2012年02月 アーカイブ

エゴだかエコだか・・・。

 あるアーティストの歌詞の中に「エゴだか、エコだか・・・」みたいなフレーズがあった。何故か耳に残った。語呂が良かったのか、芯を喰っていたからなのか。確かに紙一重的な部分は感じる。もうすぐ「3.11」になる。ほぼ一年。あれから日本は変わったのか変わっていないのか。復興・再生・支援と合わせ技の百花繚乱。「がんばれ日本!」の旗の元、集まる人達の真意はいかに。真意などと軽々しく書き出さない方がいいかもしれないが、「3.11」はそだけの価値がある。つまり、個体としてどれだけ価値を意識できるかというモノサシで言葉のチョイスや行動の指針が変容するということ。地球環境にとって本当のエコロジーとは人類と無関係が正解だという仮説に心は動く。他の生物を駆逐しながら繁殖している人類と地球環境の中で、自らのDNAに沿って生命を謳歌する他の種族達。この関係のどこをどう切り取っても「エコ」という定義は存在しない。これはキリストの教えよりも明らかである。つまり、人類の「エゴ」こそが「エコ」だと歌ったこのアーティストは的を得ている。あの「イマジン」さえも、「エゴ」に思えてくる。本当の真理は「ガラパゴス」にあるような。

 で、先日「フリンジ・サードシーズン」の最終話を観た。まだ、その余韻が身体中に残っている。人類の終焉をあのように描き、人類の存在価値をあのように描かれると、数多の映画がブリキのオモチャに思えてくる。物語の中のアインシュタインはパラレルな世界観の中でああも翻弄し合うのかと・・・。

 「エゴ」と「エコ」。なかなか鋭いアプローチである。こは進化か退化なのか・・・みたいな。もし、彼(アキリ)が本当に存在するなら直接ログインしたいもんですね。

バイブルバイブル。

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 あるお仕事の資料として最新を入手した。何歳になってもこれは全てのバイブルバイブル。何がこの中にあるって、全てある。なんだろう、この絵を見ているだけでドキドキするのは。なんだろう、こうして手元にあるだけで自分の中のスイッチが入る感じ。

これもどうやらアタリらしい。

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 これもどうやらアタリのようです。ひさびさだな、アクタガワは・・・。

LECCA

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 ずっとどこか気になっていた一枚。うんうん、あたりあたり。

ほんと、スパイクいいですね。

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 トヨタからホンダに変えて・・・みたいなちょっと不安があったが、全然快適スパイク。

ささっと。

 仕事に対する心意気の部分ですが、「ささっと」片付けるというニュアンスはダメですよね。この語感にはいろいろな意味合いがあり、プロフェッショナルとしての技術やセンスを充分に理解している上で、時間的に急ぐ案件だから、あくまでもあくまでもプロとしての実力を認めた上での「ささっとお願いします。」と、ちょっととにかく急ぐからお忙しいとは思うのですが、なんとかご無理をお願いして、なんとかなんとかお時間を創っていただき、「ささっと」と言ってしまうニュアンス。これは、決して、安易に片手間にやってくださいというニュアンスではないのですが、忙しい仕事に追われている人に対しては禁句。どんなに親しき仲にもですね、礼儀というものがあるということ。お調子をこいて安易にネット時代からと言って画像をメールしてちょっと時間がないので「ささっと」お願いしますよってやっぱり言ってはいけない言葉なんですね。ほんと反省。もっともっと言葉はえらばなければいけないという失敗談でした。

 逆に誰かからちょっと急いでいるのでこのラフスケッチやデザイン案を「ささっと」やって送ってくださよ!と言われた時に自分がどう思うかを考えらたらそんな軽々しく「ささっと」なんて言葉は出てくる道理はないだろう!という一般的な感覚がセオリーなのですが、そこは、調子者の極みで、ガチに「ささっと」やってしまうこともしばしば。これも逆にあまりよろしくないことですよね。

 で、何事も仕事として受けている以上、どうやら、お願いする場合も、引き受ける場合も「ささっと」は封印するべきだと思います。って、いっぱいいっぱいになるとどうしてもこの便利なフレーズを使ってしまうのですが、そもそもそんな余裕のないことがNGなんですよね。とにかく反省反省反省。

伸び盛りのWEB系・・・か。

 「伸び盛りのWeb系/クリエイティブ系企業でスキルを磨こう!」というメルマガが到着した。とても本文を読む気持ちにはなれないが、世の中的にWEB系やクリエティブ系はいわゆる「伸び盛り系」と言っちゃってもいい面もある・・・ということは理解できた。さて、この「WEB系」と「クリエティブ系」についてですが、他に数多ある「~系」と比較してこの分野はどういう意味において「伸び盛り~」なのだろう?このテイでスキルを磨くということは実際現場の仕事をしながら感性や知識や技術を磨くことで、いい仕事人になれますよ的なことだろう。確かにこの世界だけは免許や認定証がない。なんとか試験もなければ、なんとか検定なんてテイで一生懸命取得しました。頑張って挑戦してその知識を得ましたという国なりとある機関の免許皆伝を頂いても、さて、現場で仕事はどれだけあるのか???となる。医療事務なんて一番人気らしいが、そもそもポテンシャルも資質もない人間がこのアプローチをして、少しでも時給を、パートや派遣から正社員へというルートを構築したいと考えてのお話。そもそも派遣会社に何がある?という仮説から経済活動のそれが伸び盛りにシンクロできるのか?となると、はなはだ疑問である。という意味に置いて確かにこの「WEB系」と「クリエティブ系」はなんの保証もない。安定感など無縁の世界。現場でしかスキルやセンスを磨くことはできないから、仕事をしながらポテンシャルを高めましょう!というメッセージなのだろう。

 で、この「WEB系」と「クリエティブ系」のスキルってどんな仕事をするか、どの部分にどのように関わるかでそのスキルやノウハウは大きく異なる。広くやればいいってものでもないし、一点に集中すればいいというテイでもない。時にマクロに時にミクロに捉えなければ絶対に世の中のの「伸び盛り」の恩恵はない。覚悟があるならダイブすればいいが、想定外の障壁ありきと捉え、傷だらけになっても前に出る覚悟があれば、恐らく「伸び盛り」にシンクロできるだろう。

「空腹」が人を健康に・・・と。

 それは一理はあるだろう。そんな書籍が発行されるような時代なのかな・・・と。まずこれが第一印象だった。確かに1日2食の時もあるが別段空腹で仕事が手につかなってことはないし、逆に晩飯が美味いという効果もある。ただ、冬場は身体にエネルギーが必要なわけで大食いはしないが、適正な栄養は適正に摂取したいというのが私の健康スタイル。昨年の夏から秋にかけてほとんど1日2食を通していたが、結果、夏の終わり頃にちょっと意地を張り喰わなかったら上唇にヘルペスが発症した。皮膚科に行くと、「うん、これはヘルペスですね。栄養をしっかりとって静養してください。」と言われる始末。でも、できることなら1日2食がベストコンディションだと思っている。しかし、この書籍の著者は1日1食で20歳若返る!と言っている。まぁ、実際、1日1食で20歳若返っていると誤解している人の物理定数がいかほどか?実際、何を測定して20歳若返ったのか?などと重箱の隅を突いてっていうテイでこのタイプの書籍を購入するつもりはないので、へぇ、60歳が40歳になったんだとしたら、それは、それで「おめでとう!」でいい。

 お腹が「グーッ」と鳴ると体内の細胞が活性化すると言っているが、細胞はいつでも活性化している。そんなことで今更意識下に置かなくとも四六時中死ぬまで人間の細胞は活性化しているんだから、とりたてて「グーッ」に注視する必要はなし。で、食べ過ぎやコーヒーやタバコについて身体に対して非健康要因であることは感覚として理解しているが、人間の本能は本当に必要としないものを欲することはない。唯一、人間がここまで地球上で繁殖したのは、人間の満腹中枢が緩いからだという仮説がある。満腹のリミッターが緩く、機会があれば脳は体内に栄養を貯め込もうとする生物らしい。他の生物に肥満が少ないのはしっかり栄養の摂取量を制限させるリミッターがあるから。人間だけが暴飲暴食をしてもそれをグルメという定義で処理して子孫を繁栄させてきたのだろう。そのあたりをこの著者がどう捉えて、「人の健康」について考えをまとめているか知りたい気持ちもなくはない。

 で、この書籍のニーズについてはどうか?編集者はアンチを狙ったのだろうが、日本人にこのアプローチを読ませるタイミングは今だ!と感じたのだろう。それはある意味正解だろうし、「ダイエット」の語感に依存しながら、ダイエットとリバウンドを楽しみながら「生」を謳歌するのもこれまた人生。でもでも、「空腹」について言えば、身体と心についても言及していて欲しい。本当に健康に繋がるのは消化器系の空腹ではなく、心の精神の魂の「空腹」こそが健康に深く連動していると思うからである。

 今日も元気でタバコが美味いの真理は意外と正解に近いような・・・。

ジェノサイド>日本沈没

 「ジェノサイド」を読み終えた。なんとも爽快かつ温かい読後感である。やはり、日本のSF!?ってことでかなり警戒していたし、書店で手にとってもなかなか購入に至らなかったが、最後の最後で買った。そんな経緯も含めて私の中で絶対に忘れることができない一冊になった。このブログで物語のそれを書き出すことはでいないが、なんと言いましょうか、ほんとに「日本人で良かった・・・。」と腹の底からこみあげてくる一冊とでも言いましょうか。それぐらいのクラスでしたね。かなり練り上げられた作品であることは間違いなく、このクラスで言えば、恐らく、私の中ですでに「日本沈没」を越えている。「日本沈没」が自分の中で評価が高いということではなく、あの頃の「日本沈没」という小説の存在感のみと比較した場合という意味。中身の面白さは恐らく「日本沈没」の10倍以上でしょうね。

 で、そういう意味で「日本沈没」後、日本のSF小説でとなると、ほんとに、「パラサイトイブ」しか思い浮かばない。でもそれでも、いずれも、「ジェノサイド」には及ばないだろう。高野和明さん、凄まじい作品を仕上げらものです。同じ1964年生まれ。なんか勝手に一方的に大好きになりました。

 他の日本の作家さんについて一般人が一般の感想として述べるなら、いわゆる人気作家の世界観は小さい。それで?という作品ばかり。が、この一冊はかなり渾身である。

「道化師の蝶」という非線形科学。

 まだまだ何も詳細は掌握していない。ただ、「非線形科学」という切り口が気になっている。これを検索すると「非線形科学(ひせんけいかがく、英: Nonlinear Science)とは、非線形的な現象についての科学である。旧来の、もっぱら線形代数だけで説明できる現象を対象とする科学を「線形科学」と呼ぶことができるが、そのような「線形科学」と区別して、「非線形科学」と呼ばれる。」となっているが、さすがのウィキペディアでもこの程度。そして、「フリンジ・サイエンス」という言葉には、「非主流科学」「疑似科学」などと訳されているらしく、研究者は科学だと主張するも、科学として認められていないものをさすとのこと。さてさて、「科学」とはいったい何?からはじまり、このテイの存在とはどこへ向かうための推進力たるのか?カオスが叫ばれ、生物の多様性が叫ばれ、すべてをバタフライエフェクトで処理しようとする線形思考に対する対極にあるもの。いや、この際、「対極」という示唆も適正ではないだろう。さてそんな世界を芥川賞というクラスで何がどう展開しているのか?それは確かに確かめたい気持ちがある。どうやら、「共食い」と比べて審査が大きく二分されたらしいが、ならば、読みたいのは「道化師の蝶」だろうみたいな。さて、現在「ジェノサイド」が残りページ10%程度になってきた。非常に楽しみながら併読しているので、ここまで来てしまった・・・もう少し楽しみたかったのに・・・ここで一旦止めようかな・・・とか考えてしまうほど面白い。あと10%。どんなオチなのか?いろいろ想像を巡らせている。実は小説はここが一番面白い。想像できる文脈を想像以下のレベルでトレスするのか、いやいや、想像以上のクラスを体験できるか?これが一番楽しいひととき。

 で、「イール」は600ページが「上・中・下」とあったので相当楽しめたが、「ジェノサイド」はもっと文章があってもよかったかもしれない。あ~あ、あと10%か。ちょっと待とうかな、今晩読み切ってしまおうかな・・・という感じですね。次は「道化師の蝶」かな・・・。

 しかし、「フリンジ」の原作はないのかな?もしご存知の方がおられたら情報をくださいませ。

ひとり歌姫が・・・。

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 11日、ロスで歌姫が他界された。48歳、早すぎるだろう。残念である。「オールウェイズ・ラブ・ユー」が最後の式に流れたらしい。

いいくぼさおりさん@川崎屋

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 毛穴が開く感覚をライブで体感することはそうそうないですね。心が開くと魂が開くと素敵な歌詞が素敵なメロディーが素敵な歌声が身体の中に入って来る感じ。見事に並べられた歌詞がさおりさんの歌声で珠玉の時間に変わる瞬間。その瞬間瞬間こそがライブのホンマル。いやいや、相変わらずの凄まじいというか素晴らしいというか感性溢れるというか素敵なライブでした。

 で、「いいわけ」か・・・。うん、セカンドアルバム楽しみにしております保坂Pさん!

イモト@アコンカグア

 相変わらず凄まじい挑戦でした。人間VSアコンカグア。あと200mの決断。イモトさんのウンコ。ラッセル石崎の存在。いやいや、他のテレビ局も他のタレントさん達もこの心を忘れてはいけませぬ。自然にとって人間など・・・みたいなテイを知れば知るほど、俗世間に溢れる安易なテレビゲーム的仮想空間の温床加減がまさにウンコのようです。石崎Pもなんだかんだと空気を作りながらあと200mまで行きましたからね、う~ん、プロフェッショナル。

 しかし、あの小さい身体のどこにあれだけのスピリッツがあるのか、イモトさん。なぜ、そこまで、自分に負荷をかける期待をかけるのか?それをサポートするあの強靭な肉体と精神力を備えたチームのリーダー。それほどのスペシャルチームが準備万端挑んでもあと200m。凄い2時間の構成でした。

 で、あのキレツの瞬間はなんともリアル。リアル過ぎてテレビの前でビクッとしてしまった。生と死がそこにあるから山に皆魅かれるのでしょうね。死を意識することで生を実感できるなどと、安易なことは書きたくないが、それほどの感覚を受けました。いやはやお疲れ様というガチな感じ。

大往生したけりゃ医療とかかわるな!か・・・。

 たちまち15万部突破!はいいが、「死ぬのは「がん」に限る。ただし、治療はせずに。」などと言ってしまうと、癌で肉親や恋人・知人を亡くした人が遺憾に思うだろうに・・・と危惧する。これも人間性の部分で相対と絶対のお話だから、まぁ、この書籍の意義や意味は十人十色でいい。

 しかし、実は医療というビジネスの本丸の部分が日本の経済を根底から支えているという大前提をどう捉えるかでこの書籍の意義が変容する。医療の現場が国家の経済活動を担っている背景と「穏やかな死」に対する冒涜の間で微妙に揺れ動く天秤なのだろう。例えば、「出来る限り手を尽くす」とは「出来る限り苦しめる」としてしまうことが人道的にどうなの?ということが言わば「宗教観」と「科学観」の誤差というか、哲学的なジレンマに転用した場合、その真理は個体の数だけあるだろう。そもそも、癌細胞とは発見する技術が進化したから治療するというパータンになるだけで、人知の向こうにある存在ならそれを人間は運命と受け止めるだろう。この著者は「癌で死ぬのではなく、癌の治療で死ぬんだ。」と言いきっちゃっている。これが医療の現場のリアルで、それを日本の経済活動の中核が隠ぺいしていたとしたらそれはちょっと「悪」だろう。まぁ、「悪」か?「善」か?なんてスターウォーズになってしまうから、どうでもいいこととしても、人間の死については人間としてしっかり向き合う必要がある。

 で、「自分の死」とはどういう意味があるのかを生きている内に逆算するために「癌」があると捉えてくださいよ的な書籍なんだろう。まぁ、これを別段「衝撃の真実」なんて捉えずにサラリと認知できる人間になりたいものです。書店にあれば「買い」な一冊だろう。

 まぁ、何が「大往生」かみたいな個人差のところで振り幅は異なるが・・・。

セザンヌ展3月28日~@国立新美術館

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 過去最大のセザンヌ展が3月東京にやってくる。何かのタイミングで行きたい。若い頃はあまりセザンヌについては「その他の大御所のひとり」だった。しかし、年齢を重ねるごとにセザンヌが気になってくる不思議。風景画にあまり思い入れがなかったが、実は風景画や静物画が気になる感じもありなのかなと。人間の気持ちは時間の経過と共に人間の向こうにある背景にある根底にある「自然」を、もしくは目に見えるモノに対するリスペクト感というかリアリティーにしだいに連動していくのだろうか、などと、このような気持ちがその場所に行けばより明確に感じられるのかなと思っております。

 で、この静物画、観れば観るほど心が引き込まれるぞ。絵画は何故にこうも永遠なのだろうか・・・と。

WOODBASS

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 最近、新大阪で高原かなさんのライブを拝見してから、どうにもこうにもこれが欲しい。高校の頃に最初に練習した楽器はエレキベースだった。大学に入りエレキギターを弾くようになるが、それでも、世の中に存在している楽器で一番素敵でカッコイイ楽器はウッドベースだと思っている。さすがに高校生でこれを購入するわけにはいかずエレキベースにしたが、ずっとずっと、どこかでもしタイミングが合えばウッドベースを欲しいと思い続けてきた感じがある。

 で、かなさんのライブでもちろんかなさんのボーカルは秀逸だったが、気持ちが集中していたのはウッドベース。あのなんとも重く軽やかなディープでアナログな音色はたまらない。音楽は感覚。頭で考えるものではないということは言葉で理解しているが、なんせその道のプロではないから、素人レベルの思い込みとしても、ウッドベースはかっこいい。中古をリサーチしたが、¥30,000ぐらいから購入できるらしいぞ。まずは、練習用を一台手元に置いておきたい気持ちが次第に大きくリアルになってきている。

MAC&WIN

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 こちらが私以外のスタッフが使っているメインのマシン達。MACはMAC-PRO、G5、G4。WINは全てXPでそれぞれのCPUが走っています。最近購入したWINは私のコンパクトなボディなのに、私のワークステーションと同位のクラスです。この6台を2人で使っています。私はMAC2台とWIN2台。ほんとにほんとにパソコンとソフトはいつも新しいモノをそこそこなスピード感で揃える必要があります。寿命が短い生き物なので健康管理が大変。筐体やOSでは仕事のツールにはならないので、ソフトについてもそこそこのスピード感で。っても、ガツガツ新品揃いというわけにはいきません。

 でもでも、結局は道具ですから、使う人のポテンシャルが下がらぬように・・・の努力が一番大変ですね。意外と仕事の現場では最新ソフトは必要がない場合が多く、ひとつふたつ程度古い組み合わせが安定したりトラブルが少ないのがリアル。で、ちょっと古株についても捨てられないのは、何かのタイミングで「捨てないでよかったぁ~!」が結構あるから。そのあたりのタイミングとか組み合わせが大変ですね。ソフトもいずれCS6とかCS7になるのだろうし、WINも8になった時じっくりと本格的に検討しようと思っておりますね。

高原かなさんの魅力。

 少し前、高原かなさんのステージを新大阪で観た。これがそのライブの一部。決して、会場はそんなに満員モードではなかったが、まぁ、大阪のジャズな感じってこんな感じなのかなと・・・、そっとライブが始まった。一曲目は「イマジン」。いきなり全開!?というスタート。いろいろなトークを交えながら、トリオテイストありなどで演奏とステージは続く。

 そこへガッツリとライブを観にきました!ではなく、ちょっと仕事おわりでJAZZが聞きたくなったので、ふらり的なのがもしかしてJAZZっぽいのかと感じていた。ライブは素敵ですし、かなさんのボーカルがライブハウスの空間をゆったりと時に激しくかき混ぜる。それを観て聴きながらビールを飲む、食事をする、これが実はお客様が一番求めている空間なのかと。それをアーティストも理解しているから、そういう空気の時はそういう演奏をする。しかし、なんとかフェス!みたいなテイではそういうモード・スタイルにする。でこそアーティストみたいな。規模が小さければそこにマッチさせる。1万人が相手なら1万人相手モードになる。これが実はデジタルコンテンツやソフトウエアの苦手な部分。デジタルツールは基本ONE TO ONEがテッパン。しかし、人間がクリエイトしてきたモノっつーのは、可変・変容・覚醒が自由自在なのである。だから、結果、広まる。なんでもそうですが、「鶏と卵」論でモノゴトを理解したような気になることはよくあるが、実は鶏は鶏、卵は卵。産まれるからとか産むからとかで包括できない個体と個体。量子のお話で捉えても変容から平衡へ、作用から反作用へが正しい。

 話はだいぶ逸れたが、かなさんの長浜でのライブ。それが何より楽しみである。

オリビア・ダナム@フリンジ

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 以前にこのブログで世界で一番素敵な女優はA.ジョリーだと書いたが、それはある意味そうなのかもしれないが、自分の中でそれが変容しつつある。まだ、フリンジしかしらないからこのアナ・トーヴという女優さんののびしろは未知数。しかし、フリンジについてもすでにファイナルステージ(4)がそろそろDVDリリースってことで、現在サードシーズンの5巻あたりを楽しんでいるのですが、それでも、なんでしょう、ダナムはいい。極端な比較ですが、過去にA.ジョリーの作品を20本観ているとして、ダナム@フリンジで比較すると、約1時間が1話だから22×2=44話を観ている計算になる。仮に映画が2時間としても、映画に換算すると22本分。ということは、A.ジョリーと同じぐらいの映像でダナムを捉えると、明らかにアナ・トーヴが勝る。しかも、A.ジョリーが連続で22話はちょっとキツイ。すると、物語に登場する主人公の立場で女優というテイで魅力的な演技をクリエイトしているとカタク捉えたとしても、アナ・トーブが勝ち。

 で、サードシーズン。すでに5巻だから10話を観ている計算になるが、それでも、11話目が観たくて観たくて仕方ない。これは物語は勿論秀逸だし、脇も最高値に等しい。が、やはり、それでも、なおかつ、ダナム(アナ・トーヴ)なのである。

 ファイナルシーズンが完結したら、全44本のDVDはコレクトしたいと思っている。

全てに正解はない。

 らしくないポジティブさにはやはり当然自ずと限界がある。それよりも淡々と何事もフラットに受け止めた方が適正な判断ができるというもの。期待せず落胆せず。何か問題が起きた時、多くの人は必ずその問題を解決するための正解があると信じているが、現実はそうではない。時に正解などなしということが答の場合もある。つまり、事実を受け止めず、無理苦理なポジティブシンキングで描いた仮想の正解と現実のジレンマにネガティブになっているだけで、普通考えたらそんないい結果が次から次へ出せる道理はない・・・という場合の方が圧倒的に多いのが現実。ありのままを受け入れることも大切ってこもある。オプティミズムでいいんだと。冷静になれないと目の前の真実が歪む。まぁ、こんな時はテンション上げてても仕方ないので、「まぁ、いいか」となれるかなれないか。あまりにも無責任は信頼を失うが、適当にほどほどがいい場合って多いですよね。実は「ボチボチでんな!」が一番いい状態かも・・・。

何がある?

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 さてさて、ここには何がある?行けばそれが分かるのか?ならば・・・。

決して代用できないモノ。

 決して代用できなモノこそが最も大切なモノ。それは、デジタル仮想空間の中にはない、あるはずがない。しかし、時に手法が目的に代用されることに麻痺すると、テレビの中、インターネットの中、携帯&スマホの中、タブレットの中にあるモノが実はすべて「代用物」だということさえ麻痺してしまう。そんな画面で見ているだけで人生観なんて変わらないし人生の分岐点の示唆もない。まして、成功も失敗もすべてバーチャルなんだから痛みもないし傷もなし。だから、それをノーリスクだと捉えるのは簡単だし、リターンだけある感じでいられるのかもしれない。しかし、リスクのないところにどれだけダイブしてもリターンはない。そもそもリターンだと勘違いありきなら話は簡単。だから、代用できな人間になれとか言われちゃうわけ。そもそも作用と反作用の世界で本丸も代用も実は幻想だから、そこは別にスルーでいいかもしれないが、突き詰めるプロセスの途中でひといきつく感じで、代用できなモノに価値を感じていくこと。そして、それを積み重ねる感じが最も大切だと思いたい。

 で、会議のための会議で泥酔しないようにしたいです。自分自身、「お酒」にも「手法・方法」にもあまり強くないので・・・。

クリエイティブ・クラスの世紀とは?

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 その表紙にある「産業革命に匹敵する大変化」に引き込まれた感じ。目次から気になるコンテンツからあとがきからじっくりチラミ!?して購入した一冊。ちょっと前の書籍ですが、なかなか、時代の切り方が巧みですね。まぁ、このテイの書籍ででっかくなった頭でそれが知識になっているのか知恵になっているのか?はたまた形式知になっているのか暗黙知になているのか?は実感はないが、実感のない無意識の領域でもし何かのタイミングでこの書籍の中に存在するフィルターや価値観が化学変化を起こして新鮮な何かが生まれればそれでいいかなというアプローチです。

 で、たかがクリエイティビティ、されどクリエイティビティ、しかも・・・、だからクリエイティビティなんでしょうね。でもねとかそれでもとか考えずにあくまでも「だから」。

絵のない絵本@アンデルセン

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 なんと初版が1953年10月5日。そこから重版でこれが第72版と。いやはやである。で、アンデルセンの物語感に言葉のチョイスに文脈の構成にその全ての世界観を楽しんでいる一冊です。へぇ~という新鮮な驚きがあります。小難しい書籍ばかり読む傾向にあるので、たまにはライトに感覚的にと思って買った一冊がその体裁に反して想定外にDEEPだったりします。だから、書籍は面白い。だから、書店に出向くの楽しい。ネットやタブレットデバイスではこの感動はないない絶対にない。

DefTech「UP」について。

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 DefTechはレンタルコーナーにCDがないことにある時気がついた。レンタルしていないアーティストもあるのだと。SELLがあればイコールレンタルありだと思っていたのが違うらしい。いろいろな流れがあるのだろうし、いろいろなアーティストの考え方やプロダクションの方針・戦略があるのだろう。音楽ダウンロード時代にCDを買う人は言わばコレクション思考だと何かの本で読んだが、まぁ、そのテイもあるが、聞きたいならCDというカタチで手元に置いておきたい、所有したいというのがファンの心理。確かにデバイスさえあればD.L.で音楽は聞けるが、聞くだけが音楽ではない部分もあるからファンだとも言えなくない。いやいやそれはファンではなくてただのコレクターだと言いたいのなら、その人はただのコレクターなんだろう。コレクターであることとファンであることの違いという部分など別段つきつめる必要もないし、音楽とは?みたいなことを何か便宜上のモノサシで推量しても何も始まらない。音楽は音楽。欲しいから手元に置きたい。買うのか借りるのかD.L.なのかは個性的で感覚的でいいだろう・・・。

映画「TIME」。

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 全ての人間の成長が25歳で止まる。最も価値があるのは「時間」だという世界のお話。これはCMで得た情報です。さてさて、この映画誰が観る?勿論、私自身はこのテイは大好きだからDVDは絶対にレンタルして観ますが、このタイプの映画を日本で公開していったいどれだけの人間は反応するだろうか?と想像してみました。時代劇や「はやぶさ」的なタッチや激動の歴史とか、はたまた、時勢のテーマをアイドルや人気俳優が登場してノリで映画に・・・みたいなのが氾濫するこの小さいバケツにこの色はちょっと馴染まない。そもそも、「人間の成長が25歳で止まる」という部分にどう喰いつくのだろうか?かなり好奇心の強い、SFに精通している人でないと、最後まで持たないような気がする。いい映画か悪い映画か?などと観る前から先入観を独り歩きさせる必要もないが、恐らく原作は何かの短編、もしくは、監督のオリジナル脚本だろう。あのCUBEでさえ、映画が好きな人は喰いついたが、この「TIME」かなり変化球と捉える人が多くないだろうか。しかし、「ジェノサイド」が結構反応いい市場なんだからそのあたりがストライクゾーンの人はこれをチョイスするかもしれないだろう。

 で、全然内容や原作については情報をリサーチしていない段階ですが、時間軸モノならさらに喰いつく感じは想定できないと思う。恐らく「ミレニアム(ドラゴンタトゥーの女)」でもさほどトルクは上がらないような気がします。ってこれもメディアコントロールの部分的な印象だとしたら逆に市場はもっといい感じなのだろうが、そのあたり、実際、この映画の反応にとても興味がありますね。

時間が止まっている。

 とある山中(関西方面)の滝の写真です。う~ん、時間が止まっている感じ。でも、相当の寒い場所でしょうに。でも、これをこの場所で見るとこの写真の100倍の迫力があるのでしょうね。いやいや自然は偉大です。この造形物の迫力は人知を超えていますね。素晴らしい写真をありがとう!
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「コツ」のお話。

 「知」を言葉に置き換える時「形式知」と言語化は難しい「暗黙知」という分類があるらしい。スポーツで習得の肝になる「コツ」は後者の領域。言葉にできない部分があるからコツの伝授は指導者にとっても悩みの種になるらしい。確かに!その道を極めた名人の中には「腰を入れてダーンと振れ」などと語って笑われる人がいるが、そもそもが暗黙知の領域なのだから感覚的になるのはやむを得ないというお話。そういう感覚の世界をITを使って少しでも解きほぐせないというアプローチがいろいろあるらしい。それを「センシングデータ」と呼ぶらしい。身体に幾つかのセンサーを付けてデータを取得しグラフ化する。そのグラフを見れば上手と下手の身体の使い方が一目瞭然という仕組み。こういうアプローチがどう広がるかは未知数としても、昨今の子どもたちのスポーツ離れを繋ぎとめる言わば「蜘蛛の糸」なのだそうです。何かを失敗するたびに「どうしでできないんだ!」と頭ごなしにコーチに叱られる。それで運動嫌いになるわけですが、実は教える側の根気と説明が足りないだけなのかもしれない。タブレットのような端末がもっと普及すれば教え方は変化するだろう。どこをどう修正すればいいのか、画面を見ながらゲーム感覚でコーチと選手が協議するという仕組み。ただ、スポーツにおける「正しい」はかなりふわふわしているから、同じスプリンターでもボルトと福島選手では「正しい」が分かれるだろう。最大公約数的な「正しい」をロジックにするのもある意味で正しいかもしれないが、別のベクトルもあることを想定する必要があるだろう。つまり理想のフォームとは十人十色なのである。それを大前提に個人個人の特性を知るひとつのきっかけにITが活用されればその価値も増すのだろうという仮説である。

 例えば、会社のエネルギー使用量を「見える化」しましょう!組織のコミュニケーションの構図を「視覚化」しましょう!とIT企業は連呼するが、それはどこまで行ってもある側面にフォーカスしているだけ。本当に見えているか見えていないかを判断するのは上記のように「暗黙知」の領域。だから、どれだけ「形式知」を先端技術で最新技術で具現化しても身体や心は反応しにくい。つまり、見えているとは視覚も知能も機能も経験値も全てが潤滑にシームレスに同期しなければ「会得」「知恵」「人間性」には覚醒しないということだろう。さてさて、どこまで、人間本体がITを活用するかだが、実は、誰かが誰かをコントロールするために情報がデジタル化されているだけという仮説の方がリアリティーがあるように強く私自身は感じている。ここを一刀両断に「教育です。」とか「ビジネスモデルです。」と言ってしまうまで人間は進化していないような。もっと、脳幹レベルの刺激を求めているような気がします。

Appleは何をデザインしたのか!?

 確かにその疑問は長年仕事でMacを使ってきた人間として心にある。そもそもアップルが「デザイン」をどう捉えているのか?とか、デザインデザインって言うけど、Macは何がどうなのか?最初の段階では「デザインするならこれからはMacでしょう!」みたいなノリで使い始めているから、今更、アップルが展開してきたデザイン戦略について深く考察することはスルーしていた。が、iPodやiPadのそれは確かに他のタブレットやプラットホームとは何かが違う。だからと言って具体的に何が違うのか?と聞かれれば明確な答は自分自身の中でとてもグレイ。という程、Macは自分自身の中にしっかり溶け込んでいる感覚だから、今さら何故両手には10本の指があるのか?レベルの質問に値する実感がリアル。

 で、何をデザインしたのか?という疑問はこの書籍のアプローチでもいいので知りたいという願望が少しある。でも、それでも、今更という感覚もある。結果論だからどうにでも転がせるだろうし・・・。

高原かなさん!パクさん!ありがとうございました!!

 いやいや、お二人とも明るい!テンション高い!温かい!3拍子揃った素敵な元気なアーティストさんでした。

 で、ライブは・・・となると、これがピカピカのキラキラのガチなんですね。その映像は只今編集をしているので近日このブログでも公開しますし、長浜ジャズウォークの公式ブログでも公開する予定です。

 こんな素敵なジャズライブが聞ける大阪ってほんまにほんまに羨ましい!なぜ、吹田に住んでいた時に、新大阪で働いていた時にこのような場所と出会わなかったのか。でも、まぁ、長浜から新快速に揺られて新大阪で帰りの時間を気にしながらジャズライブを聴くっていうのもまたこれがリアル。

 ご両名、3月3日はどうぞどうぞよろしくお願いいたします。

 また、ライブ映像データをお送りしますね!

最近ヘッダー画像が激しいぞう・・・。

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 いつもいつも楽しみにしているグーグルのヘッダーロゴ画像。最近特に活性率が激しいぞ。素敵過ぎるぞ。このアイディアというか画像の変化とアレンジメントはほんとに素晴らしい。タイムリーな画像の上に凝りに凝っている感じがなんとも素敵。こんなのばかり考えてサイトを運営するって楽しいだろうな。考えるが楽しいってクリエイティブの本丸。だからグーグルなのかもしれないし、グーグルだから・・・みたいなこともあるのだろう。つまり、全てのループが素敵に連動・連携していることがヘッダー画像ひとつでユーザーに伝わるんですね。ネットを観ているユーザーをこんな小さな画像で楽しませるって素敵。

どうやら12秒台のようです。

 ふと、どこかの陸上記録会に出てみたくなった。まぁ、クライミング・ボルダリングのトレーニングや富士山登山のトレーニングが功を奏して体調がいいことがその理由です。高校1年の時のベストが12秒だったから、そんなに飛びぬけて早い記録ではない。しかも、現在47歳であり48歳になろうとしているこの身体でどこまでのタイムが出せるのか?ネットで調べると、40代でもその標準タイムは12秒台だとのこと。まぁ、そんな上位の記録を意識する必要もないが、できれば高校時代のベストに近づきたいと無謀な計画を練っている。登山のトレーニングやクライミングのトレーニングを始める前は、50mでさえ脚がもつれる始末。しかし、今の体調ならば100mは全力で行けそうな気がしている。

 正式な記録会となるとちゃんと準備をしてなさけない記録は出せない。だから、少しづつ100mの記録会に出れるようなところまで仕上げてみようと考えている。まずは記録云々よりも、全力で100mを駆け抜ける身体にしなければいけない。記録はその後。そうかそうか40歳代でも12秒台が平均タイムなのか・・・。

上海バスフィッシング事情。

 琵琶湖がリリース禁止になってからルアーは投げていない。それからロッドは置いていた。しかし、どうやら現在上海は事情が異なるらしい。だから、あの頃のような気持ちでバスフィッシングに対峙できそうな予感がしています。そうかそうかそうなのか、では、一回、上海のダムを攻めに行きましょうか・・・。

ちょっと休憩。

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 これがジャズライブな感じですよね。こんな場所はないよなぁ~長浜には。当然、ライブを聴いてビールを飲んで美味しいモノを食べたら、こんな気持ちになりました的なこんなカットを撮ってしまうというものが人間ってことでしょう・・・。

かなさんのライブ風景。

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 これはちょっとミステイクですが、雰囲気はいいので採用。ガチのライブ映像は編集中です。

高原かなさんと打ち合わせ。

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 今夜(昨晩!?)は高原かなさんと打ち合わせを兼ねてライブを拝見に新大阪へ。いやいや、雰囲気ありますねぇ~。こんなお店が長浜にもあったらなぁ~。

「あなたの中の異常心理」について。

 異常心理の危険度チェックということでこのようなQがある。それは、「完璧にこだわり、白黒つけたがる。人の顔色に敏感で、見捨てられないかと不安だ。愛する人を自分のものと思ってします。親子関係がぎくしゃくしたり、親に過度に支配されている。依存しやすく、感情のコントロールができない。」など。さて、この質問にどのように対峙すればいいか。まぁ、これは新聞の紙面でのライティングですから、どこか広告としてフォーカスしている文脈ではあれど、このチェックリストに5つともチェックを入れてしまうような人っているものなのだろうか?それともこれは広告の手法としてちょっと切り口のエッジをたてているだけ?

 また、本文コピーとして「誰もが心にとらわれや不可解な衝動を抱えている。そして正常と異常の差は紙一重でしかない。本書はそんな現代人の心の闇を解き明かす。完璧主義、依存、頑固、コンプレックスが強いといった身近な性向にも、異常心理に陥る落とし穴が。ストレス社会をうまく乗り切るための、現代人必読の異常心理入門。840円@幻冬舎」である。さてさて、この処方箋は薬か毒かみたいな。

 そもそも、正常な「心理」とはどこを基準点にすればいいのか?という考察が未設定のまま、いきなり、愛する人を自分のものだと思うことが異常心理だという仮説から入らされると、全てが異常だというテイにならないだろうか。逆に人間の正常な心理とはという部分をしっかりと古今東西の基準を確立させて、現代の闇を語るべきかなと。

 ナイフで腕を切りました。これは傷口が深いから5針縫う必要がありますと診断されて麻酔から縫合に至る間、人間はこの傷のことを考える。何故腕を切ってしまったのか?このままだと出血が止まらないし縫合しなければ傷口の治癒が遅れるばかりか、化膿する可能性が高くなる。だから、殺菌と化膿を止める薬を施術してもらいながら、自己治癒力を待つ。例えばこれがナイフの傷口に関する一般的な捉え方。では、腕を人間の心理に置き換えるとどうか?予期せぬ言葉を浴びせられ心に傷がついた。このままこの傷を放置しておけばこの傷が別の正常な心理に悪い影響を及ぼして正しい心理状態を維持できなくなり、日常生活やモラルや規範を維持できなくなる可能性がある。だから、カウンセラーに相談してこの傷について分析・洞察・治療をお願いする。そのプロが書いた著書がこれだから、その数多のノウハウがこの書籍にはちりばめられているはずだという推定。

 ここまでは恐らく誰でも多かれ少なかれ思い至る場所。でも、世の中に氾濫している「正常」と「異常」について、まして、心理的な意味でこうだからこうだとか、こうならばこうすればいいという処方箋はケースバイケースだから簡単に容易に成立しにくいような気がする。完璧にこだわり、白黒つけること。人の顔色に敏感で見捨てられないかと不安になり、愛する人を独占したいと思い、親子間のぎくしゃくな、時に支配(愛されている)されているという誤解も、依存したり、感情のコントロールが不安定になること、これらはすべて人間の心の特長・特質である。確かに紙一重という部分で人は生きているが、これは正常、これは異常と分けなくても心は大丈夫なような気がします。専門家ではないので、何の根拠もありませんが、人の心はそんなに弱くないような気がします。これは現代人の異常な心理なのかな?

お金に依存しない生き方。

 「草むらの中で、食用油の缶を積み上げて作ったかまどを前に、髭面のいかめしい男が半裸の状態で座っている。これはどうみたってベストセラーになるような本の表紙ではない。」という記事がある。この書籍のタイトルは「ぼくはお金を使わずに生きることにした」というマーク・ボイルという男が著者である。彼が提唱している「フリーエコノミー」という言葉があるのですが、彼がWEBサイトで立ち上げたフリーエコノミー・コミュニティーは160カ国3万5千人に及ぶらしい。フリーエコノミーということで自由主義経済になぞらえると「自由経済」になりそうだが、そうではないらしい。彼が言うところの「フリー」とは「ただ」「無銭」のことであり、自由は自由でもお金という価値からの解放なのだそうだ。「カネなし経済」の意義を、自らにそして世界に向かって実証すべく、ボイルは2年半お金を一切使わずに暮らしたそうである。この書籍はその最初の1年の経験を克明に綴った貴重な記録。通常、経済とは自然界から受ける恩恵を共同で管理運営していく方法であり、自然とコミュニティーあっての経済だとライターは言っている。しかし、現代人のほとんどが、経済と言えばお金のことで、マネー経済こそがこの世で唯一の選択肢であるかのように思い込んでいると警鐘している。その惨憺たる結果が今日々目の前で繰り広げられている。当事者とし我々が「お金病」に病んでいるのか否か?さてさて「お金」とは薬か毒か?みたいなこと。

 価値と価値の交換の代用としての「お金」がそれだけで価値を生みそれが価値の基準に鎮座する世界を果たして経済世界と呼べるのだろうか?みたいなアプローチでしょうね。基本的な物々交換こそが実はネット社会をより効果的に潤滑に活用する軸のように思えた。無料ゲームでポイント溜めて割引してもらう場合のこの「割引の価値」ってどこに還元されている?宝くじの資金は国の経済に活用されているって具体的に介護用の自動車や事業に流れているが、欲が金になり金が価値になり、価値が欲になる。どこにもリアルの介入する余地がなくった。ネット社会でさらにそのテイが頑強になる。不思議な不思議なバリア。もう、マジンガーZはプールから出ることができない。

ユーザビリティの極意とは。

 「WEBにまつわる技術の進化はとどまることを知りません。また、技術の進化に伴い、WEB環境はますます多様化し、それに比例してユーザーの在り方も複雑化しています。子どもからお年寄りまで様々なユーザーが想定され、さらに、携帯電話、ネットブック、ゲーム機やiPhoneなど、様々な機器が想定される中、少しでも多くの人にとって使いやすく、情報がしっかりと伝わるサイトであるために、WEBデザイナーは常に親切なナビゲーターとしてインターネット越しの見えないユーザーをもてなすことを考えなくてはいけません。サイトの種類によってその目的や効果は異なりますが、ユーザーに快適にサイトを閲覧してもらうという点においては、すべてのサイトが果たすべき責任は共通しています。大切なのは、作り手とユーザーの間にある距離を縮めることです。WEBデザイナーがユーザーの顔を見ることができないと同様に、ユーザーも作り手の顔を見ることができません。そのような状況の中でよりよいコミニュニケーションを築き上げ、サイトが双方にとって有益なツールとして働くために、WEBデザイナー一人ひとりがユーザーの立場になってユーザビリティの向上に努めることが求められているのです。本書では実践的なノウハウから概念的な話まで、様々な角度から総合的にWEBユーザビリティーを考察しました。また、サイトの種類によって異なるユーザー層を分析し、それぞれの特性にあったユーザビリティを紹介しています。本書の内容は技術進化の過程における一過性のものと、人間の行動パターンや心理を反映した普遍的なものとに大別されるでしょう。常に変化し続けるITの世界においては、そのどちらも疎かにはできません。本書を手にしてくださった、WEBサイトの作り手として皆さんにとって、時に実用書として、また時にある種の思想書として、本書が有効に機能してくれることを願うばかりです。2009年11月 著者代表 阿部研二」とこの書籍のはじめには締めくくられている。

 う~ん、素晴らしい。「そんなことは分かっている」「そのレベルのことは十分知識として知っていますよ」という気持ちはこのような洞察に対して常々あるが、改めてそれらをつなぎ合わせるためには基本的な構造をコンパクトにまとめた書籍が最も有効に機能する。まして、ユーザビリティのように日々進化変化する技術やセンスに対して氾濫する情報から最適な構造を洞察するには安定した基軸が必要である。そういう意味で「書籍」という存在は何にも代用不可能な存在価値がある。「そんなのネットをリサーチすればいくらでも書いてあるよ」という心理はどこかで沸々とあるものの、論理や概念を整理するためには一旦書籍というテイで時間を止める必要がある。サーバから送られる情報は常に新しいが動きが読めないばかりではなく、動きに翻弄される場合がある。この「新しい」という基準も実際リアルに考察する時、いかなものかと疑問が浮かぶ。この著者が「ユーザーと作り手の距離」のことをこの文脈の中で語っておられたが、まさにこの部分が実はキモ。情報網で世界は小さくなったと言われるが小さくなったと思いたいだけで、小さくなったという仮説が実は都合のいいユーザーだけの価値観のように思える。実際の距離とネットの中の距離感を実のところでしっかりと見極めないと価値観も情報の本質も混乱することになる。それを繋ぐ媒体としてのWEBサイトだから、作り手がそれらのことを概念や理論だけで展開してもそれは決して距離を縮めることにはならず、仮想の概念の中だけで完結しているような微弱な戦略になってしまうのだろう。

 実際、この距離感の部分、近くなったことで遠くなったモノもあるだろうし、どれだけネット社会が進化しても距離感が全く変化しないモノもあるだろう。時間の概念やそれぞの地域がもつポテンシャルをただ回線とデバイスで繋げているだけで「近くなった」と誤解・誤認したいだけの先入観がいったいビジネスや文化や慣習にどれだけの影響を与えているか???そのあたりを吟味し出すと実は、「言語的なアプローチと非言語的なアプローチの分化」に辿り着くように考えてる。

 で、時には隔離する挑戦も必要。お互いが引き合う関係になれば適正な作用と反作用が起こるはず。そこを微妙に視覚的に言語的にマルチメディア的に消化してオブジェクトとしてコンテンツとしてメッセージを具現化するに最近のデバイスは有効だと考えると、人間の脳はもしかすると退化することを選択しているのかもしれない。まぁ、これも変容という立場でじっくりと見守っていかなければならないのだろう。

 たかがユーザビリティ、されどユーザビリティなのである。

で、チョップの小屋は・・・。

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 で、チョップ君の小屋はこんな感じです。さすがに昨晩は家の中で寝ておられましたが、今日は元気に外で動き回っています。しかし、雪なのに元気ですねこのアホ犬君は。

長浜大雪警報中!

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 昨晩から降り始めた雪が、お昼の段階で家の玄関がこれ。この雪はまだまだ降るらしい。現在もまだまだ吹雪いています。どうなることやら・・・。

北はこっち。

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 迷った時に方向を示してくれる羅針盤はありがたい。本来道具とはそういう存在である。例えば「そんなモノどんな時に使うんだよ!」と言っている人に対して、「そんなもの」を理解させるのは至難の技である。鶏と卵ではないが道具は誰が目的を明確にしたから開発されこの世の中に存在している。その意義に対して好奇心なのか価値観なのか分からないが何かベクトルがマッチしたから入手したいと考える。これが純粋な思考であり行動意図である。道具に対して価値を見いだせない人と見出した人との違いは「そんなもの」を軸にして大きく振幅する。それは例えローテクのツールであり、最先端のデジタルデバイスでありしかり。道具にはそれを開発した人やそれを求めた人の心が刻印され内包されている。それを知ることで自分自身の想像力を覚醒させ、手元に置くことでその覚醒をリアルな実感に変える。これがいわば現実というものだろう。

 で、デザインもこれにとても似ていて形あるモノからそうでないデジタル信号でありプログラムの集積であれ、ローテクのツールと酷似している。だから、創るという作業は目的意識以上に五感に支配されているべきだと考えている。北をただ示すこの方位磁石ひとつ、北を認識させくれるということが引いては何を意味しどんな価値があるのかののびしろを知恵として得ることが、この時代に最も必要な洞察点だと思います。

すばらしい人間部品産業。

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 あったあった、これこれ。一体この中に何が潜んでいるのやら。楽しみ楽しみ。

最終兵器の夢。

 H.ブルース・フランクリン著「最終兵器の夢」という書籍があるらしい。その紹介文は慶応大学の教授が書かれた文章でこう記載されている。「アメリカ文学とテクノロジーの関わりに鋭利な洞察を与えた名著がついに邦訳成った。著者は19世紀アメリカ・ロマン派文学、とりわけハーマン・メルヴィルの研究とともに19世紀アメリカの先駆的SFをずらりと集めた名アンソロジー「未来完了」編纂でも広く知られている。ゆえに本編初版が1988年に刊行されて間もない91年に来日し都内の各大学で講演したときには、彼の興味がカート・ヴォガットらのポストモダン小説やヴェトナム戦争小説にまで拡がっていたに瞠目した。しかし、どんな対象を選んでも、その方法論にはたえずアメリカ分化史の奥底から政治的無意識をあぶり出し、最も先鋭は同時代批評を行おうとする反骨精神がひそむ。本編の視点は「ウォーズ・スターズ」がSF映画「スター・ウォーズ」とともに1983年の米ソ冷戦末期、ロナルド・レーガン第40代アメリカ合衆国大統領が発表したSDI(戦略防衛構想)、すなわち敵国の戦略ミサイルの発射直後に宇宙空間から撃ち落とすという通称「スター・ウォーズ計画」の双方をかけているのを見れば、あまりにも明確だろう。それがたんなる洒落に終わらないのは、著者がSDIの起源を18世紀末から欧米で活躍する天才的軍事発明家ロバート・フルトンに求め、その思想が以後のSF的想像力に連綿と受け継がれていくのを克明に辿っているからである。いっさいの敵を撲滅する超兵器の発明こそはいっさいの戦争を終結させ、この地上に永遠の平和をもたらすであろうという、あまりにも逆説的な夢。かくして彼の開発した戦闘用潜水艦ノーチラス号はSFの父のひとりヴェルヌの代表作「海底2万マイル」(1870年)で急成長し、ウェルズからハインラインへおよぶ一見荒唐無稽な物語で一杯のSF史は現実の最終兵器技術史と分かち難くかみ合いつつ進展していく。本書が抄訳なのは残念だが、2008年度の改訂増補版を活かした章からは、著者の長年の理論が9.11同時多発テロ以降ますます意義を増していることが、実感されるはずである。」としている。

 今、「ジェノサイド」を60%程読んだ段階で、アメリカという国の描き方が本当にどこを始点にしているのだろうと感じながらページを進めている。その一つのルーツにこのような思想があるとしたら、海外のSF作品をより深く知るためにはより楽しく読むためにはこのテイの書籍を手元に置いておく必要があるのかなとチェックをしている一冊です。

 で、逆説的なって、本当に人間の脳は相対性が好きなんだな・・・。