知識と感覚のバランス。

 知識や経験値だけで押し切ろうとする人、感性や感覚だけでジャッジする人、これらを世の中ではプロフェッショナルと呼んでいるし、地位や名声を獲得している人もいるだろう。地位や名声がないからこんなことを自由に書けるのだが、それでも、知識と感性のバランスは大切だと思っています。

 まず、知識とは何か?情報化時代に飽和している情報には言語化されたモノと非言語化されたモノが存在している。偉業や金字塔やバイブルが情報の本丸にしても、それらから学ぶためには基礎知識が必要であり、義務教育はそのアプローチとして理に適っている。しかし、なぜ、それだけで飯が食えなくなってしまったのか?情報化時代以前なら、何か情報を得るために誰かに聞いていたことがネットですぐに情報として得られてはいるが、ネットの情報がそれだと正確に判断しているか否かという部分にだけフォーカスしているからそうなっちゃうのである。実は微妙に論点がずれている。情報には本質があることにはある、しかし、それだけが知識であるという誤認識が何かを劣化させているのだろう。
 
 では、感覚的な判断力とは?それは、本能のような脳幹の判断、言わば、DNAの判断とかいかぶることができなくもないが、実は個体として人間の中にある「組み合わせる力」なのである。それをひらめきとも直感とも魔法ともミラクルともどんな呼び名でもいいのだが、組み合わせる力とは論理の外で機能すべき力。損得よりも正誤でもない、好き嫌いレベルの判断力。刑事の勘だとか職人の第六感などと呼ばれているが、これは、人知を超えた摩訶不思議な魔力ではない。手持ちのコマをどのような順番に並べれば、どのように打っていけば、自分の描く形にできるかという設計図に紐解かれた工作技術なのである。「感覚的な人」と聞けば、岡本太郎のようなピカソのような偉人をイメージするが、彼らもたぶん同じことで、自分の設計図を持っていただけ。別に海が割れたわけでもないし、天使を見たわけでもないだろう。本当に怖いのは、海が割れると信じている人であり、天使に依存している人。本当の革命は誰かのエゴが演出している寸劇に過ぎない。乗るか反るかは自分次第。