グレイトフル・デッドというバンド。

 オバマ大統領もスティーブ・ジョブスもこのバンドから学んでいた!ということだが、いったい?その仕組みはというと、ライブは録音OK、音楽は無料で聴き放題。それなのに年間5000万ドルも稼ぐ。40年前から「フリー」も「シェア」も実践している。ビートルズよりもストーンズよりも儲けてしまったヒッピーバンドの秘密!となっている。これだけを読んで、さぁ、どう判断する。恐らくこの情報、芯を喰っているだろうが、バンドとしてのそれは普通な印象がある。仕組みだけが受け入れられて結果稼いでいるような。でも、5000万ドルは素晴らしいじゃん!時代のニーズ的な部分を先行させていたのか、その部分が狙ってか結果all rightなのか、たぶん、非常に複合的だろうと推察するが、結果、そうなるにはこのバンドの音楽に対する捉え方や個性的な部分が核にあり、既存の仕組みで自分達の表現が波及することに疑問を感じた何か「ひっかかり」があったはず。それを見逃さなかったのだろう。かなり気になる一冊ですね。

 最近、JAZZについて考えることが多く、どうも、「JAZZとは何か?」を頭で考え過ぎている帰来がある。これではまったくJAZZに一歩も歩み寄ることはできないと知っていても、何もすることができないがリアル。何かする必要があるのかとも開き直るが、そりゃ、向こうからJAZZはやってこないから、こちらが動く必要がある。でも、JAZZって何だろう?何をどうすれば、JAZZが体感できるのだろう。本格的な上質なライブに足を運び、五感でJAZZを感じることが唯一の近道のように思えるが、そんなことはできない。そんな時間があれば仕事をしたい。つまり、こういう人間にJAZZは降りてこないってことかな?ということは、JAZZが降臨してきた人って逆にどういう人なのか?「僕はJAZZを長く聴いて、レコードもたくさんあるんです。東京ではあれもこれもいろいろなライブを観ましたね。」という人は、JAZZな人なのか?十数年前からライブハウスに入り浸り酒とタバコとJAZZな生活をしていたから、JAZZな人なのか?いやいや、それはちょっと違うでしょう。私は、JAZZを語れる人っていう条件は、何か楽器ができて、なんでもいいからJAZZのナンバーを演奏できる人だと思う。プレイヤーしかJAZZを語れないような気がする。つまり、いくら収集してもライブに足を運んでもたくさんのスタンダードなナンバーを聴いてきたとしても、それは、そっち側の人。JAZZを共有するには、JAZZにダイブしなければ始まらないような気がするのです。そこらか全ては始まるような気がします。

 絵を描かない人が絵を語るようなことにならぬよう、ならぬよう。恐らくJAZZはそこにあるはず。