2012年03月 アーカイブ

この存在感。

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 最新作はなんだろう・・・。

人はなぜ騙すのか?

 人はなぜ騙すのか?という書籍があるらしい。この書籍についてはさほど興味はないが、さて、「騙す」という行動や心理とは何か?この書籍は人間の歴史上、「騙す」というテイで展開されてきた事象や書籍について、分析・洞察・考察を哲学や心理学の視点で紐解いているのでだろう。が、あまりこのテイには興味が薄い。

 で、「騙す」とは悪意の表出した行動・言動なのか、正義へのアプローチなのか?ミニマムな「うそ」から壮大な「うそ」まで何が悪で何が正しいかについて改めていろいろ考えてしまった。しかし、このテーマはかなり広がる余地があり過ぎるのと、何を指して「騙す」と規定できるのか?についても、適正な枠が想定できないことに気がついた。こうして、ブログを書きながら、そのことを考えているが、恐らく私の文章力や思考力ではこのテーマに対して的を得たコメントは書けそうにもない。それほど人間は「騙す」を共有しているし、昨今、「絆」「絆」と連呼が絶えないが、そんな叫ばずとも日本人から「絆」を抜いたら何が残るのか?というぐらいみっちりとまったりと脈々と存在しているのだから、どんだけ盛るのか?という感じ。すると、「騙す」もコミュニケーションのアイテムなのかもしれないし、メディアも総じて「騙す」「騙され」の相関性で成立しているのかもしれない。すると、どこが軸なのか、「騙す」という行為や思考はどこを中心に回しているのか?などと思考が支離滅裂感を帯びてくる。

 さて、明日は4月1日。大義名分にも「うそ」を奨励する慣習たるエイプリール・フール。然るべき理由や背景の元、それが継承されているのだろうが、この「嘘」と「騙す」について、人間の持つイマジネーション能力と連動しているわけですが、その能力はどういう価値があるのだろう?

 フォースと共にあれか・・・、あの映画も言わば「美しい嘘」となるのだろう。

このスタイル、この世界観。


 なんともこの世界観には引き込まれる引き込まれる。何故?と考える前に引き込まれる感覚。つまり、引き込むとはそういう強さというか力を持っている必要があるということをこの映像は証明している。世界観って後付けだと思いがちだが、いやいや、それはどこからくるものでもなく、一人の人間の中から放たれているエネルギーのようなモノ。考え過ぎって実はあまり考えていないのだということ。う~ん、いいわ・・・。

60歳になって思うことか・・・。

 60歳までにやっておきたいこと、60歳になって思うことというアンケートが新聞に記載されていた。貯金や年金のお話が中心だったが、一番、お金のこと以外でのベスト3としては、このような解答が多かった。

 第3位、もっと、子どもたちと話をしたりいろいろなことをいっしょにしたかった。仕事を優先してあまり家族との時間を作れなかったという反省。この場合の「仕事」が何を指すかは人それぞれだろうし、「仕事」と「家庭」をよく天秤にかける文脈のテイがあるが、それは実は天秤にのせるようなアイテムではない。優先すべきは「家族・家庭」である。いや、優先というモノサシも正確には違う。「家族」と「仕事」はどちらも大切である上に、優先順位をつけたり天秤に載せるような存在ではない。にも関わらず「仕事に追われて家族との時間が作れない」は「家族との時間を作ったら仕事ができなかった」と言っているだけに過ぎない。この背景にはあまりのびしろがない。家族があるから仕事をするのか?家族との時間を犠牲にして仕事をする意味があるのか?となる。子どもとのコミュニケーションはその時間の尺ではない。密度である。つまり、上記のように反省する人達は対象が何であれ、コミュニケーションが苦手だった結果、時間の使い方を後悔しているだけ。

 第2位、もっと、夫婦間の会話をするべきだった。さらに第3位の人たちの症状が悪化している。

 そして、第1位、自分の趣味や得意な技術を磨いておくべきだった・・・と。えっ!このアンケートはどこに向かっているのか?第3位も第2位も第1位も「ただの不器用な人の独り言」である。明らかに「趣味と仕事」、「家族と仕事」、「夫婦と仕事」が分離してる立ち位置のコメントである。もしかすると、これらの人達は「自分自身と仕事」も分離していないだろうか?

 で、このアンケートを表記しているこの日経新聞のライターや編集者達はこの記事で何を伝えたいのか?これが新聞の価値が失速した一番の理由だろう。伝える手がいろいろな大前提を間違っている。というか、ある側面でしか洞察・分析できていないから、こんなアンケートを展開して、さもありなんで土曜日の別紙の表紙に掲載してしまうのだろう。自分が好きなこと我慢して、自分の家族とも子どもとも密度の高いコミュニケーションができず、ただ、60歳になった人達。そんな人達がこの日本に今後もあふれ続けていくとしたら、それを見ている10代、20代、30代の若者は何を人生の指針にすればいいのか?っていうお話。小さい頃から優れた教育を受けさせて、グローバルな人間に・・・とはよく聞くフレーズだが、さてさて、このフレーズの語感の中にある「教育」の定義がぶれていないことだけを、ただただ、願うばかりである。

 もうすぐ4月。日本では出発の時期である。ただ、出発するタイミングは自分で決めるべきである。赤信号はみんなで渡っても危険だし、赤でも青でも車が走っていても、その間隙をすり抜ける脚力と判断力があれば、いつでもスタートすればいい。それは、春に限って足並みそろえて、鼓舞しあう必要はないのである。あと、12年で私もその60歳になる(癌や大事故や災害に会わなければ)だろうが、やはり、人となりにいろいろ考えるのだろうか?それを通過点としてさらにブラッシュアップするベクトルでいられるのだろうか?無意味に深刻にならず、このふわふわした気持ちでさえ楽しめるようにこのままオプティミストで行きたいものである。

エベレストへ。

 やはりめざすなら世界一。それが人知を超えた場所であれ、そこを目指すという途方もない目標を設定することで何か自分を最高値までに鼓舞できるなら、もしかして・・・という部分はあるものの、もし、もし、その場所に立てることができるとしらこの人生、相当いい人生であると感じられるのかもしれない。思わなければ願わなければかなわないという定説に自分自身の器がポテンシャルがどこまで伸ばせるか・・・、考えただけでもアドレナリンが噴き出してくる。海の中に1mでも潜れと言われれば120%NOだが、8848mなら・・・。

晴れの日の琵琶湖。

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 琵琶湖の湖畔に暮らしているといろいろな琵琶湖の表情に出会える。中でもこのような晴天の静かな琵琶湖はほんとに気持ちが落ち着きますね。ずっと夕焼けまでカメラを回したいぐらい・・・。

「アクト」電話帳広告仕上がりました。

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 本日、電話帳の広告が仕上がってまいりました。電話帳の1ページ目にドーン!

春のスイッチ。

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 地球上にはいろいろなスイッチがある。春のスイッチが入ったようである。さてさて、人間はどうか?

キレイならいいのか!?か・・・。

 「アメリカで足の手術を受ける人の80%は女性、その大半はハイヒールが原因だそうである。」という書き出しでデボラ・L・ロード著の「キレイならいいのか」という書籍がある。

 「健康を害してまで、ハイヒールを履く必要はない?そう思った読者の考えは、きわめて合理的だが、合理的に解決できないのが女性の美の問題である。本書では、これら女性の心身の健康を蝕む「美の弊害」が列挙されている。例えば、豊胸手術を受けた人の40%は3年以内に合併症を発症する。思春期の女性の60%がダイエット中だが、摂食障害の問題も深刻であり、とりわけ無食欲症は、精神疾患の中でも死亡率が1~2割と最も高い。女性は美のためなら死んでもいいのか?」と警告している。「若い女性の半数は肥満になるよりトラックに轢かれるほうがましという」暴論にも達する。美を維持することが、実際、結婚や所得などあらゆる側面で容姿による不公平が存在する社会への問題提起でもあると著者は語っている。「美しい女性」はメディアで映えるし、主張もコミュニケーションも有利だと捉えてほぼ間違いない。そんな「容貌管理力」こそが投資の対象であり、社会生活における根底に脈々と流れている以上、女性は永遠に「美」を求め続けるという構造なのだろう。心の美しさや目に見えない人間の魅力よりも、人間は五感に特に視覚に支配されているからだろう。しゃべらなければ・・・という下りがあるように、「賢い感じの美人」は逆にサイレントがいいのだろう。

 しかし、まれに、容姿端麗でクレバーな女性に出会うことがある。上記のような投資もせずに(水面下では分からないが・・・)、淡々と端正な存在感を示す女性には正直魅かれる。つまり、「キレイならいいのか?」という2極論ではなく、「キレイ」の語感の中に潜む観察力や洞察力が男性に求められているということに他ならない。答は「キレイだけではダメ。」だからである。しかし、「キレイな女性」が持つ、プライドや自己管理力は時にキレイ以外の女性を大きく凌駕する。太っている女性はやはり言葉の印の部分にコンプレックスを社会背景に投影した話し方の立ち位置であることが多い。そんなに男性はふくよかな女性のこと(極端な場合は厳しいが・・・)を気にしているわけではなのに・・・である。それが、逆にシャープな容姿でシャープな存在感で光っている女性には、本能として多分魅かれるのだろう。これは脳幹からの信号だから仕方ない。人間であることをやめればこのパスルを無視することもできるのだろうが、そんなことをしてしまえば、人間である楽しみが、男性である楽しみがなくなってしまうじゃないか!!!ということ。

 で、そもそも「キレイ」ということは具体的にどうあることなのか?に辿り着く。さてさて、このあたりからが実はホンマル。胸が大きい、目が二重、お尻が下がっていない、美脚であるなどなど。これらはすべて先入観。人間が何かをスムーズにさせるために構築した歴史とも言える。そのことをメディアの人間はよく理解して化粧品や整形手術を「マジック」に変換、すまり、貨幣価値に置き換えているだけなのである。男性にしても同じ。私は頭の毛が薄くなったし白髪が多いので丸坊主にしているが、無頓着にも、育毛剤や黒く染めたいと思ったことはない(逆に真っ白に染めたことはあるが・・・)。かつらや植毛ビジネスはそれはそれでいいが、これらの大前提には必ず「キレイという価値観」「カッコイイという価値観」があり、それは、実はふわふわした存在なのに、水分を求めゼブラ達はその水脈を本能で目指すのである。

中国人の本質、日本人の本質。

 「男脳中国、女脳日本」という書籍があるそうだ。「なぜ中国に進出した日本企業が連敗なのか?中国人が働くルールを知れ!」というメッセージが込められている。なになに?日本人男性は大陸の落ちこぼれ!?在中10年、現代中国事情を誰よりも深くしる著者が、近くにいながらわかりあえない日本と中国の関係を「男と女」に置き換えて刺激的に分析しているらしい。なるほどなるほど、これは結構ガチでリアルな臭いがするぞ。日本男児が女脳とは?どういうこと?そもそも何を「男と女」に置き換えているのか?とても興味が湧く。「騙すと騙される」の仕組みが根底に流れていると著者は言っているが、そんなのお互い様でしょうし、人と人など常に50:50のGIVE&TAKEなのに、わざわざ、「男と女」に代入する変数ってなんだろう?「あああああ・・・」となるか、「そんな、なんでやねん!」となるか、とても興味津々である。

 で、分かりあいたいと願う強さはどちらが上かとか、女の感性と男の感性、どちがらどうでどこへ向かっているベクトルなのか???集英社だけに興味がありますね。

10年後に食えない仕事!?

 「10年後に食える仕事食えない仕事」という書籍がある。グローバル化で職の72%は価値を失う!ってこの警告どうでしょう?あのエリート職業は消え、生き残るのは泥臭い仕事?賃金が下がり続ける仕事とは???なるほどなるほど、これが現在の日本のリアルでしょうね。年収の格差についていろいろなモノサシがあるが、もっとリアルな話がこの書籍の中には展開されているだろう。しかし、72%ってえらいリアルな物理定数である。今、考えられる10年後も食える仕事の28%って何よ?ということですが、まぁ、パレートの法則をトレスしながら、20%と80%にしなかったの著者はなかなかイケる。

 で、「食える」という表現、「グローバル化」という表現をどのように連結させているかについても、ひとつ、紐解きたい一冊ですね。確かにこの10年でいろいろな変化が起きるでしょうし、10年前から現在を洞察・分析しても相当な変化があるわけですから、この変容が今後、落ち着くとは考えにくいし、この変容に振り切られるか変容を逆にかき混ぜるかで立ち位置が変わるんでしょうね。

 さてさて、10年後、誰が食えて誰が食えないのか。10年後は57歳か、食えない人間にはできるだけなりたくないものです。

今津のFREEDOMさんにて。

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 日曜日は琵琶湖のロケ映像を撮影しながら、今津でちょっと打ち合わせ。なかなか、適当ないい感じのカフェがないなぁ~とブラブラしていたら、琵琶湖沿いのカフェを発見。その名前も「FREEDOM」って、いいじゃん!中に入ると、いい感じいい感じ。早速、大きいテーブルを確保して打ち合わせ開始。コーヒーも美味しかったし、店内もなかなか落ち着いた感じの中にも、暖炉や趣味の空間を演出しておられる。うんうん、なかなか、いいぞ。これは今後、奥琵琶湖での撮影の拠点にしようと確信しました。

 お店の窓際に座ると道路~松原~琵琶湖となんとも素敵なロケーションです。ちょっと、昨日は雪だったのですが、それでも、ロケーション的には抜群でしたね。お店の中で撮影などもさせていただきたいぐらい、ちょっとした、スタジオにも最適なお洒落な空間でした。

 湖北、今津に行かれた際には、ぜひ、FREEDOMさんに立ち寄ってみてください、って感じです。

雨対策。

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 富士山に初めて登った時、いろいろな面でアドバイスを頂けた書籍の著者のイチオシアイテムが「日本手ぬぐい」。バンダナだとサイズ的に正方形だったり、タオルだとちょっと生地が厚くなったりするために、マスクにしたり、首に巻いたり、頭に巻いたり、勿論、水をふき取ったりという多用なアイテムで「日本手ぬぐい」を入手した。これはその時から常にザックの中に入っている手ぬぐい。ちょっと寒い時や夏の日差しが強い時も、首に巻いたりすると日焼けを防ぐことができるし、生地が薄いので通気性も高く、濡れてもすぐに乾くのです。確かに!この日本手ぬぐいはなかなかのストライクなのです。

 そんな富士山登山で知った日本手ぬぐいのメリットから、いろいろなところに出向くたびに、いろいろな日本手ぬぐいを買うようになった。純和風の絵柄からちょっと可愛いイラストやデザインの手ぬぐいがあるのです。どれも使えば使うほど味がでるし、身体に馴染む感じが、ハンカチとかタオルとかバンダナとかとは違ってマッチする。やはり、日本人の知恵は素晴らしい。

 で、雨が降ってきた、風が強い、防水滴仕様のカメラであるが、あまりボトボトにはしたくないってことで、日本手ぬぐいによる雨対策がこれ。ちょっと車の中で広げておえば10分ほどで乾くのでとても便利なのです。日本手ぬぐい恐るべし!!!

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 なるほどテキサスですね。この時期、それでそこを攻めるとは、なかなかやりますね。

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 うんうん、この時期、ここを攻めるか・・・、根性のあるアングラーである。

映画「127時間」。

 「助けてください。」と心からなかなか言えないものですよね。そんな状況にはあまりなりたくないが実感ではありますが、そういう場合は常にいつ何どきでも発生する要素があるということ。致命的なトラブルにならないために人は日々警戒しながらそのトラブルを回避するために考えて行動しているということ。それは日常生活のそれに翻弄されて下手をすると意識できないことが多い。というよりもほとんどそんなことは意識しないまま自分なりのライフスタイルやルーティーンで生活をしている。比較的安定した日本の一般的な生活であるから、「生きがい」や「やりがい」はフラット化し、大切な人とのコミュニケーションもその無意識さ故に充分に出来ていないことが多い。これはあくまでも主観として。しかし、本当のガチのトラブルになった時、人はそれを回想しながら自分自身を見つめ直す。最後の最後、これはもうダメかなという状況まで人は弱音をはかない生物なのかもしれない。本心を口にしない人というフレーズが映画の中にあったが、それはこの映画の主人公だけではない。多くの人が本心を口にしないまま最後まで突き進んでいるような気がする。自然の中に自分だけとりのこされ、自由を奪われた時、何を考えて、何を思い、何を感じるか。時間の流れ、自分の人生のこと、もっともっと、あの人にこの人に伝えるべきことはなかったかのか・・・と。

 で、人が求める自由の大前提に実は繋がっていることがあるのだと。なかなか、忘れない属性の素敵なカッコイイ映画作品でしたね。この作品は「買い」ですね。

 人は強いが弱い。

上海のサムライ!?

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 これは上海の空港で買った陶器の人形。たぶん、中国のサムライだろう(いや、よく分からない・・・)。上海に仕事に行くというのにほとんど何もリサーチしていなかった。歴史や上海の地図や観光スポットなどなど。まったく情報が0の状態で行ってしまったので、逆に新鮮だったことが多い。文化や歴史や頭に入れることで結果、必要のない先入観が予備知識としてコミュニケーションのネックになることがあるから・・・などと後付けの大義名分はさて置き、結果、純粋にいろいろ出会えたことがあとで考えると、結構素晴らしいんじゃないのかと実感が湧いてきています。これを能天気というのだろうが、構えて構えて動くとギクシャクした経験からのこの楽天的な行動指針が時に大きなトラブルを生むこともしばしだが、逆に先入観や予備知識がなかったことでスムースな出会いができる場合もリアル。

 で、このサムライはどの時代のどのベクトルなのか?特に三国志とかって全然興味もなければ、中国の歴史にも興味はない。同じぐらい日本の歴史にも興味がないので、中国にまでベクトルが向くはずがない。最低限の知識は頭に入れておかないと失礼だよ!と日本人はよく言うが、ほんとに失礼なのは、淀むことや猜疑と警戒のバリア。もっともっとフラットでいいんじゃないかなと思うのと、余計な準備がメンドクサイのです。

 そう言えば、関空で搭乗する時にライターを没収され、上海に到着してどこでライターを買えばいいのか不明だった。もうすぐお昼ご飯だというのにライターがない。お昼を食べるというお店の前で待っていると、同じくお店の前でおっさんが煙草を吸っている。で、「May I help...」で、ライターで火をつけるジェスチャーをすると、そのおっさんはポケットからライターを出して、私の煙草に火を付けてくれた。うんうん、コミュニケーションって基本これでいいんじゃないだろうか。そのおっさん、この人形にそっくりだったというオチ。

セルフ・モチベーションのススメ。

 「やる気をコントロールできる人が、成功する。」「1日3分で人生が変わる」という書籍。小笹芳央さんというリンクアンドモチベーションの代表の著書がある。「これまで凝り固まった「自分」をほぐす」「捨てるべき固定観念と習慣と決別する」「変化に向けて心と体を温める」「隅々まで鍛え上げる」「新たなな自分創りを継続する」と叫んでいる。どれもこれも間違ってはないなが、すでに、多くの人達がこれは実践していることだろうし、多かれ少なかれなんとかしたいと日々試行錯誤しているんじゃないだろうか。書籍というテイだからたぶんこうなるんだろうが、言語化する時の臨界点を明確にする必要がある。どうしても言語化する可視化するということで、次から次へ市場に登場する電子機器を売ろう売ろうとさせるベクトルはまあ経済の活性に繋がる仕組みだからいいとしても、言語化の論化の限界点をしっかり掌握しなければ、大前提が狂っていることにフォーカスし忘れると、結果、一周回ってこのような書籍を買うはめになるのである。と、恐らくこの書籍は買わないのでこうなっちゃうのですが、この言語化された書籍という情報物には大きな前提があり、なお且つ、さほどアフターフォローはない。たかだか840円の書籍にそんな大義名分を求めてはいけない。だから、正確には840円分の何かが得られればそれでALL RIGNTという前提を840円で売っているが書籍の価値を落としているのである。

 で、SNSなどのネットコミュニケーションも同じ。別に誰がどこで何を食べて何を考えているなど興味はない。なのに、それらを言語化するだけで「情報発信」しているという勘違いが現在のネットの中で発生している核融合だろう。で、放射能は漏れているのか漏れていないのかということでは、確実に漏れているということ。まぁ、個人情報が漏れたことでチェルノブイリにはならないし、福島にもならないが、実は、この価値観、人畜無害なだけに、このウイルスは強力である。それに気がついている人は恐らくSNSから距離を置いているはず。これはウイルスに感染した人が情報に魂を委ねてただ安眠したいという価値を秘めたシステムだからなのである。

 まぁ、これは、パラノイアないつもの暴論ですが、こんな非言語的なことを考えて、自分自身のモチベーションが上がればそれはそれでいいかなと・・・。いつか「ミレニアム」のようなメディアを創りたいとも考えているが、それはそれとして。ここはストックホルムではないですし・・・。

決断する力。

 「いざ」というとき、立ち止まるな!走りながら考えろ。とこの「決断する力」という書籍の著者である猪瀬直樹さんは提示している。SNSを使った情報収集と発信、即断即決から事後承認、見えない恐怖を可視化する、先を見通してリスクの芽を摘む・・・とその広告文にある。それは首都直下型地震への取り組みへの警笛でもあるのだろう。この副知事の書籍はどうか?

 「先を見通す」と簡単に言うがそれが分かれば苦労はしない。決断力決断力といくら鼓舞しても、そう適正な決断力など人それぞれそんなに大差はないはず。「おお!あの人は決断力があるなぁ~!」「あの人の決断はいつも冷静て的確だぞ!」などと知った段階でそれは結果のお話。もしくは便宜上のテンプレートに過ぎない。つまり、組織で考えることでリスクを軽減しようとするが、その組織が実は一番のリスクのように思える。しかし、どうもトップダウンの「鶴の一声」にアレルギーやトラウマやコンプレックスがある国民性では、これに難色を示す空気が常にある。だから独立独歩で行けばいいという短絡的な決断も時にそれ自身がリスクとなり、のびしろを奪う。ならば、どうすればいいのか?が一番ストライクなはずなのに、とにかくマス(絶対性)で考えよう、そして、責任を分散しておいて、然るべき場面では、「ねぇ~、だから、私の言った通りでしょう。」と傷を舐め合うことが適正としてきた癖が、言わば、決断力を鈍らせている主な原因だろう。「正確には組織の正解はない」が正解。そこまで人間のコミュニケーション能力は優秀ではなく、しかも、変幻自在変容ではない。

 が、だから、コミュニケーションは楽しい。リスクが100ではないからである。リスクはどう見積もっても50だろうし、のびしろも50が適正なバランスだと思います。天秤の二つの皿に何を載せるかで、真ん中のメモリが右に行ったり左に行ったりしながら、「先を見通す」前体重でスタートラインで構えてる状態をどれだけ長期間作れるかにつきる。つまり、ある意味短距離走であり、ある意味長距離走なのである。ある一場面を捉えて「決断力」とすることで恐らくリスクは回避できない。「決断力決断力」と呪文のように叫びながら、走り続けるだけでもダメだろう。そんな草原のバッファローじゃないんだから・・・。

上海の裏通り。

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 恐らくここへ観光客は入らないだろうな。でも、この絵になる場所がある意味上海のリアル。まるでデジャヴを見ているような感覚でパチリ。コレハエニナル、ナリスギデス。自分自身のDNAが震える瞬間でした。この風景はかなり鮮明にいつまでも頭の中に残ることでしょう。もしくは、ずっとずっと前世にこの絵を見ていたような感覚ですね。小奇麗になった日本には絶対に存在しな構図。この通りの向こうには高層ビルがうっすらと浮かんでいるのです。いやいや、上海、素敵素敵。

新星現る!杉ちゃん!!

 いやいや、それでも出てきますね新しい顔が。昨日のR-1グランプリはなんと言っても杉ちゃんに尽きる。優勝した多田さんはいわばM-1の笑い飯さん状態。面白かったがはじけてはいなかった。良くも悪くも一般的。恐らくあの番組を観たPの皆様は杉ちゃんにフォーカスしておられることでしょう。

 なかなかのいいステージをひさびさに拝見できました。「笑える」とは言語中枢下ではないんですよね。言葉のチョイスは大切ですが、そこに立っていることと引き込む力の非言語力の強さがホンマルです。これから恐らく杉ちゃんは当分テレビの画面で観ることになるでしょうね。

 なんともワイルドな杉ちゃんでしたね。ポテンシャルが他のエントリーしている方とケタチガでしたね。

The お昼ゴハン!

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 で、こちらがお昼ゴハン!なかなか上海なお味でした。で、上海紀行はまだまだありますので、中盤戦へ続く・・・。

そのお店の前で待ち・・・と。

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 で、そのお昼を食べるお店の前で待ち・・・と。さぁ、どんなラインタイムになるのか???

上海、観光エリア。

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 そして、上海の観光エリアを流しつつ、お昼を食べるところを散策。

こんな感じ。

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 で、こんな感じでした。テンション的には高いのか低いのかちょっと微妙ですが、比較的フラットな感じでしたね。まぁ、旅行ではないので、必然的にこんな感じで正解かなと。これが、ヨセミテやアラスカやパリだったら、この表情ではないかもしれないですが・・・。

上海到着。

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 で、上海到着。雨は降っていなかったが、曇天な感じでした。寒くはなったですが、「ここが上海か・・・」みたいな第一印象でしたね。

で、ちょっと遅い朝食を経て、

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 で、機内でちょっと遅い朝食を食べまして・・・。

中国東方航空にて、

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 中国東方航空にて上海へ。ひさびさの飛行機です。

雨の関西国際空港。

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 3月17日午前9時40分、雨の関西国際空港から・・・。

こんなイメージかな・・・。

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 なんとなく、ムギワラがカッコイイかなと・・・。

隣の芝生はなんて青い!

 情報時代情報時代ということで情報が仮想空間で完結している程度なら自分の芝生もそこそこ青く感じるが、一旦、リアルの世界になるとDNAが反応する。これもすべてニューロンの賜物。つまり、関係性を持ちたいと感じる身体の中の何かが常に自分自身とそれ以外を比較しているという能力のお話。まず、自我をどこで定義するかという科学・宗教・文学・哲学の世界のそれぞれの仮説があるが、それでも、まだ、そこは未開拓の部分が多い。脳が解明された、DNAが解析されたと言うが、これまた、意識レベルの仮説レベル。ほんとの解明・解析など絶対にない。ただ、そう思えているだけに過ぎない。なのに、生まれて絶えるまで人間という生物は比較検討をし続ける。灯台の元を照らさず、自分の庭の芝生の色を見ず、絵に描いたデザートを食べたいと思っている。

 それはそれでいいとして、やはり、隣の芝生は青い。これって正常な状態だろうからアリかなと・・・。

アクトの広告。

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 あまりアクトは広告を出さないのですが、いろいろなタイミングの中でピクリとくる媒体には積極的に広告を出そうと思っています。よくある「おつきあい」は120%出さないが、なんとなくのびしろを感じられる場合は積極的に広告を出していこうと考えております。ってことで、これが電話帳用に作成した、サイズ:w56mm×h40mmのモノクロ広告データです。

 ざっと、オフィスを見回せば、至るところに「ライン」が縦横無尽状態。「時計」「地球」がラインで繋がっているだなぁ~と感じたわけです。それをそのまま広告にしてみました。小さい広告ほどなんとなく、アイディアが出てくるし集中してしまう感じです。「サイズが小さい」とか「カラーでなくてモノクロ」とか条件が限られてくればくるほやる気も集中力も出てくるようです。これもひとつのクリエイティブ・スピリッツかもしれませんね。大きな看板よりも小さな広告の方が好き。

リスベットはいい感じですね。

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 確かに、リスベットのキャラ設定はいい感じですね。今後、ミレニアムの1・2・3の全6冊がとてつもなく楽しみになっています。このキャラって「よくぞ・・・」みたいな捻じ込み方ですね。いいですいいです。好きです好きです。

福島、60メートル室内日本新!!

 着々と仕上がっている福島千里さん。頼もしい頼もしい。トルコで開催された世界大会で準決勝に進まれた。今季初戦の福島千里さん、しかし、日本国内の室内レコードを0.11秒更新したってこと。う~ん、快調ですね。全体の記録でも9番目の記録。五輪イヤーの実践での好発進にも、福島選手はマイペースに受け止めているらしい。これが世界レベルの選手のリアルかもしれない。しかし、やはり、期待してしまいますね。もし、福島さんが五輪の100mの決勝のスタートラインに立ったとしたら・・・。それは、ソフトボールの金よりも、なでしこの優勝よりも、荒川さんの金よりも、私は快挙だと思っている。その雄姿を観れることだけで陸上短距離を仮にも少しかじった人間にしてみれば、震えが止まらないだろう。他の競技に比べ、短距離は勝負が10数秒。たったその時間のために、とてつもない努力と練習を重ねてあのスタートラインに立つ感じ。ただ早いではない、その向こうにあるモノ。

 世の中、マラソンブームが百花繚乱でこれはとてもいいことなんですが、マラソンに対して私の琴線は震えない。42キロ走れと言われても全くそのような気持ちはない。しかし、体調を整えて何かの記録会の100mにエントリーをと考えると震えてくる。そこが本質であり資質だから仕方なし。温かくなったら、娘と一緒に50mから仕上げていこうと思っている。反応時間は恐らくひどいものだろうが、一本でも筋肉があの感覚を覚えているとしたら、ぜひ、100mに挑戦してみたいと無茶苦茶なゴールを設定している47歳ってどうよ?

よくある質問とのこと。

 「自己PRは苦手な方が多いですよね。特に日本人の場合はそうかもしれません。アピールしすぎると、単なる自慢になってしまうかもしれないし、消極的すぎると、全然伝わらないかもしれない…。そうやって悩んでいると、ますますどんな風に書けば良いのか分からなくなってしまうのも無理ありません。しかし、転職活動のときには、自己PRは必要不可欠です。では、どうアピールすれば良いのでしょうか。アピールポイントを応募先企業に伝えるためには、当然何をアピールするのかをまとめなければいけません。そのためにはまず、ご自身がこれまでの仕事を通じて、どんなことを経験し、何を学び、培ってきたか。どのような姿勢で取り組み、どんな実績を築いてきたか。これまでのご自身の仕事を振り返ってみましょう。」という例題がある。

 このケースは一般的なお話としての大前提ですが、「日本人の場合」としているがほんとにその根拠は何?から紐解くとこの例題はさほど掘り下げてはいない。まず、自己PRが苦手な人という存在は一体どういう存在なのか?「自慢」と「PR」は紙一重。要はリレーションシップの問題を体系的にどう捉えているかをどう言語化するかだろう。しかし、人間は「感じる部分」と「大前提」が十人十色だから、画一的な手法には必ず綻びがある。それを紡ぐのもこれまたリレーションシップなのだが、そこを理解して理解を求めるということが結果PRになるわけで、自分の価値観に対する作用と反作用をどう解釈しどう言語化するかという戦法をいくつ持っているかに尽きる。

 で、偉そうに言うこともでないし、必然的に性質的に「偉そう」などというベクトルは必要ないので、そこも大前提で削除しておかなければ、潤滑なシームレスなコミュニケーションは実現しない。ということは、つまり、ポテンシャルの問題。ただ振り返るだけではダメなんでしょうね。

 そして、PRの向こうに存在するSOMETHIMGを何個キープしているかですから、それは、チェスのようなもの。条件は同じ、コマも同じ、ポテンシャルも同じ。さぁ!ゲームスタートという時にどう試行錯誤するかが実は楽しいのである。勝ち負けはさほど問題ない。それにチェスと同じ「引き分け」もある。

海外就職のススメ。

 「海外留学経験なし、海外にコネなし、海外駐在経験ももちろんなし。普通のサラリーマンが、普通にアジアの就職エージェントに登録して、普通に就職活動をしてみました。そのノウハウと、体験談を一挙公開!実際に香港、深セン、シンガポールへ行き、現地のエージェントに登録し、現地企業と面接をしてきた体験を元に、今アジアで就職することの意義、アジア就職のためのto doリストから、どの辺のホテルに泊まればいいかまで、徹底紹介!本気で海外就職を考えている人から、日本で働くことにちょこっと不安を持っている人まで、日本以外の場所で働くという選択肢を検討するのに最適です!」という書籍の案内がアマゾンから到着した。以前に購入したパターンからチョイスしたのだろう。なかなかやりよる。確かに欲しい一冊である。

 というテイで細かいリサーチをしてこそが購買をニーズを見つける最短の手法だと言うことだろう。海外で仕事をするという意識は30歳の頃からあったので、具体的にとなるとなんにもリサーチしていないが、最低日本で仕事がないから海外に出よう的なテンションでもないので、ルールさえ守れば仕事はどこでも同じだろうぐらいにしか考えていない。文化や慣習やビジネススタイルが異なるということは想定以上に存在するだろうが、結局、人と人だからぐらいの楽観視。それで当然、ぶちあたる想定以上の壁はあるだろうが、それはその時考えればいいこと。今、思い悩むことではない。

 で、その先は野となれ山となれぐらいでいいかなと。立っている場所が変われば風景も変わるだろうし、気持ちも変わるだろう。その場所で自分自身が何を考えどう行動するかが実は一番ワクワクする。

デザイン=設計か?

 そもそも「デザイン」という語感の中に「設計する」というニュアンスが多分に含まれている。それを細かく分解していくと「描く」「書く」「創る」「複製する」「思う」「動く」などのパーツに分解されるが、基本的に素材を組み立てるわけで新しい元素と元素に化学反応を誘発させてボワン!と新薬を創るみたいな部分も言わばデザイン。しかし、あまり「デザイン」という言葉を乱用するのは個人的に好ましくないと考えている。だから、文脈の中で「デザイン」という語彙の使い方には慎重になるべきだと考えているし、人とのコミュニケーションの場において、「自分のデザインスタイルは・・・」とか「このデザインの方向性は・・・」などとあまり安易にデザインという言葉を使わないようにしている。同じようなTPOならば「イメージ」や「ニュアンス」や「フィーリング」という語彙の方がいろいろな意味合いを包括していると考えているのでその言葉をチョイスすることが多い。さりとて、「イメージ」という言葉についても細かく分解して遠心分離すると、試験管の中にはどのようなエレメントが存在するのだろう。まぁ、そんなに深く考えずにもっと感覚的に行きましょうよ!とこれまた「感覚的」という言葉に泥酔している人も多いが、それを言うならば、「感覚的」についてもっと掘り下げましょか・・・となる。イチイチこんな風に重箱の隅をつつくことはさすがに日常会話でする必要はないが、これだけ、ネットでいろいろな文字や文脈が溢れていると、一つ一つに注視していても仕方ないが、脇の甘い文章も多い。

 って、自分の脇の甘さを棚に上げ、「脇の甘い文章も多い。」などと書けてしまうのもブログの魅力ですね。だからって、あなたがどこでどんな酒を飲んでようが、あなたが誰とどこで出会っていようが、そんなことをブログやSNSで知ったところで、他人の時間を得たことが何になる?ザッカーバーグだって、SNSの仕組みを創ったのは、例の彼女のことを知りたかったからだろうし、創作者の意図がここまで世界に一人旅をするとそれは創造なのかな?それとも何か人として大切なモノを破壊させているのかな?というジレンマに襲われてしまう。だから、あまり、SNSに興味はない。こうしてマイペースに書き下ろせるブログが楽しい。誰に読んでもらうということではなく、自分に対して向き合うために、文章化してサーバに残すという意義のためだけにブログは書いているようなもの。それ以上それ以下の何ものでもないあたりが実はデジタル文化の適正値のような気がしますね。

 仮想の妄想に翻弄されぬよう。デジタルはデジタルに、アナログはアナログに、それぞれのバランスを楽しみたいと思います。

「人気」とはどう定義する?

 よく人気がある知名度が高いというが、その場合の「人気」とはいったい何だろう?まず人気を分解していくと「人気」を得るまでのプロセスがあり、背景や理由がある。勿論タイミングもあるだろうし、誰かの努力や才能もある。さらにご本人の努力も相まって結果「人気者」が成立している。では、「人気」があるということはどういう意味や価値があるのだろうかと?ただ人気があるだけでテレビに出て、好きな持論を展開してさらに人気を重ねていく。その結果、それに依存してかそれに属してかビジネスモデルを捻じ込んでgive&takeの関係性が企業を巻き込んでいく。これが小さいたつまき。それがそこかしこで発生し気象となり雨が降り地が固まり大地が形成される。言わば「人気」とは水分のようなものかもしれないし、潤っている人のことなのかもしれない。人間は重力下で骨格と筋肉に支えられた水風船のような存在だから、水分という比喩引用は、これまた人間が創造してきた「人気」という事象を適正に表現しているような気がした。

 テレビの人気者が「わぁー!キャー!」言われてなんぼみたいな部分に、昔からあまり興味がないが、確かに故忌野清志郎さんのステージを始めて京都会館で観た時は「わぁー!キャー!」以上のテンションだった。が、水は流動的に地球を巡っているように、生物はいつか炭素に還る。浮世の人気に溺れている人はどこか羨ましい気もするが、はかなさとも表裏一体であるから、大変だなぁ~という側面も見えてしまう。実際、スポットライトを浴びている人が何を考えて何を思うかなど知る術はないが、別段、自分自身の潤いがわずかでも確かめられているなら、「自分らしい」ってことでいいのかなとも考える。

 「人気」、なんとも不思議な価値観である。

ミレニアム1(上下)。

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 う~ん、やっぱ、我慢できずにTAKE IT. DVDのレンタル待ちってこともフィンチャーだから我慢する価値はあるのだけれど・・・う~ん、やっぱ、これは買ってしまうでしょう。ということで、読み始めてしまいました。

 本体のお話はしませんが、この著者「スティーグ・ラーソン」は「ミレニアム1・2・3」全6巻が処女作であり遺作だというこれまた強烈な存在感とリアリティーがある。どれだけドラマチックかというと、1954年スウェーデン北部に生まれ、スウェーデン通信でグラフィックデザイナーとして20年間働き、英国の反ファシズムの雑誌「サーチライト」に長く寄稿する。1995年、人道主義的な政治雑誌「EXPO」を創刊し、やがて編集長を務めた。一日に60本もタバコを吸うヘビースモーカーで、仕事中毒でもあったと。パートナーである女性の協力を得て2002年から「ミレニアムシリーズ」の執筆に取りかかり、2004年に三部作の出版契約を結ぶ。2005年、第一部「ドラゴン・タトゥーの女」が発売されるや、たちまちベストセラーの第一位になり、三部作合計で破格の部数を記録。社会現象を巻き起こした。しかし、筆者のラーソンはその大成功を見ることなく、2004年11月、心筋梗塞で死去。享年50歳と・・・。

 痺れる、なんと、痺れる人生だ。結構、いろいろな小説や書籍を読んでいると、47歳・48歳あたりから執筆活動をして50歳までに書籍を発行する人が多い。しかも、トビキリの作品を世の中に送り出すケースが多い。やはり、ものを書くということは、20代や30代ではまだまだなのだろう。文章がうまい、知識がある、財力がある、サポーターがいるってことで多くの書籍が世の中に出ているが、それでは時代を動かせないということ。やはり、人間の人生で47歳48歳あたりが、ガツンと決める年齢なのかもしれないぞ!そんなことを考えてしまうほど、痺れた。そういえば人気作家の東野圭吾さんも最初の執筆活動は47歳だったはず。人間、ある意味、ここにピークを持ってくるのが適正なのかもしれないですね。

 キングのような、フォーサイスのような、クライトンのような、セーガンのような、そして、高野和明さんのような作品を世の中に出したいものだ。

 で、タバコは死ぬまで止めません…って結論。

月の蔵人@桃山

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 昨日は打ち合わせで一休庵グループ様の「月の蔵人」という京都桃山のお店に伺ってきました。月桂冠の酒蔵を改造したというお店。外はまさに酒蔵のテイでありながら、中は蔵のテイストを充分に残しつつ和風とモダンが融合したとても落ち着く空間でした。天井も高く、どこか映画のワンシーンにでも使えるような店内でした。しかしながら、気軽に大人数で楽しめる空間という魅力もありましたね。素敵な空間でした。桃山にお越しの際はぜひ!

上海浦東国際空港

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 来週の今頃はここか・・・みたいな。

銅版画の魅力。

 何故か芸大2回生の後半でゼミを選択する時、自分は美術表現の中で何をやりたいか少し迷った時期があった。今思うとそれはとても必然であり、一本の太いレールの上にあったのだと回想することができるが、それは、47歳になりあしあとをただ辿っているだけで、どれだけ太いレールかなど便宜上のことなのだが・・・。でも、その時、3回生と4回生のゼミの選択で自分は油絵や日本画や彫刻や造形ではなく、何故か「銅版画」をやりたいと感じた。特に芸術大学にいると選択肢が広いようで狭い。狭いようで広いと自分の方向性やいろいろな要素に「これだ!」という結論が出ない場合が多いように振り返る。それは、ゼミの選択だけに限らず、卒業して社会人になる時、働き出して自分の進むべきなんていうテイで改めて自分の将来を考える場合など特に一般的に「迷う」という壁にぶち当たるのが常。しかし、今思うとその部分で迷ったことは一度もない。小さいサイクルでは無数に弱気になって怖気づいたりテンションを下げたりというループはあるものの、マイペースが基本スタイル。誰だって今現在を振り返るとそうかもしれないし、自分のスタイルに疑問を感じては決して自分の進むべきルートに集中できない。しかし、自分の中からも外因的な要素でもそれを阻む要素は無数に存在しているので、そんな中、自分自身の基本スタイルをキープしながら、今後もそのルートで行こう!と考えられているということは、これ何よりも幸福者(しあわせもの)だと感じます。

 で、銅版画からのグラフィックデザインの世界というのがこれまた自分の中で密接にリンクしているし、銅板にニードルで絵を描くということが、描く行為と版を作成するという微妙な関係がドローイングであり設計者であるというバランスの中で、ただ画面に絵具で描くという感覚の他に、版を設計するというフィーリングに魅かれたのかなと思っています。つまり、自分自身の中の「描く人」と銅板を「制作する人」とのバランスに魅かれたとでも言うのか・・・。

 結果、ニードルのラインが用紙に転写された瞬間がたまらない。まるで、心の中のイメージや言葉にならない感覚が一枚の用紙に一気に飛び出す感覚がある。プレス機から滑り出てくる銅板と用紙を確認しがら、版と用紙を剥がす瞬間。これがやめられない。シンナーの臭いや硝酸の臭いが充満する教室で朝から夜まで一日中、ニードル一本で描画しているような、ちょっと非健康的な空間もパラダイスだった。

 芸大を卒業して銅版画は作成していないが、あれから25年、また、銅版画をやりたくなっている。これは非常にいい状態だと捉えながらも、これが自分のルート上だと思える満足感。はやり、エッチングは皮膚感覚的にも自分自身にマッチしているのだろう。プレス機や腐食装備がないから、ペン画を描くが、やはり気持ち的には銅板にニードルがベスト。その方法論こそが銅版画の魅力ですね。

水産高校の逞しさ。

 静岡県焼津市の水産高校の実習授業をテレビで紹介していた。うんうん、逞しい!これまでもこれからもやはり強いのは当然のように第一次産業。世の中には第六次産業なんてご都合主義の便宜上の言葉を氾濫させて浮ついている人もいるが、それはそれ。ホンマルは自分自身がどのような仕事にどう関わり、自分の知識と経験とモチベーションで自分自身の人生を生き方をどうハンドリングするかなのである。「仕事がない」「給料が安い」「景気が悪いから」と口にした段階で実は負け。何に負けているか?世界でも日本でも地域でも会社でもなく、自分に負けている。という歯の食いしばり方の問題。

 とはいえ、自分自身が勝ち続けていいるなどとは口が裂けても言えるレベルではないリアルもある。常に負け続けて連戦連敗の末、敗北感から立ち上がる時のエネルギーだけを連続させて、その摩擦で蓄積した微量なエネルギーで毎日を動いているような状態ですね。でも、そのギリギリ感が微妙にいいテンションを維持できる「繋ぎ」になっているのもリアル。結局、正解のない世界だから、最後まで立っている、立ち続けるということが重要。立ち続けるということは、空高く舞い上がるわけではないので、そんなにエネルギーは必要なし。ただ、想定外の動きで無駄にエネルギーを消耗することもあるから、その時、エンジンを心臓から魂にチェンジするハイブリッドな機能が必要だとも言える。何がガソリンで何が電気かは分からないが、「逞しい」とはそういうことのように感じます。

 つまり、「理系と文系」「東大と京大」「勝ち組と負け組」全て便宜上の属性を指していると言わざるを得ない。が、それが意識の世界。無意識に眠っていても心臓を肺を動かしている副交感神経のような部分を実は鍛えることは「繰り返し」で身体に覚え込ませる必要がある。というよりもそもそもDNAに記述されている設計図を純粋にストレートに意識するということになるのだろう。

 で、水産高校の皆さんのあの逞しい表情を見るにつけ、本当に学校で学ぶべきことはこれだなぁ~と痛感してしまいました。高校の時に野球しかしていないのに、なんとか仕事をやらせてもらっているという自分のことをこの水産高校の皆様の映像とリンクさせると、「馬鹿のハサミ」はホントに使い方次第だなと・・・。

第1投は何だ?

 さてさて、今から楽しみなこと。上海のダムにて第1投目は何だろう?ダムはかれこれ5年ほど通ったが、そのノウハウが果たして中国で通用するかいなか。しかし、同じ水で同じブラックバス。だから、必ずひねり出せるだろうという自信がある。なけりゃやらないし・・・。結局、釣りってそういうこと。自然と喧嘩するわけじゃないし、自然に全てを任せるわけじゃない。人間の人間たる所以で水際でロッドを振るだけ。たまたまルアーが水に落ち、バスがそれに反応する。たかががされどなのである。うんうん、楽しみ楽しみ。

待望の文庫化「銃・病原菌・鉄」!

 1万3000年にわたる人類史の謎ってことで書籍のタイトルが「銃・病原菌・鉄(上・下)」ってことですが、ジャレド・ダイアモンドって何者???書店文庫ランキング1位登場で、発売1ヶ月で25万部突破!ってこと。現在の世界に広がる富とパワーの「地域格差」を生み出したものとは何か?文系・理系の枠を超えて最新の研究成果を縦横無尽に駆使して、世界史の壮大な謎に挑んだ知的興奮の書ってことですね。ここまで知って結論は出ました。

 で、この書籍は、うん、買いだな・・・と。

シェアハウスとな・・・。

 へぇ~そんなのがイマドキのブームなんですね。「シェアハウス」ってのが旬らしい。っても、共同生活とSOHO的な空間のようですね。でも、言わばあれ、「学生寮」みたいなノリなんでしょうね。「起業の舞台」に最適ってことですが、確かにそうでしょうね。もし、私がまだ大学を卒業して20代ならば、こういうライフスタイルをチョイスしたかもしれませんね。海外の方のルームメイトの大勢版みたいなニュアンスなんでしょうね。しかし、芸大の頃は大学生とイノベーションはちょっと違うかもしれませんが、今、想い出してもあの頃は良かった良かった(今も勿論楽しいのですが。)。何時に起きても何時に寝ても、何時間麻雀しても3日帰らなくとも誰もなんにも言わないライフスタイル。で、集まる時はガチでみんなで宴会したりコンパしたり・・・う~ん、このノリってやはり良き想い出の1ページですね。

 で、「シェアハウス」って、この時代を象徴している一つのスタイルになるのでしょうね。ネット、オフ会、コミュニティー、SNS、そして、シェアハウスか・・・。ハイテク(馬鹿)とローテク(はさみ)は使いよって感じなのかな?いやいや逆か・・・。

高原かなカルテット!

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 いやいや、なんとも最高な夜でした。

水の中の時間。

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 で、こちらが優衣さんの作品。このクラシカルでアカデミックな世界観。自分自身がなかなか他人の絵に引き込まれることは数少ないが、このモノホンには引力がありました。ゴリゴリではなく、シャープに引き込まれる感覚です。リアルな作品の引力です。これはネット上やペーパーの複製物では絶対に表現できないリアリティーです。優衣さん、本日は、いろいろお話ができてとても有意義でした。今後とも何卒、よろしくお願いいたしますという感じでございます。東京のプロジェクト頑張ってください!

小柳優衣さんのWEBサイトです。http://yui-koyanagi.jimdo.com/

優衣さん。

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 はい、大切なのは「感謝の気持ち」ですね。

小柳優衣さんのWEBサイトです。http://yui-koyanagi.jimdo.com/

パスポート。

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 さてさて、これが何へのパスポートになるのか・・・。

まだまだ・・・。

 ほんとにこれだけ長いことこの仕事(デザインや広告やWEBなど)をしているのに、こうも失敗や不手際が多いこと多いこと。何をやっているのか!?と情けなく思わず自分自身に愚痴ってしまうことしばしば。いろいろな大前提を感じ取れない鈍感さが情けない。聞いているようで聞いていないっつーことが多く、「年なのかなぁ~」と考えてしまう。忙しのは誰でも同じ、なのに、それを理由に不手際の連続で、結局「いっぱいいっぱいだから」と自分を納得させてしまう弱さ。これが続くと結構辛い。自分自身でも辛いのだから、お客様はそれ以上ってことを考えずに言い訳ばかり。ほんとちゃんとしなければいけない。自分のキャパや器の小ささを言い分けに適正な判断、適正な行動ができていないのだ。

 で、落ち込んでばかりもいられないので、私の仕事は「動いて」「創って」「考える」ということなのだから、それをしっかり実践しなければいけない。ただそれだけ。う~ん、これはいい状態だと思うので、こんなブログでひっそりつぶやいていないで、手足を動かし、頭を動かして頑張ろうという今日この頃です。