んでいる。北海道という環境で何故日本を代表するような選手が次々に生まれてきたかのか?いったいどのようなトレーニングをして福島選手は世界のひのき舞台に立ったのか?それを支えていたコーチの方の想いは?これらがこの書籍を買う動機である。自分自身も過去に100mと200mと400リレーをやっていたことで短距離という競技の入口の部分は体感しているつもり。

 学生の頃、記録会や大会に向けてパンパンの足や身体にムチを入れていろいろなトレーニングをしていたことが、この書籍を読みながら蘇る。もっともっと、本格的な陸上の練習をしたかったと遠い過去に後悔の念を漂わせても仕方ないが、少しばかりでも関わってきた人間としてこのコーチの書籍の中に散りばめられた言葉は重い。

 さらに、今後の、福島選手の晴れ姿に注目である。

 季節は冬、福島選手は今日も北海道で汗を流しておられるんだろう。

 本文のことをここであまり詳しくお話することはしないが、中村コーチのたくさんの言葉の中に、「感覚とは推し量れないモノです。それを、技術論や方法論で噛み砕いているように思えても、選手には伝わらない。たった10数秒の世界を選手は競い合っている。そこに、他人の理論や技術が介入する余地は限りなく小さい。」と。つまり、いかに足が早く動かせるかを感覚的に本能的に高める工夫やアイディアを考えることがコーチの仕事ですというニュアンスの言葉があった。まさにである。

 さて、定説や理論や技術論を振りかざしている人、この言葉をどう受け止めますか?それらは、モノゴトを収束させないのですね。言わば、ポイントマーカーでありノートに貼られた付箋のようなモノでしかないということ。本丸はそこにはなく、実際レースのコースに立つ人をどのように高めるかをもっともっと本能や感覚の部分で試行錯誤しなければいけないということ。

 デザインやアートの分野も同期であり、セオリーや先入観や経験値は時に大切なモノを見失わせる場合がある。言語にならない大切なモノ。最後の最後でそれは「見えているのか?見えていないか?」が分岐点となる。

comments

定説や理論、技術論をふりかざす人はそれが最終手段なんですね、それ以外思いつかない。
システムや製品の改善などではそれが基本ですが、人が介在する場合や人が主役の場合、それは聞こえのいいスローガンにしか聞こえない! 
どんなに素晴らしい定説や理論であっても、それを聞く人は自分にとってのメリットとデメリットに著しく響かない場合は行動しない。
響かない人にそれは just a sloganなんですね。
マネージメントとは仕事の進捗状況を管理することではなく、人のモチベーションをマネージメントすることと説く書籍を読んだ時になるほどと思いました。
それに気付いてない人は、頭ごなしに理論を振りかざし人のやる気を削ぎ、信頼関係を潰し、それでも同じ理論を振りかざすしか術がないから、またやる それで何年たっても変化しないと嘯く?
1.2年で変化しないのなら結果が出ないのならその方法が適切ではないと気付いてもいいものなのに、工夫やアイディアがないのかな?
潰しておいて管理しろと言われてもかなり難しいのです。
論文を書くのではなく現場で結果を出すには強力な信頼関係をベースに地道な試行錯誤をすることが必要だと思いますね。
現場は「本に書いてあるようにはいかない。」ものです。

  • kuni
  • 2011年11月11日 21:43

書籍の中の、論文の中の論理に現場の論理が
マッチしない理由は、書籍を論文を書いた人が
その現場にいない、ということだけが理由です。
それほど一人一人のリアリティーが異なるということ。
価値観が人の数だけあると捉えて間違いないでしょう。
しかし、社会や文化や慣習やビジネスモデルは
それらをすべて組み合わせることで生まれる
化学反応に価値を見出すか創出するかに変容します。
それが世の中の中で起こっていることの一側面。
スローガンなどたまたまの便宜上の言葉の欠片。
自分がおかれた立場がどの旗の元なのかを
じっくりと考えれば、何に対してなびくかが見えるはずです。
書籍に書いてあることが現場で通用しないのは
あたりまえなのです。逆に、現場に起こっていることを
論理化・システム化・文脈化することも意義があります。
現場主義という言い回しも実はたまたま。
「論理が現場に通用しない!」と言葉にすることは簡単ですが、
現場のリアリティーでさえ、時には文脈化・論理化する必要が
あります。では、これらに取り組まない職人さんと
呼ばれている人は何をしているか?
相対的な価値観を見過ごして、絶対的な価値のみに
固執しているだけです。相関性を現場だけで完結させることも
実はモノゴトの側面です。
全ては相関性なのです。
現場にも実は「定説」や「理論」がしっかりと
機能しているから、「定説」や「理論」を否定できるのです。
思考の最少単位と相対的な社会全体の相関性にこそ、
実は、リアリティーを考えているのが人なのです。

  • khuz
  • 2011年11月12日 09:00

comment form

(スギノのノギス にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form