変化する者。

 さてさて、そろそろ、時間的に2011年を包括するタイミングかもしれません。今年はどんな年だったか?なかなかこんなブログで全てを総括するこは難しいですが、「3.11」を抜きに2012年の日本を語ることはできないでしょう。もし、滋賀県がそのエリアだったら、福井に津波が押し寄せ原電の放射能が漏れてたら今頃こうしてブログで「総括」を書いている状態ではなかっただろう。東北の皆様は仮説住宅や避難先で実際のところどのような年末年始をお過ごしなんだろう。あれからというものの、「日本はひとつ」「頑張ろう東北!」的なノリのイベントや事業に出くわす度にそんな表面的なことでほんとうに東北の皆様は心が和むのか?そんな他人行儀なことで、こっちとあっちみたいな線を引き、「ひとつ」って言いながら、どこまで心で歩みよっているのか?と思ってしまうこともしばしば。しかし、自分自身が被災地に出向き支援活動をしたわけでもなし、巨額の支援金を提供したわけでもないので、実際は何もできていないがリアルなのです。だから、いくら「絆」は大切ってことでも物理的に何を持って「絆」とするのかは結局ふわふわしてしまうわわけで、現実は支援のお手伝いにも出向けない。ただただ、遠い琵琶湖の湖畔からこうして「頑張ってください。」と思い綴ることしかできない。

 また、原子力発電所や日本の政府の不透明さを綴る新聞記事やテレビ番組を観るが、まぁ、本当の悪人はいつの時代にもどんな組織にもいるでしょうが、それを煽るだけのメディアと同じ視点で同調・同期するのか反目するのかの違いで、本当にこの「3.11」をリアルな出来事として捉えているかという軸があるように思います。で、言うと、それを記事にして、それをテレビ番組にして何がどうなる?と思ってしまう。戦争の悲劇、激動の明治維新、戦国時代のリアル、どれもこれも、終わったこと。無理苦理、古いアルバムを引き出してきて、自分の消化不良度合いをそのアルバムにぶつけてもそれは何のため?もっと建設的に生産的な時間を送らないと、日本は世界は結構ギリギリの状態だと思うのです。古いアルバムはもう閉じて、新しい白い紙に自分達の手で新しい絵を描いていこう!みたいなノリがテンションがモチベーションがより大切な一年だったように感じました。

 で、2012年もよりサバイバルな時代になるでしょう。ダーウィンは言っています。サバイバルで生き残る者は「強い者」でも、「賢い者」でもない、「変化する者」だと。イグアナの爪が伸びたのも、海中の餌を捕獲できるようになったのも変化。今いる場所が危険ならば動くべき。今立っている場所が自分に合わないのなら移動するべき。今考えているパターンで答が出ないのならば結果が出ないのであれば、そのパターンを捨て新しいパターンにトライするべきだと思います。古い機能しない知識や知恵や技術に固執して時間を浪費するぐらいなら「変容」を受け入れて絶対に生き残りたいですね。というか、ちょっと伸びた爪をサボテンの幹にぐっさり差し込んで息絶える感じ。俺の進化はここまでだったが、皆さんはこれを見て、サボテンに登って生き残ってくださいね的な一匹目のドラゴン(イグアナ)になりたいかな。