本当の効率化。

 「効率化」とは一体何が目的か?という疑問。そんなこと企業として売り上げを上げるために仕事の流れを明確にし組織化を図り仕事の品質をしっかり管理することであり、その結果、企業活動が潤滑に上昇するということだぐらいはどんなマニュアルにも書いてある。でも、その「効率化」の結果、失っているモノはないだろうか?という疑問がある。つまり、よく切れる剣の両刃の部分ではないだろうか。対峙する相手も切るが実は自分自身も血が流れているような。

 で、結局、お互いに傷口の小さい方、血の流れ方が少ない方がその勝負の勝者みたいなパワバラがこの「効率化」の実態ではないだろうかと・・・。

 この場合の大前提は人間皆平等に一日24時間を与えられているという普遍のリアルがある。引いては、人生は1回だという生物の真理がベースにあり、この人生どう活用するかに対するマニュアルが実は存在しないのではないだろうかというジレンマ。唯一無二の存在である個体の中に存在する心の部分を人間の本能だと言及して一束にするためにあらゆる規律や法則や慣習が創出されているが、それらは実は願わない人、思わない人、求めない人に対してのテンプレートであり、見えている人、聞こえている人、感じている人にしてみればノイズ(枷でありリミッター)になっていないだろうかという懐疑。

 企業が効率化を提唱し組織の人間が手をつなぎ渡る赤信号。その赤信号が実は「日の丸」だったみたいなオチはやめてほしいが、その部分も周知のリアルなら、今握っている手を一旦リセットする必要もあるのではないだろうか。モノゴコロが芽生えた年齢から団体で組織で教育を受けてきた人間にしてみれば、その場所は心地がいい。企業もその延長だとしたら、もしかすると、社会もその延長であり、引いていはこの国もその延長だとしたら、どこかで別次元へダイブする必要はないか。そうしなければ、モノゴトを俯瞰で捉えることなどできないのではないかと考える。

 私自身でできることは、水中が怖いので水の中からその構図を眺めることができないのなら、高い場所に立てば・・・と考える。物理的に日常空間をテイクオフして高い場所は山となる。そこにある自然の声や土の香を五感で感じ息を切らしながら頂に立った時、そこにはそこだけのリアルがある。これはひとつの事例に過ぎないが、確実にその場所にだけしかないリアルを感じることで、一見遠回りのようなこのアクションが実は芯を喰っていると期待したい。

 時間の使い方がその人間の本質にシンクロするのだから、そこの試行錯誤だけは怠ってはいけないと思うのです。それが自分自身の唯一の「効率化」だから。