自分の弱点。

 「生きることがつらい人は人の強さや理想的な生き方という意味を勘違いしている。自分の弱さを出せるということが内面的強さを表していることなのである。弱点のないことが強い人ではなくて、弱点が出てもその場で心理的に混乱しないということが強い人である。生きることがつらい人は弱点がないことを理想の人として考えている。だから生きることがつらくなってしまう。生きることがつらい人は尊敬されたくて必死に努力をしているのであるが、どうなったら尊敬されるかということが分かっていない。だから努力が実らないのである。生きることがつらい人の願う理想の人を彼らが演じても、普通の人はその人を理想の人とは思わない。弱点を隠して理想の人を演じても人は親しみを感じない。そうではなく自分の弱点が出ても、心の動揺がない人を見て「強いな!」とか「素敵な人だな!」とか思うのである。生きることがつらい人の願う理想の人は心のない人である。心のふれあいのない人である。生きることがつらい人の願う理想の人はどこを切ってもその人らしさがない。その人固有のものがない。その点を勘違いしているから、必死で生きながらも実りのない人生になってしまう。だから「つらい、つらい」だけで人生が終わってしまう。生きることがつらい人の願う「理想の人」には心がないから、その人の周りに集まる人も皆心のない人である。心の酸欠状態である。酸欠状態だから何かわからないけど「苦しい、苦しい」状態が続く。しかし、そこまで酸欠で心が苦しくなっていても「理想の人」には心がないということが分からない。だから、自分の周囲にいる人にも心がないということが分からない。自分が自分とふれあっていないし、他人ともふれあっていない。多少オーバーに言えば生きることがつらい人の願う「理想の人」とは人間してきわめて不自然な人間である。心理的に健康な人であれば、誰でも「できればつきあいたくない人」である。弱点が出てしまってもそのことで、その人とつきあいたくないと普通の人は思わない。逆に言えば他人の弱点を、そのようにやさしさのない眼で見ているからこそ、自分の弱点を隠そうとしてエネルギーを使って消耗してしまうのである。」とある書籍のあとがきに書いてあった。

 弱点だらけで失敗だらけ、成功や達成感などはたして具体的にあっただろうか???という人生観の私は仮にも「失敗から何かを学ぶ」というテイではない。恐らく失敗から学んでいるのは失敗だから。そのことを常々モンモンと考えていたので、この書籍のあとがきはすっきりした気分になれた。総じて成功を「一番」とするならば、ほんとにほんとに私自身の人生の辞書にガチで「一番」「優勝」「ナンバー1」と文字が存在しない。普通の神経で努力している人間なら、目標に対して諦めの気持ちしか募らないだろう。しかし、失敗や弱点だらけの自分をよく知っているので、結果に期待はしない。すべて「たまたま」とジャマイカの人のように(ジャマイカの人に怒られるが、一人親しかった人はそんなタイプだった。)楽天的に失敗から失敗を学び、全てに総じて諦めていない。一生ナンバー2でもいいから、弱点大歓迎でアリだと思いますね。

 で、最近のfacebookとかSNSってそういう意味でどうでしょう?って感じ。いわゆる「理想の人」どうしの表面的なコメントが乱舞していないだろうか。それでもコミュニケーション時代だからやらないよりはやるが正解だろうが、どうせやるならもっといい意味でお互いの「傷」を舐め合ってもいいような気がしますね。理想ばかりステレオタイプに重ねても不思議なストレスばかりが蓄積するような。