決断する力。

 「いざ」というとき、立ち止まるな!走りながら考えろ。とこの「決断する力」という書籍の著者である猪瀬直樹さんは提示している。SNSを使った情報収集と発信、即断即決から事後承認、見えない恐怖を可視化する、先を見通してリスクの芽を摘む・・・とその広告文にある。それは首都直下型地震への取り組みへの警笛でもあるのだろう。この副知事の書籍はどうか?

 「先を見通す」と簡単に言うがそれが分かれば苦労はしない。決断力決断力といくら鼓舞しても、そう適正な決断力など人それぞれそんなに大差はないはず。「おお!あの人は決断力があるなぁ~!」「あの人の決断はいつも冷静て的確だぞ!」などと知った段階でそれは結果のお話。もしくは便宜上のテンプレートに過ぎない。つまり、組織で考えることでリスクを軽減しようとするが、その組織が実は一番のリスクのように思える。しかし、どうもトップダウンの「鶴の一声」にアレルギーやトラウマやコンプレックスがある国民性では、これに難色を示す空気が常にある。だから独立独歩で行けばいいという短絡的な決断も時にそれ自身がリスクとなり、のびしろを奪う。ならば、どうすればいいのか?が一番ストライクなはずなのに、とにかくマス(絶対性)で考えよう、そして、責任を分散しておいて、然るべき場面では、「ねぇ~、だから、私の言った通りでしょう。」と傷を舐め合うことが適正としてきた癖が、言わば、決断力を鈍らせている主な原因だろう。「正確には組織の正解はない」が正解。そこまで人間のコミュニケーション能力は優秀ではなく、しかも、変幻自在変容ではない。

 が、だから、コミュニケーションは楽しい。リスクが100ではないからである。リスクはどう見積もっても50だろうし、のびしろも50が適正なバランスだと思います。天秤の二つの皿に何を載せるかで、真ん中のメモリが右に行ったり左に行ったりしながら、「先を見通す」前体重でスタートラインで構えてる状態をどれだけ長期間作れるかにつきる。つまり、ある意味短距離走であり、ある意味長距離走なのである。ある一場面を捉えて「決断力」とすることで恐らくリスクは回避できない。「決断力決断力」と呪文のように叫びながら、走り続けるだけでもダメだろう。そんな草原のバッファローじゃないんだから・・・。