リズムとスピード感。

 何事にも最適な「リズムとスピード感」がある。それは、会話でも仕事でも趣味でも芸術でも人生観においても。基本的に生物としての人間の感覚や臓器や筋肉は動いている。分子レベル、原子レベルでなら結合と分離を繰り返しているという表現が正しい。睡眠中でさえ、身体は壊れた細胞を復活しているし、傷があれば治癒しているし、疲労している筋肉や神経系があればそれを自己治癒している。言わば、このリズムとスピード感が人間の筐体としての生物の最適なスピードである。しかも、地球の自転に伴う負荷と重力下にある場合の筋肉や骨格の負荷これらは意識しにくいが相当の負荷であるはず。しかし、誕生してこれらに慣れてしまっているから日常生活中に、今日はちょっと重力がきつい・・・とか、月の引力が今日は強いから気分が高まるなぁーということは日常レベルではない。しかし、相当の負荷がかかっていると分析するのが正しい。つまり、地球の上で生命を全うしている以上、これらの条件下で生物は進化してきたと捉え、身体はその負荷に対するベストマッチな(現段階では)仕組みを持って日々の生活が成立している。ということはつまり、1時間が3600秒なのも、1年が365日なこともリズム。しかも時間軸の上でそれらは成立しているからシンクロする最適なスピード感があるはず。しかし、あまり、進化とこられの身体的なリズムやスピード感に書かれた書籍にはあまり出会うことはない。というかそういう意識で書籍をリサーチしていないからに他ならないのだろうが、それでも、まだまだ、リサーチ不足なのだろう。そこを軸足に相対性や相関性をひも解けば、医学も科学も芸術もおそらく、宗教も包括できるだろう。かなりの仮説度であり暴論に近い切り口かもしれないが、そこが一番興味がある。「なぜ、リンゴは赤いのか?」「なぜ、カゲロウは孵化して数日で死ぬのか?」「ミトコンドリアは体内で何を司っているのか?」「なぜ、日本の政治はこうも空洞化したのか?」これらの答もすべて実はリズムとスピード感で捉えれば解決の糸口が見えてくるような気がします。他のモノサシはいろいろありますが、これらも結局どこかで誰かがチマチマと論化したテンプレートに過ぎないから、その場所のちょっと前にあった何かから紐解きましょうってことかもしれない。しかし、人間の意識はそこにフォーカスしにくい特性もある。意義とか意味とか価値で判断する機能が逆にリミッターになるのだろう。セオリーやタブーこそ文化であり、慣習のゴールは突然現れる。

 で、このブログ、書き出しからここまでで14分。これは短いか長いか?