「学問のすすめ」では。

 ユキチフクザワの「学問のすすめ」が刊行されたのは明治5年。新しい時代の幕開けに、明治人が持つべきメンタリティーを説いたこの本は当時300万部を超える日本最大のベストセラーだったらしい。今、平成の世にこそ、この時代に生きている若い世代にこそ、このユキチフクザワのメッセージは伝えていくべき芯を喰っているような気がするというテイがあるらしい。日本の歴史にあまり興味がない私はそのあたりがまったく暗く、どのような時代背景の中でどのようなメッセージが込められていたかについてのディテールが皆無。それがまさに現代に精通する実学のそれだと言われても・・・。それが示す方向性とは「自分にとって必要な学問とは何かを考え、探し、選び取る。そういった行為こそが、ベーシックなものとして根底に流れている必要がある。」と説いている。

 さてさて、いい大学を出て、いい企業に就職できれば、30代に課長になり、40代で部長になり、50代で・・・、そして、無事退職後は悠悠自適の年金生活が日本人のテンプレートだった。しかし、それは過去の話。もう、そのテンプレートが通用・適用できる企業が今いくつあるだろうか?みたいな現代。若者はこの社会のどこに期待をすればいいのか、依存する先はどこか?ということが現代の大学の講義の大きなテーマらしい。なるほどなるほど、そりゃそうでしょう。高校生・大学生の諸君、地頭はありますか?思考の自肩は強いですか?ポテンシャルの脚力はありますか?という警鐘。

 なぜ、今更「学問のすすめ」なのかということもあるが、一旦経済のピークが過ぎ、混沌としたカオスの時代だとか言われて何がどう変容したのか?それをどう受け止めてどう考えてどう動くか?それが、ひとりひとりに投げかけられてる。そのための教育期間であるとすれば、到底、ゲームやインターネットやデジタルデバイスに一喜一憂している場合ではない。一昔までのエキスパートが職を失い、その歳で何を言っているの?的な社会人1年生のような人と出会うと愕然と現代のリアリティーを体感する。さてさて、そこで自分自身はどうかと自問自答するが、またこれが、何年この世界で飯を食っているのか!とどやされることばかり。失敗に失敗を重ね、さらに、失敗の穴を掘っている状態。危機感はあるし、好奇心もあるし、試行錯誤も自己研鑽もしているつもりでも、振り返れば自分の歩んで来た道は大きな穴ばかり。よくその歩き方で崖に落ちなかったかものだとふらふらの綱渡りだった。これからも、恐らく、この綱渡りは続く。よく、ゴールを設定しなさい的な啓蒙書を読むがまったく無意味である。どんなに細かい分析をしてもこの世にゴールなどない。あの穴を飛び越えた時がゴールだったのか?とも振り返るがたぶんそれは違うだろう。

 「学問のすすめ」か・・・、ちょっとユキチフクザワの世界に興味が湧いてきている。