2012年04月 アーカイブ

仕事中毒。

 世の中はG.W.なのに、この時間に仕事をしているってどうよ!?でも、仕事が好きだから仕方がない。好きな仕事だから頑張り甲斐があるよね・・・とよく言われるが、別に好きだから頑張っているわけではないし、好きでも嫌いでも仕事は普通頑張るでしょう。まぁ、この頑張るっていう部分も十人十色でしょうが、健康で仕事があるってことに、ただ、感謝していますね。それだけを考えてみても、そりゃ頑張って当然。世の中、こんな景気だからいろいろな考え方のモノサシが氾濫しているが、他人のモノサシで自分の仕事を計測しないことですね。短くても細くても曲がっていても、やっぱり自分のモノサシで自分の仕事を測りたいものです。で、その寸法が間違っていたら仕方ないでしょう。他人のモノサシ、もしくは、親のモノサシで自分の仕事(人生)を測らないように。これが頑張れるか頑張れないかの分岐点のように思いますね。さぁ、もうひとふんばり頑張ろう!

このライブは観たかったなぁ~。

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 このライブツアーは行きたかった。ので、DVDは買い。大阪城ホールだったのか・・・、行きたかったなぁ~。ライブで観たい聴きたいアーティストが少ない。日本の音楽シーンがニーズやメディアの変容で混沌としているのは新しい次の的を探しているからなのだろうか?到底、今、メディアの潮流に浮いているゴミには反応できないし、まして、最近の韓国のゴミについても同じ。しかし、上流に行けばまだ冷たい清い源流に大きな魚が悠悠と元気に泳いでいる。小さい源流にいる美しい強い音楽に出会えるチャンスをゴミに邪魔されぬように努力を怠らぬようにしたいものです。海に辿りついた偉大な音楽の金字塔を今からコレクションしたいとは思わない。古き良き名盤の価値は音楽の歴史としてリスペクトはしたいが、鮮度は低い。音楽が感じるものである以上、鮮度は大切。ジャンルに縛られるのも自分としてはNGですね。

コンテンツの鮮度。

 小説や漫画が原作の映画やテレビ番組は何故かどこかテンションが上がらない。いやいや、ほんとんどが何かの原作ですよ・・・みたいなメンドクサイ背景は別として、やはり、すでに存在して一世を風靡した物語と、この映画はこのテレビアニメは、書き下ろしの新鮮な物語。物語はあのあたりに行くらしいが、その真相はまだ誰も知らない。これがメディアに期待する鮮度。テレビがとことんつまらない決定的な理由は「鮮度が低い」から。何を持って鮮度なのかなどって議論もメンドクサイぐらい鮮度が低い。鮮度が何かなど考えるレベルでもう鮮度が低い。いい訳はどうにでもなるが、そのいい訳さえ鮮度が低いから、そりゃそうでしょう!みたいな喜劇と悲劇。感動を捏造しても底が浅いから部ブラックバスも卵を産まないみたいな。

 では、コンテンツの鮮度を上げるにはどうすればいいか?毎日一年365日、7/24、携帯からスマホからPCに貼りついて情報をリアルタイムに更新すればいいのか?違う、それでは人間が単にスマホのインターネットの奴隷になっているだけ。奴隷という言葉に語弊があれば、歯車になっているだけ。コンテンツの鮮度を上げるということは、ちゃんと食べて、ちゃんと噛んで、ちゃんと消化して、きれいなウンコにすることである。そこに実はスピード感などいらないのです。地球が生まれてからずっと流れている時間のサイクルで生物が生物のスピードで排出するSOMETHINGを誰かが知る時、そのSOMETHINGが誰かにとって鮮度があればいい。糞実物に「鮮度」という語感はマッチしないが、これはただの比喩。

 で、人間社会から排出され結果不協和音になるような解答や結論や正義なら、糞実物の方が地球のためになる。なぜなら、鮮度が高いですからね。

就職問題の論点。

 日本型の雇用システムに限界点が来ているとか、学生と企業のミスマッチ、ブラック企業、大学卒業後3年を新卒扱い・・・・とかとかとか。実はこれらのこと全てのイニシアティブを受け持っている人も現状のことを理解していないのでしょうね。学生がダメなのか企業がダメなのか?論点はどこか?という問題についてですが、あらゆる分野のエキスパートが何をどう分析してもそれは机の上の話。そもそも、「就職問題」などと命名して問題視している段階で本当はこれに関わっている人達にとっては大義名分の便宜上の「他人事」。それを論じることでそれらの人の立場やネームバリューが上がるから関わるだけでしょ!?それを「論点はどこだ!」みたいな戦隊ヒーローモノのリーダーじゃないんだから?これは正義、これは悪だって、どうしてそれだけ白黒つけたいのか?もっともっと現場は多種多用の16乗ぐらい多用なんですから。そんなたったひとつの書籍でそれらの論点が仮定できれば苦労はしない。それで定義できれば世界は平和ですよ。だから、就職率とか新聞も便宜上の物理定数ばかりリサーチしていないで、もっと、本当のリアルなガチな現場の「需要と供給」を繋げるようなメディアとして頑張らないと、新聞社など廃品回収後の新聞の在り方を考えるだけの集団になりますよ。

 で、就職問題を理解できる入門書が登場!って、なんでやねん!そこに入門して何がどうなる???

サラリーマン川柳第10位。

 例の奴、第25回サラリーマン川柳の人気投票の発表があった。第1位は「宝くじ、当たれば辞めるが、合言葉」それが宝くじのシステムですね。人間の深層心理を充分に組み込んだ素晴らしいシステムです。第2位が「女子会と 聴いてのぞけば 六十代」なるほどなるほど、めんどくさい世の中です。第3位は「妻が言う、「承知しました」 聞いてみたい」これはノーコメント。

 で、一番好きなのが第10位「最近は、忘れるよりも、覚えない」と、・・・。人間もパソコンのようなフォルダが頭の中にあればいいのに、要らないモノを捨てる(忘れる)ゴミ箱があればいいのに。好きな便利なソフトをインストールするだけで技術や知識が増えればいいのにな。

 そこで私も一句。「人間も 状況次第で 再起動」。

才能は有限、努力は無限!?

 「才能は有限、努力は無限」という言葉がある。これは恐らく才能がある人同志が共有できる価値観だろう。私はどうこの言葉をこねくり回してもそれが有限だとは思えないし、無限だとも思えない。別段、アマゴルファー松山英樹さんの師の言葉を全否定しているわけではないが、言葉の2面性の部分と論法の部分で言うならば、私の場合は「才能は無限、努力は有限」だと思う。

 まぁ、無限と有限の定義についてじっくりと考察する必要があるが、あまり、「才能」や「努力」を言葉にしない方がいいように思います。それは、言葉にすると想定以上にコンパクトになるというか、その概念が持っている価値の部分でのびしろを限定してしまうような気がします。まぁ、何かを共有したいから、言語化するわですし、言語コミュニケーションで伝わらないことを非言語が担うわけですから、双方のバランスとスタンスを意識しておく必要がありかなと。

 で、「才能は有限」だと言われて鼓舞できるタイプの人、「才能は無限」だと言われて鼓舞できるタイプの人。世の中的には、実はどっちが多いのだろう???

あなたはあなたの絵を描け。

 大御所の言葉だけに重い。この時代、絵で生活していくということは具体的どういうことなのか?子どもの頃なら、「僕は絵で飯を食うぞ!」などという考え方に対して肯定的な大人は皆無だった。少なくとも自分自身の生活の中でこのような考え方を共有できる人は誰ひとりしかいなかった。小学・中学の先生レベルではそのポテンシャルの低さは今振り返って考えてもぞっとする。現代、教育現場の人材の空洞化というかシステム化が学生にどのような影響を及ぼしているかと考えると、現場には現場の主張があるだろうし、一番上の人が守り続けている法典を崩さないかぎり、この構造は半永久的に継続されるだろう。それが日本人の幸福論になるかならないかなどと極論を展開することは棚に上げて、「絵で飯を食う」という言葉にフォーカスしたい。

 恐らくの空気感ではあるが、自分の親でさえ、いや、親だから、「そんなことで飯が食えるはずないでしょう!」と言われるだろうありきで、人生について考えてきたので、実際、悲しませることもしたくないとは考えるが、親のために生きているわけではないので、人生、一生とはある意味自分勝手でいいはず。よく「育ててもらった恩」というニュアンスを人は多用するがそれは回り回っている部分で、その恩と引き換えに自分自身の人生に枷をリミッターを設定したくないとは考えてきた。それを「絆」だと勘違いしたくなとでも言うのか。彼が片道燃料でアメリカの軍艦に向かって自爆するから、僕も・・・という国の発想から全ての価値観や人生感が生まれている構築されているとしたら、なかなか「あななはあなたの人生を」とは言える空気じゃなかも。

 で、「私の絵」とは何か?45歳あたりからなんとなく分かってきた気がしますね。

 ただ、自分の娘には口が裂けてもそんな「恩」を規定するつもりはない。

100億人時代。

 200年前には10億人、100年前には17億人だった世界の人口。そこからわずか100年で70億人に達するという。一方、100年前の平均寿命が33歳前後だったの対して、2011年の世界平均寿命は68歳。先進国は78歳前後だそうですね。科学や医学の進化で平均寿命はどこまで伸びるのか。で、国連は2083年には世界の人口は100億人に達すると予測した。エリア的にはアフリカで人口爆発が起こるらしい。将来、ナイジェリアが世界3位、タンザニアが世界5位の人口大国になると予測されているという。その理由は何だろう?エネルギーは無限なのか?農業生産に大革命が?医学はどこまで進むのか?という視点でNEWTONが臨時創刊しているそうですね。

 100億人に何をどうイメージしてもリアリティーはないし、世界の人口が増え続けていることと自分自身の生活サイクルにはあまり相関性も感じられない。しかし、エネルギー問題や医学の進化が人間の生活を世界規模的にどう変容させるのかという大きなテーマは少なからずアートやデザインやクリエイティブの分野に連動するだろう。幾多の戦争を経て素晴らしい芸術作品が残ったように、この時代を反映した芸術作品が今日もどこかで生まれているのだろう。

 日本の人工は3.11も踏まえてこの1年で25万人が減少しているらしい。このまま高齢化が進み、少子化が進むと1億人を割るだろうという予測もある。相対的な立ち位置において、世界の中の日本人はどのようにポテンシャルを示せばいいのだろう。直接的に主張することや争うことを苦手とする単一民族は外的からの守りは盤石だとしても、内蔵からやられないように・・・。

日本人のお約束。

 「すいませんの国」という書籍があるぜ。榎本博明さんという著者の方だぜ。日本人のお約束の真相に迫るということで、「なぜ、謝罪会見はおおむね胡散臭いのか?」「分かりましたは危険な言葉」「斉藤さんはなぜ嫌われるのか?」「私・僕・オレの侮れない使い分け」「日本人ならではのモラルマゾヒズム」「意見を言わないというリスク・マネジメント」「日本の会社に無意味な会議が必要な理由」「NOとイイエは違うもの・・・」などなど。掘り出せばきりのないこの摩訶不思議日本のフィーリングだぜぇ~。

 これら「お約束」がいいリレーションシップを構築していると言えばその側面は評価しなければいけないが、無意味か意味があるか?極論でなかなか処理できない問題点であることをある程度想定したとしても、摩訶不思議感は否めないぜ。改めて「すいません」の使い方を考えようと思うけど、でも、スギちゃん、別段にそこんところ掘っても何も出ないと高をくくってるぜ。アメリカ本土ならシェールガスが出るだろうし、ドバイなら油が出るかもしれないが、日本は掘ってもたぶん何も出ないぜぇ~。活断層にぶつかってお湯が出るぐらいだぜぇ。だから日本人は温泉好きが必然なんだぜ。温泉入って健康で幸福を掘り起こせているならそれはそれでいいぜ。

 「すいません」の裏の意味は「私の責任ではありません」だとこの著者は言っているぜ、スギちゃんはそこまで深く考えていないぜ。言葉は7%、カラスのカァ~と同じだと思っているぜ。どうだい、ワイルドだろぉ~。

Unity3.1.4解禁!

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 ってほど大げさなことでもないのですが、意外と意外、これはかなり大ごとかもしませんね。この書籍の発行にあたっての経緯や背景がまたgood! 本来ゲームメーカーの内部資料として英語版を翻訳したところからがきっかけのようです。だから、当然、本体のエンジンは英語版。おおっ!久々の英語版のソフトへのダイブか!ととてもウキウキワクワクドキドキしています。

 書籍にはDVDも付いていてサンプルデータも充実している。さらに著者のミシェル・メナードさんというの女性がなんとも魅力的なんですね。「もしあなたがその仕事を楽しめていないのなら、楽しいモノなど創れませんよ」と言っている。まさにである。

 しかし、その反面で「書籍を読んだり構想を練ったり設計図をしたり会議をしただけで、仕事を完成させた気になっている人がほとんど。特に会議を繰り返して結論が出た段階で気持ちがゆるむ人が多いです。」と。「ホントの仕事とは自分で考えて、動いて、創って、例え、予定していたモノに仕上がらなくとも、完成させるということが何よりも大切。」それを見たら自然と次に創りたいモノが見えてくると。なかなかいい見解ですね。

 そして、書籍を出版するということについてもこんな手記が添えられている。「ウイストン・チャーチルはこう言いました。本を書くということは冒険である。初めのうち、それはおもちゃであり娯楽である。次第にそれは愛人となり、支配者となり、暴君となる。しまいには泣く泣く自分自身の奴隷となりながら、その怪物を倒し、公衆へ投げ捨てることになる。」と。へぇ~モノヅクリの真価を見事に文章化しているしている。

 で、注意する点は二つ。「楽しむこと」「完成させること」。そして、もうひとつあるとしたら、創っている自分自身を上手くつきあうこと・・・かな。

シェールガスというエネルギー。

 ウィキではこうなっている。「シェールガス(英語: shale gas)は頁岩(シェール)層から採取される天然ガス。従来のガス田ではない場所から生産されることから、非在来型[1]天然ガス資源と呼ばれる。アメリカ合衆国では1990年代から新しい天然ガス資源として重要視されるようになった。また、カナダ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアの潜在的シェールガス資源も注目され、2020年までに北米の天然ガス生産量のおよそ半分はシェールガスになると予想する研究者もいる。別の研究者は、シェールガス開発により世界のエネルギー供給量が大きく拡大すると予想している。ライス大学ベーカー研究所の研究では、アメリカとカナダにおけるシェールガスの生産量の増加によってロシアとペルシャ湾岸諸国からヨーロッパ各国へのガス輸出価格が抑制されると結論付けた。2009年の米中シェールガス・イニシアティブにおいてアメリカのオバマ大統領は、シェールガス開発は温室効果ガス排出量を減らすことができるとの見解を示した。しかしその後シェールガスの温室効果ガス排出量が、従来の天然ガスや石油よりも大きくなるとの指摘が学会から上がるようになった。」まだまだ、検証しなければいけないエネルギー源のようですが、結局埋蔵量の視点で問題視するなら有限のエネルギーをどのように活用して生きながらえるかという地球の寿命と種としての人間の寿命のお話。今日明日の問題ではないからといいう考え方が得意の人類の最後に与えられたジョーカーだとしたら使い方のジャッジは適正にしていただきたいものです。もっともっと地球について人類は知る必要があるのだろうかとさえ、何の科学的な知識もない人間がつぶやけるほど世の中の甘さも露呈しつつみたいなこと。情報が一瞬で世界を駆け巡る現代だけに、パワーバランスが世界情勢に影を落とすのか光を照らすのか。そんなところでしょうね。

 まだ、海外のSF小説や専門誌には「シェールガス」のことは話題になっていなかったのを鑑みると、新しい技術であり新しく開拓されたジャンルなのだろう。

 一方、日本では大飯町の原子力発電所の再稼働問題で国を挙げて一喜一憂しているが、さて、政治と専門家のパワーバランスがどんな答へ導くのか。たぶん、あんなことが東北で起こったのに、人間は全く変わっていないはず。不思議と言えば不思議だが国民の意見がエネルギー問題に限って言えば虫瞰的になっている、成らざるを得ない状況を踏まえて、利権と私欲が結局この国を動かすエネルギー源だという構造に亀裂は入らないだろう。大飯原発で放射能が漏れたら琵琶湖が汚染されるって、問題の論点はここではない。さて、この夏、自己防衛とエネルギー問題を等身大でどう捉えるかという一人一人のモラルに最後は委ねられるんだろう。総理大臣が何を言おうが橋本さんがどれだけ雄弁に語ろうがメディアの中の絵空事に過ぎない。国民のことを考えてって、あなたもあなたの家族も日本国民なんだから、その属性で立ち位置でのつぶやきをこっそり聞いてみたいものです。

達筆のススメ。

 達筆という美学がOLや主婦層に注目らしい。が、まぁ、新聞のネタだからどこまでの真価かは自己判断としても、ネット時代、達筆フォントっていうのがあるぐらいでパソコンの中に用意されたソフト用のフォントで達筆ですとはならない状況が、いろいろな現場で再浮上しているのだろう。そもそも、達筆というのは技術的なことよりも、どちらかと言うと状況というか気持ち・心の部分が割合として大きい。それを、安易にパソコンで済まそうという心の部分が恐らくプリントアウトに乗り移って伝染しているのだろう。こういう風潮に対して、心を込めたいなら筆で書こうよということ。何でしょう、便利だ便利だと取り入れて、その便利が一般に浸透して飽和するとそれは安易だ軽率だになってしまう人間の心理構造。

 つまり、変化を求めるが変化が蔓延すると飽きてくる生物なんでしょうね。非効率でも心が込められている方法論に最終的に落ち着くか?と言えば、多分そでもないだろう。タブレットが進化して、ドローイング系のソフトで達筆ソフトがでれば、指でタブレット面をなぞって「はい、達筆です。」ということになるのだろう。もう、そんなソフトはあるだろうが、紙vsタブレットの啓蒙はまだまだ続くでしょうね。

ワイルドだろぉ~!

 48歳になったからって、スギちゃん、別に落ち着こうなって全く考えていないぜ。これまで通りにいろいろ挑戦するぜ。でも、カミさんは、「ちょっとぐらい落ち着いてな!」って言われたぜぇ、どうだいワイルドだろぉ~。

 スギちゃんあまりにもワイルドだから、車から出る時はドアを開けて出ると同時に力一杯ドアを閉めるぜ。車から出た瞬間にドアに手をかけて一気に閉めるぜ。この前ちょっとタイミングが間違って勢いよく閉まるドアの先が鼻の頭をかすったぜぇ~、どうだいワイルドだろぉ~。

 歳と共に記憶力が失速しているスギちゃんはいつも仕事で電話がかかってくると仕事場でも車の中でもメモをとるぜぇ~。5本連続で電話がかかってきてメモをしなかったら4つ前の内容は頭からきれいに無くなっているぜ。だから、どんな時でもメモをとるぜ。でも、たまにメモをしている内容を読み返してもその内容自体が思い出せないことがあるぜぇ~どうだいワイルドだろぉ~。

 スギちゃん、あまり高価な食事は身体が反応するぜ。特に刺身やフレンチや創作料理は反応するぜ。牛丼やとんかつ定食やカレーライスなら美味しく頂くぜ。ひさびさにレストランで奮発してコースを食べに行ったぜ。いつもの食生活とはあきらかに異なるいい肉やいい前菜が出たぜ。そうそう、余談だが、会席料理も反応するぜ。地区の新年会でひさびさに会席料理を食べたぜ。ビールも美味しかったぜ。でも、確実にディナーも会席料理もストップウォッチで計ったように2時間後に便座の上に座っていたぜぇ~、どうだいワイルドだろう?

 以上だぜ。

ついにここへ。

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 ついに最終地点かなと。48歳の誕生日にこの書籍が手元にあるというのも何かの巡り合わせのような気がする。23歳でアドビのイラストレーター英語版に出会い、グラフィックデザインから始まった長い道のり。WEBに、3CDGに、映像に取り組んできた。漫画も映画も好奇心のままに貪欲に楽しんできた。映画や小説や個展はライフワークとしての部分であり、余裕があればいつでもできるだろう。しかし、23歳でダイブしたパソコンとソフトでのクリエティブの最終目的はここ。

 どこかでゲームを創って大儲けしたいという気持ちは勿論あるが、それが目的になることは最も危険なベクトルだということもこれでもかというほど理解している。だから、今、目の前にこの書籍がある。いつかこれを自由に活用してゲームコンテンツを創ること。それが手を伸ばせば届く距離になったリアル。さぁ、まず、何をする。一晩でこの書籍はざっと目を通したが、恐らく大丈夫。総648ページのことが頭に入った。

 ゲームか・・・、何を創ろう?ではなく、あんなゲーム、こんなゲーム、私自身が自分の時間でゲームを一切排除してきたのはこのため。どんなゲームが流行っているとかどのメーカーのあのゲームは刺激的だとかいう情報を一切遮断してきた。アイディアや構想が偏ることとフラット化することを避けるためである。「一般的なゲームの流行りを知っておいて損するわけじゃないでしょう」と言われるが、私はそうではないと思っている。どこにでもあるテンプレートをコピーするだけなら、3DCGを学んだ学生諸君の方が断然優れているに決まっている。この48歳がゲームの世界にダイブするんだから、自分のスタイルが覚醒しなければ、どこかで見たゲームになるだろう。アイディアは無数にある。あとは創るだけなのである。それを実現してくれるのがこのソフトなんだ。うん、とてもいい感じの誕生日である。

「肩が凝る」について。

 アメリカ人には「肩が凝る」という感覚はないらしい。これは日本人だけの感覚だという。そうかそうか「肩が凝る」ということを意識するから、肩が凝るのか・・・。頭の毛が薄いのも、口臭が臭いのも、二重瞼が美しく見えるのも、巨乳系がフォーカスされるのも、意識させてそこのビジネスモデルを捻じ込みたいからか。っつーよりも、メディアコントロールで捻じ込みやすい国民性なんだろう。

 卵から生まれて間もないアヒルは最初に見た動く存在を母親だと認識するというインプリンティングの極みだろう。右向け右が心地いいのは、言わば、ちょっと危険信号なのかも。しかし、信じる者は救われる的なテイで言えば、信じている以上に何があるんだ!と開き直り系の思考パターンには意外と捻じ込む余地はないように感じる。ということはそれほどまでに強固なインプリンティングの仕組みを文化や歴史や慣習としているこのベーシック(基盤)な価値観が実は恐ろしいかも。しかし、一旦、そっち側に入ればそれほど心地いい空間はないのだから、へそまがり根性な天の邪鬼にならず、隣の芝生でバーベキューに参加すればいいだけ。青いぞ青いぞといつまでも指をくわえて見ているのも限界がありますしね。誰でも彼でも阿弥陀浄土に行きたいわけですし。

 しかし、灯台の元は意外と暗く、光陰矢のごとし、光のスピードで知覚できないぐらい点滅が繰り返されれば、人間の目はそれを光と判断するわけだから、シリアルにもパラレルにも捉えるのは自由でいいかなと・・・。

 で、こんな考え「肩が凝るよ!」という人はそっち側、「それはそれで肩が凝るよね!」という人は、たぶん、こっち側なんだろう。

つながりすぎた世界。

 「つながりすぎた世界」という書籍がる。インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうのか!?というテイ。ネット時代の黎明期から知るシリコンバレーの重鎮が示す処方箋ということ。これは面白そうな書籍ですね。

 確かに、「繋がる」のは人間の本能だからいいとして、それが満腹中枢を刺激してここまで感染していると仮定すると、いいも悪いも二の次になってはいないですか?という疑問だろう。繋がるのはいいとして、繋がり過ぎているという感覚は何がどうなのか?ちょっと、立ち止まりそのあたりを再確認してもいいんじゃないだろうか、ということだろう。

 過ぎたるは~にならぬよう、適正な「繋がり」の距離感を測りたいものです。

ええですねぇ~。

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ええですねぇ~、この空気感。やっぱ、これは購入する価値があるある。

アマナイメージさんWEBサイト http://amanaimages.com/

知識と感覚のバランス。

 知識や経験値だけで押し切ろうとする人、感性や感覚だけでジャッジする人、これらを世の中ではプロフェッショナルと呼んでいるし、地位や名声を獲得している人もいるだろう。地位や名声がないからこんなことを自由に書けるのだが、それでも、知識と感性のバランスは大切だと思っています。

 まず、知識とは何か?情報化時代に飽和している情報には言語化されたモノと非言語化されたモノが存在している。偉業や金字塔やバイブルが情報の本丸にしても、それらから学ぶためには基礎知識が必要であり、義務教育はそのアプローチとして理に適っている。しかし、なぜ、それだけで飯が食えなくなってしまったのか?情報化時代以前なら、何か情報を得るために誰かに聞いていたことがネットですぐに情報として得られてはいるが、ネットの情報がそれだと正確に判断しているか否かという部分にだけフォーカスしているからそうなっちゃうのである。実は微妙に論点がずれている。情報には本質があることにはある、しかし、それだけが知識であるという誤認識が何かを劣化させているのだろう。
 
 では、感覚的な判断力とは?それは、本能のような脳幹の判断、言わば、DNAの判断とかいかぶることができなくもないが、実は個体として人間の中にある「組み合わせる力」なのである。それをひらめきとも直感とも魔法ともミラクルともどんな呼び名でもいいのだが、組み合わせる力とは論理の外で機能すべき力。損得よりも正誤でもない、好き嫌いレベルの判断力。刑事の勘だとか職人の第六感などと呼ばれているが、これは、人知を超えた摩訶不思議な魔力ではない。手持ちのコマをどのような順番に並べれば、どのように打っていけば、自分の描く形にできるかという設計図に紐解かれた工作技術なのである。「感覚的な人」と聞けば、岡本太郎のようなピカソのような偉人をイメージするが、彼らもたぶん同じことで、自分の設計図を持っていただけ。別に海が割れたわけでもないし、天使を見たわけでもないだろう。本当に怖いのは、海が割れると信じている人であり、天使に依存している人。本当の革命は誰かのエゴが演出している寸劇に過ぎない。乗るか反るかは自分次第。

「もし、パソコン~なったら」という書籍。

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 なかなか、アイディアのある書籍ですね。これで全95ページで¥1,260はちょっと高いが、それでも、これは「買い」だった。ということは、深く考え過ぎてWEBサイトを創るために情報を収集して組織で会議して検討に検討を重ねひねくりまわした結論を正解と誤解して公開した後、結局、検討した面子のポテンシャルの低さからWEBサイトが活性しない。これがよくあるパターン。地頭の地肩の強い人はまず創る。そして、トライ&エラーで正解を引き寄せる。探究心と好奇心を持ってWEBサイトをツールとして活用して結果を出す。これが正解。っていう意味で、「恐らくこんなことが書いてあるだろう。」という印象で手に取り、「やっぱこのような内容になるか・・・。」と確認が完了しても、この書籍は「買い」なのである。これが、感覚の判断。¥1,260でこの内容か・・・などと判断し始めていい本にである試しがない。いやいや、検討は大切だよ、もっともっと慎重にしなきゃ!とよく人に言われるし、いい加減な判断や中途半端な報告や提案をしてご迷惑ばかりかけているが、でも、結局、想定内の大正解でも、状況が変化することを知っていれば、とりあえず反射優先で7~80%の答で先に進んだ方がいいと考えている。

 想定ばかりしていると悪いことしか浮かんでこないタイプなので、迷いをふっ切るために、行動ありきで答に近づきたいと思っています。

 この著者曰く、「人生3回目の革命が起こっている」らしい、それは、農業革命、産業革命、そして、情報革命。そうかそうかそう捉えると不確実なノンバーバルな時代だ。実際、25年以上パソコンは使っているが、「パソコンは苦手」である。できれば、アナログなツールで仕事をしていたい派ですが、それも革命なんだから仕方なし。そこは諦めてただ道具として使ったらいいだけ。「スギさんはパソコンやソフトが好きですもんねぇ~」と何の脈略のないことを言われても、へへへといなせるのは、好きでないから。まぁ、言えば、パソコンなど便利なノートのようなものであり、車など便利な靴レベル。「ええっ!そんなことも知らないの?」とか「なんでワックスしないの?」とか言われるが、ノートはノートだし、泥が付くのが靴なんだから仕方ない。

 ただ、「利益を出すホームページ」には理由がある。そこがこの書籍の真価であり、自分自身の呼応しなければいけないポテンシャルの部分でしょうね。という意味で¥1,260は適正かな・・・。

時は金なり・・・。

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 腕時計をしない理由は左手にすると元々が左利きなので違和感がある。しかし、右手にすると今現在は利き手なのでよくいろいろなところにぶつける。という理由で結局、腕時計を右にしても左にしても馴染まなかった。ただ、山や釣りに行く時は欲しいと最近感じている。特に上海に行った時、1時間の時差に気が付かず愕然としたのも腕時計を持っていなかったからだろう。時計や時間に対する意識が少ないためにただ「馴染まない」と腕時計を拒絶しているだけ。時間は大切ですから、腕時計をひさびさ(10年ぶり)に買おうかな・・・。

 で、砂時計ってなんとなく時間を意識できるのでいつも仕事場に置いています。手前から紫の砂が3分、黒の砂が5分、白が10分という3種類の砂時計君です。

小さく賭けろ!か・・・。

 「グーグル、ピクサー、アマゾン、グラミン銀行、P&G、大物コメディアン、有名建築家・・・、みんな小さく賭けて、素早い失敗、素早い学習を繰り返していた!」だから、「小さく賭けろ!」という。ピーター・シムズ著のこの書籍は結構先頭を走っているような気がしますね。まぁ、グーグルになろうなどともアマゾンになろうなどとも株式会社アクトは考えていないが、最初のトライアンドエラーはそういうこのようですね。この場合の「賭ける」とは何なのかを知りたい気持ちがかなり肥大しているリアル。素早い失敗や小さい失敗だけは一人前にやっているが、果たしてそれが学習されているか否かってことだろう。

 で、ハイリスク・ハイリターンって実は幻想で、大きなビジネスモデルであればあるほど、実はこのような小さいBETと小さいFALESを繰り返し、学習を蓄積してああなったんだろう。小さい学習の積み重ねなんだろうな。だから、詰め込み式の教育が崩壊して地頭の力が本領を発揮している構造に変容しているだけなんだろう。過去のキャリアが次の学習に連鎖しない理由はそんなフォルムやモデルが常に変容しているってことを気づくか気づかないか、見えるか見えていないか・・・。

 机上の理論で失敗をしたくない(傷つきたくない)慎重派のエリートがじっくりじっくり組織化しビジネスモデルを検討している間に、世の中の多種多様化がスピードアップして加速して、現在検討している正解が正解でなくなるという現実感。まして、古い価値観の温床にあぐらをかいても正座をしても土下座をしても、もう、誰もリアクションはしないしない・・・みたいな。ならば、すぐに立ち上がり一歩を踏み出そう!と言葉にするだけ、頭に浮かべるだけではなく、実際にその足をガチで出せよ!ってこと。

 いつまでもうじうじしている理論派が無我夢中で動き回る行動派に凌駕される構図こそが現実と知らねば。そんな現実を見れば、自分に何もできないことがより明確に映し出される社会になったんだから、ひらき直るか、腹を括りその場所を変えませんか?という話だろう。

 私の人生など、どこをどう突いても「大きな賭け」などできる場面は一度もなかった。しかし、手の届くチャレンジは繰り返し、手の届く技術は会得してきたつもり。その蓄積が47歳になり、あと数日で48歳になろとうとしている今、どれだけガチに会得・体得できていますか?ということ。

 これからも貧乏根性丸出しでこんな感じで小さく賭けていこうと思いますね。

自律神経系反射。

 人の言語には本当に信憑性がない。それを信頼するに至るまでのプロセスが必要だからである。それを確保するための唯一の方法がコミュニケーションの密度である。だから、WEBサイトの中のテキスト情報にリアリティーがないのである。それを情報時代だから、最新のツールだからと、鵜呑みにして信憑性を得たふりを蓄積すると、実はの部分で真価を見失う。人は言語からの情報の7%しか信頼していないという研究発表があったらしいが、あとの93%は何を持って情報としているのか?

 それは、「自律神経系反射」らしい。これについて詳しくこのブログで書き綴る気はないが、「人を外見だけで判断してはダメですよ。」という教育を受けてきた人間は「外見以外の判断材料だけで人を判断するようになる。」という仮説がなんともリアル。その代表ツールがインターネットだから始末が悪い。もっともっと、「自律神経系の反射」を判断する五感を鍛えてくださいね・・・という話。言語コミュニケーションの臨界点は想定以上に低いのである。

1.7%か・・・。

 世界平均が22%。北欧が45%。アメリカやヨーロッパ各国でも30%以上が平均値である。中国、韓国でさえ平均値を上回っている。しかし、日本は1.7%。この数字はいったい何か?

 この数字はその国の大学生の中で25歳以上の比率である。つまり、一旦、大学を21歳で卒業して社会に出ても自らの人生の指針を求めてまた大学に入学されているということだろう。決して、留年している学生の比率ではないはず。確かに、海外の大学は入学しやすく卒業しにくという情報はあるが、それでも、25歳以上ってことではないだろう。

 つまり、25歳以上だということは大学での勉強をしたいと考える人は30歳でも50歳でも70歳でもいるということだろう。一旦、義務教育の流れで人生の指針を見つけられずに家業をトレスしたり、ステレオタイプに人生の方向性をジャッジした人が、社会に出ていろいろな場面に遭遇して自分を発見した時、海外の人達は自分への投資として大学での教育を選択するのであり、日本人はその意識が極端に薄いということになるだろう。

 で、あと数日で自分自身も48歳になるが、この歳で本格的に大学で入り何を学びたいと、改めて考えるとしたら、恐らく「医学」や「科学」や「歴史」ではない。まして情報処理やプログラムやビジネスの分野でもないし、アートやデザインなど芸術の分野でもないだろう。恐らく、この年齢で自分自身が大学の門を叩くとしたらそのジャンルは「心理学」か「文学」だろうと思う。

 とは言え、国内にガチでここで学びたいという大学があるかというとそれは存在しない。だから、英語を学びながら心理学を勉強したいから、必然的にロンドンの大学になるだろう。しかし、そのためには、まず、2~3年ロンドンで生活をして英語を確実にしなければ大学になど入学さえできないだろう。まぁ、そんなに思いつめる必要もないことだから、ライトに捉えたいが、ただ、「心理学」と「文学」は興味あり。

 それよりも、この「1.7%」という数値が何を意味するのかを深く探求する必要があるだろう。求めているにもかかわらず諦めた人が相当数いると捉えるか、そもそも、自分への投資を諦めている比率が高いと捉えるのか・・・?

絵になる条件。

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 人の魅力って何で測れるのでしょう?いや、測れないから魅力なんだろう。存在感ってひとことでかたずけられないし、ましてや、地位や名声や物質的な要素はあまり関係ない。特に「ファンション」というk-ワードでそれらを推量するならば、それらはどこまで細かく分解できるんだろう。いやいや、これについても分解は不可能なんだろうな。では、絵になるならないはどこで判断しているのかというお話。

 これは、デザインの仕事やアートの分野ではとても重要な視点になる。若いころは絵が上手いっていうのは、技術的にきれいだったり正確性やテーマ性の明確さだったりするのかなと感じていたが、どうやら、そんなに簡単に答には導いてくれないことにようやく40歳を超えて50歳近くになって分かりかけているというこの複雑怪奇な世界。答がない世界で答を求めてる感覚が心地いいと思えるこの中毒加減はどうよ!絵になる存在がいつまでも見えている人間でありたいと願うばかり。

 実視力は落ちても心の視力は落としたくないっていう感じですね。歴史に名をのこす画家は共通して視力が悪い。45歳あたりから極端に視力が悪くなり仕事上かなりのストレスだが、視力が落ちてきたことは別段気にならず、逆に心の視力が上がればそれはそれでALL RIGHT.

素敵なカタログです。

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 仕事中の一場面のカットですが、なかなか素敵なパンフっレットでした。パンレットでもWEBサイトでも看板でも映像でも同じなのですが、文字(言語)表現というのはいろいろな解釈があるために、なかなかイメージが広がることが少ない。これはいかなる美辞麗句で紹介・案内をしても・・・である。英語表記などがイメージの広がりに繋がるのは英語という言語の特性だから。「英語がカッコイイ」という刷り込みにはそれ相当の背景と理由があるが、日本語の表現力を追求していくと、特に広告物や販売促進ツールにおける文字表現はとてもデリケートであり吟味・推敲・微調整する必要がある。元々そもそも私はコピーライターではないが、仕事上、どうしても企画書のライティングをチェックする必要があったためにデザインとライティングの関係性についても精通する必要があった。逆にライターさんから出てくる文脈を訂正・変更したりすることもあり、デレクターという立場で強引なこともしてしまった。しかし、それは、チームで組織でクリエティブの仕事である以上、共によりよいモノを創るため。と、それほど日本語の表現は曲解をまねく事が多いのである。それに対して写真はいろいろな捉え方があり、「強い写真」は恐らく誰がどう偏狂的に見ても「強い」という特性を持っている。

 WEBサイトで人の表情が多用されるのもそれが理由だろう。

 では、「強い写真」はどう撮影するのか?これは設備もスキルでも経験値でもなく、「強い気持ち」でシャッターを押すことがポイントだと思う・・・とカメラマンでもない人間がまた無茶苦茶な論理を呈しているが、それは機材とスキルとセンスありきだという大前提である。

 強い写真は商品の印象度を上げ訴求し、時に価値以上のSOMETHINGを語り始める。これがデザインのマジックなのである。この場合、特にタネはなく、ある意味、タイミングとTPO次第みたいなとこころもありますし、強い人が引き寄せるフォースのようなチャクラのようなものかもしれませんね。

今年の桜。

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 今年の桜の開花は遅かった。寒い日が続いたからだろう。でも、ちゃんとこうして春のシンボル桜は満開になってくれるわけです。この風景を見ているだけで「春のスイッチ」が入る感じ。これが日本の四季の素敵なところ。結果、今年はお花見モードにはなれなかったが、こうして仕事の合間に桜の写真を撮影していると心が「春モード」になりますね。ブログに桜の写真がないっつーのも寂しいので入れてみました。

ノンバーバル・コミュニケーション。

 ノンバーバルとは「非言語」のこと。例の「人は見た目が9割」という竹内一郎さんの書籍をちょっと読み始めているのですが、この書籍がビンゴ!あたりでした。

 いやいやいやいや、なかなかの一冊。そりゃ111万部売れるわ!というテイ。とても値打ちな価格なので、ぜひ!とオススメですね。「見た目」に対するアレルギーがちょっとあったが、読み進めるとなかなかストライクな切り口ばかり。特にデザインやアートのお仕事の部分でも「技あり」「有効」「一本」の連続でしたね。

冥土の土産と罰。

 「冥土の土産」と「罰(ばち)」という概念がある。輪廻転生極楽浄土の世界観に紐解かれた分野なのだろうが、この思考は否定も肯定もしないが、手を合わせ心で思うことを意識下に置くことは人間のコミュニケーションと人格形成において非常に有効な形骸的創造行為だろう。意識と無意識の問題をこんなに朝イチで切り出す必要もないが、ふと、「冥土の土産」ビジネスとか「罰」ビジネスっていうビジネスモデルを展開しているECショップってあるのかな?とひらめいたからこうしてブログにメモをしている。

 高齢化社会、経済生活への不安が蔓延しているから、この手の悪徳でもないが、ビジネスが幅を利かせる要因・背景は充分にある。いい意味ならいいが、悪い意味で「魂」を抜かれぬように肝を据えたいところです。いや、もう、この国で日常生活をして慣習にどっぷり浸かっている段階で、大切な魂は抜き取られているかもしれないが・・・。

2012CG検定

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 というのが開催されるらしい。内容は「CGクリエイター検定」「WEBデザイナー検定」「CGエンジニア検定」「画像処理エンジニア検定」「マルチメディア検定」という5部門があるらしい。その詳細を細かく見ていくとちょっとづつ自分自身の仕事と関連性がある。今更これだけのために復習予習をするつもりはないし、検定合格するために仕事の時間を浪費するこはできないが、ただ、なんでも我流過ぎる偏った知識の蓄積は自分自身非常に否めないので、基本的な部分をこの5部門の推薦教科書のような資料があれば、入手して再確認はしてみたいと考えています。これからこの分野にダイブしようとしている人ならば、このような検定は非常に有効だと思います。

 改めて自分がやっている仕事をこのように列挙されると、なんとなく、堅苦しいステレオタイプな人間に自分自身が思えつまらないしメンドクサイ。が、この世界に入りたいと願っていた頃の自分自身を想い出すと、間違いなくこの検定のためにテキストをチュートリアルに取り組んでいただろうと思いますね。検定を合格して修了書があってもそれは仕事もあるイコールではない現実もしっかり見据えて、トライすることだけでも非常に大きな意義があると思います。

 で、この検定の講師の皆様だってどこまで検定内容を熟知してることやら・・・。検定のための検定にならぬようくれぐれも。

非言語コミュニケーションとは。

 「しゃべりは上手いが信用できない人、無口で説得力に溢れた人の差はどこにある?女性の嘘は見破りにくいのは何故?すべてを左右しているのは「見た目」!?顔つき、仕草、目つき、匂い、色、温度、距離感などなど。私たちを取り巻く言葉以外の膨大な情報は持つ意味とは?心理学、社会学からマンガ・演劇まであらゆる知識を駆使した日本人のための非言語コミュニケーション入門」とこの書籍紹介が冒頭に記されている。へぇ~、それってデザインとかアートとかとどこかシンクロしているんじゃないのか?なかなか、この書籍あたりかもしれない。

 ここんところ、小説が続いたので、ちょっと、一息って感じでこの書籍に向かってみよう。その書籍「人は見た目が9割」というタイトルです。¥680なり。

動けば答は出るんだ。

 比較的なんでも貪欲に挑戦するようにしている。「ああ、これは自分の度量ではちょっと無理かな・・・」と感じた瞬間、別の自分が「これは挑戦するべきだ。」と必ずささやく。このなんの根拠も一見なさげなパターンを繰り返していると、このパータンで生きていると、まぁ、見事に次から次から難攻不落の壁の連続。この程度の壁なら越えられるというある程度の自負があったとしても、さらに、その上に壁ができる。これが連続するとなかなかキツイ。しかし、その壁の前に立っているだけでは絶対にその壁は越えられない。とにかくかじりつく。その壁をただ見上げてああだのこうだの頭の中でシュミレーションしても出てくる答はネガティブなことばかり。そんなことで時間を浪費するぐらいなら、まず、壁に手をかけろ!という話。一手、手を伸ばせば壁のディテールが分かる。自重を支える感触も得られるし、どう壁を攻略すればいいかについて、壁を見ているだけでは見えなかった壁の特徴や攻略方法が得られるもの。つまり、突っ立っているだけでは何も始まらないということ。動けば視点が変わり心が動き、自然と対戦モードになれるのが人間。まず動け!が肝心なのは誰でも知っているが、リスクも恐怖もあるから手が出ない。だから、手を出すんだ・・・みたいな。

 壁を攻略すれば次の世界が見えてくる。壁を越えなければ次の世界は絶対に見えてこない。自分の目でその世界を見ることでしか、次のモチベーションは生まれないないんだ。それがガチのスキルになる。そんなことを考える今日この頃です。壁を乗り越えたのか乗り越えていないのかはまた別のお話。

書籍「人間の基本」。

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 足場のない人は、人生を無駄にすると・・・。いい切っちゃう勇気に感激しています。「人間の基本@曽根綾子著」。これはチェックでしょうね。

 これからを生きる人、生き方を見つめなおそうとしている人へ。「本当の答え」がここにある!と言いながら、モノゴトの2面性を示唆・洞察するこのジレンマが大好きですね。

 「運に向き合う訓練こそが大切である。」と言いながら、「人間の基本」というタイトルにしてしまうこの摩訶不思議なスタンスがまたいい。

 このアプローチは女性的な側面が強いような気がするが、それも「マスコミよりも先祖の声に耳を傾けよう。」というフィーリングに象徴されている。

 まぁ、ここまで喰いついてるのだから、いずれ、この書籍も買うでしょうね。何事も「基本」は大切ですから。

「舟を編む@三浦しをん」出た出た!

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 出た出た、しおんさんの新作。これは「買い」だろう。

「つり球」はよさげ・・・。

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 うん、この絵、この設定、なかなかよさげです。深夜枠らしいから録画してチェック。

娘からの質問その2

 前回に引き続き娘から次の4つの質問が投げられた。さて、親父はどう答える?

 第1問、新築の家がある。玄関に3つのスイッチがあり、それぞれ3つの部屋の電気のスイッチである。各部屋からは他の部屋が見えない。どのスイッチがどの部屋のスイッチかを部屋に一回いくだけで確証を得るためにはどうするか?

 第2問、3リットルと5リットルのボトルがある。これを使って正確に4リットルの水をためるには?

 第3問、リボルバーの弾そうに2つの弾丸が込めれてる。銃口をこめかみにあてて引き金を引くと空だった。さて、次のトリガーで死なないためには、そのまま引き金を引いた方がいいか、ランダムに弾そうを回した方がいいのか?

 第4問、2本の導火線がある。この導火線はいずれも正確に1時間で燃え尽きる。しかし、導火線の性質上、均一に燃え尽きるわけでない。さて、この二本の導火線とライター1個を使って、正確な45分を計測するには?

 という質問が娘から投げられた。さぁさぁ、前回に引き続きどう対応するかという場面。

 しかし!この程度の問題で親父はドキドキしませんよ!すべて、瞬殺で解答を出してやったぞ!娘が問題文を読み終える前に答えてやったぜぇ~、どうだい?ワイルドだろぉ~!!!

琵琶湖のある風景。

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 「強いては事をし損ずる。」「急がばまわれ。」「More haste, less speed. 」と分かっていても、気持ちが先に突き進む。ブレーキブレーキ、cool down, take iti easy...と頭で分かっていても、なかなか、そう簡単に心と体はコントロールできない。そんな時、この美しい琵琶湖の表情を目にすると、「小さい自分」が明確に比較対象される感覚になる。大きな琵琶湖、美しい琵琶湖、いつも近くにある琵琶湖。

記憶する技術。

 「記憶する技術@伊藤真著(¥1,365)」はサンマーク出版から出版されている書籍。「なぜ、あの人は大事なことを忘れてしまうのか?」「記憶力は一生、鍛えることができる。」と。その詳細は「60歳を過ぎても司法試験に合格できる理由」「記憶量の増え方は足し算ではなく掛け算」「毎年300人、15年分の塾生の顔を覚えらえるわけ」「なぜ、色鉛筆を使ったほうが覚えやすいのか」「B6カードを使う論点ブロック法という記憶法」「全盲の受験生が教えてくれた耳の記憶力の鍛え方」「年をとればとるほど記憶力が増える方法とは?」「復習のゴールデンタイムは一時間以内と寝る前の5分」「マイナスの記憶をプラスに変換する方法」「人生でうまくいくのは、記憶力に自信のない人」「いい記憶をつくればいい未来がやってくる」などなどという素敵なフレーズがこの書籍の広告面にはちりばめられてる。なるほどなるほど。記憶術とはおそらく記憶するということだけにフォーカスしな俯瞰の意識なのかもれいないが、上記のような魅力的なフレーズの真理が読める、情報として得られるならば¥1,365は安い。

 仮に「記憶力」を脳生理学や医学の立場で紐解く書籍も多いが、これはどうやら、ガチの現場でその重要性と汎用性を考察している著者発信のノウハウ本のようですね。逆に「記憶力がいい」と自負している人の仕事や人生の過ごし方なども、おそらく理にかなっているのだろう。普遍の法則みたいなことがあり、それを何らかの理由や要因で失っているとしたら、それはなんとか取り込みたい気がする。自分自身にとって都合の悪い出来ごとを適正に忘れ、有益な価値のある事象を記憶の中に取り込み、それらを材料に次の指針を再構築できる能力があれば、この情報が飽和したと言われている時代の一つの大きな頼りになる羅針盤になるかもしれない。ただ、記憶力だけが重要なのではなく、全体を見て取り入れて次の行動への指針に変えるということをいかに「いい感じ」にできるか・・・なのだろう。

 記憶する能力とは主観と客観のフィルターもあるだろうから、言わば、自分自身を知るというアプローチに深くリンクしているような気もしますね。

娘の質問。

 唐突に娘からこんな質問があった。「仮説は2つあるんだけれど、人間の鼻の下の溝って何故あるでしょうか?」と。うんうん、なかなかいい質問である。さてさて、親父としてこの質問どう捉えてどのような考察を返すべきかとアドレナリンが一気に放出する。お茶を濁すような解答はどうにでもなるし、適当な考察を返すことも簡単。しかし、ちょっと待て待て、そんな簡単な質問でもないし、ささっと頭の中を巡らせても適正な解答はふっと想いつかないぞ。これはどうするどうする!?

 その時間、約15分間。全力でその2つの仮説を考察して捻り出した。しかし、この鼻の下の溝は何?って、我が娘ながらなかなか素晴らしい疑問点・着眼点である。だからこそ親父として中途半端な解答は出せないぞ!さて、人間の進化の過程から考察を始める。そもそもどの段階で鼻の下の溝はあったのだろうか?猿人類の段階の少し前だろうから、その時、DNAがその生活環境をどう捉えてその溝を使ったか?まず最初のアプローチはこの部分。劣悪な自然環境の元、彼らがその生命を維持し種を存続するために行動していたパターンにこの溝は深く関連しているはずだ・・・と。しかし、人間の身体の表面にあるいくつかの特長と進化の過程で変容してきた部位の特長をどう関連づけるか?頭部の五感機能が集中するどの中心にある溝だから、嗅覚や味覚と関係があるのだろうか?鼻の穴はふたつ。臭いを感じるためのセンサーはとても微細なために人間の皮膚の中でもかなりデリケートである。だから、血圧が上がると毛細血管が切れて血が出る。恐らく進化の過程で現代人よりもその頃の猿人やそれ以前の段階で鼻の機能とこの血の関係から、溝が関係していないか?すると、睡眠中や身体が自由に動かせない状態の時に、聴覚と嗅覚からの情報を得るための穴の近くにあるこの溝は情報収集する際、どんな場面が考察できるか?

 次は、人間の骨格と筋肉と皮膚の関係はどうか?重力の元、二足歩行となり、両手を使いこなすことで進化を紡いできた人間だから、骨格や筋肉には一定の正当な法則がある。それが、現在のフォルムになる過程でその動作や外気からの関係上、何らかの理由で鼻の下に溝を作ったのではないだろうか?というアプローチ。しかし、よほどの肥満でないかぎり、全人類にこの溝はある。ということは、環境や生活規範が原因で変異したモノではないだろう。すると人間という生物すべてに関係する個体の誕生から発育の過程、引いては、卵細胞から細胞分裂をする時に何かの要因で身体のフォルムになるはずだから、その行程でというかプロセスで最終的に溝になっているという分析はどうか?

 そして、鼻と口という五感の重要な部位には本来・元来、別の用途や機能があり、それを潤滑に機能させるためにこの溝があるのか?などなど、充分にたっぷり15分間。いろいろな考察を反芻した。持てる知識を総合して関係性を導こうと試みた。

 娘は現状仮説が2つあると言う。あまり、微弱な緩い仮説も出せないぞ。上記の考察を元に改めて2つの仮説を組み立てる。

 で、「細胞分裂の過程で出来た溝」という仮説と「環境や生活習慣が進化の過程で溝を創った。」という解答を娘に思い切ってぶつけた。

 結果、その仮説は高校の生物の教師が授業中に余談で話をした仮説らしい。私の二つの仮説を聞いた娘は「へぇ~、かなり近いな。一つは正解で一つは限りなく近いな。」と。なんとか親父の立場を保てた保てたっていう感じ。

 その生物の教師の仮説は「細胞分裂の過程で頭部のこの部位はとても人間の生物としての部位だから、この部分が細胞分裂による生育の最後のプロセスになるために、溝になるということ。」もう一つは「水中生物だった時期や水辺で生活を始めた時期に、水中に隠れなければならない場合に、上唇で鼻の穴をふさぐ必要があったと。その際にふさぎやすいためにこの部分に収縮用の溝が出来たとのこと。」。うんうん、なかなか我ながらいいラインを捻り出したものである。

 しかし、高校2年生、なかなか鋭い質問をするようになったものです。娘の成長のリアルに感動しつつも、親父の威厳を保つのも一苦労である。よかったよかった。

水の上と水の中。

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 アングラーは水の上、魚は水の中。一本のラインがルアーを介してバスフィッシングが成立する。これだけのことが何故こうも楽しいのか?そのルーツを辿れば人間の本能や狩猟民族としてのポテンシャルやゲームフィッシングに対する趣味趣向性が紐解かれるはず。分析や洞察はどうにでもできるが、水の上でそんなことは無意味でありナンセンス。ただ、今、在るそのタックルでバスをフックアップすることが目的なのである。それを完結させるためにアングラーはキャストする。持っている経験値と技術とアイディアとひらめきをそのワンキャストに収束し結集する。しかし、水の中からかならず反応がるとは限らない。何故?反応がないのか?経験が足りないのか?条件を満たしていないのか?タックルに不備があるのか?それともモチベーションが足りないのか・・・。そんな緊張感を一瞬で払拭してくれるブラックバスからのバイト。そして、ロッドに伝わる強烈な引き。水の中のそれを視覚で捉えた瞬間の震え。ボートにそれが上がった瞬間、何故か膝が心が震えているリアル。この醍醐味を手に入れるためだけに、アングラーは水の上にいる。

 その瞬間瞬間をいくつも重ねるがゴールはない。次の鼓動(バイト)を求めアングラーは今日も水の上にいる。それはバスフィッシングという趣味を越えた自然との呼応である。そこにゲーム性や至高を求めるのも必然、ただ、ひとり自然と呼応するためにキャストすることも必然。ブラックバスをヒットさせるための条件があるとしたら、それは唯一無二、水の中にルアーを投げる(キャスト)その行為・アクションだけに他ならない。あとは全て偶然で処理・説明ができるはず。

 その出会いを表現する適正な言葉とは、うん、「魔法」以外の言葉が見当たらない。

これこれこれ!

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 やっと、出てくれましたか。楽しみ楽しみ。

 で、「虹」がこれほど似合う・マッチする・シンクロする大きく魅力的で迫力のあるアーティストがいるだろうか?「虹の中の叫び」と。虹の中で叫ぶことは誰でもできるが、「叫び方」「叫ぶモノ」「叫ぶ相手」の条件はなかなか揃わない揃わない。雨上がりの夜空にでさえも虹が出るかもしれない・・・。

73.5cmで世界レコードらしいが・・・。

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 昨年、琵琶湖で上がったバスらしいが、よくよく調べるとブルーギルで釣ったとか・・・。迫力のある写真であり、世界記録らしいが、ちょっとテンションは上がらない。これがバスフィッシングの不思議ですよね。うんうん、バスフィッシングは不思議不思議。

 他人の世界記録よりも自分のランカー、ロクマルを目指してマジックキャスト!

その一投、唯一無二の一投なり!

 その一投は誰にも公平に出会えるものではない。しかし、どれだけの機材と設備と環境を整えてもそれが舞い降りる保証などない。それは相手が自然だから、水の中だから、相手がブラックバスだから。何も分からずただ無心に投げた一投がランカーを引き寄せるかもしれいないし、渾身のベストキャストがそいつを呼び寄せるかもしれない。それは、人知を超えた魔法のような普遍の存在。だからこそ、その一投は古今東西・現在過去未来、その場所でそのタイミングだけに降臨する「魔法の一投」なのである。

 全てのアングラーはただその瞬間に出会うために在る。過去も現在も未来にも、ただ自分だけの「MAGIC-CAST」を追い求めているのである。

 これこそが太公望の夢に他ならない。

本当の効率化。

 「効率化」とは一体何が目的か?という疑問。そんなこと企業として売り上げを上げるために仕事の流れを明確にし組織化を図り仕事の品質をしっかり管理することであり、その結果、企業活動が潤滑に上昇するということだぐらいはどんなマニュアルにも書いてある。でも、その「効率化」の結果、失っているモノはないだろうか?という疑問がある。つまり、よく切れる剣の両刃の部分ではないだろうか。対峙する相手も切るが実は自分自身も血が流れているような。

 で、結局、お互いに傷口の小さい方、血の流れ方が少ない方がその勝負の勝者みたいなパワバラがこの「効率化」の実態ではないだろうかと・・・。

 この場合の大前提は人間皆平等に一日24時間を与えられているという普遍のリアルがある。引いては、人生は1回だという生物の真理がベースにあり、この人生どう活用するかに対するマニュアルが実は存在しないのではないだろうかというジレンマ。唯一無二の存在である個体の中に存在する心の部分を人間の本能だと言及して一束にするためにあらゆる規律や法則や慣習が創出されているが、それらは実は願わない人、思わない人、求めない人に対してのテンプレートであり、見えている人、聞こえている人、感じている人にしてみればノイズ(枷でありリミッター)になっていないだろうかという懐疑。

 企業が効率化を提唱し組織の人間が手をつなぎ渡る赤信号。その赤信号が実は「日の丸」だったみたいなオチはやめてほしいが、その部分も周知のリアルなら、今握っている手を一旦リセットする必要もあるのではないだろうか。モノゴコロが芽生えた年齢から団体で組織で教育を受けてきた人間にしてみれば、その場所は心地がいい。企業もその延長だとしたら、もしかすると、社会もその延長であり、引いていはこの国もその延長だとしたら、どこかで別次元へダイブする必要はないか。そうしなければ、モノゴトを俯瞰で捉えることなどできないのではないかと考える。

 私自身でできることは、水中が怖いので水の中からその構図を眺めることができないのなら、高い場所に立てば・・・と考える。物理的に日常空間をテイクオフして高い場所は山となる。そこにある自然の声や土の香を五感で感じ息を切らしながら頂に立った時、そこにはそこだけのリアルがある。これはひとつの事例に過ぎないが、確実にその場所にだけしかないリアルを感じることで、一見遠回りのようなこのアクションが実は芯を喰っていると期待したい。

 時間の使い方がその人間の本質にシンクロするのだから、そこの試行錯誤だけは怠ってはいけないと思うのです。それが自分自身の唯一の「効率化」だから。

大大大先輩ご両名に学ぶ。

 特にメディアは「世代交代」を強調したがる傾向にある。それは、そこに物語感を演出・脚色しておけば、自分の立ち位置が好印象になるからだ。なんでもかんでも「世代交代」で解決できると思っては大きな間違いである。日本の経済を支えてきた多くの大先輩の方へのリスペクトなくして芯を喰う思考や活動展開は難しいと感じた。下手をすると自由に自分独自の発想で道を突き進むが理想だが、そんな道は実は道ではないということ。先人の既知に対してのリスペクトを失わず信頼関係を心の中心でシンクロさせなければ、ネットやデジタルコミュニケーションのどこまで探究しても言語的な世界では人の心と呼応することは難しいと知る。

 ネットやデジタルツールの知識ありきでそれを最先端と誤解すること。もしくは、誤解させておきながら、一番大切な部分を棚に上げさせるメディアコントロールの摩訶不思議。結局、バットの芯からヒットポイントを外させるためのスライダー系のボールなのだろう。微妙に手元で変化させバットにはあたるがボールは飛ばないみたいな。低重心でデカヘッドの長尺ドライバーで一見誰でもボールの芯を喰えると思わせて購買を狙っているような行為が人間と人間の間で行われているのだろう。

 2012年、身の周りで素晴らしい出会いがあった。その大大大先輩のご両名に対して心から敬意を送りたい。このご両名の前では私など吹けば飛ぶような「ガキンチョ」なのである。それを実感させていただけるこの幸福感と、だからこその自分へのモチベーションの高揚とのバランスが今とても心地いい。

 この感覚、絶対に20~30歳代では実感できないリアル。人生とは学ぶことの普遍な連続なのである。

日本を変えよう!か・・・。

 いつの頃からか、いろいろなメディア・政治関連、企業関連の告知物に「日本を変えよう!」というテイのスローガンを目にすることが多くなり、その感覚が極普通に見慣れてくると何がどうなるのか?このメッセージは言わば保険のようなもので、転ばぬ先の杖に他ならないことは周知の事実。しかし、文字で「日本を変えよう!」などと目にしてしまうと、恐らく、このメッセージを受け取っているだろうというターゲット層(日本国民)との普遍な共有意識を持ってしまうという効果があるのだろう。それはそれでいいが、同じ言語、同じ教育、同じ経済システムの中でこの大上段からの雷は結構有効なのだ。まさに、一本!である。このテイを保険に「今、この国は変わっているんだ!」と鼓舞され経済活動が前を向くという未来予想図2012なのである。

 で、本当に変えたいのか?それはないだろう。大飯原発に然るべき安全宣言が規定されて、再稼働が実現するだろう。まだまだあれから1年しかたっていないのに・・・。という意味において、「日本を変えよう!」と叫んでいるとかいないとか。

 だから、別に変える必要はないのではないか、というより、「変えてはいけないモノ」を再確認する必要があるのではないだろうか。

DVD予約しちゃった!

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 小説を読み終えた。早速DVDを予約してしまった。発売は6月なのに・・・。

素敵な朝でしたが・・・。

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 寒い朝でしたが、気力も体力も充分でした。しかし、水の中からの声が聞こえなかった・・・。残念。しかし、このような日もあるから次へ繋がると考えたい。「その一投は、唯一無二の一投なり!」これがサムライ・スピリッツなわけですから、その一投に辿り着くまでに、何回でも何回でも試行錯誤はしますよ。それがアングラーというものじゃないでしょうか、って感じですね。

サリーは可愛いですね。

 いやいや、これは売れるわ・・・という一冊。まだ第1部が終わったとろこですが、この物語第3部の最後の一行を読む頃にはいったい何と何に繋がれるのか?この物語の中に何が見えてくるのか?この2人の関係はどう進展するのか?もう、このワクワクドキドキがさらに加速した第1部下の最終行でした。いきなり始まる不可解な映像認知表現から、ハッキングのディテール。ヨーロッパの歴史が言わばミレニアムなのか?人の歴史、現代との比較、そして未来へ。すべてを紡ぐこの物語にそりゃ引き込まれないはずはない。これがたぶん電子書籍やネットの中のテキストデータならこの認知には絶対ならない。それは、小説(書籍)というリアルこそが人の知覚や感性を刺激するのだろう。人間の目は動くものへの動的認知能力に優れている。これは危険から回避するために絶対に必要な能力。それをここまでの物語に展開し、これだけの大人数の人間関係や性格を表現すると「小説というリアル」がパラレルに存在するような錯覚に陥る。と、それほど素晴らしい。

 で、サリーは、うん、可愛い可愛い。第2部が楽しみ楽しみ。

外典か・・・。

 そうか「外典」なのか・・・。人間の歴史は興味深いですね。そりゃ科学や芸術や産業や文学や哲学や宗教的なアプローチで紐解きたくなるはずですね。

高校生が留学に消極的!?

 世界的に比較して、日本の高校生の海外の留学に対する意欲が低いらしい。理由は「面倒」「自信がない」ということらしい。留学をしたいという割合は46%でかなり世界的には低い数値らしい。そうなんだ・・・。留学という手法が目的になっていると「面倒」「自信がない」という結論になるのだろうし、危機感とモチベーションがあれば、留学という選択肢はとても魅力的に思える。

 とは言え、自分が高校生の頃は野球一色だったし、頭の中は芸大に行くことだけだった。とてもとても「留学」という選択肢をイメージできなかったかったのリアル。しかし、もし、それが選択肢として頭にあれば、イギリスかフランスに行きたかったかな。頑張れ、日本の高校生!

木のテーブル。

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 この質感、このフォルム、この存在感。う~ん、最高です。これぞ木の魅力のカタマリ。なんともなんとも、オキニイリのアイテムとなりました。これをどこで入手したのか?については、また、いずれ。そして、このオリジなテーブルの価格はいくらか?についても、また、いずれ・・・。たぶん、国内外、どんな検索キーワードでもこの商品はヒットしないでしょうね。っていうほどいい感じのテーブルなのです。ネット時代、検索したらどんな商品でもヒットするなんて幻想幻想。そんなにネットは完璧でもなければ、魅力が情報が飽和しているわけでもないっつうことですね。

 いいですよこの存在感。たまらんです。

13人の匠。

 「伝統工芸職人たちが抱える"ものづくり"への想い。ときに「こだわり」と表現される、その熱い気持ちは、時代や分野を問わず共通するものです。本企画では、そうした「こだわり」という視点から、日本の伝統文化を受け継ぐ13人の匠と、デルの「こだわり」が詰まったXPSTM 13 UltrabookTMをご紹介していきます。」という企画がある。なかなかストライクな粋なプロジェクトである。正にこれこそがこれからの手法になるのだろう。逆にこのアプローチ・方法論を抜きにして今後、何かが創造されていくということにはならなないだろう。ネットやデジタル機器はあくまでもツール。そのことを理解して感覚として捉えておかないと、システムが独り歩きしてものびしろはない。つまり、訴求も波及も認知も停滞するということなのだろう。

 つまり、創り手の責任というかポテンシャルが全てを左右する時代。それは、日本国内だけに捉われていることではそのパワーが濁り淀む。あくまでも、何かを構築する場合に、他言語の文化や歴史や慣習に精通しつつ、根幹の創り手としての中核競争能力を鍛えましょうというお話。もう、システムや手法だけの大量生産・大量消費型のビジネスモデルは成立しないのだろう。天下のデルでさえ・・・なのだから。

マイタックル、調整完了。

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 これは以前トーナメントで使っていたタックルです。チューニング完了。できれば、あと、一本スピニングが欲しいかなと・・・。

発電機内蔵ライトと・・・。

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 これはイケヤで買った発電機内蔵のライト。取っ手を回すと発電・充電するスグレモノ。なかなかカワイイデザインだったの思わず・・・。これが¥599ですから、凄いです。

 で、この「犬のおしり」は壁に付けて帽子などをひっかけるフックになるというわけ。

イケヤいいですね。

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 いやいや、神戸まで車を走らせてほっこりでしたが、なかなか、イケヤ、いいですいいです。