コンテナ。

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 ある場所の隅っこに放置されていたコンテナ。なんとも雰囲気がありパチリ。と、最近、撮影しているモチーフがどうも妙な傾向にある。言わば「しょうもないモノ」が多い。それは撮影するほど価値があるのか?といつもちょっと気になっているが、何故かどこか気になるのだから仕方ない。その風景や対象を見て何を感じたから撮影したのか?はあまり関係ない感じ。すべてたまたまが多い。逆に何か写真を撮影するぞと山やびわ湖に行っても撮影したいカットにめぐり合うことはない。ここに何か一定のルールみたいなモノがあるのだが、それは自分自身でも不明。ただ、半日粘ってこんな夕景を撮影したいとか、この場所だけに咲く花をもとめて山を1日中歩くというこはしない。それが写真を楽しむ場合のテッパンなのだろうが。自分は写真家ではないし趣味が写真だというわけでもない。ましてカメラマンでもないので、「写真」に対するこだわりなどたぶん0以下のマイナスだろう。

 で、「写真」って何だろう?と考えてみると、時間を切り取っている訳で切り取っているのは時間といっしょにそれを撮影した時の自分の気持ちでもあるはず。ならば、「美しい」は最低限求めていないし、「感動的」な風景や情景も求めていないことになる。つまり、自分の時間というか自分の気持ちが決して「美しい」や「感動的」に向いていないことが自覚できるのが自分自身にとっての「写真」であるという定義になる。では、「自分の時間」というのは一体???となるが、別に「写真」でなくとも時間は刻印できるし、記憶のためのアーカイブだと捉えると、なんとなく気持ちとマッチする感覚もある。

 ではでは、この「コンテナ」と私の「記憶」の関連性はいかに?

comments

なかなかいい素材ですね。 何のために購入されたのか?  何が入っているのか?  何に使われたのか?
積まれたタイヤは何? ホイールは? 色がまだらやけど塗ったの剥がれたの?  取り付けられた電機は何するの?  もしかして法律に違反しているモノが入ってはいないか?
などなど想像してしまいますね。
会社にもこのてのコンテナがありますがどうでもいいものが入ってます。
街中をウォーキングしているとこの手の素材に出会うことが多いですよ。

  • kuni
  • 2012年01月17日 22:44

恐らくそういうことが気になったモチーフなんでしょうね。
そういう視点で街を観察すると
いろいろ気になるモチーフは多いですよね。
そんな写真を溜めていくとまた別の日、
その写真を観た時にその時の気持ちに、
今の気持ちが重なる感じがなんとも心地いい。
これも動的平衡なのでしょうか。

  • khuz
  • 2012年01月18日 08:18

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