エゴだかエコだか・・・。

 あるアーティストの歌詞の中に「エゴだか、エコだか・・・」みたいなフレーズがあった。何故か耳に残った。語呂が良かったのか、芯を喰っていたからなのか。確かに紙一重的な部分は感じる。もうすぐ「3.11」になる。ほぼ一年。あれから日本は変わったのか変わっていないのか。復興・再生・支援と合わせ技の百花繚乱。「がんばれ日本!」の旗の元、集まる人達の真意はいかに。真意などと軽々しく書き出さない方がいいかもしれないが、「3.11」はそだけの価値がある。つまり、個体としてどれだけ価値を意識できるかというモノサシで言葉のチョイスや行動の指針が変容するということ。地球環境にとって本当のエコロジーとは人類と無関係が正解だという仮説に心は動く。他の生物を駆逐しながら繁殖している人類と地球環境の中で、自らのDNAに沿って生命を謳歌する他の種族達。この関係のどこをどう切り取っても「エコ」という定義は存在しない。これはキリストの教えよりも明らかである。つまり、人類の「エゴ」こそが「エコ」だと歌ったこのアーティストは的を得ている。あの「イマジン」さえも、「エゴ」に思えてくる。本当の真理は「ガラパゴス」にあるような。

 で、先日「フリンジ・サードシーズン」の最終話を観た。まだ、その余韻が身体中に残っている。人類の終焉をあのように描き、人類の存在価値をあのように描かれると、数多の映画がブリキのオモチャに思えてくる。物語の中のアインシュタインはパラレルな世界観の中でああも翻弄し合うのかと・・・。

 「エゴ」と「エコ」。なかなか鋭いアプローチである。こは進化か退化なのか・・・みたいな。もし、彼(アキリ)が本当に存在するなら直接ログインしたいもんですね。

comments

エゴとエコ。 意味が分かってるからそう思うのでしょうがカタカナでのエコは見た目がシンプルな印象で正しい事のイメージがありますが、濁点一つ付くエゴはマイナスの印象しかなく人間の汚い部分という感じばかり。
意味が汚いと濁点一つ付いた文字まで汚い印象になる。
昔からあるものでしょうが、時代により複雑に変化するのでしょうね?
古くは聖書、現代では書籍や映画でも啓発している人のエゴ。
映画のセブンも印象的ですが、パルプフィクションのジュールスが唱えていたエゼキエル25-17 心正しき者 心悪しき者の暴挙 羊飼いの関係。
マトリックスのエージェントスミスの、人は環境と共存できない哺乳類だ。
エコであるかエゴであるか、どちらが正しいのか間違いかは、自分で気付き自分のモノサシで考え判断しないとダメなんでしょうね。
正解はありませから、その判断が出来ない部分があるから人類はAI(人工知能)に支配されたというマトリックスは芯を喰った脚本ですね。

  • kuni
  • 2012年02月28日 12:10

迷っているから人間なんですね。
そして、迷っているリアルこそが生命の証。
何をどうあがいても正解はないんですね。
でも、正解はあるだろうというジレンマ。
それが人間の本質なのでしょう。

  • khuz
  • 2012年02月28日 13:03

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