脳の進化とリスク。

 老化に伴い脳の認知機能が失われる症状は人間だけの特性らしい。同じ霊長類でもチンパンジーは長寿でアルツハイマーにかかってもおかしくないのだが、これまでに発症した例は見つかっていないらしい。人間と他の霊長類の脳にどのような違いあるのかという考察。アルツハイマーとは神経細胞が30%から70%死滅し脳が委縮するような現象を指すが、猿やチンパンジーはアルツハイマーまで進展しないのか?それはどうやら人間の進化と深い関連性があるらしい。それは逆に人間のように進化しなかったことで危険性を回避したとも考えられてるらしい。人間は他の霊長類と別の脳の仕組みをそなているのではないかという仮説とは何か?人間とチンパンジーの違いのひとつに血液中の尿酸値が高まり関節炎を起こす痛風がある。猿やチンパンジーは痛風にかからない。尿酸を効率よく分解する酵素を持っているからである。ところが人間は進化する中でこの酵素を無くし、尿酸を残す道を選んだ。尿酸は活性酸素と反応して毒性を弱める作用があるために寿命が延びる。それと引き換えに・・・みたいなことなんだそうです。人間意外の霊長類との比較研究から人らしさを突き止める多くのヒントが得られるのではないだろうかとこの記事は締めている。

 なんと、進化は時に何かを与え何かを奪っているという理論を科学的に捉えるならそれは白か黒。しかし、それは進化のある極わずかな部分だろうし、人間が人間の進化を捉えようとしているアプローチであることから、どこか道義的な作用もあるだろう。猿が人間のことを研究はしないだろうし、人間だから、人間ありきの進化論はさてどこまで進化の真髄にアプローチできているかということ。脳生理学についても、物理的に病理的に脳を解明しようとすると臓器としての脳細胞に研究者の意識が介入してくる。その道のプロではないし、別段どこかから研究予算の投資を受けているわけでもないので、そこに日々のエネルギーをフォーカスできない。恐らくそういう人がほとんどだろうから、結局、進化と時間軸についてあまりリアリティーを成さないが大多数の正論となる。でも、脳は好奇心を失わない。進化が具体的に日々の生活や個体個体の人生観にどのような影響を及ぼしているかを知りたい人は多いはず。そのニーズに答える数多の学術的な研究が大きな流れの中で分離してフラット化してトレンドやメディアやネットの世界に伝導しているはず。それらひとつひとつを精査して論化することは普段の暮らしの中では難しく意義を見つけにくい存在というか明確な意識下に置くことはできない。でも、恐らくこれらのエレメントはファッションの中にも工業の世界にも教育の世界にも宗教の世界にも介在しているだろうし、「進化」を人間という遠心分離機にかけた時、何と何に分離して有用なモノと無用なモノに分かれるような気がします。その段階で何を持ってリスクとするのか、何をもって進化とするのかを落としこまないと、必ず大切なサインを逃すような気がします。脳が示す感情や記憶を文章化・論化することと合わせて、これらのことを時にシリアルにパラレルにとらえながら、またある時流線的に考察する時間も必要だと思います。それが何か?具体的にどうすれば?で、それはどこに向かっている?となるが、そうではなく、今現在の感覚や感情をどこまで細かく分解できるのかみたいな。

 ふと、営業中に車中から見たある企業の看板にこう書かれていた。「「愛」それは心のタテ糸。」と。非常に緩い切り口であり、「ヨコ糸はなんやねん!?」とツッコンでおいたが、もし、これを考えた人の中に「進化」のそれがあり、脳がその信号をこの文脈に完結させる意図があったとしたら、意外と深いアプローチかなとも感じてしまった。恐らく、「ヨコ糸」のことは考えていないだろうが・・・。

 つまり、サインは人それぞれの条件下で異なるということだろう。それを同じしようとしている仕組みは多いが決して人間はそうならない「良さ」と「悪さ」を内在させていると思います。