デザイン=設計か?

 そもそも「デザイン」という語感の中に「設計する」というニュアンスが多分に含まれている。それを細かく分解していくと「描く」「書く」「創る」「複製する」「思う」「動く」などのパーツに分解されるが、基本的に素材を組み立てるわけで新しい元素と元素に化学反応を誘発させてボワン!と新薬を創るみたいな部分も言わばデザイン。しかし、あまり「デザイン」という言葉を乱用するのは個人的に好ましくないと考えている。だから、文脈の中で「デザイン」という語彙の使い方には慎重になるべきだと考えているし、人とのコミュニケーションの場において、「自分のデザインスタイルは・・・」とか「このデザインの方向性は・・・」などとあまり安易にデザインという言葉を使わないようにしている。同じようなTPOならば「イメージ」や「ニュアンス」や「フィーリング」という語彙の方がいろいろな意味合いを包括していると考えているのでその言葉をチョイスすることが多い。さりとて、「イメージ」という言葉についても細かく分解して遠心分離すると、試験管の中にはどのようなエレメントが存在するのだろう。まぁ、そんなに深く考えずにもっと感覚的に行きましょうよ!とこれまた「感覚的」という言葉に泥酔している人も多いが、それを言うならば、「感覚的」についてもっと掘り下げましょか・・・となる。イチイチこんな風に重箱の隅をつつくことはさすがに日常会話でする必要はないが、これだけ、ネットでいろいろな文字や文脈が溢れていると、一つ一つに注視していても仕方ないが、脇の甘い文章も多い。

 って、自分の脇の甘さを棚に上げ、「脇の甘い文章も多い。」などと書けてしまうのもブログの魅力ですね。だからって、あなたがどこでどんな酒を飲んでようが、あなたが誰とどこで出会っていようが、そんなことをブログやSNSで知ったところで、他人の時間を得たことが何になる?ザッカーバーグだって、SNSの仕組みを創ったのは、例の彼女のことを知りたかったからだろうし、創作者の意図がここまで世界に一人旅をするとそれは創造なのかな?それとも何か人として大切なモノを破壊させているのかな?というジレンマに襲われてしまう。だから、あまり、SNSに興味はない。こうしてマイペースに書き下ろせるブログが楽しい。誰に読んでもらうということではなく、自分に対して向き合うために、文章化してサーバに残すという意義のためだけにブログは書いているようなもの。それ以上それ以下の何ものでもないあたりが実はデジタル文化の適正値のような気がしますね。

 仮想の妄想に翻弄されぬよう。デジタルはデジタルに、アナログはアナログに、それぞれのバランスを楽しみたいと思います。