人はなぜ騙すのか?

 人はなぜ騙すのか?という書籍があるらしい。この書籍についてはさほど興味はないが、さて、「騙す」という行動や心理とは何か?この書籍は人間の歴史上、「騙す」というテイで展開されてきた事象や書籍について、分析・洞察・考察を哲学や心理学の視点で紐解いているのでだろう。が、あまりこのテイには興味が薄い。

 で、「騙す」とは悪意の表出した行動・言動なのか、正義へのアプローチなのか?ミニマムな「うそ」から壮大な「うそ」まで何が悪で何が正しいかについて改めていろいろ考えてしまった。しかし、このテーマはかなり広がる余地があり過ぎるのと、何を指して「騙す」と規定できるのか?についても、適正な枠が想定できないことに気がついた。こうして、ブログを書きながら、そのことを考えているが、恐らく私の文章力や思考力ではこのテーマに対して的を得たコメントは書けそうにもない。それほど人間は「騙す」を共有しているし、昨今、「絆」「絆」と連呼が絶えないが、そんな叫ばずとも日本人から「絆」を抜いたら何が残るのか?というぐらいみっちりとまったりと脈々と存在しているのだから、どんだけ盛るのか?という感じ。すると、「騙す」もコミュニケーションのアイテムなのかもしれないし、メディアも総じて「騙す」「騙され」の相関性で成立しているのかもしれない。すると、どこが軸なのか、「騙す」という行為や思考はどこを中心に回しているのか?などと思考が支離滅裂感を帯びてくる。

 さて、明日は4月1日。大義名分にも「うそ」を奨励する慣習たるエイプリール・フール。然るべき理由や背景の元、それが継承されているのだろうが、この「嘘」と「騙す」について、人間の持つイマジネーション能力と連動しているわけですが、その能力はどういう価値があるのだろう?

 フォースと共にあれか・・・、あの映画も言わば「美しい嘘」となるのだろう。